ラブリーレッドケチャップ


 些細なことでけんかした。

 別れ話にまで発展するような大きなけんかになることはないが、俺たちは小さなけんかをよくする。

 大抵の場合、ちょっとした意見の食い違い。お前がすねて、文句を言って、しつこくにらみ続けている。俺はと言えば、始めのうちは腹を立てて意見してみたりもするが、結局口げんかを続けていると、黙る。根気のなさは今更どうしようもないし、見た目にそぐわず案外執念深く俺を責めるお前には、どうしたって勝てない。

 俺は、一度怒ってしまえば、その怒りが持続しないのだ。

 だから、最終的には俺が折れる。

 謝るのはいつも、俺。

 長々とお前が文句を言う姿を、これ以上見ているのも辛い。だって、言いながら、お前はいつも、泣きそうだ。本当は言いたくないんだ、と全身で訴えているような気がしてくる。

 そんなわけで、俺は怒りよりお前が愛しいという気持ちが上回ってしまい、途中から黙ってお前の文句を聞いている。

 そろそろかな、と一息ついたところで、ごめんな、とつぶやく。

 お前は、そんな俺を、いつも自分のわがままを受け止めてくれる心の広い人間だと解釈してくれているが、そんなに度量が広いわけでも何でもない。一喝すれば怒りはリセット。ぐじぐじいつまでも引きずるのが嫌いで、根気がないということは、その体力も気力もないということだ。だから、折れる。その方がずっと楽だから。

 辛そうに俺に文句を言うお前があまりにかわいく見えてきて、思わず抱き締めたくなってしまうから。

 まあ、お前が俺を「心が広い」と思っていてくれるのなら、わざわざ否定するつもりもない。それでお前がもっと俺に惚れてくれるなら、口をつぐんでいる卑怯さくらいは持ち合わせている。

 俺だって、結構必死なんだよ。

 お前は気付いていないかもしれないが。


 仲直りのランチは、お前の好きなものを作ることにした。

 玉ねぎ、ピーマン、しめじ、にんにく、ソーセージ。材料をそろえる俺の姿を、カウンターの向こうでお前が頬杖をついて見ている。さっきまで目をうっすらと赤くして俺に食って掛かっていたのに、今やその目は見とれるように変わっている。

 ──本当に、俺が料理している姿が好きだよな、お前は。

 苦笑いしたくなるのをこらえて、俺は玉ねぎをむいた。

 玉ねぎは薄切り、ピーマンは細切り、しめじはほぐす。にんにくは包丁の腹でつぶして、粗みじん切りにする。ソーセージは斜めに二等分した後、薄い部分に3~4本切り込みを入れておく。

「何作るの?」

「お前が好きなもの」

「──俺、なんでも好きだけど」

「そうだったな」

 今度は思わず苦笑した。

 小鍋でソーセージをゆでると、切り込みを入れた部分がくるんと丸まり、簡素なタコウインナーができた。

 シンクの下の引き出しから大鍋を取り出してたっぷりの湯を沸かす。鍋に多めの塩を入れ、オリーブオイルをたらしたら、お前がにこりと笑った。

「分かった。パスタだ。タコウインナーってことは、ナポリタンだね」

 ご名答。

 うなずいてやると、お前がぱちぱちと手を叩いて喜んだ。

 スープは簡単に、キャンベルのクラムチャウダー。鍋に開け、牛乳を足して温める。

「前にテレビで見たんだけどさ、ナポリにナポリタンはないんだって」

「そりゃそうだな。第一、イタリアではケチャップ文化がないだろう」

「え、ケチャップ、ないの?!」

 驚愕だ、とでも言わんばかりにお前が声を上げる。

「ケチャップなんて、アメリカ的だろうしなあ」

「えー」

「イタリアはトマトソースが主流だろう」

 沸いたお湯にパスタをひねりながら落とすと、ぱらりと放射状に広がった。菜箸でかき混ぜ、表示のゆで時間より1分早くタイマーをセットする。

 フライパンににんにくと赤唐辛子の輪切り少々を入れ、オリーブオイルを入れる。火にかけて、香りが立ったら玉ねぎを炒め、ピーマンとしめじを加えてさらに炒めて塩コショウ。

 本来のナポリタンなら、ゆでたパスタを炒めてケチャップで味付けするが、俺の場合は、先にソースを作ってしまう。そして、一般的なナポリタンよりもずっと、こってりと濃い味付けになる。

 野菜が炒まったら牛乳少々を加え、ケチャップを入れる。けちらずたっぷり。くつくつと煮立ってきたら、コーヒー用のクリーミングパウダーを多めに加える。木べらで混ぜ溶かし、ブラックペッパーを加えて味を引き締める。

 パスタがゆであがったら、水気切ってそのままフライパンに投入。ソースが絡んだところで、バターをひとかけ。溶けて全体になじんだら、ソーセージを加えてひと混ぜする。

 トングで皿に盛り付け、スープをスープ用のマグに注ぐ。

 お前がスプーンとフォークを用意して、テーブルにセッティングしていた。

 常備菜の砂肝のレモンオイルマリネを小鉢に盛って運ぶと、お前が両手を合わせていただきまーす、と言った。輸入食料品店で買ったかなり大きなサイズの粉チーズをふりかけ、フォークを差し込む。

「うっま」

 クリーミングパウダーと仕上げのバターが、まったりこってり、コクを出している。ケチャップで炒めるだけのナポリタンも嫌いじゃないが、時々この濃い味のナポリタンがとても食べたくなる。

 一度作ってやってからというもの、お前はこれがお気に入りだ。見た目だけなら俗っぽいものを受け付けそうにない、カスミだけ食っていそうなお前だが、好むものは案外しっかりと濃くてしつこい味のものが多い。

 口の周りにとんだソースをなめると、お前がフォークに巻き付けたナポリタンを見つめて溜め息をついた。

「ケチャップがないなんて、無理」

「好きだな、ケチャップ」

「うん。万能だよ、ケチャップは。ナポリタンも作ってもらえるし、チキンライスも作ってもらえるし、オムライスも……あ、ハンバーグもケチャップが好き。それに、オーロラソースなんて、この世から無くなったら生きていけないかも」

「大げさだな」

 しかし、「作れるし」ではなく、「作ってもらえるし」という言葉になっているところがお前らしすぎて笑える。

「ああ、酢豚とエビチリも!」

「……中国の酢豚とエビチリには、ケチャップ入ってないぞ。というか、エビチリ自体がない。似たような料理はあるが」

「えええ!」

 また、驚愕。

「ケチャップ入りは、日本独自のものだろ」

「そうなの? ……でも、俺はあの、ケチャップ味が好き」

「まあ、日本じゃ定番だもんな」

 お前が皿を空にして、お代わりを要求した、それを加味して多めに作ってあったナポリタンを、キッチンからフライパンごと持ってきて、残っていた分をお前の皿に盛ってやる。

「なんか、ショック。全然知らなかった」

「お前は、アメリカ向きだな。ケチャップの年間消費量がダントツらしいぞ」

「へえ」

「まあ、料理としてっていうより、単純にかけて食うだけらしいけどな」

「ええー、ケチャップ、料理しないの?」

「ハンバーガーとか、ポテトとかにかけるんじゃないか?」

「オムライスは?」

「米が主食じゃないだろ」

「オムライスのない国なんて、行きたくない」

 まあ、行く予定などこの先もない。第一、俺たちは基本、インドアな人間じゃないか。休みの日の外出は散歩と買い物くらいで、日がな一日ごろごろと家にいる。海外旅行なんて、考えたこともない。

「それに」

「まだあるの?! 俺の夢を壊さないでよー」

「ケチャップがすっぱいのは、アメリカと日本くらいだって話だ」

「……すっぱくないケチャップって、ケチャップなの?」

「まあ、ケチャップ自体がトマト以外で作ったものも含まれるしな……」

「トマトじゃないケチャップって一体……?」

「だから、正式にはトマトケチャップ、な」

「ややこしいよ」

 俺が決めたわけではないので、文句を言われてもどうしようもない。

 お前ががくんとうなだれて、巻き付けたパスタを口に運んだ。

「もういいや。俺、もう一生、あんたが作ったケチャップ料理だけをケチャップ料理と認めることにするよ」

「いや、なに言ってるかよく分からないぞ」

「ハインツとデルモンテとカゴメだけを愛していくことにする」

 うちに常備されているケチャップのメーカーを並べて、お前が深くうなずいている。各社味が微妙に違うから、同じ調味料をついつい何種類か揃えてしまうのは、俺の癖だ。すべて簡単に手に入る一般的なメーカーばかりだが。

「だから夕食もケチャップで!」

 びしっとフォークの先を突き付けられて、俺はひるんだ。

「……了解」

 昼も夜もケチャップ味。

 お前のわがままには、ときに呆れる。

 ケチャップ味ねえ。

 俺はパスタを食べながら、さっきお前が挙げてていたチキンライスやオムライス、酢豚、エビチリ、と思い浮かべ、献立を考える。

 ポークケチャップってのも、アリだよな。

 ミートソースを作って、ナスと重ね焼きにするというのもいいかもしれない。

 ミートボールのケチャップあえなんかは──

「ねえ」

 お前の声に、ん? と返事をした。

「ケチャップは、作れないの?」

「──作れるぞ」

「本当に?」

「ああ、簡単だ。トマトと玉ねぎとニンニクとスパイスと──」

「あんたが作ったケチャップ、食べてみたい!」

「市販のとはかなり違うぞ」

「うん、でも、食べたい」

 昔、本に載っていたレシピに好奇心を駆られて一度作ったことがあった。完熟したトマトの皮をむいて、ミキサーにかけ、すりおろしたニンニク、玉ねぎ、色々なスパイスとともに煮詰めていく。味つけは砂糖と塩だけだったように記憶している。

 ケチャップというよりトマトソースに近い味だったので、改良が必要だな、と思ったことを覚えている。

「そうだな、今度作ってみるか」

「うわ、楽しみ」

「セロリ入れた方がうまいかもな……」

「自家製ケチャップでオムライスー」

「味、もっと酸味あった方がいいのか? コクも足りないよな。ウスターソースなんか入れたら駄目なのか……?」

「自家製ケチャップでマカロニ炒めー」

「ていうか、酸味は絶対足りないよな……酢──酢でいいのか? ワインビネガー……? ああ、赤ワイン入れるとうまそうだな」

「ソーセージも、ケチャップ炒めー」

 俺が考え込んでいる間に、お前はパスタを平らげ、鍋に残っていたスープも、小鉢の砂肝も、みんな食べきってしまっていた。

「食器、洗ったらさ、買い物行こう」

「ん? ああ」

「ちょっとだけ散歩して、隣の駅の側にできたケーキ屋さんで、デザート買うの」

「分かった」

「それから、スーパーで完熟トマトをたくさん」

 お前の言葉に、俺は持ち上げていたフォークを空中で止めた。

「は?」

「今から煮れば、夕飯に間に合う! ケチャップ!」

「いや、作るのは今度、って──」

 顔をしかめた俺の言葉を無視して、お前が食べ終えた食器を重ねてキッチンに運んで行った。

「楽しみだなー、ケチャップ」

 どうやら、もう、決定事項らしい。

 俺はやれやれ、と溜め息をついて、残りのパスタを食べ終えた。重ねた食器をシンクに運ぶと、お前が受け取って洗い始めた。

「夕飯何する? チキンライス? 酢豚?」

「買い物行って、考える」

「うん。でも、ソーセージのケチャップ炒めは作ってね。辛いのがいい」

「分かった」

 苦笑しながらうなずくと、泡だらけの手が伸びてきて、俺の首の後ろをつかみ、引き寄せられた。短いキスの後、お前が、言った。

「──さっきはごめん」

 いつも、けんかをしたあとは、俺が先に折れる。散々苦言を吐き出すお前が息をつくその一瞬を狙って、ごめんなと告げる。泣きそうな顔をして俺に延々文句を言っていたお前が、まるでこらえるような顔をして、ようやく、ほっとしたように、こくりとうなずく。

 俺はお前を抱き締めて、仲直りしよう、とつぶやく。

 俺に抱きついたお前が、何度もうなずく。

 ──そうして、けんかは幕を下ろす。

「おいしいナポリタンをありがとう。──大好き」

 俺の首の後ろは、台所洗剤の泡まみれになって、それが背中まで垂れているのが分かった。

 買い物に行く前に、着替えが必要だな、と俺は思った。だから、さらに泡がつこうが、濡れてしまおうが、構わない。

 俺は泡だらけのお前の両手を引っ張り、抱き締める。

「俺もだよ」

 耳元でそうささやいてやったら、お前が嬉しそうに笑って、握っていたスポンジを落として、抱きついてきた。

 ──夕飯は、オムライスにすることにした。

 ケチャップで炒めたシンプルなチキンライスの上に、半熟の黄色いふわふわオムレツ。食べる直前に、そこに、ケチャップでハートを描こう。

 真っ赤なハートを、お前のために。

 シンクの上、蛇口から水が流れ続けていた。俺は片手を伸ばし、水道を止める。それから再びお前の身体に両手を回し、思う存分抱き締めた。


 了



 何だ、このタイトル。

 自分でつけて、自分で笑っちゃう。

 ラブリーって(笑)レッドって(笑)ケチャップって(笑)

 煮詰まっているのがよく分かるタイトルですね。


 ケチャップ。

 昔、読んでいた本にレシピか載っていて、思わず作ってみましたが……ただのトマトソース? って感じでした。

 作中の「俺」が何を入れるか悩んでますが、まんま、私が思ったことです。

 あれから一度も作ってませんけど(笑)

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