XXⅨ 底辺だった僕は移動に為に魔界へ行きました

 男は馬車の護衛依頼を受けながらハーファー王国へ向かっている。整備されているとは言えない道を馬車は進み、男と商人が荷台で座っているだけ。


「いゃ〜、初めは一人だけでしたので心配でしたがお強いのですね〜」


「まぁ、何度か死にかけましたから……」


 男は誰かの顔を思い出しながら応える。商人から見れば、久しく恋人と過ごせなかった為に過去の幸福に浸っている様だった。


「冒険者殿、失礼ですが王都に向かう目的は久しく会えなかった恋人のもとへ向かう為……でしょうか?」


 しかし、男は恋人という単語を聞いた瞬間から目を見開いで驚いた。


「ま、まさか! ただ、恋人ではなくて王国に戻る自体が久しいな……と」


「おや、てっきり表情から女性に関することかと思いましたよ」


 商人の言葉に男は言葉が詰まる。


「あ、いや、その……」


「別に王国にはまだ着いていませんし、言っては問題ないのでは?」


「そ、それは…その……はい。恥ずかしながら実は……イスクゥシェでとある少女に一目惚れを……」


 男がそう言うと、商人は国名から考えて納得した。


「なるほど、その女性が魔女だった……と」


 商人の頬が釣り上がる。


「ならば、また会いに行く時に贈り物をなされれば良いでしょう。良ければ我が商会でいくつか用意しますよ?」


「いや、それは遠慮しておこう。なにせ、彼女の義理の母君が恐ろしいので」


 鴨かと思ったが、当てが外れることに商人は少し悔しそうに言った。


「……ならば仕方がありませんね」


 と、馬の進む先に一人の女性が現れた。遠目からではよく分からないが、大きな荷物を背後に置いて、人を待っていたかの様に思える。女性は全体的に黒い衣装を身に付けているが、何処か不思議な雰囲気があった。


「……なぁ、この道は危険な魔物が多いはずだよな?」


「え、ええ、そうですよ。それがどうかしたのです?」


「いや、前方に怪しい女が見えた」


 男は商人に、見たままの情報を伝えた。商人はそれは冒険者の男の警戒心が強過ぎる為だろうと思いながら、少し近づいて見る事を提案した。

 けれど、その判断は誤りだった。











「……落ち着きません」


 僕は中庭で昼食を摂りながら、そう呟いた。何が落ち着かないかは分からない。けれど、肌を軽く撫でられるようなゾワッとした感覚に似ているものが治らない。


「まさか名状し難きものNameLess……もとい〈罪喰い〉では無い……ですよね……」


 魂宿るものの欲を喰らい、成長する存在。そう言えば、何故か呪いの触媒にされていた本に〈罪喰い〉の事が記されていた。

 本と言うよりどちらかと言うと手記に近いか。まあ、その手記は途中から虫食いが激しくて読める状態ではなかったけどね。


「神性、神格を持つ始まりの魔女……〈原罪の魔女〉クライム……」


 その手記には、何故かお義母の名前があった。それに、俗称の〈原罪の魔女〉ってバルバトス様に言われていた気がする……


「……帰ったら確認しに行きますか」


 手記は解呪する為に燃やしてしまった。だから、証拠がない。でも、お義母様は僕の答えてくれる気がする。


『姫、お食事中すみません。〈罪喰い〉が現れたそうですよ?』


 ……まじか。あの落ち着かない感じがまさかそれが原因だとは思わなかった。でも、関わりたくないなぁ……


「場所は……どこですか?」


 でも、なぜか僕はバルバトス様に場所を聞いていた。


「……分かりました。其方に連れて行ってくれますか?」


「ええ、お安い御用ですよ」


 バルバトス様は僕に跪きながら現れる。そして、エスコートする様に手を差し出した。僕はその手に自身の手を置く。

 本当は止まらなければならない。けれど、〈罪喰い〉を欲しがる気持ちが収まらない。

 自身の中にある何かに、そう動かされているような違和感を覚えながら、勝手に僕の身体はバルバトス様と一緒に跳んだ。









 赫々とした世界。どんよりとドス黒く濁った、見覚えのある風景。


「ここは……」


「近道の為に跳びました。因みにここは魔界です」


「魔界!? って、何で僕は――」

「その疑問はおそらく解決することはないでしょう。ですので、今は準備をしたほうがよろしいかと思われます。姫」


 明かりの都合上、黒く見えてしまう謎の粒子群が目の前で集合する。


『ケヒャヒャヒャヒャ! 今日こそその序列を貰ってやるぞ、バルバトスゥゥゥゥゥ!!!!』


 形成されたのは階級的に大悪魔。魔神まで達したバルバトス様には遠く及ばないはず。


「名無しの大悪魔風情が何をほざいている」


「ハッ、それはどうかなァ……」


 大悪魔の周囲に数多の霊魂が漂い始めた。この量は……まさか!?


「バルバトス様!」


「……愚かな」


 冷酷な声。彼の口から怒り以外の一切の感情を感じさせない、冷たい刃の様な声が耳に残る。


「この量さえアれば、俺もオマエと同じくらいの力を得られル!」


 ――やだ! まだ死にたくないぃぃ!!!!

 ――た、助けてェェェ!!!!

 ――ママぁ! パパぁ!

 ――おねえ……ちゃ……


 取り込まれてゆく霊魂の声が響く。まだ、無垢な子供のモノまで混じっている。僕は、彼らの声を聴いて急に悪魔という存在が恐ろしく思えた。


「御安心を、姫。私はあの様な愚か者用に魂を無下に扱いません。それに……姫の魂はトクベツ、ですからね」


 バルバトス様に優しく頭を撫でられる。そう言えば僕はバルバトスという悪魔を詳しく知らない。知っているのは資料に書かれていることだけ。人柄や、性質は全く……知らない。


「……進化が終わるまで待っていたとは……舐めてんのかこの野郎!!!!」


 バルバトス様の様に人に近い姿になった元大悪魔が彼に殴りかかる。


「は、8番、逆位置!!」


 僕は咄嗟の判断で無力化を試みる。


「舐めている? まさか。私は今、怒りで気が狂いそうですよ」


 とてつもない無気力感に襲われているであろう元大悪魔の問いに対して、バルバトス様は冷静に答える。こう言う状態の人は、スイッチが入った瞬間に自然に戻るまで待つしか方法はない。


「勿体無いですが貴方には消滅してもらいます。我が主人の御前での愚行、散り際に悔いてもらいましょう」


 近距離で矢を構えるバルバトス様。僕の魔術によって、元大悪魔はスローモーションで距離を詰めているようだ。でも、そんな近くだったら絶対に貫通する。


「さようなら。名も無き私よりも愚かな者よ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る