XⅦ 底辺だった僕はまた夢を見ました(嘔吐表現注意)

 夜。

 僕は再び、あの悍ましい怪物の夢を見た。

 しかし、今回の相手は違う姿だったことを覚えている。

 相手は人間の女の姿を模っていた。

 背中には蝙蝠のような翼が生え、頭からは髪の毛では無く代わりに無数の触手が生えてきている。

 前回同様、僕の視点は怪物と交ぐわう異形だった。

 愉しそうに、本能的に色欲を満たすその怪物の様子は獣に見える。

 生々しい声と感触に僕は吐き気を催すが、夢の中である為当然吐くことが出来ない。

 起きろ、と自身に言い聞かせる。

 その間、ザラザラとした触手と触手が絡み合い、その感触で更に嫌悪感が増す。

 胸元まできたこの形容し難い感触が限界に達した時、僕はやっと起きる事ができた。

 飛び起きた僕は急いでトイレまで走り――。


「う゛、う゛お゛ぇ゛ぇ゛え゛え゛っ゛!!!!」


 盛大に嘔吐した。

 胃袋には何も入っていなかった為、吐き出されるのは唾液のみ。

 それでも僕の身体はあるはずもない異物を体内から追い出そうとする。

 糸を引く唾液。

 生暖かいそれが更に僕の吐き気を加速させた。


「お゛ぇ゛ぇ゛え゛え゛っ゛!!!!」


 今度は酸味が混じっていた。

 胃の上部分に変な圧迫感のようなものを覚える。

 それに喉や食道の他に、鳩尾部分も熱い。


「っはぁ……っはぁ……っはぁ……っはぁ……うっぷ――」


 無理矢理空気を肺に送り、息を整える。

 が、すぐに次の吐き気に負けてまた吐く。

 ふと、先程の夢の感触を鮮明に思い出してしまった。

 ザラザラとした触手が身体に纏わり付いているような感覚を覚える。

 一回目よりも大きく、長く吐いた。

 息が出来ないぐらい吐いて更に吐いた。

 それでも収まらない。

 やっと大人しくなっても、胸元の異物感は消えなかった。

 だから再び吐く。

 全身から脂汗が噴き出す。

 寝間着がその汗で肌に引っ付く。

 髪の毛がその汗で額や頬、首筋などに張り付く。

 夜はまだ長い。

 結局、夜が明けるまで僕は感覚に身を任せて嘔吐し続けた。







「おはよう 妹」

「おはようございます、ラーサねえさ――」


 朝食の準備中、挨拶を返そうと振り返るとラーサ姉様が僕の真後ろまで迫っていた。


「妹 具合 悪い ない?」

「え? ええ問題ないですよ?」


 僕はその問いに何もなかったように、誤魔化すように答えてしまった。


「そう? 無理 する 駄目」

「ええ、勿論気を付けます――」

「だから 今日 おとなしい する」


 そう言ってラーサ姉様は僕の腕を掴んだ。

 そして僕は無理矢理僕に部屋に連れて行き、ベッドに寝かされた。


「昨日 夜 ずっと 嘔吐 寝る 足りる 無い」

「へ、平気ですよ? 勿論睡眠も足りてます」


 嘘だ。

 今、とっても眠たい。

 一応くまができていない事は確認済みだけれど、いつうたた寝をしてしまうか分からないぐらい眠たい。

 でも、今は睡眠をとる事が恐ろしくて本当にしたくないのだ。


「駄目 おとなしい する 寝る する」


 ラーサ姉様は僕の隣に腰掛けた。

 そして手で僕の目を塞ぎ、歌い出す。

 ゆったりとした旋律によって、僕はすぐに睡魔に襲われることとなった。

 あの夢の続きを見てしまうかも知れない恐怖に僕は睡魔に抗う。

 しかし、気が付けば僕の意識は途切れていた。








「今度は何の用です? 王ソロモン」

「来てくれて感謝するよ、バルバトス。ちょっと君の今の契約者に関しての話なんだけど……」

「姫の事ですか?」


 バルバトスは向かいの席に座るように促される。

 場所は喫茶店、彼はソロモンの向かいの席に座り、注文を受けに来た店員に軽く注文を済ませた。


「ああそうさ。これは一応君に伝えておかないと思ってね」

「……また浸蝕の事ですか」


 ソロモンは珈琲を一口、口に含んでその呟きに頷く。


「喜ぶべきか、警戒するべきか……難しいですね……」

「警戒はするべきだと思うよ。ただ、魔女としては格が上がったわけだから喜んでも良い」

「ですが、アレには他と比べて意思が強すぎますね」


 ちょうど頼んだケーキが到着し、バルバトスはそれを一口、口に運ぶ。


「そうだね……しかも眷属の様なものをもう呼び出せる様になっているみたいだ」

「ええ、実際にこの目で見ましたよ。しかし……アレは『召喚』というよりも『産んだ』と表現した方がしっくりくる」


 二人はしばらく黙る。

 喫茶店では他の客の会話が絶えないが、二人の沈黙は、それらの雑音に紛れてしまっていた。


「まぁ、ここで考えてもしょうがないか。まだ警戒で充分かも知れないけれど、念には念をっと……彼女にこれを渡しておいてくれるかい?」

「これは……」


 そう言ってソロモンは、バルバトスに赤い石を渡す。

 赤い石は少し透き通っており、その中には何か黒い塊の様なものが閉じ込められていた。


「赤い琥珀……ですか」

「僕の血肉で育った特別な樹で作った特別な琥珀さ」

「それならば品質に問題はありませんね。必ず姫にお渡し致しましょう」


 話し終えた二人は席を立ち、会計を済ませる。

 そして喫茶店前で別れると、バルバトスはすぐにピュルテの家へと急いだ。







 ―memo―

『赤い琥珀』

・琥珀

 琥珀は天然樹脂の化石であり、色は石の名前にある様に琥珀色と表現されている。

 琥珀の中には小さな虫や、動物の毛、植物の葉、その時代の水やり空気が混入されている場合があり、それらは更に価値が跳ね上がる。

 基本的に装飾品の類に使用されているが、呪術的な用途もあり、高値で売買されている。

・赤い琥珀

 基本的に赤い樹液から生成されるが、それらは綺麗な赤色とは呼べない。

 しかし、魔界に存在するとある樹から作られる琥珀は人間界の物とは異なり、人の血液だと思えるほどの鮮紅色である。

 それらは滅多に人間界に出回る事はないが、時折流れ着く事がある。

 そしてその琥珀は本当は異なるものなのだが、◾︎◾︎の石と呼ばれている。

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