straberry chocolate cake


 重い。

 腰が痛い。

 俺はソファの上で苦悩する。

 もう2時間以上、この重みに耐えている。初めは気にしないフリをして本を読んでいたのだが、時間が経つごとにその重みは増していく。

 そりゃそうだろう。身長は俺より小さいとはいえ、たかが7~8センチ差。体重は──軽い方だとは思うが、それでも成人した大の大人のそれだ。重くないはずがない。

 なぜか朝、というか、朝に近い昼、起きてきたお前が、ソファで文庫本を読んでいた俺に、おはようの挨拶もせずに突然駆け寄ってきた。そしてそのまま隣に座り、俺の腰に両手を回してべったりと抱きついたまま離れない。

 全体重を俺に預けるようにして、抱きつく腕に力を入れる。俺は斜めに身体を傾けながらも、最初のうちは、甘えてんのかな、とか、かわいいな、なんて思いながら放置していた。ぺらり、ぺらり、ページをめくる。

 20分が経過する頃、何か変だと思い始めた。ちっとも動かない。

 かといって、寝ているわけでもない。

 ただ、俺の腰に回した腕にぎゅうぎゅうと力を入れて強く抱きついている。

 さすがに一時間経った頃、どうした、と訊ねてみた。お前は俺のわき腹に顔をくっつけたまま、ぶんぶん首を振るだけだった。

 今や俺はほとんどソファに横になるような格好で、お前は俺にくっついたまま体重を預けている。

 だから、重いって。

 一度、トイレに経つのを口実に引き剝がそうとした。けれどお前はまた首を振って、ますます俺に身体を密着させる。だからトイレは諦めた。まあ、本当に行きたかったわけではないからいいのだが。 

 いやでもお前、さすがに俺も限界だ。30過ぎるとさ、色々あるんだよ。腰とかさぁ。

 俺は文庫本を閉じ、小さく溜め息をついた。

 右手でお前の頭をつかみ、持ち上げてみる。思ったよりすんなりとその顔をわき腹から引き離すことができた。

 俺を見るその目は赤く、眉間にしわが寄り、少し潤んでいて、悲しいと悔しいが同居したような表情だった。

 どうやらこいつ落ち込んでいるらしい。

 分かりやすいといえば分かりやすい。

 そして、分かりにくいといえば、この上なく分かりにくい。

 確かにお前が落ち込んだときは、やたら俺に甘えてくる。ずっと俺にくっついたまま、かまって攻撃を仕掛けてくる。だからついつい甘やかして、撫でたり抱き締めたりしてしまう。ところがこちらがのってきた頃、お前はするりと俺の腕を抜け、すっきりした顔で去っていく。立ち直りが早いので、去り際はクールなものだ。俺はいつも欲求を持て余し、行き場のなくなった両手を宙に浮かせたまま地団駄を踏みたくなってしまうのだ。

 今日は腰に抱きついたままだんまり2時間。

 長い。

 お前がまるですがるように俺をみているから、どうにかしてやりたくなってしまった。

 かまってやるし、甘やかしてもやりたいが、ひとまず腰の上からどいてくれないか? 本当にもう、限界だ。

 俺は自分の腰に回ったお前の両腕を外し、身体を起こした。お前の身体を持ち上げるようにして一緒に起こし、そのまま抱き込んだ。

 今度は俺の体重がお前の身体にかかる。

 お前は俺を上目遣いで見てから、そのまま胸の中に顔をうずめた。

 どうやら今日は、長丁場になりそうだった。


 思い出してみれば、数日前から様子はおかしかった。

 仕事があまりうまくいってないのか、帰宅後のイライラは無理に隠してもいなかったが、大抵は夕食を食べると落ち着いた。

 職場での愚痴を言わないのはいつものことで、たまに色んなものを抱え込んでつぶれちゃうんじゃないかと心配することはよくあった。

 一昨日は帰ってくるなりイチゴのショートケーキが食べたいと言った。ワンホール丸ごと。

 さすがにそれは無理なので、夕食後、デザートにバナナをたっぷり混ぜ込んだパンケーキを作ってやったら、あれだけ夕食を食べたあとのくせに、それもぺろりと平らげた。

 はちみつたっぷりのそれは見ているだけで甘ったるかったが、食べ終えたお前の笑顔があまりにも清々しかったので、よしとした。

 そして昨日、帰ってくるなりチョコレートケーキが食べたいと言った。フォンダンショコラなみにこってりとチョコが入ったやつを。ワンホール丸ごと。

 だから、何でワンホール食べるって基準なんだ、お前?

 仕方なくいつもより濃くて甘めにココアを入れてやった。もちろんマシュマロつき。それも満足して飲み干して、お前は笑った。多少、元気はなさそう見えたが。

 いつもなら朝は朝食の時間になると、お前は起きてきて飯を食う。

 それが、今日に限ってなかなか起きてこなかった。心配になって一度は部屋まで様子を見に行こうとしたが、疲れて寝ているのかと思い、やめた。

 お前の分の朝食にラップをして、俺は一人分の食器を洗った。そして、ソファに座って自分の時間を満喫することにした。新聞を読み、休日には大量に放送される各スポーツ中継をはしごしたりした。数時間後、俺がテレビに飽きて本を読んでいると、お前が部屋から出てきた。のそのそと足を引きずるようにリビングにやってきたと思ったら、俺の姿を捉えて突然駆け出す。そしてソファに飛び乗る。俺の腰に腕を回す。

 いつもは朝からつるりときれいな顔をしているのに、今日は目を赤くして、髪も寝癖がついていた。もしかしたら一晩中眠れずに寝返りを打ち続けていたのかもしれない。

「落ち着いたらでいいから」

 俺はなるべく優しく声をかける。

「何があったか話してくれ。お前が嫌じゃなかったら」

 お前は俺の胸の中でこくりとうなずく。

「いい子だ」

 わざと子供にするように、俺はお前の頭を撫でてやる。

 機嫌の悪いときなら、子供扱いしないで、と怒るだろう。けれど今日はされるがままになっている。

 俺は撫でていた頭にキスを落としてからぎゅうとお前を抱き締めた。

 他の誰でもなく、俺を頼ってくれるのは嬉しかった。

 俺以外の誰にも、こんなお前の姿は見せたくなかった。

 だからいっぱい甘やかしてやる。

 今日のデザートは、イチゴのチョコレートケーキを作ってやろう、と、俺はお前を抱き締めながらそう考えていた。


 それからたっぷり一時間以上、お前は俺から離れなかった。

 昼はとっくに過ぎ、腕の中で小さくぐう、と音がした。お前が顔を上げて、お腹すいた、とつぶやく。

 俺は笑いながらその身体を解放してやり、残しておいたお前用の朝ごはんをテーブルに並べてやることにした。

 シンプルに塩さばを焼いたものにとろろ昆布のお吸い物、もやしとほうれん草のおひたし、だし巻き卵。ご飯は保温を切っていたから、電子レンジであっためてやる、

 お前はいつものようにぱくぱくとそれを平らげていき、3杯もご飯をお代わりして、最後のほうじ茶を出してやる頃には満足そうにお腹を押さえていた。

 うん、今日も快食。

 お茶を飲みながらとろんとした目をしていたので、やっぱりあまり寝ていなかったのだと気付く。

「少し寝てな。夕食には起こしてやるから」

 お前はこくりとうなずいて立ち上がり、食器を片付けていた俺に近寄ってきてもう一度ぎゅっと抱きついてから自室に戻った。

 ──かわいいんですけど?

 俺は片づけを終えて、買い物に行くことにした。

 夕食はあいつ好きなものを作ってやろう、と決めた。と、言っても好き嫌いなどほとんどない、食欲魔人である。何が一番好きなのか、まともに効いたことはなかった。

 若者には肉でも与えておけばいいだろう、と考え、さっきの子供のような態度を思い出して、ハンバーグを作ってやることにした。デミグラスソースでも、煮込みでもホワイトソースでも、はたまた和風ソースでもなく、ケチャップで食べる、それを。付け合せはにんじんのグラッセとフライドポテトにした。

 ついでにマカロニサラダにコーンポタージュスープも作ることにした。

 まさしく子供が喜ぶメニューである。

 チキンライスにして、爪楊枝で作った国旗でも立ててやったらウケるかもしれない。

 いや、やっぱりあの食欲から考えると白飯の方がいいんだろうな、と考え直したりしながら、俺は家を出た。

 夕食の材料と共に、ケーキの材料も忘れずに。

 ほとんどの材料は揃っているが、さすがにイチゴはない。ホイップクリームをカゴに入れてから青果売り場へ向かう。

 季節はずれのイチゴは高かった。けれども俺は奮発してそれを2パック購入した。大粒でツヤのあるきれいなイチゴだった。

 家に帰ると、まずスポンジケーキを作った。ココアパウダーと溶かしたチョコレートのたっぷり入ったチョコレートスポンジ。というか、これは単体でガトーショコラとしても充分食べられるくらいのものである。けしてデコレーションの土台になるようものではない。

 しかし、お前が二日続けてケーキが食べたいと言った。一日目はイチゴのショートケーキ。二日目はフォンダンショコラ。だから二つを合体させてやることにしたのだ。

 さすがにフォンダンショコラでデコレーションの土台は無理だ。だからどっしりタイプのガトーショコラにした。それで一般的なレシピよりはチョコレートの配分が多めで、食べるとこってりと舌にチョコレートが絡みつく。

 焼きあがったら粗熱を取り、横半分に切り分けてから、洋酒をたっぷりと入れたシロップを染み込ませる。

 イチゴの半量は縦に薄切りにしておく。我慢できなくて一粒味見したら、そりゃもう甘くておいしいイチゴだった。さすが高いだけはある。

 ボウルにホイップクリームを泡立てて、お前好みの甘めに砂糖を加えた。

 準備オーケー。まず半分に切った、土台となるスポンジ表面にクリームを塗り、薄切りのイチゴをめいっぱい、これでもかというくらい隙間なく敷き詰める。その上からまたクリームを重ね、もう半分のスポンジを乗せる。普通のショートケーキなら、上面や側面にもクリームを塗ってしまうが、せっかくどしりと濃いチョコレート生地なので、隠してしまうのはもったいないと思い、残っていたクリームを少し乱暴に思えるくらいわーっと上から乗せて表面だけを軽く均した。側面にアンバランスに垂れていく真っ白いクリームが、が、スポンジの黒に近い濃いチョコレート色と相まって、なかなか良いビジュアルだ。さらにこれに丸ごとのイチゴを山のように乗せてやる。盛り上がったクリームに埋め込むように、バランスを考えて、一つ一つ。

 色合いもきれいに出来上がったケーキは、冷蔵庫に入れておく。

 次は夕食の準備だ。俺は時計を見て食事までの時間を逆算し、準備を始めた。


 夕飯の支度を終え、俺はお前の部屋の扉をノックした。しばし待って、返事がないのでドアを開けた。

 ベッドの上に、膝を抱えるようにして眠るお前がいた。

 くーくーと寝息を立てて、寝顔も子供みたいだった。

 俺はベッドに腰掛け、お前の髪をすいてみる。少しだけ明るめに染められた髪は、指先に絡んでさらりと落ちていく。

「飯だぞ」

 声をかけると、反応した。ぼんやり目を開けている。

「起きろ」

 俺は屈んでお前の頬にキスをすると、立ち上がる。お前が俺を見上げて、目元をこすりながらベッドから起きた。

 あくびをしながら部屋を出て、そのまま洗面所へ向かった。俺はキッチンに戻り、できあがった夕食をテーブルに運んだ。大振りに作ったハンバーグは二つ、お前の皿に乗せてやった。そしてそのハンバーグに、爪楊枝で作った国旗を刺してやった。他の国は面倒なので、簡単に日の丸。

 席に着いたお前はその国旗を見て、口を尖らせて俺をにらんだ。

 俺は苦笑しながら、盛り付けたご飯を渡してやる。

 向き合って座ると、両手を合わせていただきますをした。

 お前のその仕草、俺は好きだぞ。

 きちんと両手を合わせて目を閉じ、小さく頭を下げるようにして「いただきます」。作った人間からしてみれば、その週間はとても嬉しいし、微笑ましいし、愛しいものだ。

 お前がハンバーグを口に運ぶ。一気に笑顔になる。今日も合格らしい。

 散々食べてから、お前がぽつりと言った。

「お子様メニューだね」

 お前に合わせてやったのだ、と言うと、またちょっとすねた顔をしていたが、怒っているわけではなかった。その証拠にすぐ目が合い、ありがと、とにっこり笑った。

 うん、今日もやっぱりかわいい。

 ストレートに言うと怒られるから、心の中で思うにとどめた。

 お前が限界まで食べ尽くす前に、伝えておかなければならないことがあった。

「デザートあるから、ほどほどにな」

「ん」

 うなずいてはくれたが、その大きなハンバーグがもうすでに残り少なくて、そのご飯は2杯目なんだが、本当に大丈夫なのか?

 結果的に言えば、いつも大丈夫なのは分かっていた。どれだけ食べようと、こいつの胃は俺の想像を上回る。どこか遠く、異次元へと通じているかのように。

 何でその体重と体型をキープできているのか教えてくれ。

 食事を終え、二人でとりあえず食器を片付け、一息ついてからコーヒーを入れた。お前がそれをテーブルに運んでいる間に、俺は冷蔵庫からケーキを取り出した。

 出来上がったばかりのときよりしっとりと落ち着いて、食べ頃だ。フォークと共に運んでいくと、ソファに座って待っていたお前が、それを見て目を見開き、うわぁ、と声を上げた。

「すごい、すごい」

「ストロベリーチョコレートケーキ、だな」

「覚えてたの? ショートケーキとフォンダンショコラ」

「そりゃ、な」

 お前の隣に腰掛けて笑いかけてやると、お前はまた俺に抱きついた。

 ぎゅう、っと力を入れて俺の胸に顔を押し付ける。

 俺はお前の頭を撫でてやり、フォークを渡してやる。

「好きなだけ食いな。ホールで」

 顔を上げると、きらきらした目で俺を見てからフォークを受け取った。そして目の前のケーキにそれを差し込む。大きなイチゴ、チョコレートたっぷりのスポンジ、そして甘いクリーム。

 お前は一口食べてほにゃらと笑顔になった。

「すっごい、すごいおいしい」

「そっか」

 あれだけ夕飯を食べても、別腹を持っているらしいお前が、ケーキを次々に口に運ぶ。

 幸せそうな顔に、俺の方が笑顔になってしまう。

「あのね」

 食べながら、お前が話し始める。珍しく、職場での揉め事の話だった。

 それ俺はコーヒーを飲みながらゆっくりと聞いてやる。普段愚痴らないこいつも、こうしてどうしようもないくらい溜め込んで、沈んでいくこともあるのだな、と俺は思った。

 めったに弱音を吐かないから、たまにはこうして俺を頼ってほしい。

 話し終えたお前はすっきりした顔をしていた。また頑張る、と何度も言い聞かせるように言った。

 俺はお前の頭を何度か撫で、うなずいてやる。

「ねぇ」

 お前が首を傾げるようにして俺を見た。

「ありがと」

 その笑顔に憂いはなくて、もう大丈夫そうだ、と思った。

 お前はまたケーキに向かい、次々に口に運ぶ。本当にワンホール食べてしまいそうな勢いで、ちょっと恐い。

「はい」

 フォークが俺に向けられた。上にはケーキが乗っていて、今にもクリームが端からこぼれてしまいそうだった。

 俺は口を開ける。お前がフォークを俺の口元に運び──すいっと掠めて自分の口に持っていく。

 やられた。

 へっへー、と笑うお前の口の端に、こぼれそうになっていたクリームがついていた。俺は片手でお前の手をつかみ、フォークで反撃されないようにその手を封じ、もう片方の手で腰をつかんで引き寄せた。

 口元のクリームを舐めとりながら、その横の唇にキスをしてやる。

 お前は一瞬驚いたように目を丸くして、すぐににんまりと笑ってみせた。

 クリームは甘すぎて、ケーキは全部お前に食べてもらおう、と思った。

 もう一度、お前の方から重ねてきた唇は、とっても甘い、イチゴとチョコとクリームの味がした。


 了



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