inspire
麻婆といえば、麻婆豆腐。まあ、これは、定番中の定番である。
俺の作るそれは、中華というよりは日本的な、がっつりみそ味。濃い目の味付けは辛さをマイルドにしつつ、日本人には馴染みすぎているくらい馴染んだその風味によって、白飯が恐ろしく進む一品だ。
現に、2人暮らしのはずの俺が作る麻婆豆腐に入れる豆腐は、400グラムのものなら3~4丁、300グラムのものなら4~5丁になる。ひき肉は約200グラムから300グラム。運動部所属の男子中高生でもいるのなら分かるが、アラサー──と、女性はよく口にするが、男性に使ってもいいのかどうかは、はなはだ疑問だ──男2人である。明らかにおかしな分量であることは否めない。
しかし、それをぺろりと平らげる、食欲魔人が、うちにはいる。
2合くらいのご飯なら軽く食べてしまう、大食漢。
180センチには3センチほど足りないが、長身ですらりとスタイルのいい、恐ろしく整った顔をした俺の恋人は、山盛りのご飯に麻婆豆腐をかけながら、平気で2丁も3丁も食いつくす。
この麻婆豆腐はご飯を大量に食するために存在している、と言い切りながら、ぱくぱくと、がつがつと、もくもくと。
お前が食べている姿が好きだ。
食べているときは、とても幸せそうな顔をする。まるでとろけるような表情で、テーブルに並んだ料理を次々に口に運んでいく。がっついているようで、その食べ方に下品さは少しも感じられない。すべてきれいに食べていく姿は、もはや芸術的。
あんなに炊いたご飯が空になり、俺の何倍食ったのか分からないくらいの量を全部腹に収めて、両手を合わせてごちそうさま、と口にするお前の貫禄には、時々感心してしまう。
豆腐1丁って、結構腹に溜まるぞ?
1丁丸ごと冷ややっこにでもして食べてみれば、よく分かるはずだ。まあ、お前はそれも平気で食べてしまいそうだが。
定番の麻婆豆腐は、月に一度はお目見えするメニュー。材料費も安いわりに量が作れるから、家計には優しい料理ではある。
第一、お前がそれを気に入っている。
店で食べるのとは全くの別物だ、と言うが、実は店の麻婆豆腐よりも好きだ、とこっそり耳打ちされた。なぜ耳打ちだったのかは分からないが、その言葉は素直に嬉しかった。
だから、食べたい、とせがまれれば、作る。
それが例えその週2度目だろうとも。
俺は特売していた豚ひき肉のパックを片手に、しばし立ち尽くしていた。
どうしてこう、タイミングがいいのだろう、と思う。
ネギは3本で88円、ひき肉はグラム85円。どちらも麻婆には欠かせない食材だ。お前が食べたい、と言ったその日に安売りなんて、運が良すぎる。
「何してるの?」
俺の顔を覗きこむようにして、お前が訊ねる。
「──ひき肉、そんなに考え込むようなことが書いてあるの?」
産地や値段の表示されたプライスシールを見ていたと思ったらしいお前が、俺の手からパックを取り、首をひねりながら確認する。
「デンマーク産だって。豚肉って、デンマークから来るんだ!」
「アメリカ産とカナダ産もよく見るな」
「ふーん。──国産はやっぱり高いんだね」
「外国産に比べると、2~3割高い」
「おいしいなら、どっちでもいいよ」
外国産だからと言って、まずいとか、危険だということはない。充分おいしくて、調べてみたら安全性もきちんと保証されていることも多い。
どちらを買うかはお前に任せた。お前は二つのパックを手にしばらく悩んでから、片方のパックをカゴに入れた。
「麻婆、麻婆」
お前が足取り軽くスーパーを進む。その後ろ姿に、俺は声をかけた。
「今日も、麻婆豆腐でいいのか?」
「豆腐じゃなくてもいい?」
「構わない」
「ほかに何ができる?」
「そうだな……」
俺は少し考えて、
「ナス、春雨、大根、レンコン、ピーマン、もやし、厚揚げ──小麦粉練って団子作るってのもアリかな。麩とか、高野豆腐なんかもいいかもな。ああ、揚げモチとか」
「おお、そんなにあるんだ。揚げモチってのもそそるね」
「まあ、ベースは全部一緒だからな。好きな具を入れれば何でもいいんじゃないか?」
「やっぱり定番ぽいのがいいかな。春雨か、ナスか……うーんどっちも食べたいなあ」
しばし本気で悩んで、お前が決意したように俺を見上げる。
「麻婆春雨!」
「了解」
確か春雨は買い置きがあったはずだ。
今日は、野菜も安い。キャベツやニンジン、ナスも100円以下。傷まないものを中心に購入することにした。
「スープはあれ食べたい、中華風のコーンスープ。卵入ってるやつ」
「分かった」
「サラダはね、きゅうりとザーサイのやつ」
「じゃあ、ザーサイ」
瓶入りのそれが並ぶコーナーに向かったら、なんとそれも、赤札。
「お前、変な能力あるな」
「何が?」
ザーサイの瓶をカゴに入れながら、お前がきょとんとしている。
「──いや。デザート、買っていいぞ。おごってやる」
「やった」
予算よりかなり安く材料費が収まったので、その分を還元してやることにした。お前が選んだのはたっぷりの生クリームが乗ったプリン。なんと、それも見切り商品。お前はラッキーだね、などと言いながら3つ買った。そのうちひとつくらいは俺のためにだったりするのかな、などと考えながら、会計を済ませた。
家に帰って、食器棚の上の籐のカゴを下ろして中身を漁った。中にはいろいろな乾物が詰め込まれている。春雨を見つけて取り出してみたら、思ったより残っていなかった。これでは、ごく普通の2人分くらいしか作れそうにない。一般家庭ならば充分だが、うちは、一般とはかけ離れている。
またスーパーに戻るのは面倒だし、時間もあまりない。かといって、完全に麻婆舌になっているであろうお前に、今日は麻婆をやめようかと伝えるのもかわいそうである。少し考えて、俺は今買ってきた食材をエコバッグから取り出した。
5本入りのナスが一袋。
──ナス。
こちらも、麻婆ナスにするには、量が少ない。──あくまでうちの夕飯には、である。一般家庭ならもちろん、充分。
お前が楽しそうにエコバッグを畳み、買ってきたものを仕分けしている。
「どれ使うの?」
「きゅうりとねぎとザーサイ、ひき肉、ナス」
「あとはしまっていい?」
「ああ」
ひとまず、鍋に買い置きのクリームコーン缶を開け、水を加えて混ぜ、火にかける。鶏がらスープの素を加えて塩コショウで調味。水溶き片栗粉でとろみをつけたら、溶いた卵を細く流し入れて混ぜる。中華風コーンスープの出来上がり。食べる直前にごま油を垂らし、風味をつける。
きゅうりは縦半分に切ってから斜め薄切り、ネギは5センチ長さに切ってから開き、芯を除いて広げ、千切りにする。水にさらしてから水気をよくきっておく。小さいボウルに鶏がらスープの素とごま油、砂糖をごくごくわずか加え、よく混ぜ、きゅうり、ネギ、ザーサイをあえてサラダの完成。冷蔵庫に入れておく。
さて。
とりあえず、春雨を少し硬めに戻して水けをきっておく。
ううむ、とうなってから、俺は決断した。
ナスを半分に切り、斜めに7~8ミリくらいの厚さに切っていく。塩水につけてアクを抜き水気を切る。
フライパンにごま油を熱し、みじん切りにしたニンニク、ショウガ、ネギを炒め、ひき肉を加える。色が変わったら豆板醤を加え、馴染むまで炒め、ナスを加える。ナスに油が回ったら、酒をふり、鶏がらスープの素と砂糖少々、しょうゆ、みそを加えてよく混ぜる。水を加えていつもより多めの汁気でベースを作る。ナスは素揚げして使うのが一般的だが、今回は簡単に、そのまま。少し煮込んで柔らかくなるまで火を通す。
春雨を加えて汁気を吸わせるように煮込み、味が染みたら山椒を振って、水溶き片栗粉でとろみをつける。
麻婆春雨? 麻婆ナス? 麻婆ナス春雨?
大皿に盛り付けたそれを見て、お前がうわあ、と声を上げた。
「すごいね、両方入ってる」
「春雨、足りなかったから、混ぜてみた」
「何か、おいしそう」
サラダを盛り付け、スープを注いでテーブルに運ぶ。お前がご飯をよそい、自分の定位置に座った。
「いただきます」
両手を合わせてそう言うと、真っ先に麻婆を取り分ける。ぱくんと一口。
「おいしい」
「そっか、安心した」
「何これ、ちょっと、たまらないね。春雨にひき肉がからんで、汁気吸って、それだけでもおいしいのに、よく味の染みたナスを包み込んで──何か、こう、互いにインスパイアしてる」
「──何だそりゃ」
「油で揚げてないから、さっぱりしてるんだね。それもまた、いい感じ。いくらでも食べられそう」
「……まあ、無理しない程度にな」
うんうん、とうなずいたお前だが、その箸の勢いはとどまることを知らない。
「これ、うちの定番ね。決まり」
「うちの定番、どんだけ増やす気だよ、お前」
「死ぬまで、一生、増えていくよ」
などと当たり前のように言ったが、その意味を考えて、俺は少し、赤面した。死ぬまで一生増える、ということは、この先ずっと、俺が料理を作り続けるということだ。そして、お前がそれを食べ続ける、というわけで──
「──どうしたの?」
箸を置いて赤くなった顔を隠すように額に手を当てていたら、お前がきょとんとして訊ねた。
「いや」
無自覚のプロポーズなんじゃないか、それは。
死ぬまで一生、一緒にいて、一緒に食事をするってことだろう?
お前は時々、そんなことを口にしては俺を戸惑わせる。
「あー、幸せ。おいしい。──おいしいー」
いつものように、どんどん食らいつくしていくさまを、俺は半ば感心して見つめる。
こんなにおいしそうに食べてもらえれば、作った側としても本望。おまけに、それがお世辞じゃないとよく分かるような食べっぷりなのだからなおさらだ。
本当に、一生。
お前のためなら、死ぬまで作り続けてやりたい、と思った。
「スープ、お代わりある?」
「いっぱいある」
俺が答えるのと同時に立ち上がり、スープマグを持ってキッチンへ向かう。なみなみに注いで戻ってくると、ほっこりと笑顔で食べる。
その幸せそうな笑顔に、俺は、惚れている。
「──死ぬまで、作るよ」
お前が目を丸くして、首を傾げた。
俺は苦笑し、食事を続けた。
年をとっても、きっと、お前の食欲は落ちないだろう。お前の腹を満たすべく、俺は一生、お前のために料理する。
「ねえ」
お前が取り皿ではなくご飯の上に直接麻婆を乗せながら、言った。
「明日は麻婆レンコン? 麻婆大根?」
「──冗談だろ」
さすがに、週に3度も同じ味の食事を食べる気にはならない。
「ピーマン? ピーマンおいしそうだよね。あ、団子も気になる。モチモチ?」
「いや、作らないぞ」
「いっそレンコンとピーマン混ぜてみたらどうかな。インスパイアだよ、インスパイア!」
「だから、作らないって──」
俺の言葉を無視して、お前がにこにこと楽しそうに笑う。もちろん、喋りながらもけして箸は止まらない。それなのに、ちゃんと喋るときには口の中が空っぽなのは、どういうわけだろう。俺にはとてもできない芸当だ。
「インスパイア!」
──お前、それ、意味分かって言ってるか?
俺は急激に脱力し、やたら元気なお前の声を聞きながら、頭を抱え込んだ
了
インスパイアって、なんですか?
「お前」の発言は、もう、意味が解りません(笑)
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