sweet day
お前がバレンタインにくれたチョコレートは、様々なブランドや有名ショコラティエの限定チョコ。この時期だけにしか食べられないから、と山ほどそれを買い込んできたお前は、ハッピーバレンタイン! なんて言いながら俺にそれを押し付けたが、蓋を開けてみれば9割以上を自分で食い尽くした。
まあ、俺は基本的に甘いものをあまり好まないし、お前のオススメだというビターチョコをいくつかつまんだだけで満足した。いい洋酒の入った甘みの少ないチョコだけは、気に入ったのでなんとか死守したが。
結局、トータルいくらかかったのか考えたくもないほどの大量のチョコレートをほとんど自ら食べておきながら、ホワイトデーは3倍返し! などと脅す。
まあ、チョコレート以外にも、とろけるくらいに甘い甘いプレゼントはしっかりいただいたので、少しだまされた感はあるものの、仕方なく俺はそれを承諾した。
──で、3倍返しである。
俺はホワイトデーを前に頭を抱えていた。
3倍って、何が3倍なんだ?
バレンタインはお前が望むようにちょっといい肉を焼いた。サラダとワインでちょっとしたレストランの様相である。食後のデザートはチョコレートスフレ。熱々のうちに、ふわふわに膨らんだそれを半分以上食べ、残りは次の日、ぺしゃんこになってしっとり落ち着いたものを食べていた。ひとつで2度おいしい、とお前は力説していたが。
食材の値段が3倍なのか、食事の量が3倍なのか、それともデザートの量が3倍なのか、皆目見当もつかない。すべてが3倍だったらどうしよう、とうなる。
3月に入ってからというもの、お前が毎日、まるでスキップしそうなくらいに浮かれている。3倍、3倍、と妙な節をつけて鼻歌まで飛び出す始末だ。
だから、何を3倍にしたらいいんだ?
まさか俺にデパートの特設会場まで行って、ホワイトデー限定スイーツを、お前が購入した3倍買って来いという意味ではないだろうな?
お前は時折俺を見てにこーっと笑い、楽しみにしてるね、と言う。
あまりに悩みすぎて、会社の女子社員に、ホワイトデーは何を期待しているのかなどという探りまで入れてしまった。彼女らはきゃっきゃ言いながら楽しそうに色々教えてくれたが、その目は完全に面白がっていた。最終的には、まるでからかわれるように、頑張ってくださいねー、なんてにやにやされてしまった。
彼女たちのオススメのスイーツを、それでも一応はチェックしてみた。食べるのが好きなお前なら、間違いなく喜んでくれるだろうとは思う。
しかし。
何かが違う──ような気がする。
それが何なのかよく分からないまま、ホワイトデーまであと3日、というところで、俺はついに、観念した。
夕食後のコーヒータイムで、隣に座ったお前がぱらぱらと雑誌をめくっている。俺はカップをテーブルに置いて、なあ、と声をかける。
「何?」
こちらを見ずに返事をしてきたおまえが、膝の上の雑誌をぱらりとめくる。相変わらず、お気に入りのタウン情報誌だ。見ているのは春のスイーツ特集。
「欲しいもの、あるか?」
結局、ストレートに訊ねてしまった。お前がこちらを向き、きょとんとする。
「何か、ないか?」
「──あんたがいれば、別に、いい」
う、と言葉に詰まった。どうしてお前は、時々、どうしようもないくらいにかわいいことを言うんだろうな。
「いや、ホワイトデーに、さ」
「んー?」
お前は首をひねってしばし考え、
「うん、別に、ない」
やっぱり、答えは同じだった。
「どこのレストランで食事、とか、どこのスイーツが食いたいとか」
「──あんたの料理の方がいい」
「そうか」
思わずにやけそうになったので、右手で意味もなく顎をさすってみた。お前はまた、雑誌をめくる。
「じゃあ、作るよ。──何が食いたい?」
ぱたん、と雑誌を閉じて、お前がきらきらした目をして俺を見た。
「何でもいい?」
「まあ、作れる範囲なら」
「えっとね、そうだな。──和食もいいし、イタリアンもいいし、中華もいいし、エスニックも捨てがたいし、ベトナム料理とかもいいなぁ。あ、この前の南米料理も……」
そこまで言って、お前が急に眉間にしわを寄せた。
「何だ?」
「……あんたが、作れないもの」
「は?」
「何でも作れるんだもん。全部一度は食べたことあるものばっかりじゃん! あんたが作れないものが食べたい!」
「いや、俺が作れないものは、作れないだろ」
支離滅裂なことを言うな、と思う。
「第一、何でも作れるんじゃなくて、お前に飽きられないように、ざっと作り方調べたりしてるんだよ」
「え?」
「俺だって、予備知識なしで作れるほどの腕があるわけじゃない」
「そう、なの?」
お前が急に、眉間のしわを取っ払って、笑顔になる。
「そっか。俺のため?」
「ああ。お前のため」
すぐ隣に座っているのに、まるでジャンピングアタックをかます勢いで、お前が俺に飛びついた。首の辺りにすりすりと額を摺り寄せる。さらりとした髪が肌に触れ、くすぐったい。
「そっかー、俺のためかー」
お前がぐいんと顔を上げ、微笑む。
「酢豚」
「酢豚?」
「うん。缶詰のパイナップル入ってるやる。──あれ、嫌いな人多いけど、俺は好き」
「じゃあ、中華にするか」
「ううん。──あと、チリコンカーン」
酢豚とチリコンカーン?
俺はなんだか、嫌な予感がした。
「筑前煮と、豚汁。それから、シーフードサラダ。オリーブオイルとレモンのね。あと、この前食べた、野菜と拭き肉入ったアジアンなオムレツ」
「ああ、カイヤッサイ……」
「それと」
「まだ、あるのか?」
お前がにっこりと笑った。この笑顔に俺が弱いことを知っていて、利用してるわけじゃないだろうな?
「ピーマンの肉詰めと、鶏レバーのクリーム煮と、鶏肉の南蛮漬けと、トマトソースのロールキャベツと──」
「さすがにそれは勘弁してくれ」
俺はお前の口を塞いで、がくりと肩を落とした。
やっぱり、料理の量が3倍、だったのかもしれない。
「あとね」
俺の手を外して、お前が続ける。
「デザートは、俺のために、考えて」
「──分かった」
俺がうなずくと、お前がまた、笑った。それは嬉しそうに。
俺は苦笑し、再び俺にすり寄ってきたお前の頭を撫でてやったのだった。
と、いうわけで、会社帰りに買い物をし、前日の夜から準備を始めることにした。
お前がリクエストしてきたものは、ほとんどがあまり手間のかからない料理ばかりだったので、比較的面倒なチリコンカーンと筑前煮だけは前の日に作ってしまうことにした。
まずはチリコンカーン。
玉ねぎとにんにくをみじん切りにし、鍋で炒める。合挽き肉を入れて──牛挽肉だけでもいいが、豚肉が入る方が独特のコクが出てうまい──炒め、クミンシード、チリパウダー、オレガノを入れて更に炒める。赤ワインをひたひたになるまで加え、アルコールを飛ばしながら煮る。キドニービーンズとコンソメ、缶詰のホールトマトを入れ、缶に半分ほど水を入れて中身を洗うようにして鍋に加え、ローリエを入れて中弱火で煮る。全体的にもったりとしてきたら塩コショウ、ケチャップで調味。あとは明日、1センチ角に切ったピーマンと赤ピーマンを加え、10分ほど煮て完成。
筑前煮は鶏肉、ゴボウ、にんじん、レンコンを乱切りに、こんにゃくはちぎっておく。干ししいたけはぬるま湯で戻しておく。鶏肉を炒め、ゴボウ、にんじん、レンコン、ゆでて臭みを飛ばしたこんにゃく、戻した干ししいたけを加えて炒め、油が回ったら酒、砂糖、しょうゆ、しいたけの戻し汁を加えて中火で煮る。途中で水戻しした高野豆腐を加え、煮含める。水分がなくなってきたら鍋を揺すりながら味を絡めるように混ぜる。
そして、お前が寝静まってから、俺はデザートを作った。出来上がってから、見えないようにボール紙で囲った。覗き見禁止、とペンで書き入れる。
翌日、会社から帰った俺はすぐにキッチンに向かった。お前はいつもの指定席。
豚肉と玉ねぎを炒め、水を注いでゴボウ、にんじん、大根、ジャガイモ、こんにゃく、豆腐、だしの素を入れて煮、味噌を溶き入れて豚汁を作る。
タコとイカは多めの塩を入れた熱湯でさっとゆでて一口大に切る。ゆでエビは殻をむく。アサリはにんにくみじん切りとオリーブオイルを入れた鍋で軽く炒め、白ワインを振って蒸す。玉ねぎはスライスして軽く水にさらし、サニーレタスとグリーンカールは一口大にちぎり、貝割れは根を切り落とす。わかめはさっとゆでて適当に切る。ボウルにタコ、イカ、エビ、アサリを入れ、にんにくみじん切り、イタリアンパセリのみじん切り、オリーブオイル、レモン汁、塩コショウを加えてとろりとするまでよく混ぜる。皿に野菜とわかめを敷き、シーフードを乗せて残ったタレを回しかけ、ブラックペッパーを挽く。シーフードサラダの出来上がり。
豚肉の塊を一口大に切り、塩コショウして片栗粉をまぶす。玉ねぎ、にんじん、たけのこ、ピーマンを適当な大きさに切る。豚肉を唐揚げ、野菜は素揚げする。フライパンに水、酒、酢、砂糖、しょうゆ、ケチャップ、パイナップルの缶汁を加えて甘酢を作り、揚げた具材を加えて煮からめ、缶詰のパイナップルを加え、水溶き片栗粉でとろみをつける。酢豚の完成。
次はカイヤッサイ。玉ねぎは薄切り、ピーマンときゅうりは千切り、トマトは細かく切る。フライパンで豚挽き肉を炒め、もやしと切った野菜を加えて更に炒め、ナンプラー、砂糖、コショウで調味する。一旦具材を取り分け、あいたフライパンに油を熱し、ほぐした卵を流し入れる。半熟の状態で具を中央に乗せ、端を折り畳むようにして包み込み、揺すりながら火を通す。あれば香菜を乗せるが、ないので省略。
1日置いて味の馴染んだチリコンカーンと筑前煮も温めて、完成。
豚汁にはたっぷりの刻みねぎとすりおろしたにんにく少々を加え、七味をふる。
そして、白飯。
テーブルにそれらを並べると、お前がうひゃー、と歓喜の声を上げた。
「ホワイトデーっぽくないな」
「何で? すごく嬉しい」
「──まあ、お前がいいなら、いいんだけどな」
お前が両手を合わせていただきます、と言い、箸を持ち上げた。どれから食べようかと迷うようにテーブルを見渡す。
「多国籍だね」
「節操ない、とも言うな」
「俺は幸せ」
お前のリクエストなのだから、喜んでもらわなければ意味がない。その答えに俺も満足した。
どの料理も、白いご飯をおいしく食べられるメニューである。さすが、食べることが大好きなだけはあるチョイスだ。多めにご飯を炊いておいてよかったかもしれない。
予想通り、お前は勢いよく料理を平らげて行き、ご飯を4杯も食べた。毎度のことながらいい食いっぷりだ。全ての料理を、一旦白飯にバウンドさせつつ食べる姿を見ながら、俺は苦笑する。
「デザート、入るのか」
「入る」
「そうか」
呆れるのを通り越して、素直に感心してしまった。
──本当にすごいぞ、お前。というか、お前の胃。
食後、さすがに少し休憩してから2人で後片付けをした。残ったチリコンカーンは、明日の朝食になるらしい。チリコンカーン丼だよ、と言うので、話を聞いていたら、サラダに使った残りのサニーレタスとグリーンカールを千切りにしてご飯の上に敷き詰め、上からチリコンカーンをのせ、とろけるチーズを乗せて食べるのだと言う。なるほど、丼だ。
そして、デザート。
お前がソファでうきうきしながら待っている。俺は冷蔵庫から、昨日の夜作っておいたケーキを取り出した。
「うわ、真っ白」
わざと白いシンプルなプレートの上に、これまた真っ白なホールケーキ。
「きれいだね」
俺はそれにナイフを入れる。断面も、もちろん白い。洋酒を効かせたシロップを染みこませたシンプルなスポンジが土台だ。ホワイトチョコレートのガナッシュがたっぷり入った生クリームをサンドし、もちろん表面もコーティングするように塗り付けている。たっぷりの生クリームはガナッシュのおかげで少し硬めで、ケーキの表面に自由にツノを立てることができた。さらに粉砂糖がふりかけられているので、全てが真っ白なケーキだ。
「ホワイトデーだから?」
「ホワイトデーだから」
俺はうなずく。発想は単純だが、このシンプルなケーキは、きっとお前が喜ぶだろう、と思った。今までに作ったことのないものだったからだ。
「すごく嬉しい。食べるのもったいない」
「でも、食うだろ?」
「もちろん」
お前が満面の笑みを浮かべる。フォークを渡してやると、ちょっと待ってて、と言われた。
どうしたのかと思ったら、珍しくキッチンへ向かう。棚から何かごそごそと取り出し、用意している。俺はしばらくソファからそんな姿を見ていた。
どうやら、コーヒーを入れている。ガラスのサーバーに、ネルドリップ。仕事中と同じ真面目な顔をして、念入りに。
「お待たせ」
お前がことりと俺の前にコーヒーを置いた。いつものマグカップではなく、シンプルなガラス製の透明なコーヒーカップだった。
「これ、俺からのホワイトデー」
コーヒーは二層になっていた。下は見慣れた色のコーヒー。上は、クリーム。
「飲んでみて」
俺はカップを持ち上げ、そっと口をつけた。
甘い。
と、感じたのは一瞬だった。その次に感じたのは、ふわりと漂う洋酒の香りと、胃に灯る熱。
「アイリッシュ・コーヒー?」
俺の問いに、お前が嬉しそうに笑った。
「うまい」
「あんたの好みにしてみた。砂糖がグラニュー糖じゃなくてブラウンシュガー。コーヒーは酸味の少ない深煎りのを濃い目に。アイリッシュ・ウィスキーは、好きだって言ってたメーカー。生クリームはホイップフロートじゃなくて、そのまま」
「そうか──」
「気に入った?」
「ああ」
良かった、と言って、お前がフォークを持ち上げた。
「俺も、いただきます」
軽く手を合わせて、ケーキにフォークを差し込む。
「んん!」
一口食べて、とろけるような顔をする。
「すごい、ただのクリームじゃなくチョコレートだ! しかもラム酒の香りがすごくいい!」
「ホワイトチョコのガナッシュを混ぜてあるんだ」
「おいしいー」
幸せそうに言って、ぱくぱくと食べる。真っ白なケーキはお前好みに甘い。
しばらくアイリッシュ・コーヒーをちびちび飲みながら、お前がケーキを食べてるのを見ていた。
そして、ふと、思い出す。
「ところで──」
俺はカップを置いて、言った。
「結局、何を3倍にすればよかったんだ?」
降参したように訊ねると、お前がきょとんとした。そして、ぷっと吹き出す。
「何だよ」
「──ううん」
お前は首を振り、ぎゅっと俺に抱きつく。フォークを握ったまま。
「本当に、3倍返しするつもりだったの?」
「お前が言ったんだろ」
「言ったけど──そういうんじゃなくてね」
おかしそうに笑って、お前が俺を見つめる。
「あんたが俺のためにいっぱい悩んで、考えてくれるかなって思ってたんだ。──1ヶ月間、俺だけのことで頭いっぱいになってもらいたかったんだよ」
「なんだよ、それ」
「だからね、普段よりも3倍、俺のこと想ってほしかっただけ」
「そんなの」
俺はお前の頭を自分の胸に引き寄せ、押し付ける。
「普段だって充分想ってる」
「────」
「毎日、こんなにお前のことばかり考えて、どうしたらいいか分からないくらい、想ってる」
お前が小さく身じろぎして、ぎゅっと俺にすがりつく。
「今だって俺のキャパの限界まで想ってるのに、それをどうやって3倍にしろって言うんだよ」
「──そういう、こと」
胸元から小さく声がした。
「そういうこと、さらっと言っちゃうところが──」
わずかに顔を上げて目だけで俺をにらむように見た。俺は苦笑し、問いかける。
「嫌いか?」
「──好き」
すっと目をそらして、再び俺の胸に顔を埋めた。俺はその後頭部に手を添え、ゆっくりと撫でた。さらりとした髪の毛が流れ落ちる。
「なあ、顔、上げろよ」
すねたような顔をして、おまえがまた、ほんの少しだけ、顔を上げた。
俺はお前の顎を引き上げ、く唇を重ねる。お前は抵抗せず受け入れる。ホワイトチョコレートの甘みが、俺の口に残るアイリッシュ・コーヒーの香りと混ざり合う。アルコールを含んだ俺の息が、お前の頬を赤く染める。
唇を離したら、お前がぼうっと俺を見返していた。
「お返し」
俺はその耳元でささやいた。
「どのくらい、ほしい?」
お前が薄く開いた目をして、俺の言葉の意味を考える。
「いつもの、3倍──」
お前の頬が赤く、まるで羞恥で消え入りそうな声で、つぶやいた。
「仰せのままに」
俺は大仰に言って笑顔を浮かべ、お前の手にキスをする。
バレンタインにもらった甘くてとろけるプレゼントのお返しは、やっぱり、跡形もなく解けてしまうくらいに、ひたすら甘いものを。
お前の言うとおり、いつもの3倍。
甘すぎて、お前が音を上げるまで、甘く。
俺はお前の手からフォークを奪い、とりあえずもう一度、とろけるようなキスをしてやることにした。
了
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