Fleetingly


 どういうわけか、お前がマシュマロにはまっている。

 最初は、俺が簡単なデザートを作るために、小さなマシュマロが沢山入った大袋を買ってきたことが始まりだった。

 温めた牛乳にマシュマロを溶かし入れ、ヨーグルト加えて、簡単すぎるくらい簡単なヨーグルトムースを作って、食後のデザートに出してやったら、お前は喜んで全部平らげた。

 数日後、キッチンの棚から残っていたマシュマロを見つけ、つまみ食いしたのが運の尽き。半分も使わなかったはずのその袋に残っていたマシュマロは、あっさりとお前の胃袋に収まった。

 どこで買ったの、と訊ねられ、会社帰りに輸入食品の店に寄り道して購入したことを教えてやると、次の日、お前はさっそくその店に行って、同じものを買ってきた。もちろん、それだけにとどまらず、俺が買ってきたプレーンタイプのほかに、カラフルなパステルカラーがついたものや、とても食品とは思えないような色味の妙な形のものまで、明らかに外国製だと思わせる見た目と量のダブルパンチ。

 もちろん、いつも行く近所のスーパーのお菓子売り場に売っていた各種メーカーのものも、いくつか買っていた。

 こうしてみると、日本のマシュマロはシンプルで、色も淡いものばかり。柔らかくてふわふわの日本のものより、外国のものは柔らかいくせにむちむちしていたり、やたらと粗ぽくてざらついたものまで様々だ。

 そして、極めつけは、ひとつが子供の握りこぶしくらいありそうな、馬鹿でかもの。これも、もちろん外国製。派手な書き文字がプリントされたビニル袋に入ったそれを、お前がもむもむと食べている。

「うまいのか?」

「うん」

 ソファの上で、膝を抱えて座ったお前が、まるでモチを食べるように、口にくわえたマシュマロをびよーんと引っ張っている。……案外、伸びる。

「ムース作ってるとき味見したけど、マシュマロって甘いよな」

「そう? こんなものだと思うけどな」

「昔、会社の女の子にバレンタインにもらったギモーヴ──あれは、結構うまかったな」

「へー、バレンタインに、ギモーヴ」

 お前の口調が平坦だった。俺はそっとその顔を覗きこむ。マシュマロに噛みついたまま目を据わらせている。

 ……どうやら、余計なことを言ったらしい。

「イ、イチゴの味のさ、酸味もあって、味が濃くて、あんまり甘くなくて」

「へー」

 まだ、少し怒っている。俺はがくんと肩を落とし、すみません、と謝った。もう、わざわざ詳しく話したりしません。次からは、「前に食べたことがある」くらいにとどめておきたいと思います。

「──マシュマロとギモーヴって、どう違うの?」

「ああ、それな──俺も気になって調べてみた。マシュマロは、基本的に卵白と、シロップや砂糖を、ゼラチンで固めるんだ。ギモーヴは、シロップじゃなくて、果物のピューレを、ゼラチンだけで固める」

「ああ、それで味の濃さが違うんだ……」

「まあ、今じゃ、どっちもマシュマロで、ギモーヴらしいけどな」

「……境目が、なくなっちゃんだね?」

「全部が全部じゃないだろうけどな。ちゃんとした店は、作り方をちゃんと守ってるだろうし」

「ギモーヴ、おいしいよね。でも、今俺がはまってるのはマシュマロだから!」

 そう言って、馬鹿でかいマシュマロをひとつ、俺の口元にぎゅうと押し付けた。ふにふにの感触が気持ちいいが、俺には甘すぎるそのお菓子を、さらに巨大化させたものを簡単に受け入れるわけにはいかない。口を閉じて抵抗していたら、お前がちぇっとつぶやいて、諦めて自分の口に運んだ。

 はしゅ、っと噛みついて、マシュマロに歯形を残す。

「この、もにもに食感がたまらないんだよ」

「ふうん」

 俺は、テーブルの上に並んだ、数あるマシュマロを眺める。……しかし、この、少し蛍光の入った緑とか青は、一体何で着色されているんだ?

 何かのキャラクターをかたどった、5センチくらいのマシュマロを食べながら、お前が次の袋に手を伸ばす。

「おいしいなあ。家で作れたら、甘さも加減できて、いっぱい食べられるのになあ」

 残念そうにつぶやいたのは、それが無理だと思っているからである。俺は、持ち上げていたコーヒーカップを傾けながら、どうしようかな、と思った。

 実は、マシュマロは、結構簡単に、できる。

 そして、実際作ったこともある。

 先ほどの据わった目と冷たい声を再び味わうのはもう遠慮したいので黙っているが、一時期、やたらとバレンタインにチョコをもらった。──と、いうのも、俺のストレス解消が料理だと知った会社の先輩が、何か作ってこい、と言うので、適当なお菓子を作って持っていたら、これが、やたら、ウケた。

 簡単な焼き菓子ばかりだったが、たまに、会社の給湯室ですぐにできる冷菓を作ったりもした。女子社員を中心にその噂が広がり、もっと作ってくださいとせがまれた。

 そして、バレンタインは大量。もちろん、彼女たちのお目当ては俺、ではなく、俺の作ったお菓子、である。どこで余計な尾ひれがついたのか、食べても太らないヘルシーなお菓子らしい、と評判になっていた。

 そんなわけで、俺は、ひたすら色んなお菓子を作って、配りまくった。その中に、マシュマロもあった、というわけだ。あれは、なかなか作るのが楽しいお菓子だった。

 男の作ったお菓子なんて、敬遠するものじゃないか、という心配は、杞憂だった。──女というものは、甘いものに罪はない、と思っているフシがある。

 まあ、女と限らないかもしれないが。

 俺は隣のお前を見て、そう思った。

 そんな波も落ち着いて、今は、時々気が向いたときに持っていくお菓子を、オフィスの隅に置いておく。ご自由にお食べください、と付箋を張り付けて。気が付くとなくなっているから、今もその評判は悪くないのだろう。

「紅茶味のマシュマロって、おもしろいなあ……」

 薄いベージュに色付いた小さなマシュマロを食べるお前を見つめ、俺はコーヒーカップをテーブルに戻した。

「紅茶味なのか?」

「うん、こっちはコーヒー」

「へえ」

 顔を近付けて確かめたら、確かに紅茶の香りだった。

「食べる?」

「いや──こっちで充分」

 俺は、お前の顔を引き寄せて、素早くキスをした。舌先を差し込んだら、甘ったるさが伝わった。

「うん、甘い」

 お前が目を丸くしていた。俺はお前が抱えている袋からマシュマロをつまみ上げ、むに、っと唇に押し当てて、笑ってやった。


 ゼラチン、砂糖、卵白、コーンスターチ。

 何度見てもシンプルな材料である。

 キッチンで、俺はそれらを見下ろして、腕組みしていた。

「何してるの?」

 俺に気付いたお前が、いそいそとカウンターにやってきた。

「何か作るの?」

「ああ」

「ふーん」

 俺は、バットとコーンスターチ丸ごとひと袋を、お前に押しやる。

「これに、全部開けて、表面均してくれ。粒子が細かいから──」

 お前が首を傾げながらそれを受け取り、コーンスターチの袋を開け、バットにざあ、っとひっくり返して落とした。ぶわっと白煙が立ち上がり、目の前がホワイトアウトした。お前がけほけほとむせ返る。

「──細かいから、舞い上がらないように気を付けろよ」

「もう、遅い」

 顔をしかめたお前が、手を左右に振って舞った粉を払っている。

「お前ってさ、掃除好きな割には几帳面じゃないし、マメでもないし、結構ガサツなとこあるよな」

「──嫌い?」

「いや。そこも好きだ」

 あまり潔癖で几帳面すぎるのは、多分息が詰まる。なので、このくらいが丁度いい、と思う。

「俺も、あんたの大雑把に見えて実は繊細なところが、好きだよ」

 それは、男としてどうなんだ、と思うが、まあ、好きと言われるのは単純に嬉しかったので黙っていた。

「時々ズボラだけどね」

「嫌いか?」

「ううん。そこも好き」

「そうか」

 俺は、小鍋にお湯を沸かし、砂糖とゼラチンを煮溶かした。

 ボウルに卵白を固く泡立てて、ハンドミキサーを止め、さて、とまた腕組みした。

「さっきから、何悩んでるの?」

「うん、同じ味ばかりだと、つまらないかな、と思って」

「味?」

「どうするかな」

 俺はキッチンを眺めて、はたと思い出した。夏の間、お前が食べ続けていたかき氷。業務スーパーで買ってきた、馬鹿でかいかき氷シロップのフレーバーは、5種類。それをひと夏でどの味も半分以上一人で食べてしまった。ひとパック1,8リットルも入った、あのどでかいシロップを、だ。

 俺は戸棚を漁って、残っていたシロップを取り出した。メロン、イチゴ、ブルーハワイ、オレンジ、ラムネ。

「あ、まだ残ってたんだっけ。でもそろそろかき氷には寒いかなあ」

 お前がうーん、とうなる。

「小さい容器に移して、冷蔵庫に入れておけば、来年まで持つんじゃないか? ……無理かな」

「そのうち食べる」

「腹壊すなよ」

「うん」

 泡立てた卵白に、小鍋の中身を細く流し入れながら、しっかりと混ぜ込んだ。それを、小さな容器に6等分する。

 お前は、何ができるのか全く予想がつかず、さっきから首をひねってばかりだ。

 俺は冷蔵庫から卵を取り出し、きれいに洗った。キッチンペーパーで水気をきちんとふき取り、お前に手渡す。

「何、これ?」

「卵だな」

「それは分かってるけど……」

 俺は手を伸ばし、さっきお前が均してくれたコーンスターチの上に、卵の先をそっと押し付けた。かわいいくぼみができる。俺は再びお前に卵を渡し、同じようにバット全体に一定間隔を空けてくぼみを作ってくれと頼む。お前がうなずいて、楽しそうに卵を押し付ける。

 その隙に、俺は取り分けた生地に、かき氷のシロップを少しずつ加え混ぜた。あまり入れすぎると生地がだれるので、色づく程度に。

 カラフルな生地が5つ、シンプルな白い生地がひとつ。

 俺は、それを、お前が作ったコーンスターチのくぼみに少量ずつ流し込む。丸いそのくぼみの中で、少し固まって来たら、ころんとひっくり返して、全体的にコーンスターチをまぶす。

「──あ、もしかして……」

「市販のものより甘みは押さえてある。──好きなだけ、食べたいんだろ?」

「マシュマロ?」

 正解。

 俺は手早く次々にくぼみに生地を流し込む。勝手に放置しておいても固まり出すが、しっかりと固めたいなら冷蔵庫で冷やす。

 ころんとしたマシュマロは少し不格好だが、柔らかくてふわふわに仕上がった。

 余計な粉を落としながら別のバットに取り分けていると、お前が横からひとつ、さらって口に放り込んだ。

「──うわ、マシュマロだ。すごい、とろけるよ。すごい。こんなの作れるなんて、天才!」

「いや、焼き菓子なんかより、簡単だから」

「ええー、だって、うちで作れるなんて、考えもしなかった」

「材料もシンプルだし、割と初心者向きだぞ」

「へえー。……ていうか、コーンスターチに卵って! こんな風に作るのが普通?」

「別に、長く絞り出して切り分けたり、一個ずつ絞り出したり、でっかく広げて固めて、型抜きしたり、切り分けてもいいんだけどな。これが、一番簡単なんだ」

「面白いねー」

 出来上がったマシュマロはとってもカラフルだ。グリーン、ピンク、ブルー、オレンジ、水色、白。どれもパステルカラーで、優しい色合いに仕上がっている。

 後片付けをして、マシュマロをテーブルに運んだ。ホットミルクを入れて、ソファのお前に渡した。試しにひとつ食べてみたら、ちゃんと、シロップの味がした。香料のおかげで、なんとなくその風味も味わえる。

「ブルーハワイのマシュマロって、初めてだ」

 お前が楽しそうに端から食べていく。

「次に作るときは、コーヒーとか、チョコ入れてみよう」

「あ、それもおいしそう。──抹茶とか、どうかな」

「試してみる。──ミントってのもアリかもな」

「うん」

 次々に口の中に消えていくマシュマロ。おいしそうに食べているお前の鼻の先や頬が、さっき舞い上がらせたコーンスターチで、白くなっていた。それを拭ってやるつもりで、俺は手を伸ばし、お前の顔に触れる。

 マシュマロをくわえたお前が、ぱちぱちと目をしばたかせ、それからにこりと笑って、言った。

「──今キスしたら、甘いよ?」

 そう言って、指先で、唇に挟んでいたマシュマロを口の中に押し込んだ。しゅわりと、舌の上で溶けるマシュマロが、想像できた。

 俺はお前の頬を親指で拭い、顔を近付ける。

 そういうつもりで触れたわけではなかったが、据え膳を食わないのは、もったいない。──と、いうことで。

 俺は唇を重ね、甘い香りを吸い込む。

 舌先で唇をなめたら、粉っぽい。コーンスターチの粒子だ。

 お前が俺の胸にこてんと倒れ込み、俺の手を取って見つめた。

「この男らしい手が、こんなふわふわでかわいいお菓子を作っちゃうんだもんね」

 俺の指に自分の指先を絡ませて、お前が笑う。

「やっぱり、繊細だねえ」

「──お前は、ちょっとガサツ」

 俺はお前の鼻のてっぺんを指先で拭ってやる。

「そこが好きって言ったくせにー」

 おどけたように笑いながらそう言って俺を見上げたお前に、俺は、バットのマシュマロをつかみ、むぎゅっとその口に押し付けた。

「いいから食え」

 お前は唇を尖らせて、押し付けられたマシュマロを食べる。

「──ねえ」

「ん?」

 お前が、同じように、俺の唇にマシュマロを押し付ける。

「ちょっと、キスしてるみたいだね」

 いたずらっぽく笑ったその顔は、またしても、据え膳?

 判断が一瞬遅れた。

 俺は、すでにミルクのカップを傾けているお前にそのタイミングを失い、おとなしく押し付けられたマシュマロを食べた。

 それは、柔らかく、そして、はかなく、溶けていく。

 お前とのキスと同じくらい、甘い、と俺は思った。


 了


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