城下町の夜③

 夜の城下町は人気が少なくていい。何をしたって許されるから。


 そう言って笑っていたのは誰だったか。男だったのか女だったのか。若かったのか年寄りだったのか。ぼんやりとした記憶のビジョンが曖昧すぎて姿かたちを想像できない。


「ま、どうせ死んだヤツだろ。気にしたら負けってね」

「? なんですか、いきなり」

 

 男はぼやけた妄想の世界から現世へと意識を戻して、近くにいた女に向かってつぶやいた。かなり人通りの少ない路地裏の建物の屋根に人影がふたつ。暗がりの中、二人だけが聞こえる音量で男女が会話をしている。

 男女はともに、ある一点に視線を注いでいるため、両者が顔を合わせることはない。視線の先には親子なのか姉妹なのかわからないが、身を寄せ合っている子どもと大人の姿が見えていた。


「あ? 独り言だよ独り言」

「脈絡もなく普通のトーンで急に独り言を言うとか、正気ですか? 電波さんですか? マジキモいんですけど」

「うわ、ひでぇな。面と向かってキモいとかストレートに言うんじゃねえよ。傷つくだろうが。そのせいで俺が精神病んで、自殺とかしたら責任取れよ?」

「ハァ? 死んでるのに、どう責任取れって言うんですか?」

「一発ヤラせろ」

「死姦に興味ないんで嫌です。ってかキモいんで生きてても嫌です。そもそも死んでるんだから勃たないでしょうが」

「いやほら、死後硬直とかあるし……」

「うるせえマジで死ね。ってか今すぐ切り落として、それを死因にしてやりましょうか?」

「やべ、めっちゃこええ。マジ興奮してくる」

「うへぇ、電波な上にドMかよ、マジでキモいですね。ってか、ンなことよりターゲットはアレで本当に合ってるんですか?」

「あ? 知らねーよ。似顔絵持ってんのテメーだろうが」

「だから似顔絵の人物で合ってんですかって聞いてるんですよ。あれは子どもの、しかも女の子ですよ?」

「幼女だろうが老婆だろうが、ターゲットってんならターゲットなんだろうよ。あ、でも可愛かったらどうすっか。殺すのやめて監禁でもするか」

「電波でドMでロリペドとか、とことんヤベー奴ですね先輩。さすがの私もドン引きなんですけど」

「出会ってから今まで、お前との心の距離が接近した記憶が微塵もねーよ。つうか冗談に決まってんだろ。俺はロリコンじゃねえんだよ」

「じゃあなんなんですか?」

「俺は――」

 そう言いながら影の一つが屋根から飛び降り、それを追うようにもう一つの影が飛び降りた。

 先に地面に着地した男は、遅れてやってくる女が着地をするのを待ち構え、そして


「――巨乳好きだ!」


 自分の性癖を大声で叫ぶと、女の着地と同時にその大きく揺れた胸を鷲掴みにした。


「……許可なく私の乳に触ってんじゃねーです、よッ!」


 瞬間、捻りが加わった右フックを左の顎にモロに食らって、男は文字通りぶっ飛ばされた。


「殺されてーのか変態」


 吹き飛んだ先で人間がレンガ壁にぶつかる衝撃音が聞こえるが、女は涼しい顔をして、くだらなそうに吐き捨てた。





 夢でも見ているのだろうか。

 突然屋根から人が降ってきたと思ったら、男が叫び声を上げながら吹き飛んでレンガづくりの壁に激突した。

 現実のこととは思えない有り得ない光景にフレンとサニアは絶句する。

 そんな二人の前には何事もなかったかのように一人の女性が佇んでいた。


「な、何が起こったの……今」

「別に何でもねーですよ。気にしないでください」


 吹き飛んだ男のことなど知らないと言わんばかりの目つきをしている。

 女性はぴっちりとしたフリルのついた白いブラウスを着て、赤と黒のチェックのミニスカートと黒色の編み上げブーツを履いていた。口調はキツいものの、見た目だけは優雅なお嬢様といったところだ。


「いってーな! 何すんだカナン!」

「何すんだ、はこっちの科白じゃボケ。次やったら手首切り落として左右入れ替えてやりますよ」


 盛大に吹き飛んだ男が顔をさすりながら起き上がる。胸元が大きく開いた紺色のワイシャツとスーツのズボンがところどころ砂埃にまみれているが、轟音とともに壁にぶつかったというのに、怪我ひとつなさそうだ。


「あー痛え。相変わらずの怪力だなお前」

「こんな女捕まえて怪力とか失礼すぎて悲しくなってきますよ。えーんえんえん」

 泣き真似をする素振りすら見せずに、嘘くさい泣き声だけを上げるカナンと呼ばれた女は、フレンから視線を一度も外さない。


「あ、あなたたちは一体……?」

「いけません、フレン様。下がってください」

 困惑したフレンが不用意にカナンに近づこうとするのをサニアは片手を前にだし制止する。強張った表情を浮かべて、カナンから視線を離さない。


「せんぱーい。やっぱ合ってました。フレンってこの子みたいですね」

「おっとそりゃ残念なお知らせだ。折角こんな可愛い女の子を拉致監禁できると思って股間膨らませてたのによぉ」

 先輩と呼ばれる男は乱れた髪を直しつつ、カナンの横に並ぶと軽口を叩いた。


「女の子って、もしかして僕のこと? 僕は男だけど……?」

「!?」


 自分のことを差して女と言っているのだろうと気づいたフレンが、自分は男だと宣言するとカナンと先輩は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「ア、アンタ男だったんすか? こりゃ引くわぁ。ってか自信失くすわぁ。女より可愛いとか反則じゃねーですか。お人形さんみたいーって死ぬほど言われたっしょ? ウケるマジで」

「マジかよ、危うく帰ってから寝る前におかずにするところだった。いや、待て。つーか女装とかさせれば全然オッケーじゃね? おいカナン、お前今すぐその汚えパンツ脱いでコイツに履かせろよ」

「オイ、いい加減にしねーとドタマぶち割って、その精液まみれの脳みそ全部掻き出しますよ」


 謎の二人組はお互い視線を合わせないのに凄まじいテンポで会話をしている。話しの内容が全く入ってこないフレンは呆然とするしかなかった。


「私たちに何か御用でしょうか? 何も無いようでしたら失礼させていただきます」

 口喧嘩をしている二人に付き合っている暇はない、とばかりにサニアはフレンの腕を掴むと強引に引っ張る。


「まぁまぁ、待てよ美人なメイドさん。アンタには用はないが、そこの美少年には用があるんだよな」

 カナンたちの横を通り抜けようとするサニアだが、それを先輩が通さない。

「僕に用事、ですか?」

「安心してくださいよ。犯してやろうとか、そういう下衆い目的じゃねーんで」

「用がお有りなら明日屋敷にいらっしゃってください。それでは」


「いーから。怪我したくなかったら、とっととそのクソガキ置いてけって言ってんですよアバズレ」

 

 周囲にピリっとした空気が流れる。

 やる気のなさそうな顔をしているカナンに対して、サニアは明らかに怒りの視線を向けている。どちらも表情が変わらないため、見た目ではわかりにくいが、サニアがここまで怒っているのを見るのはフレンにとって初めてのことだった。


「さぁて姉ちゃん、ここで質問だ。このフレンって坊主を置いて帰って家で暖かい飯を食うか、坊主を守って一生飯が食えない身体になるか、どっちが――」


 先輩がすべての科白を言い終わる前に、サニアが繰り出した閃光のような上段回し蹴りが先輩の首にヒットした。

 先ほどと同じ方向にぶっ飛ばされて、路地に再び衝撃音が鳴り響いた。


「フレン様! 今のうちに逃げてください!」

「え? え!?」


 混乱の極みにあるフレンは男がぶっ飛ばされた先とサニアを交互に見ながら右往左往するしかない。


「フレン様!!」

「!」


 怒気のこもった大声が頭にまで響いた瞬間、フレンは立ちはだかるカナンとは反対の方向へ走り出した。


「おお、すげー。蹴りが見えなかったー」

「……追いかけないんですわね。随分甘いのですね」

「そりゃ一歩でも動いたら襲いかかられそうな殺意を向けられちゃ動けねーですよ。お姉さん、何者ですか?」

「それはこちらの科白です。貴方たちは何者で、一体何が目的なのですか」

「くっそ、二回もぶっ飛ばされるとかマジかよ。しかもどっちも女って……」

 そのとき、さらに埃まみれになった先輩が蹴りを食らった首を左右に動かしながら、ゆっくりと立ち上がった。その表情からはダメージがあるのかどうかわからない。


「せんぱーい。フレンちゃんに逃げられました―」

「ああ!? 何してんだテメーは! 追うぞ!」

「あー、危ないっすよ先輩」


「ッ!?」


 逃げられたターゲットを追うため、逃げた方向へ急いで一歩踏み出そうとした先輩の眼前に、とんでもない速さの物体が風を斬って通り過ぎた。


「な、なんだぁ……!?」

 あと数センチ前に出ていたら確実にこめかみにヒットしていたであろう、その物体はレンガの壁に深々と突き刺さっていた。


「フレン様を追おうとするならば、命のひとつやふたつ、失う覚悟で追うことですわ」


 見るとサニアはいつの間にか両手の指という指の間に何本もの刃物を挟んでいた。

「飛刀ってヤツですか。珍しいですね」

 

 サニアの持つ武器はナイフとは違い、柄の部分まで刃物のように薄い金属でできていた。手で握るのではなく、指で挟むことを前提として作られているようだった。


「自分が何者か話さない、目的も話さない、フレン様を連れ去ろうとする。貴方達が死ぬには十分な理由でしょう」

 飛刀を携えたサニアは両方の腕を、それぞれカナンと先輩に突きつけて冷たく言い放った。


「この、クソアマァ」


 カナンと先輩は目の前にいる一人の使用人相手に身構えざるを得なかった。

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