おにぎり上戸
明日は休みだから、と、かなり酔っていたことは覚えている。なんだか楽しくて、いつもよりハイテンションで店をハシゴしたことも覚えている。
同僚も同じような状態で、何軒目かの店の前で、馬鹿笑いをしていたことも覚えている。
そして、その同僚の家にタクシーで乗り付けて、そのまま二人でなだれ込むように部屋に入ったことも覚えている。
しかし、その先の記憶は一切ない。
目が覚めると、何度か訪ねてきたことがある同僚のアパートの部屋で、俺はソファにひっくり返っていた。起き上がってソファを下りようとしたら、足元に同僚が転がっていた。ボタンの半分開いたワイシャツと、だらしなく首元にひっかかったネクタイがだらりと垂れていた。その手にはなぜかラップの箱を抱きかかえていた。
そして、──。
俺は目の前のテーブルに並んだそれを見て、フリーズした。思考も止まった。
足元で、同僚がうにゃうにゃ言いながら寝返りを打った。そして俺の足にぶつかって、目を開けた。半分寝とぼけた顔で俺を見上げて、またすぐ目を閉じた。
「起きろ」
俺は冷ややかに言った。
「これは一体、何なんだ?」
同僚は、うがーと声を上げ、渋々身体を起こした。そして、テーブルを見て、俺と同じようにぴしりと固まった。
テーブルには、ものすごい数のおにぎりが転がっていた。ざっと見ただけでも20個以上。一個ずつきちんとラップに包まれている。
「何だこれ」
同僚がようやく、口を開いた。
「お前の仕業か?」
記憶はない。けれど、その馴染んだ形から、俺が作ったものに違いなかった。
しばらく途方に暮れていた。俺はソファで、同僚は床で。
ややあって、同僚が溜め息を混じりにつぶやいた。
「──とりあえず、食うか」
起きたら、飯があった。だから食う。至極真っ当な考え方だ、と俺は思った。
俺はキッチンで湯を沸かし、戸棚に突っ込んであった、いつのものか分からない緑茶のティーバッグを見つけてそれをマグカップに放り込んだ。
同僚が一口食べて、うまい、と言った。
二人で3つずつを食べて、お茶を飲んだら落ち着いた。テーブルの上おにぎりは全部で32個あった。俺たちが今食べた分を引いて、現在は26個になっている。
俺が握るおにぎりの形は、背の低い円柱のような形だ。オセロの駒みたいに、まん丸で、表面が平らな形をしている。それに全形一枚を三等分に長く切った海苔で挟むように巻く。食べながら、やっぱり俺が握ったものに間違いはなさそうだと思った。
具は様々だった。梅干、おかか、なぜかどうやら冷凍ものらしいブロッコリーのマヨネーズあえ、瓶詰めの鮭フレーク、塩昆布。同僚が3つ目に食べたものにはなんと生ハムとオリーブが入っていた。キッチンにはその名残りがあって、口の開いたプロセスチーズだの、さんまの缶詰だの、なめたけだの、明太子だの、色んなものがちょっとずつ使われて放置されていた。間違いなく、これらはおにぎりの具になっているのだろう。まだ手をつけていない26個の中には、とんでもない具が入っている可能性があった。
しかし、この量は。
「お前の家、米あったんだな」
「いや、ない」
同僚が答える。
けれどキッチンにはなんと10キロの米の袋が口を開けていた。
「考えたくないが──買ってきたんだろうな、多分」
この妙な具材たちと一緒に。
同僚の住むアパートの傍には、24時間営業のスーパーがある。酔って部屋になだれ込んだあと、どういう経緯か分からないが買い物に出かけ、それらを買ってきたに違いなかった。
「ジャーは、あったんだな」
「一応」
一人暮らしなのに5合炊きである。
おにぎりは、大抵2合で約5個くらいを作る。小さめなら1合で3個できるが、この大きさだとやっぱり1合で2個から2個半が限度だ。全部で32個あったということは、少なくとも12合の米を炊いた計算だ。となると、3度は炊飯したことになる。
──夜通し何やってんだ、俺たちは。
俺は頭を抱え込む。
「しかし──」
同僚が、4個目のラップを剥がし始めた。
「よく作ったな、こんなに」
がぶりとかじる。具は何だろう、と覗き込むと、どういうわけか羊羹が入っていた。うまいか、と訊ねると、これはこれで、という返事が返ってきた。なかなかの味覚の持ち主である。
しかし考えてみたら、おはぎを食べているのとあまり違いはないのかもしれない。
「ちゃんと塩羊羹ってところが、気が利いてるな」
「そうか」
「お前がおにぎり上戸だとはなぁ」
「変な言葉を作るな」
「なぁ」
「何だ」
「味噌汁食いたい」
「…………」
俺は溜め息をついた。料理を一切しないこの部屋のどこにそんな材料があるというのだ。
「こんだけ色々買って、何で味噌買ってねーんだ?」
「知るかよ」
「インスタントでもいいから、買っとけばよかったな」
のんきにおにぎりをかじる同僚を見ていたら、力が抜けた。俺はソファに崩れ込み、そのまま目を閉じる。
「食いきれないな」
同僚がつぶやく。そりゃそうだ。約12合の米なんて、二人じゃとても消費できない。
飲んで帰ると、目が覚めたときに腹が減る、と同僚が言っていた。何軒目の店だっただろう。メニューにあったおにぎりセットを見ながら、帰りにコンビニでおにぎり買ってこう、なんて言っていた。
そして、そのまま別の店に向かい、べろべろに酔っ払って、タクシーに乗った。
アパートについて、同僚が言った。
コンビニおにぎり忘れた、と。
俺は目を開ける。色々と思い出してきた。
コンビニのおにぎりなんかより、俺の作ったおにぎりの方がうまい、と俺が言った。
ああ、覚えている。
恋人がめちゃくちゃ褒めるんだ。形も、硬さも、味も、ちょうどいいって。だからついつい食べ過ぎるって。
そんな風に、惚気たような気がする。
今さらながら、恥ずかしくなってきた。
確かにお前は俺の作るおにぎりを、ひたすら食う。
──おにぎりって、食べれば食べるほどお腹がすくよね。
などとわけの分からないことを言いながら、軽く5,6個をみるみるうちに平らげてしまう。
それを聞いた同僚が、なら作れ、と詰め寄った。
なら作れ。すぐ作れ。俺のために作れ。山ほど作れ。早く作れ。
目を据わらせてずいずいと近付いてきて、至近距離でダメ押しのように作れ作れ作れ、と3度言った。
どうやって。そう訊ねたら、同僚はすっくと立ち上がり、俺のネクタイを引っ張って玄関に向かった。
買い物に行く。
そう言って二人でふらふらスーパーに向かった。
カートにカゴを乗せて、まずは米を乗せた。2キロか、多くても5キロで充分なのに、10キロ。馬鹿だな、こいつは。そう思ったけれど俺も酔って判断力がなかった。馬鹿だな、と言いながらそれを5キロの袋と取り替えることはしなかった。
それからは店中ぐるぐる回りながら、おにぎりの具になりそうなものを次々にカゴに放り込んだ。
──ああ、また思い出した。残りの25個の中には、アーモンドチョコレートが入ったものがあるはずだ。
想像するだけで頭が痛い。
帰ってきて、まず米を炊いた。5合。早炊き。俺は握った。とにかくひたすら握った。約10個ほど握ったあと、もっと握らせろ、と再び米を炊いた。もちろん早炊きで4合。
そしてまた握る。この辺から怪しげな具を投入し始めたのだ。ひきわり納豆を入れたおにぎりを握るのにはちょっと苦労した。なにせ一パック丸ごと入れたせいで、ご飯から納豆がはみ出し、手がべたべたになったからだ。
そして、俺は言った。もっと握らせろ。だから、また炊いた。3合だったか、4合だったか、もう覚えてはいなかった。
合計32個のおにぎりを握った俺は満足し、ソファに横になった。テーブルの前でうとうとしながらおにぎりを一つずつラップに包んでいた同僚が、そのまま寝落ちしていた。だから俺はその身体をどんと押してその場に倒し、眠らせてやった。自分はソファで就寝である。
思い出した。全部。
すべて終わったのはもう朝だった。
思い出したら、自分のしたことが急に恥ずかしくなった。穴があったら入ってしまいたいくらいだ。
首をひねって同僚を見ると、ティーバッグの緑茶をすすりながら、満足そうにしている。
「確かに、うまいな」
「思い出したか、お前も」
「おお、死ぬほど惚気てたことは思い出した」
そこは別に思い出さなくていい。俺は右手で額を押さえる。
飲み代はワリカンだったが、スーパーの買い物代は確か同僚が払った。馬鹿げて長く伸びたレシートとその金額に、爆笑していた。俺が半分出すぞ、と言うと、同僚はひらひらと手を振った。
「いーよ、作れっつったのは俺だし」
「──米、どうすんだ」
「どうしような」
「半分買うぞ」
「別にタダでいいから全部持ってけ。どうせ俺は使わない」
「じゃ、またおにぎり作ってやるよ」
「そうだな、それもいいな」
同僚はテーブルの上のおにぎりを見つめて、
「俺としては、明太子とアンキモを食いたいな。どれだろうな」
そんなものまで握っていたか。どうやら同僚もすべてを思い出したようである。
俺はがばっと身体を起こし、ぱんと頬を叩いて気合を入れた。
「何だ?」
同僚が驚いたように俺を見た。
「ついでだから、ちょっと置き土産してってやる」
俺はキッチンに入り、シンクに放置されていた内釜を洗った。米を5合量り、炊飯のスイッチを押す。
昨日買ってきた食材は、あまり料理の材料にはなりそうにない。けれどずらりとそれらを並べてしばし考えた。
プロセスチーズを生ハムで巻いて、上にオリーブを乗せる。上から爪楊枝でも刺したいところだが、この家にはない。放置され勝手に解凍された冷凍枝豆はサヤから取り出し、同じくらいに切ったプロセスチーズと共にパックのかつをぶしをまぶし、しょうゆ少々で味付けする。残っていたアンキモもスライスし、それらを同じ皿に彩りよく並べた。これは今日の夜にでも晩酌のつまみにしてもらう。
明太子は袋からこそげ、ひきわり納豆、なめたけ、叩いた梅干と共に小鉢に盛って、かつをぶしのパックを添える。ブロッコリーも完全に解凍されていたので、水気を絞って塩昆布とマヨネーズで和える。隠し味にしょうゆを少し。秋刀魚の缶詰はそのまま食べてもらうことにした。これらは夕食用。
小包装された塩羊羹とアーモンドチョコは──まあ、見ないことにした。
炊き上がったご飯は一食分ずつ小分けにしてラップに包み、冷凍庫へ。電子レンジで温めれば残っている梅干やら鮭フレークやらで食べれないこともないし、スーパーで惣菜だけ買ってきてもいいだろう。
片づけまで終えてキッチンを出ると、同僚がおおーっと言いながらぱちぱちと拍手をした。
「この何もないキッチンで、よくやるなぁ」
「少しはお前も料理しろ」
「才能がない」
ああ、どこかの誰かも似たようなことを言っていたな。俺はキッチンで困った顔をするお前を思い出して思わず笑う。
「そろそろ帰るよ」
「そっか。──これ、持って行けよ」
同僚はテーブルの上のおにぎりを何個か、コンビニのものらしいレジ袋にぽいぽいと放り込んだ。
「今日の夕飯分と、残りは明日食うか」
それでもテーブルには10個ものおにぎりが残っていた。まあ、結構量を食べるこの同僚なら、今日明日で食べきってくれるだろう。
しわくちゃの背広で残りの米を抱えた俺は、タクシーでマンションに帰った。玄関に出迎えてくれたお前が、そんな俺を見て顔をしかめた。
「どうしたの、それ」
同僚の家に泊まることは、かろうじて連絡してあった。だから外泊についてはお咎めなし。
俺は米を抱えているのとは逆の手にぶら下げたレジ袋をお前に渡した。
「何、これ」
お前が中身を覗いて、
「おにぎり、だね」
「おにぎりだ」
俺はうなずく。キッチンに米を下ろし、背広を脱いだ。
着替えたら、味噌汁を作ろう、と思った。きっとテーブルに並んだ、ロシアンルーレットのようなおにぎりをお前は食べるだろうから。
「ねー、これ、中身は何?」
お前が訊ねる。俺はひとまず、その質問には答えずに、いつもの味噌汁専用アルミ鍋を手に取った。
「どうやら俺は──おにぎり上戸らしい」
俺の言葉に、お前が変な顔をした。聞きなれない言葉に面食らったようだ。
俺は、さて、どこから話そうか、と考え、苦笑した。
お前が手を伸ばして一口かじったおにぎりの中身は──味噌汁を作っていた俺には、知る術はなかった。
了
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