なると、ぷかり
撮り溜めた映画でも見ながら遅い夕飯代わりの蕎麦を食べて、のんびりカウントダウンして年を越す、という当初の予定が狂ってしまった。
どこでスイッチが入ったのか、食欲魔人のお前が、珍しく飯も食わずに発情した。あれよあれよという間に部屋に引っ張り込まれた俺は、あっさり押し倒されてマウントを取られてしまった。
開いたドアの向こうで、やたらとにぎやかにリビングでつけっぱなしのテレビが音を立てていたのが聞こえていたのは覚えている。それから先は、まるで酔ったような目をしたお前に押されて、こちらの理性も吹っ飛んだ。
──気付いた時にはすでに年は明け、除夜の鐘を聞きながら寒空の下星を眺めて寄り添い、キスをする、なんてロマンチストの塊みたいな俺の妄想はあっさりと打ち砕かれてしまった。
世のカップルの何割くらいが、年越しセックスなんてものをしているのか、本気で考えてしまいたくなった。
深夜に手をつないで初詣、などという予定も投げ捨て、俺たちは結局、疲れ切って昼近くまで眠っていた。
目を覚ましたら、カーテンの向こうはやけに明るかった。
俺はベッドの上で頭をかき、隣ですぴー、と気持ちよさそうに寝息を立てているお前の頬をつまんでみた。うにゃうにゃと口元を動かして、つままれた頬を緩ませる。
頬をつままれて笑うなんて、変わったやつだ。
開きっぱなしのドアの向こう、まだテレビが音を立てている。新年につき物の芸人オンパレード。コンビ芸人がネタをしているらしく、時々わっと笑い声が起きる。
まあ、つまり、新年だ。
ベッドの上で胡坐をかいたまま、笑いながら眠っているお前を見下ろす。もう一度頬をつまんでみたが、目は覚まさなかった。
ぶるりと震えて、俺はベッドから抜け出してバスルームへ向かった。コックをひねってお湯を浴び始めてから、テレビのスイッチを消すのを忘れたことに気付いた。昨日の夜からずっとつけっぱなしのテレビは、空っぽのリビングで一晩中相手もいないまま一生懸命仕事をしていたわけだ。
すまん、テレビよ。
せめてリモコンを持ち上げる暇さえ与えてくれたなら、きちんと休ませてやれたのだが。
有無を言わさず部屋に連れ込まれて、その隙を見つけることができなかった。
バスタオル一枚で部屋に戻って着替えを済ませた。お前はまだ、眠っている。仕方ないのでそのまま放っておいて、正月の支度をすることにした。
リビングに向かい、テーブルの上にあったリモコンを持ち上げる。テレビ画面では、テンポの狂ったような堂々たるボケに、相方がまるで受け流すようなツッコミを入れていた。俺はしばしその漫才を鑑賞してから、チャンネルを変える。ニューイヤー駅伝は第4区にタスキが渡っていた。ボリュームを下げてリモコンをテーブルに戻し、キッチンへ向かう。
俺の家は、昔から定番のおせち料理を作らない。
だから、年末に用意するものは、松前漬けと筑前煮。ひたし豆を煮たり、塩数の子の塩抜きをして味をつけるくらいだ。
豆を煮るのが好きな俺は、一応、黒豆なんかも作ってみたりする。が、おせちの黒豆とはかけ離れた、甘みの少ない少し硬めの出来上がりである。時には砂糖も入れず、硬めにゆでただけ、というありさま。
鍋に小さく切った鶏肉と、いちょう切りにしたニンジンと大根を入れ、お酒少々と醤油で味付けし、雑煮のだしを作る。食べる直前に焼いた餅となるとと刻んだセリを入れて完成。
キッチンの戸棚の奥から、普段は使わない重箱を取り出す。小さめの2段重ねのそれは、お前と暮らし始めてから購入したものだ。塗りの重箱は、柔らかいフキンで丁寧に拭いて、並べた。
まずは紅白のかまぼこ。板から外して、同じ厚さになるように枚数を揃えて切り分け、紅白交互に並べて重箱に詰める。伊達巻も切り分け、詰める。同様に焼き豚も切り分け、詰め込む。
薄めのだし汁で味をつけた数の子と、同じように薄めに味付けしたひたし豆、甘くない黒豆、スモークサーモンとスライスオニオンのレモンマリネを小さな器に少量ずつ盛り付け、重箱の中に見栄えよく配置する。その隙間ににしんと鮭の昆布巻きを詰め込み、これで重箱は完成。
朱塗りの大平鉢を用意し、今度はそこに、小さなガラスの器に盛った瓶詰の栗の甘露煮、同じく塩漬けのイクラ、貝割れを生ハムで巻いたもの、炒った銀杏、カマンベールチーズにブルーチーズなどをバランスよく盛り付け、空いているスペースを柚子や松葉で飾る。
筑前煮は大き目の鉢に、松前漬けはガラスのボウルに入れた。
テーブルにワイングラスとぐい飲み、取り皿、寿の金文字の入った箸袋の柳箸をセッティングする。箸袋には、それぞれの名前を書き込んでおく。
ワインと日本酒、ついでにジュース、お茶も用意した。
準備完了。
駅伝は、第5区。ちらりと順位を確認してから、俺は部屋に戻った。
俺の部屋の大きなベッドの上で、お前はまだ丸くなっていた。毛布も布団も巻き込むようにしている。俺はその端っこを引っ張って、お前の顔を露にした。
「起きろ」
身じろぎして、お前がぼんやりと目を開く。
「もう昼だ」
「…………」
「正月、しよう」
「……ん」
お前はぼんやりと俺を見上げ、ふわりと笑う。
「きのう」
まだ寝ぼけたような声が、甘えるように言った。
「かっこよかった」
「そりゃどうも」
「かっこよかった。きょねんのあんたも、ことし、になったばかりのあんたも」
まだ上手に舌が回らないのか、発音が全部、ひらがなで喋っているように聞こえた。俺は苦笑して、お前の頭をくしゃりと撫でる。
「それは光栄です」
「うん……」
うなずいて、そのまままた眠ろうとしたので、慌てて揺り起こす。
「だから、起きろ。正月だ」
「……うん」
べろんと布団をめくったら、お前がひゃああ、と悲鳴を上げた。
「寒い!」
「起きて、シャワー浴びて来い」
「うー……」
「伊達巻全部食っちまうぞ」
最後の手段でそう言ったら、お前がぴょこんと飛び起きた。
「駄目、俺の」
俺は再び苦笑し、昨日脱ぎ捨てたままだったお前の服を投げつけてやった。それをキャッチして、少し逡巡し、結局その服を投げ捨ててバスルームに向かった。寝ぐせのついた髪を押さえながら、ふわあとあくびをしている。
それを見送ってから、俺はリビングに戻る。
新しい白ワインと日本酒の瓶をテーブルに運び、ワインのコルクを抜いた。
なんとなく平鉢が寂しいなと考えて、お前が昨日生けていた花瓶の南天の小枝を切って、飾ってみた。うん、悪くない。
お前が着替えを済ませてやってきた。
いつもの席に座り、向かい合って一礼した。
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます」
顔を上げたら目が合って、笑い合った。
注いだワインで乾杯して、お前が両手を合わせて箸を取る。
「いただきます」
俺は重箱のふたをあけ、段を崩した。
「うわーい」
いそいそと少しずつ取り皿に取り分け、まずはかまぼこ。そして伊達巻。
「おいしい」
「本当、好きだな、それ」
「伊達巻のないお正月は、この世からなくなればいいと思う」
「新年早々物騒だな」
「伊達巻、食べる、いっぱい!」
「3本買ってあるから、好きなだけ食えよ」
「うん」
俺は別に伊達巻に執着があるわけではないから、一切れか二切れつまめばもう充分満足である。だから、必然的に残りは全部お前の腹の中だ。さっきの脅し文句も、口だけである。伊達巻一本食べ尽くすなんて、考えただけでも胸焼けしそうだ。
「筑前煮、おいしい。味しみてる」
「ちょっと、煮崩れてるな」
「俺、煮崩れた方が好き。ほろほろってしてる鶏肉とか、角のなくなったにんじんとか」
「見た目があんまりよくないんだよ」
「でも、おいしい。こんにゃくも、ちぎったやつと、結びこんにゃくの両方入ってて、すごく嬉しい」
こんにゃくが二種類なのは、俺の趣味である。筑前煮におけるこんにゃくとレンコンは──死ぬほどうまい、が持論。
しばらく黙々と食べ続け、頃合いを見計らってお雑煮の準備。
「餅、何個?」
「まずは3個」
まずは、ってところが怖いよ。
俺はトースターに餅を入れ、表面がかりんと色付いて膨らむまで焼き、大きめの塗りの椀に入れる。上からだし汁をはって、さっと火を通したなるとと具を入れ、セリを散らす。
お椀を受け取ったお前が、幸せそうにかじりつく。
「おいしいなあー。あんたのお雑煮、めちゃくちゃシンプルだよね」
「うちは、こんなだ」
「しかもすごく簡単にできるから、びっくり。うちは、典型的なやつだったよ」
地元の郷土雑煮は、焼きハゼを入れるものである。年末になると、焼かれて乾燥させたハゼがだらりと吊り下げられて、市場などで売られているのを見かける。しかし、残念ながら俺は、それを食べたことはない。
「お雑煮って、地方色出るよね。具沢山だったり、みそ仕立てだったり」
「あんこの入った餅ってのもあるらしいな」
「へー、ちょっと食べてみたい」
お前は当然、2杯目を所望。再び餅は3個。
「あんたってさ」
6個の餅を食べてなお、3杯目を食べようか迷っているお前が、料理をつまんでいる俺を見て、つぶやく。
「お餅食べないよね」
「ああ──あんまり好きじゃないから」
「珍しいよね」
「そうか?」
「うん」
昔から、餅を食わない。だから正月は、早々に食べるものがなくなる。おせちを作らないので、正月気分なのは元旦くらいで、次の日にはすでに普通の食事を食べていたような気がする。
もちろん、家族は引き続き餅を消費してはいたが。
お前はお椀を突き出し、2個、と告げた。
やれやれ。
俺はまた餅を焼き、雑煮を作る。
俺が食べなくても、用意した分の餅は、お前がきれいに片づけてくれる。だから、何ら心配することはない。うちに限っては、食材が余る、ということはあり得ないのだ。
「初詣、どうしよっか」
餅をみょーん、と伸ばしながら、お前が訊ねる。
「食ったら行くか。腹ごなしに」
「そうだね」
「混んでないといいけどな」
「昼過ぎだし、大丈夫だよ、きっと」
形だけの俺のお椀には、餅がひとつ。鶏肉のかけらと、紅白に見立てたニンジンと大根。寿の文字が入ったなるとがぷかりと浮かび、しゃきしゃきしたセリのきれいなグリーンが散る。
今年も、お前と二人、向き合って正月を迎えることができた。
できるならば、この先も、ずっと、こうして正月を迎え続けたい。
正面で、ガラスボウルの松前漬けをかき混ぜながら、お前が笑っている。
「松前漬けってさ、常習性あるよね。食べてると、止まらなくって、いつまでも食べ続けちゃう」
お前の場合、それは松前漬けに限ったことではない。
「白菜漬け入れたやつも好き」
「夕飯は、そうしてやるよ」
「うん」
ずるずると、まるで蕎麦でもすするようにして松前漬けを食べていたお前が、あ、っと声を上げる。
「蕎麦、忘れてた」
俺と同じことを考えたらしく、そんなことを言い出す。
「せっかくの年越し蕎麦! かき揚げ! とり天!」
「……今日の夜に回すつもりだったんだけどな」
「ええ、今食べたい! とり天とり天!」
「お前──餅、8個……」
「知らないの? お餅はねえ、消化が早いから、食べた瞬間からすでに消え始めてるんだよ」
常識だ、という顔をしてもっともらしく言ったお前に、思わず呆れた。
「いや、あり得ないだろ」
「これだからお餅を食べない人っていうのは……」
「──だまされないぞ」
「…………」
お前がしれっと横を向いている。都合が悪くなると、そんなごまかし方をする。
今年も、この食欲の権化のようなお前に振り回されるんだろうな、と俺は思った。
もちろん、それを選んだのは、俺自身だけれど。
「なあ」
お椀を両手で持って、さらにお代わりをするべきかどうか悩んでいるらしいお前に、俺は声をかける。
餅はさらに、2個か、3個か。
「いっぱい食う、お前が好きだぞ」
どんなに呆れても、結局は。
お前が、俺を見て、にっこりと笑った。
花が咲くように。とてもきれいに。
それは今年初めの、満開の花。
「で、餅は何個だ?」
お前が満面の笑顔を浮かべて、嬉しそうに俺にお椀を突き出した。
了
「年越しそばの憂鬱~another eye~」(https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054884132930/episodes/1177354054892015052)と対になっています。
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