XV 底辺だった僕は黒いのの成熟体に出会いました

 今日、一日中失敗続きだった。階段を上がれば高確率で躓き、階段を下れば高確率で踏み外し、何もない廊下では高確率で足を滑らしたり自分の足に足を引っ掛け転んだ。どれもバルバトス様に助けて頂いたが、バルバトス様に助けてもらう現場では他の生徒が多くいて、僕がバルバトス様に助けて頂く度に沢山の黄色い歓声の様なものが響く。


「はぁ………男の頃はこんな事ありませんでしたのに………」


 帰路の中、僕は男だった頃のことを思い出しながら呟く。初めは魔女の才と聞いて喜んだが、今思えば魔女の才はただの異端な力の塊だと言うことがわかった。

 高慢さんは底が見えない魔力量があり、さらに意識せずに魔法を発動できる。そんな芸当を見てしまうと、流石に僕の力は非力に近すぎる気がする。それなのにお母様は僕には魔女の才があると言った。


「はぁ……こんな時に自分の能力などが確認できる魔法や魔術があれば良いのですが………」


 溜息を吐きながら、家路につく。すっかり日は暮れ、繁華街は人通りが多く、その中を僕とバルバトス様は通る。何故この道を通るのかと言うと、『なんとなく』だ。

 誰の視線も感じず、酒屋の料理の美味しそうな匂いが漂う道、街灯は明るい夜をさらに明るくするように照らす。

 今までこの時間帯にこう言うところに来た事がなかったので、とても新鮮な気分だった。

 誰もが娯楽に夢中で、飲んで、騒いで、罵り合って、力比べし合って、とても楽しそうだ。ただ、衛兵が巡回をしているようなので、僕の様な学生身分はまだ遊べない。

 ただ、見ているだけでも楽しい。

 繁華街を歩いていると、裏路地辺りから変な気配がした。


「姫」


「分かってます」


 バルバトス様も気がついた様だ。

 目を凝らして裏路地を見るが、何も分からない。ただ、その辺りから感じる何かの所為で冷や汗が止まらない。


 ―あの辺りには近づいてはならない。


 だが、同時に気になる。


 ―知りたい。この恐怖感を僕にくれる何かの正体を。


 ―知りたい。とても知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて堪らない。


  ―いや、ダメだ。好奇心の誘惑に惑わされてはいけない。


 ―でも……少しぐらいなら………


  ―いやいや。危険ではないと言う保証はどこにもないのだ。


 ―だが、それが見に行かない理由になるのだろうかか?


  ―………いや、ならない。


 僕は好奇心の誘惑に負け、裏路地に歩み寄る。勿論、バルバトス様も一緒に。


 ――グチュ、グチュ、グチュ……パキリ


 繁華街の騒がしさで少し掻き消されていたが、咀嚼音だ。しかも、骨まで噛み砕いている。


「魔物……はあり得ませんね」


「そうですね……普通なら騒ぎになっています。おそらくこれは――っ!! 姫っ!!」


 バルバトス様が突然声を荒げながら僕引き寄せ後方に少し飛ぶ。その数秒後に、僕が立っていた場所には半径一メートルほどのクレーターができていた。そしてクレーターを作った犯人は、どうやら拳が刺さってしまい抜けないらしい。空気が激しく振動していることから、一生懸命、突き刺さった拳を抜こうとしているのだろう。

 そこに、さっきまで雲に隠れていた月明かりがクレーターを作った犯人を照らし始めた。


「っ!?」


 異形がいた。リザードマンの様な姿をした、黒い異形が、拳を引き抜こうとしている。

 異様に肥大化している両腕。爬虫類の様な瑞々しい光沢のある鱗。蜘蛛の様な八つに赤い複眼ら。左肩から生える異様な黒い植物。そして左頬には『Ⅷ』の様に見える模様があった。

 そしてそれが直感的に僕は〈罪喰い〉だと分かった。


「お前たち! そこで何をしている!」


 さっきの音で衛兵が駆けつけてきた様だ。けれど……


「ダメです! 来てはだめっ!?」


 駆け寄ってくる衛兵を止めようと、僕は声を上げたがその瞬間、僕の真横で何かが通過した。そして何かは、目にも留まらぬ速さで正確に衛兵の首を飛ばした。

 飛ばされた首の表情は困惑していた。自分の身に何が起きたのかも分からずに衛兵の意識は帰らなくなったのだろう。宙を少しの間飛んでいた首は、黒い植物の様な者に掴まれ、そのまま罪喰いの胃袋の中に入ってしまた。


 ―気持ち悪い。


 今になって気が付いたが、この裏路地は鉄臭い。どうやら他の人も犠牲になったらしい。


「姫、この強さはおそらく成熟しているかと」


 成熟!?と言うことは、他の人たちも見えているってこと!?


「……お母様が使っていたアレを使います」

「アレを……ですか。分かりました。では私は姫を全力でお守りいたしましょう」


 そう言って、バルバトス様は短剣を構える。ちょっと悔しい事にカッコよくて一瞬見惚れちゃったけど……嬉しい。

 詠唱はあの一回で一応覚えた。ならば後はあの魔法を僕の魔術で再現すればいい。


「すぅ…………」


『Dieu tonnerre qui condamne le désordre qui dérange toutes choses J'espère Détruisez les ennemis noirs qui défigurent la Terre Mère』


 強風が〈罪喰い〉に纏わりつき、黒雲がその上に収束する。僕の周りには、演算する魔法陣が沢山浮かび上がり、その処理を行いながら僕は右手を掲げ、振り下ろしながら口ずさむ。


制裁の雷Tonnerre de sanctions


 その言葉と動作と同時に稲妻が落ちる。その瞬間、暗い繁華街の裏路地は一つの光に飲み込まれた。

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