アイスクリームシンドローム


 同僚の好みは、胸が大きくて、笑顔がかわいくて、自分に尽くしてくれる子、なんだそうだ。

 胸を一番最初の条件に挙げている辺り、やつの好みには納得しかねる。

 根はいいやつなのだが、付き合った彼女とはなかなか長続きしない。モテるのに振られてばかりいるのは、多分、実は結構誠実なのに、それを一切表に出さないからなんじゃないのかと思う。

 胸、ねえ。

 生まれてこの方、女性に興味を持ったことはない。だから、俺にはその気持ちが全く分からない。

 中高生時代、友人が水着姿のグラビアアイドルの品定めをしながら、どの子が好みだと話していた。結局、その水着をはじけさせんばかりの巨乳に目が釘付けだった彼らは、一向に興味を示さない俺をおかしい、と言った。

 そりゃ、おかしいだろうよ。柔らかくてまん丸なその巨乳より、ふくらみの欠片もないまっ平な胸の方が好きなんだからな。

 そんなことはおくびにも出さずに、俺はいつもそんなやつらが突きつけるグラビアを溜め息をつきながら見比べる。適当に右か左を選ぶのは、怪しまれないために必要な最低限の行動。やっぱりお前はかわいい系よりもきれい系が好みなんだな、なんて勝手に決め付けられていた。

 まあ、確かに、かわいいよりもきれいな方が好みかもしれない。

 いや、きれいでかわいい、かな。

 俺は隣で、アイスクリームのパイントカップを抱え込んでスプーンを突っ込んでいるお前を見た。食べているのはクッキー&クリーム。

「食べる?」

 俺の視線を勘違いして、スプーンを差し出した。一応、一口、もらった。甘い。

 確かにお前は俺の好みではある。その整った顔も、笑うと子供みたいに幼くなるところも、仕事中のクールで冷たそうな表情も、時々ぱかっと口を開けて間抜けな顔で眠っているところも、みんな好きだ。

 初めて見た笑顔に落ちた、と言えばそれまでだが、別に初めはこのきれいな顔を好きになったわけではなかった。

 いやでも、やっぱり顔なのか?

 物を食ってるときお前の顔は、とにかく、ひたすら、かわいい。

「……何、さっきから?」

 お前が怪訝そうな顔をした。惚れてしまった今なら、こんな顔すら愛おしい。

「いや、大口開けて食ってる顔がかわいいなあ、と」

 お前は急にぼっと真っ赤になって、アイスクリームをスプーンの半分ほどすくって、小さく開いた口に運んだ。別にからかったわけじゃないのにな、と思う。

「かわいいとか、やめてよ」

「でも、かわいい」

 そう言うと、お前は怒る。男がかわいいと言われても嬉しくないのだろう。しかし、かわいいものはかわいいのだ。

 俺の見た目は全体的にきつい。シャープ、と言えば聞こえはいいが、鋭い目つきと、閉じていれば口角がわずかに下を向く口元、とがった顎、短髪、身長は185センチに少し足りないがわりと筋肉質な身体。見る人によっては威圧感を感じるらしい。

 性格は結構マイルドな方だと思うのだが、親父譲りの一重の切れ長の目は、やっぱり柔和なイメージの欠片もない。

 そんな俺を、お前は照れも、ためらいもせず、かっこいい、と言う。

 毎日、毎日、当たり前のように言うので、最近では俺ってかっこいいのか? などと考えそうになる。慌てて首を振り、冷静になる。一般的には、俺の顔はたいして二枚目でもないし、世間一般の「かっこいい」には当てはまらないはずだ。

 まあ、実は、ありがたいことに、男には結構モテるけどな。

 お前がちびちびとアイスを食べている。

「大きな口で食べてる方が、好きだ」

 そう言ってやると、頬を赤くしたまま俺をにらんで、それからスプーンをアイスクリームに突っ込み、今度は山盛りすくって、あーんと口を開いた。ぱくんとそれを食べてから、俺に向かってべーっと舌を出した。

 だから、かわいいって。

 なぜ突然こんなことを考えているかというと、仕事終わり、同僚が、話がある、と俺を飲みに誘った。おごりだというし、のこのことついていった。向き合って座った居酒屋のテーブルで、ビールで一応乾杯してみる。お疲れ、なんて言いながら。

 モツ煮とタコの唐揚げ、チャンジャ、串焼きを塩でお任せ、じゃこが沢山散らされた和風サラダを注文した。メニューを見ていたら、甘エビのユッケ、などというものを見つけて、ついでにそれも頼んだ。

 同僚は、いきなり本題に入った。とにかくきれいで、かわいい女の子に慕われているらしい。話しぶりから、先月から派遣で来ている若い女の子のことだと分かった。

「よかったな」

 俺は好物ばかりが並んだテーブルの上のつまみを食べ、ビールを煽りながら言った。仕事のあとって、どうしてこう、酒がうまいんだろうな。

「──問題がひとつ」

 同僚は真面目な顔をしている。

「ああ、若いから躊躇してんのか?」

「いや。若い子は好きだ」

「そうか」

 俺はうなずいた。

「──おっぱい、ねーんだよな」

 危なく、傾けていたジョッキからビールを吹くところだった。

「は?」

「推定Aカップ。あれはもう、乳じゃない」

 などと、世のAカップが聞いたらぶん殴られそうなことを真剣な顔で言いのけた。

「俺はEカップ以上じゃないと、燃えないんだよ」

「知るかよ」

 頭を抱えたくなった。

「俺の好みは、胸が大きくて、笑顔がかわいくて、自分に尽くしてくれる子なんだよー」

「第一条件がもはや最低だな」

「仕方ないだろ、好みなんだから」

 ばん、とテーブルを叩くその姿は、ふざけているようには見えない。ていうか、真剣に話すことか、これは?

「かわいいんだ。とにかく。しかも美人だ。──なのにAカップ。Aカップ!」

「連呼すんな」

 ざわざわと喧騒の居酒屋でも、誰が聞いているか分からない。もしAカップの女性が耳にして気を悪くしたら、どうするつもりなんだ。

「なあ、どうしたらいいと思う?」

「俺に聞くな」

 俺は店員が運んできた甘エビのユッケを一口食べてみた。うまい。ごま油が効いて、とろりととろけるエビの甘みが絶妙である。

 お前も好きそうだな、と思った。これは家でもアレンジできそうなので、今度作ってやろう。そう考えて、俺は苦笑した。食べ物のことになると、ついついお前のことを思い出す。

「なあ」

 にやけた俺に、同僚が訊ねる。

「お前は、今の恋人と付き合った決め手は何なんだ?」

 その質問に、俺はすぐに答えを出せなかった。

 決め手?

 それから、同僚の悩みに答えを出すこともせず、おごられるだけしっかりおごられて帰宅した俺は、さっきからずっと、お前の隣に座ってそればかりを考えている、というわけだ。

 暖房が効いているとはいえ、真冬に1パイントものアイスを平気で食べるお前が、たいして面白くもないテレビを見ている。その横顔は、確かに俺にとってはかわいくて、きれいで、好みなのだろう。

 初めて俺の部屋で、料理を食べたときに見せてくれたあの笑顔が、やっぱり決め手だったんだろうとは思う。

 けれど、それ以前に、俺は多分、お前に惹かれていたはずで──

「ちょっと」

 お前が唇を尖らせて再び俺をにらむ。

「あんまりじっと見ないでよ」

「どうして」

「──だって、かっこいいんだもん」

 だもん、って。

 時々、お前がそんな風に子供っぽい言葉を使う。そんなところもかわいい、と言ったら、また怒られるだろうか。

「だから、あんまり見られたら、恥ずかしい」

「今さらかよ」

「そんなの、ずっとだし」

 空になったアイスのカップは、テーブルの上だ。

「お前さ」

 この際、お前にも聞いてみた。

「俺と付き合おうと思った決め手って、どこだ?」

 お前はきょとんとして俺を見返し──

「秘密」

「そうか。──つーか、本当に全部食ったのか。冷えるぞ。腹壊すなよ」

「うるさいっ」

 なぜかふくれっ面で突然そう言って、背中に当てていたクッションをぼふっと俺に押し付けた。そのままソファを立ち上がり、なぜか焦ったように真っ赤になって、そのまま自室に戻っていってしまった。

 俺は首をひねり、クッションを元の位置に戻して、立ち上がる。空になったカップをゴミ箱へ捨て、使ったスプーンはキッチンのシンクに置いた。

 やれやれ、と溜め息をついて、俺も自室に戻ることにした。

 1パイントのアイスクリーム。

 さすがに食いすぎじゃないのかと心配したが、結局お前はいつも、平気な顔でそれを平らげる。毎度俺の予想を超えるやつだよな、ホント。

 そんなところも好きなんだけどな、と1人ごちて、俺はお前の部屋に向かっておやすみ、と声をかけ、おとなしく自室の扉を閉めた。


 派遣の女の子が同僚に笑顔で話しかけていた。同僚も笑顔でそれにうなずいているが、その顔がよそ行きのものだと俺は気付いた。どうやら、やつが出した答えは、彼女にとって悲しい結果、ということになりそうだ。

 話を終えた同僚に、胸か、と訊ねてやった。

「いや」

 同僚は短く答えた。

 しばらく黙って仕事をしていた。その横顔は精悍で、黙っていれば結構二枚目。けれど、そのせいで軽口を叩けば軽薄にも見えてしまう。

 それに、結構根が真面目なやつである。見た目や、普段のイメージからはどう考えても仕事より彼女を選びそうなこいつは、実は間違いなく仕事を選ぶのだ。

「昨日さ、家帰って考えたんだよ。おっぱいなくてもかわいいし、付き合ってみようかなって」

 持っていたペンを机に転がして、椅子ごとくるりと俺の方を向いた。

「けど、俺がそのとき考えたのが、『あの子でもいいかな』だったんだ」

 俺は腕組みして話を聞いていた。

「それって違うよなぁ。『あの子がいい』じゃないんだ」

「なるほど」

「お前は、そうだったんだろ?」

 たいして口を聞いたこともない、顔見知り程度のお前とスーパーで会ったとき、ほとんど衝動的に、俺は飯を食いに来ないかと誘った。料理を作る俺を見つめるその目とか、ものすごい勢いで食事をする姿とか、俺を見る少し切なそうな目とか。そんなひとつひとつに、いちいち再確認していたのかもしれない。

 そして、うまかったかと訊ねた俺に見せてくれた、あの笑顔で、完全に。

 もう無理だ。もう、黙っているなんてできない。そう思った。

 お前じゃなきゃ──

 俺は、そうだな、と同僚に答えた。

「そうだったんだ──うん、確かにそうだ」

「だよな。──そういうの、羨ましくなったのかもしれない」

 わりとモテるこの同僚が、昔よりも彼女が出来るスパンが長くなってきた。多分、少し、考えが変わったからなのだろう。

「お前の恋人ってさ──やっぱ、きれい系?」

 同僚がにやりと笑って訊ねてきた。この同僚は、俺に対してだけいつも、「お前の彼女」ではなく「お前の恋人」と言う。

 気付いているのか、と思う。けれどその目には探るような駆け引きは何も浮かんでいない。

 ──付き合いで何度か無理矢理連れて行かれた飲み会や合コンで、どの子が好みか、とこっそり話す男性メンバー。俺は、たいした興味もなく、1人を選ぶ。考えてみたら、やっぱり、かわいいよりも、きれいな子が多かった。

 だから、俺の好みはきれいな子、ということにやはりなっているらしい。

「きれいだし、かわいいよ」

 俺は素直に答えた。同僚が、ごちそーさん、と舌打ちした。それから笑顔になる。よそ行きではない、自然な笑い方だった。悔しいことに、いい男である。

「あー、またしばらく独り身か」

 溜め息をついた同僚が、ちらりと俺を見て、

「飲み、行く?」

「──いや」

 俺はそれを断った。

「甘エビ買って、帰る」

「甘エビ?」

 顔をしかめて聞き返した同僚に笑い返した。

 昨日の甘エビユッケを、お前に作ってやろう、と思ったからだ。


 スーパーで甘エビを買った俺は、急いで家に帰った。いつもどおり玄関まで出迎えてくれたお前が、笑顔でおかえり、と言ってくれる。

 急いで夕飯の支度に取り掛かった。今日は韓国風。

 牛肉と豆もやしを炒めてコチュジャン、塩コショウ、しょうゆ、で味付けした具をご飯にさっくりと混ぜ込み、ごま油を垂らして炒りゴマと万能ねぎの小口切りを散らす。焼肉混ぜご飯の完成。

 しいたけとアスパラ、レンコンはジョンにする。粉をはたいて、塩少々をいれたとき卵にそれをくぐらせ、ごま油を引いたフライパンで両面焼く。

 濃縮タイプのキムチ鍋の素を水と酒で溶き伸ばし、アサリと豚肉を入れて煮込む。だしがでてきたら、そこに絹ごし豆腐を崩しいれ、くつくつと味が染みこむまで煮る。卵を落とし、細切りにしたねぎを散らす。簡単スンドゥブの出来上がり。

 ニラと、余った豆もやしは、ゆでて、みじん切りにしたねぎ、おろしにんにくとごま油、しょうゆを混ぜ合わせてナムルにする。

 そして、甘エビユッケである。

 甘エビは尻尾部分の殻を外す。小さなボウルにおろしにんにく、塩、ごま油を混ぜ、エビを加えてよくあえる。しょうゆをほんの少し隠し味に加えて、器に盛り付ける。上に卵黄、白髪ねぎを乗せて炒りゴマをひねりながら散らす。

 店で食べたものは甘みと濃厚さがあった。コチュジャンと焼肉のタレのようなものが混ざっていたのだろう。けれど、エビが充分とろりと甘いので、さっぱりと塩味にアレンジしてみた。

「いただきます」

 お前が嬉しそうに両手を合わせた。

「珍しいね、甘エビ」

「昨日、うまかったから」

「ああ、飲みに行ったお店で食べたの?」

 ぱくんと一口。にこりと笑う。

「おいしい。初めて食べる味だね」

「店のもうまかったけど、塩の方が合いそうだったからさ」

「──俺、あんたのそういうとこ、好きだよ。おいしかったものを、ちゃんと俺好みにして食べさせてくれようとするとこ」

 一緒に食べに行くのは簡単だ。けれど、できれば、お前のその笑顔は、俺が作った料理で一番最初に見たい、と思ってしまう。

 俺は、食べながら、同僚の話をしてやった。お前は箸やスプーンを動かす手を止めることなく聞いていた。

「じゃあ、結局付き合わないんだ」

「と、思う。あの様子なら」

「そっかー。でも、いいんじゃない? この子だーって思わない相手と付き合っても、きっと長く続かないよ」

「そうだろうな」

 俺は溜め息混じりにつぶやいてから、豆腐のなくなったスンドゥブの汁に、ジャーに残っていた白飯をぶち込んで食べているお前を見た。

 お前じゃなきゃ、駄目だ。

 そう思う相手に出会うって、結構、奇跡的だよな。

「おいしいねえ」

 スンドゥブに入れた白飯を食べつつ、焼肉入りの混ぜご飯を食べる、というご飯でご飯を食べるお前が、その奇跡の相手なわけだ。

 俺はおかしくなって、笑い出す。お前がきょとんとして俺を見た。

「どうしたの?」

「いや、今日も、うまそうに食うなと思って」

「だって、おいしいよ」

 その言葉だけで、幸せになる俺も、大概だけどな。

 食事を終え、一緒に食器を片付けてから、いつものコーヒータイム。ソファに並んで座ったお前が、今日は抹茶味のパイントカップのアイスクリームを持ち出した。

「──今、お前の中ではアイスクリームブームなのか?」

「うん。おいしいから」

「に、しても、それひとつは多いんじゃないか?」

「大丈夫」

「身体、冷えそうだな」

「冷えたらあっためてもらうから」

 こともなげに言ったけれど、それって結構な誘い文句だよな。俺は苦笑した。

 大きなスプーンですくったアイスクリームは、きれいなグリーン。大きな口を開けて、お前がそれを食べる。

 半分ほどまで食べるのを、俺は飽きもせずに見ていた。

「昨日から、何で見てるわけ?」

 呆れたように言ったお前に、俺は笑う。

「好きだから」

「──食べてるところが?」

「いや、全部」

 お前がうっと言葉を詰まらせ、赤くなって俺をにらんだ。スプーンをくわえたまましばらくそうしていたが、やがて諦めたように肩を下ろして、

「昨日、言ってたことだけど」

「うん?」

「決め手」

「ああ」

「きっかけは多分笑顔だったけど──」

 お前がアイスのカップをテーブルに置いた。

「決め手なんて、何もない」

 そんな風に言われて、一瞬落ち込みそうになった。俺って、決め手のない男なのか、と思ったからだ。けれど、その次に続いたお前の言葉に、今度はどっと体温が上昇したのが分かった。

「あんたじゃなきゃ駄目だったから。──あんた以外、考えたこともなかった」

「そ、そうか」

「この人がいい、じゃなくて、この人じゃなきゃ駄目だって、そう思ったから」

「────」

「好きになる、と思ったときにはもう、好きだった」

 お前じゃなきゃ──

 俺はこつんとお前の額に自分の額を当てた。

「俺も」

 すぐ目の前で、お前が笑う。

「本当に?」

「ああ。お前じゃなきゃ、駄目だった」

 キスしたら、抹茶の味がした。

 室内の設定温度は27℃。テーブルの上のアイスクリームはまだ半分近く残っている。

 お前は俺に抱きついた。少し冷えた身体が、俺の身体から熱を奪う。

「本当はね」

 お前がくすりと笑った。

「昨日、こうするつもりだったんだけど」

 その笑みがいたずらっぽく、俺を惑わす。

「アイスクリームで冷えた身体を、あっためて」

 耳元でささやかれて、俺は思わずその身体を抱き締め、そのまま押し倒す。

「それで、1パイント?」

「ミニカップじゃ、冷えないしね」

「計算ずくなんだな」

「それなのに、昨日は出鼻をくじかれちゃったから」

 だから、ふくれっ面でクッションをぶつけてきたのか。

 俺は笑いながら、ゆっくりとキスを落とす。

「お前じゃなきゃ──」

 目の前には微笑むお前。

 テーブルの上のアイスクリームは、きっともう溶け始めている。

 役目を全うしたアイスクリームは、どろどろと。ただの緑色の液体になっていく。

 ひんやりとした唇にキスをして、望みどおりにお前に熱を。

 冷え切った身体が俺の熱で、アイスクリームのように溶けてしまわないことを願いながら。


 了

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