赤い薬③

 モンスター騒ぎが終わり、馬車は元の通り快適に走り出している。


「全く信じられないよ。弱い人からお金を巻き上げるなんて!」

「あら、人聞きの悪いことを言わないでくださる? 私はお金が欲しい、だなんて一言も言ってないわよ」

 揺れる馬車の中でほくほくと嬉しそうに皮袋の中のお金を確認するアリシアに対してフレンは珍しく怒っていた。

「強いモンスターだって嘘言ったじゃないか! あれは塔の1階に出るモンスターより全然弱かったのに!」

「そうだったっけ〜? きゃー! 見て見て! あのおじさんたちこんなにお金くれたわよ!」


 ジャラジャラと大量の銀貨が荷台の床に広がる。どうやら100枚近い銀貨が袋に入っていたようだ。


「うわわ! これ返しに行ったほうがいいよ!」

「うるさいわねー、もうもらったんだから私のものよ。あ、分前は当然あげるから心配しないでね。えーっと、私が7割、アンタが3割でいいわね」

「どうしてそういう配分になるんだよ!」

「んー? やっぱり、アンタもお金が欲しいんじゃな〜い」

「うっ、そういう意味じゃ……」

 つい突っ込んでしまったフレンの科白を聞いてアリシアは嫌らしい笑みを浮かべる。フレンはバツの悪い顔をした。

「はいはい、冗談冗談。ちゃんと半分ずつにしておいてあげるから。ふふふー、これでしばらくは美味しいものが食べられるわねー。はー、人助けってサイコー」

「ハァ……」


 文字通り金に目がくらんでいるアリシアの姿を見ていると複雑な心境になってくるが、さっきのモンスターとの戦闘はアリシアのサポートのおかげで、今までには無いくらいに華麗な戦いができた。

 一人で戦っていたらこんなことはないだろう。

 仲間の存在、プリーストの能力、そして何よりアリシアという人物への信頼感をフレンはとても強く感じていた。


「さ、お二人とも。そろそろ到着しますわ。俗に言う東の村……ナルハの村ですわ」


 ちょうど話が終わったところでサニアが前方を見やりながら声を掛ける。見れば、すっかり人気がなくなった街道のずっと奥に大きな山があり、その麓に小さな集落が見えてきた。モンスター避けのためなのだろう、集落の周りを囲うように木の丸太でできた障害物立っているので、遠い場所からも見えるほどによく目立っている。どうやらアレが目的の東の村のようだ。

 馬車は勢いをそのままに集落唯一の門へと走っていった。



 山の麓にあるナルハの村は小さい村だった。

 ぐるりと周囲をモンスター避けのバリケードで囲えるほどの小ささで、家屋は十軒もあるかどうか、といったほどだ。村の真ん中には澄み切った綺麗な川が流れていて、村人たちはその川を日々の暮らしに活用しているのだという。


 フレンたちは門のすぐ側に馬車を止めると、各自の手荷物だけを持って村の門をくぐった。村に入ればすぐに子どもたちの笑い声が聞こえてくる。生活する人々は少ないものの、子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の住民が楽しそうに暮らしていた。


「確か、ライラっていう女の人に薬を渡せばいいんだよね?」


 カーミラから持たされた赤い小瓶を片手にフレンはきょろきょろと村を見渡す。見たところ数人の村人がいるのだが、女性の姿は見えない。

「村人に聞いてみるしかないわね。小さい村だからすぐに見つかるでしょ」

 そう言ってアリシアは目についた川のほとりで釣りをしている一人の老人に近づいていった。


「あの、すみません。私たち人を探しているんですが、ライラっていう女性をご存知ないですか?」


 フレンたちと話している時とは違う、トーンの高い可愛らしい声を出す。ついフレンは昨日、突然目の前に現れた時のアリシアを思い出してしまう。今思えば、ものすごい演技力である。


「ライラという娘……? はて、この村にそんな娘おったかね……ちょっとわからないな。他の村人に聞いて見てもらえませんか」

「そう、ですか。わかりました、ありがとうございます」

 老人はアリシアの質問に幾ばくか考えを巡らせていたようだが、ライラという女性は知らないと言う。アリシアは若干釈然としないまま、フレンたちのもとに戻ってきた。


「ライラなんて女、本当にいるのかしら?」

 小さな村なのに同じ村人を知らないなどということがあるのだろうか。あの老人が嘘をつくはずもないだろうし、俄然カーミラの言っていることが疑わしくなってくる。

「あのおじいさんが知らなかっただけかもしれないし、みんなで手分けして探してみようよ」

「そうですわね。では一通り情報を集めたら、門の前に集合しましょう」

 3人はそれとなく頷きあうと、情報収集のためバラバラの方角へと歩いていった。





 フレンは村の中で人が集まりそうな場所を探していた。

 この村には酒場どころか商店があるのかも怪しい。城下町には必ずある、たまり場のような場所はないのだと予想はしていたが、それにしたってどこを見回っても人の姿はまばらだった。

「川の近くは人がいるみたいだなぁ」

 先程の老人と同様に川で釣りしている人が数多く見受けられる。その他にも小さい子どもが川の浅瀬に入って遊んでいたり、川のほとりで昼寝をしている男性も見える。

「そういえばお昼ご飯まだだったな」

 城下町から休憩することなく馬車を走らせていたため食事を取ることなく目的地であるこの村に到着したが、もうとっくに昼食の時間は過ぎていた。

 今にも鳴き出しそうな腹をさすりながら、ふらふらと歩いていると、ふと前方に小さな畑と小屋が見えてきた。

「なんでこんな離れたところに家が?」

 他の住宅とはかなり離れた場所に立っているため、フレンは不思議に思った。 

 畑は綺麗に耕されていて、小屋の煙突からはもくもくと白煙が立ち上っている。どうやら人が住んでいるらしい。

 そのとき、小屋の扉が開いて一人の女性が現れた。

 女性の服装はこの村にはまったく似つかわしくない白衣姿だった。眼鏡をかけていて、どこか学者のような雰囲気のある女性だ。

 白衣の女性は小屋から離れてこちらの方に向かって歩いてくる。ボサボサになった頭を掻きむしりながら、何やらぶつぶつと独り言を言っているようだ。

「ここまでやっておきながら、何の成果も出ないだなんて。所長だってどこまでも心が広いわけじゃない。猶予はそれほど無いっていうのに」

 親指の爪を噛んで不機嫌そうな顔をして歩いている。

「カーミラさえいれば……」

「!」

 独り言の中で女性の口から“カーミラ”という単語が発せられたのをフレンは聞き逃さなかった。すかさずフレンは小走りで女性に近づいていく。

「す、すみません!」

「え? なに……?」

 突然声をかけられた女性は、戸惑っているような訝しんでいるような顔をした。近づいて見てみるとその女性の目の下にはクマができていて、なんだかやつれているように見えた。

「あの、もしかしてライラさん、ですか?」

「そうだけど、アナタは……?」

 どうやらこの女性がライラで間違いないらしい。警戒したままのライラはフレンをジロジロと観察する。

「僕、冒険者のフレンって言います。カーミラさんからライラさんに届け物をするようにって頼まれて」

「カーミラが!? 届け物って……まさか!」

 眼鏡越しの瞳が大きく開かれ、フレンの手にある赤い小瓶に視線が注がれる。

「完成していたのね! ありがとう! これを待っていたのよ」

「あっ……!」

 ライラはフレンの手から小瓶をむしり取ると、恍惚の表情を浮かべて、大事そうにその小瓶を眺めている。

「良かった、これで大丈夫みたいですね。じゃあ確かに渡しましたよ?」

「ええ、アナタにも感謝するわ。届けてくれてありがとう、フレンくん」

 ライラは取り憑かれたように小瓶を眺めて笑っている。フレンには一瞥もくれずに感謝の言葉だけを淡々と述べると、おぼつかない足取りで元の小屋へと戻っていった。

「変な人だったな……で、でもこれで依頼は完了だね! 早くみんなと合流してカーミラさんのところに戻ろう!」

 ライラの言動に気になるところがありつつも、ひとまず目的は達成である。フレンはくるりと小屋に背を向けてもと来た道を戻っていった。





 フレンたちと別れたアリシアはほのぼのとした村の景色を見やりながら、ゆっくりと川に沿って歩いていた。

 ライラという女性の情報を集めなくてはならないのだが、アリシアはどうにもやる気がでない。それもこれも話しに聞くカーミラという女のことが、いけ好かないからである。世間知らずのフレンを騙して何か画策しているのは馬鹿でもわかる。そんな怪しげな女の言う通りに依頼をこなすために自分が骨を折らなくてはならないというのが我慢できなかった。

「ま、フレンくんはやる気満々だからそのうち見つけるでしょ」

 それにサニアもいる。アリシアから見ても正体不明といったところであるが、能力が高いのは明らかだ。サニアに任せておけばなんとかなりそうだ、とアリシアは思っていた。

 当てもなく川のほとりを散歩していると、子どもがケンカしているのが見えた。

 どうやら二人の少年がボールを取り合っているようだ。

「フレンくんよりは……小さいわよね」

 アリシアから見れば女の子ような顔立ちをしたフレンは相当に年下に見えるが、実際のところはわからない。やがて取っ組み合いのケンカにまで発展している、あの少年たちのほうがよほど男らしい顔つきをしているように見えるほどだった。

「おや、お嬢さん。見ない顔だね」

 視界の外から声がしたため、その方向を見やる。

「この村は何もないから退屈だろう?」

 川のほとりで釣りをしていた初老の男性が話しかけてきていた。

「いえ、こうして川を眺めているだけで、幾分か気持ちが晴れやかになります」

「そうかいそうかい。この川はナルハに欠かせないものだからね、そう言ってくれると嬉しいよ」

 にっこりと笑う男性の横にアリシアは腰を下ろす。

「欠かせないもの、ですか?」

「そうだよ。この川は生活用水としても使っているからね。この水を汲んで煮炊きをしたり、風呂につかったり、あとはこうして釣りをしたりね」

 そう言いながら男性が水面から釣り竿を引き上げる。糸の先には何も付いていない針が光った。

「あちゃ、また食べられた」

「ふふ、残念ですね」

 わざとらしく落ち込む男性のひょうきんな姿にアリシアは吹き出してしまった。

「ははは、まったく。そういえばお嬢ちゃん、何かこの村に用でもあったのかい?」

「ええ、少し人探しを。おじさん、ライラという女の人を知りませんか?」

「いや、知らんな。この村にはそんな名前の娘はいないはずだぞ?」

 やはり男性の答えは先程の老人と一緒だった。これ以上情報収集をしても無駄だろう。アリシアはため息をひとつ吐くと、ローブの裾を手で払いながら立ち上がった。

「そうですか……お邪魔してすみませんでした。私行きますね」

「いやいや、話しかけたのはこっちだからな。そうだ、小振りのでもいいなら釣った魚を持っていくかい?」

「いえ、そんな悪いです。それに私たち夜には城下町に戻りますので魚が悪くなってしまいますから」

「そうか、それは残念」

「ありがとうございます。それでは」

 川の水に浸けられていた魚籠びくの中には元気そうに泳ぐ魚が数匹見えたが、もらっても仕方がないので、男性の申し入れをアリシアは丁重に断り、その場を後にした。振り返ると男性が笑いながらこちらに向かって手を振っていた。

 

 男性に手を振り返しつつ、ふと見ると、さっきまでケンカをしていた少年たちが父親なのか、若い男性に叱られていた。さっきまで取っ組み合いをしていたのに、少年たちはすっかり大人しくなってしまっている。


「あれ……? なんか……」


 釣り人のおじさん、ケンカをする少年たちとそれを叱る男性。そんな平和な村のワンシーンを見やりながら、アリシアは胸の中に何かざわざわした違和感を感じていた。





 だんだんと日が傾きかけて来た頃、フレンが村の門へと戻ってみるとすでにサニアとアリシアが集まっていた。

「ごめん、遅くなって!」

「こっちは二人とも収穫なしよ。フレンくんは?」

 小走りに駆け寄るフレンはにっこりと笑いながら

「見つけたよライラさん! さっき小瓶を渡してきたんだ!」

 と自慢げに声を上げた。

「ウソ!? みんな知らないって言ってたのに」

「うん、僕も村外れの小屋から出てくるのを偶然見つけなかったらわからなかったと思うよ!」

「でしたら、目的は達成ということになりますわ。お見事ですフレン様」

「いやぁ~」

 純粋に褒められて嬉しがるフレンの頭をサニアは撫でている。

 子ども扱いされることもまんざらではなさそうなフレンと、フレンに触れ合えて嬉しそうなサニアの様子を見てアリシアは少しだけ苛立ちを感じる。

「はいはい、じゃれ合ってないで、終わったんならとっとと帰るわよ。早くしないと夜になっちゃう」

 スムーズに目的を達せられたのはいいが、あと少しで日差しは朱色に変わっていくはずだ。真っ暗になる前に城下町に戻りたい。

「それじゃ戻ろうか。僕もうお腹ペコペコだよ」

「昼食の時間を取るのを失念していました。どうぞ帰り道にお食べ下さい」

「じゃ、私ももーらおっと」

 

 3人は楽しげに笑い合いながら村の門をくぐり、バリケードの外に出ると、すぐ近くに停めてある馬車に乗り込んだ。


「やっぱりカーミラさんはいい人だったね」

「う、何よ突然」

 馬車の座席に座るフレンが嬉しそうな声を上げるものだから、アリシアは出発前に話していたことを思い出してバツの悪い顔をした。

「だって何もなかったじゃん。二人が変なこと言うから不安になっちゃったよ」

「わ、悪かったわね! こんなあっさり解決するとは思わなかったのよ!」

「アリシアもカーミラさんに会ってみれば、いい人だってわかるよ」

「えぇ~、そうかしら……なんか会いたくないのよね。女の敵って感じがする」

 どうもフレンはカーミラに心酔しているような気がする。そう思うとアリシアは否定的な意見を言いたくなってしまう。

「アリシア様、全くの同感です」

 少し遅れて御者台に乗り込んだサニアはアリシアの科白に完全に同意している。なぜだか二人はカーミラのこととなると意気投合するようだ。

「まあまあ二人とも。解呪薬はカーミラさんにもらうんだから、少しは感謝しないと」

「ま、その真偽のほどは実際にこの目で確かめてあげるわよ」

 話しに聞いているだけでカーミラが嫌いの部類の人間であろうと判断してしまっているアリシアは、どう説得しても聞く耳を持ってくれないのだろう。

「ぜひ、お願いしますわ。さ、お二人とも出発いたしますわ」

 そんな大人げないアリシアの言動を横目で見ながら、サニアは手綱を揺らした。





「カーミラ……」

 砂埃を上げてどんどんと小さくなっていく馬車を見ながら、一人の少年がカーミラの名前を口にした。フレンよりもまだ幼いであろうその少年は、自分の身丈よりも長い、ぶかぶかの漆黒のローブを身にまとっていた。

「どしたのニア?」

 その背後からひょこっと顔を出したのは、その少年と全く同じ顔をした少女だった。同じくぶかぶかのローブにくるまっている。

「ねえメル? カーミラってきっとラボにいたお姉ちゃんだよね」

「カーミラ? んんん? あはは、わっかんない」

 メルと呼ばれた少女は腕を組んで頭を捻ったが、よく思い出せなかったのか、にかっと八重歯を見せて笑ってごまかした。

「きっとそうだよ。あのお姉ちゃんなら、多分僕たちを――」

 能天気に笑うメルと同じ顔を持つ少年ニアは、追い詰められたような顔をして、胸元をぎゅっと握りしめながらつぶやいた。

「――殺してくれる」

 フレンたちの乗った馬車は影も形も見えなくなっていた。

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