オコノミヤキフリーダム


 多分、俺の帰りを待っていたのだろう。いつもより少し帰宅が遅れた。

 テーブルに散らかったチョコレートの赤い箱、銀紙。小包装されたビスケットの袋。底の方に1センチばかり残ったコーヒー。

 そしてソファで丸まるお前。

 俺がいつも寄りかかっているクッションをぎゅっと抱き締め、それに頬を押し付けるようにして眠っている。

 ネクタイの結び目に指を引っ掛けてそれを緩めながら、そのまましばらくお前を見下ろしていた。

 乱れた前髪から覗く額。抱え込むように曲げられた膝。まん丸な背中。

 スースーと寝息を立て、まるで微笑んでいるかのような寝顔だ。

 ──かわいすぎる。

 あー、これ、やばいだろ。

 屈んで顔を近づけたら、バターとバニラとチョコレートの香りがした。

 寝こみを襲うほど節操なしではない、そう言い聞かせて、俺は身体を起こそうとした。けれど、ふとクッションに抱きつくお前の手に目が行った。

 半分食べかけのビスケット。

 かろうじて握りつぶさず、形を留めていた。俺はそっとその手からビスケットを取り上げた。力を入れてばらばらにし、ソファをビスケットのカスまみれにされるのは困る。

 小包装されていたプラスチックの袋に戻そうとしたら、お前がむにゃらとつぶやいた。

「お好み焼きはフリーダムです……」

 は?

 俺は思わずお前を凝視した。

「……フリーダムですぅ」

 もう一度、つぶやく。

 なんだそりゃ。

 お前は起きる気配がない。と、いうことは、今のはただの寝言である。

 どんな寝言だよ、それ。

 俺は堪えられなくなって、ぶはっと吹きだした。腹を抱えて笑っていたら、お前が目をこすりながらむくりと起き上がった。笑う俺を見て、かくんと首を傾げる。

 しばらくぼんやりと俺を見ていたお前が、眠そうな顔で、言った。

「──おかえりなさい」

 俺はようやく笑いを押さえ込み、目尻に滲んだ涙を拭いながら、

「ただいま」

 と言って、また、笑った。


 一体どんな夢を見ていたんだ、と訊ねると、お前はいつものカウンターのスツールで首をひねった。

「あんな寝言、初めて聞いた」

 思い出すだけでまだ笑える。

「──夢の内容は覚えてないけど、確かにお好み焼きはフリーダムだよね」

 キッチンの俺は、お前が買ってきた特売のこんにゃく二枚を塩でもんでさっと洗った。表面に細かく細かく格子状になるように切れ目を入れていく。両面に入れたら、下準備はオーケー。

 ゆでたジャガイモはつぶしてマッシュにし、塩コショウで味付けする。

 マイタケとシメジはほぐし、しいたけは千切り、にんにくは薄切りにする。

 油とバターを熱したフライパンにこんにゃくを入れ、じっくりと焼き付ける。ちりちりと音がして表面に焼き色がつくまでしっかりと。ひっくり返して裏も同様に。しわができたように表面がぼこぼこと色づいたように両面が焼けたら、じわじわと熱された油がはねないように注意しつつしょうゆを回しかける。切込みから味がしみこむようにじっくり、中火で焼き付ける。焼けたら皿に乗せる。空いたフライパンでにんにくを炒め、きのこを加えて強火で炒める。香りが立ってきたら酒を少々。しょうゆをかけたらバターを少量落とす。少し煮詰めてこんにゃくの上からかける。皿の端にマッシュポテトを盛り付け、いつもはナツメグだが、今日は山椒の粉を振りかけて和風に。こんにゃくステーキの完成。

 昨日の夜から南蛮漬けにしておいた揚げナスとスライス玉ねぎを冷たいまま盛り付け、上から白髪ねぎを乗せてゴマをふる。

 プチトマトと生食用のほうれん草でサラダ、味噌汁は落とし卵とねぎ。

 お前は茶碗にご飯を盛り付けて、いそいそと両手を合わせた。

「いただきます」

 一応、フォークとナイフで丸ごと一枚のこんにゃくを一口大に切り分け、口に運ぶ。

「んー、これ、好き」

 豆腐やこんにゃくのステーキはわりとよく作る。ソースは様々で、お前のお気に入りはにんにくバター醤油か、しょうが醤油が好みだ。

「お好み焼き、か」

 俺はつぶやく。そういえば、久しくお好み焼きを作っていなかった。俺が作るのは関西風でも、広島風でもない我流のお好み焼きだが、前回作ったときはお前はおいしそうに4枚も食べた。本当にお前の胃はどうなっているんだ?

「食べたい。せっかく大きなホットプレートあるし、作って」

「そうだな、明日はお好み焼きにするか」

「やった。フリーダムなやつね」

 お前はにっこり笑う。

 フリーダムなやつって、どんなのだよ。

 俺は苦笑しながら分かったよ、とうなずいた。


 フリーダムねぇ。

 次の日、会社の帰り、俺は行きつけの近所のスーパーで買い物カゴ片手に頭を悩ませていた。

 お前の頭の中が覗けたらよかったな。そうしたら、どんな夢を見ていたのか、どんなお好み焼きを目の前にしてあんな台詞を吐いたのか、確認できたのに。

 最寄の駅を出たところでお前に連絡をしておいた。だから、スーパーの前でお前が俺を待っていて、なんだか機嫌よさそうに店内を歩いている。

「焼きそばはマストだよね」

 3食入りのソース焼きそばをカゴに入れる。

「小麦粉あるし、卵あるし、キャベツあるし──」

「豆腐とこんにゃく」

 俺が言うと、お前がさっと棚から絹ごし豆腐と板こんにゃくを取り上げる。

「山芋は冷凍したのが残ってるから──」

 業務用スーパーでみつけたすりおろした山芋が一食分ずつパックになっているものを、いくつか買って冷凍庫にストックしてあった。あれは便利だ。

「イカフライ」

 と言ってもお惣菜のではなく、スナック菓子の方だ。お前はよく分かっているらしく、足取り軽くお菓子のコーナーに行って目当てのそれを持ってくる。足を抜いたイカの形をしたフライ菓子だ。ついでにアタリメだのバターピーナツだのを抱えて戻ってきたのには目をつぶることにした。

 生肉コーナーで足を止めて、俺は考える。いつもは豚バラのスライスを使う。けれどそれではいつもと同じである。しばらく悩んで、ステーキ用の牛肉を買った。あまり厚めではない、少し脂身のある部分。一応ちゃんと豚肉もカゴに入れる。

 お前が加工肉の売り場の前で立ち止まり、ソーセージを手に取った。

「これ、入れていい?」

 俺はうなずく。確かにお前は自由だな。

「ついでにこれも」

 続いてカゴに放り込んだのは出来合いのハンバーグだった。フライパンの上で焼くだけの、あれだ。

「おい……」

「フリーダム!」

 お前はにこっと笑った。その言葉で何もかも誤魔化せると思うなよ、とにらんでみるが、やたら楽しそうににこにこしているので、毒気を抜かれた。

 俺はお前に甘すぎるよな、本当に。

 乳製品売り場で関係のないプリンをカゴに忍ばせたお前に、もう怒る気力はなかった。いいよ、何でも入れろ。

 俺はチーズ売り場で、スライスチーズでも挟むか、ピザ用のシュレッドチーズでも上からかけてとろけさせるかと悩み、ふと、隣のカマンベールチーズに目をやる。

 フリーダム。

 さっきのお前の笑顔が浮かぶ。

 俺はシュレッドチーズとカマンベールチーズをカゴに入れた。

 会計を済ませて店を出る。エコバッグを抱えたお前が、俺の隣に並んで歩きながら、

「そっちも持とうか?」

 と、俺のエコバッグを指さした。俺は会社の帰りで、仕事用の鞄を肩から斜めに提げていた。パソコンだの資料だのが入っている。

「いいよ」

 俺はお前の頭をくしゃりと撫でる。お前が目だけで俺を見上げて、笑う。外ではあまり触れ合えない。けれど人気のない夜道なら、たまにはこんなこともできる。

 手でもつなぎたいところだが、さすがにそれは控えた。

 家に帰って俺が着替えている間に、お前が食材を並べて、納戸からホットプレートを持ち出してテーブルの上にセットしていた。

 急いでこんにゃくを千切りにしてしょうゆと砂糖で濃い目に甘く煮付ける。汁気がなくなるまでしっかりと。

 そして生地作り。大きなボウルに小麦粉と解凍した山芋、顆粒のだしの素、ついでに健康のためにおからパウダー、絹ごし豆腐を半丁を、入れた。あとは加減を見ながら水を加える。お前にそれを混ぜてもらっている間に、俺はキャベツを千切りにした。なるべく細く。

 あとは具材の準備だ。

 焼きそばは先にフライパンで作っておく。具なしのソース焼きそばだ。皿に盛ってカウンターに置いたら、生地を混ぜ終えたお前が一口食べた。味見というには多い一口である。俺は呆れた目でお前を見て溜め息をつく。お前がえへへ、と笑う。

 まずはステーキ肉に塩コショウする。ソーセージはボイル。イカフライはぱきぱきと適当に割る。昨日の残りのほうれん草は4~5センチ長さに、にんじんは細い千切りにする。

 生地にはキャベツを混ぜ込んで準備はオーケー。

 ホットプレートを熱して、ステーキ肉を焼いた。両面焼き色がついたら、上から生地を乗せ、形作る。ステーキお好み焼き、なんて、馬鹿げたものを作るのは世界広しといえどもそうそういないはずである。

 テーブルを挟んで正面に座ったお前が、うわー、と歓声を上げる。

「豪快だねぇ」

 肉食のお前のために作った一品である。ステーキに対する冒涜か、それともお好み焼きに対する冒涜か、さてどちらだろう、考えて苦笑する。

 次はノーマルに、生地を流し込み、焼きそばを乗せる。イカフライと、甘じょっぱく煮たこんにゃく、更に生地を重ねて上に豚バラスライスを乗せる。ひっくり返して端っこで卵をつぶして焼き、その上にお好み焼きを乗せる。両面、火が通るまでしっかりと焼く。

 次はお前が買ったソーセージ。ほうれん草とにんじんを生地に加えて、ソーセージの上から囲むように乗せて形作る。真ん中をくぼませ、卵を割りいれる。火が通ったら、卵が崩れないようにひっくり返し、火を通し過ぎないように焼き、再び返してシュレッドチーズを乗せて完成。

 その次はハンバーグ。先に焼き付け、記事を載せて同じように形作り、ひっくり返して更に焼く。上にシュレッドチーズを乗せてとろけさせる。

 最後に、生地をホットプレートに流し込み、その上にカマンベールチーズを丸ごと乗せた。更に上から生地を乗せて形を整え、チーズがはみ出ないように両面じっくり焼く。

 全部で5枚、大き目のお好み焼きが完成した。

 ソースは買い置きしてあるお好みソースと、辛子を加えて水で少し薄めたマヨネーズ。ソーセージとハンバーグ用に、マヨネーズとケチャップを混ぜたオーロラソースも用意した。青海苔とかつをぶしは好みで。

 ホットプレートの温度を少し下げて、お前に金属製のフライ返しを渡してやる。お好み焼き用のコテはないから、これで食べる分だけ切り分けてもらう。

「なかなかのフリーダムだよね」

 お前は嬉しそうに、まずはノーマルなお好み焼きを切り分け、箸を伸ばした。

「んー、おいしい」

 生地はふわふわ。はみ出した焼きそばはカリカリ、豚肉はじゅわっと油を滲ませ、ソースの塗られた卵がてかてかと光り、中に入っているイカフライは風味を、こんにゃくは食感と甘みを加える。うん、上出来。

 次はステーキ。食べながら、お前があははと笑った。確かに、笑える味だった。不味くはないが、やっぱりステーキはステーキ、お好み焼きはお好み焼きとして食べる方がよい、と二人で結論付けた。

 ソーセージの入ったものは、半熟の卵の黄身とチーズの組み合わせが絶妙だった。オーロラソースで正解。ほうれん草とにんじんも合う。

「お好み焼きにハンバーグって、すごいよね」

 自分で買っておきながら、お前がそんなことを言い出した。

「ハンバーグって、存在感強いんだね」

「確かに」

 ステーキよりもその味を強く感じる。これもあまりお好み焼きとしての意味はなさそうだ。

 そして、最後にカマンベール。

「これもある意味豪快だよね」

 お好み焼きを二つに割る瞬間、お前が少し緊張したようにゆっくりとフライ返しを差し込んだ。二つに切れたとき、一気に中からチーズが零れ出し、ホットプレートに広がる。とろとろに溶けたチーズが香ばしい香りを立てていた。思わずお前の喉が鳴った。

 チーズが全部溶け出してしまう前に、お前がそれを口に運ぶ。絡まったソースとマヨネーズ、チーズ。ふわふわの生地と相まって、ほにゃーっと表情が崩れる。

「おいしい」

 別に高級なカマンベールだったわけではないが、さすがに丸ごと一個をお好み焼きに入れるのはさすがの俺も躊躇した。失敗していたら目も当てられない。俺はチーズが好物である。不味いものを作るくらいなら、安物のカマンベールだってそのまま食べてしまった方がマシだ。

 けれど、これは合格。というより、かなり美味い。

「フリーダムだねぇ」

 お前がほんわかと言った。

「フリーダムだな」

 俺もうなずいた。

 お好み焼きをすべて食べ終えたお前が、皿に残っていた焼きそばをでりゃっと空いたホットプレートの上にぶちまけた。そして、袋に残っていたシュレッドチーズも、同じように全部上からばら撒いた。

「──お前」

「絶対おいしい。チーズは無敵」

 温度を強めたホットプレートの上で、お前が意気揚々と焼きそばを炒める。チーズがどんどん溶けて、そばに絡まって糸を引いた。

 確かに、おいしかった。悔しいことに。

 結局、俺は豪快さではお前には勝てないのだ。カマンベールチーズ一個に躊躇しているようでは、きっとお前の足元にも及ばないのだろうな、と思った。

 焼きそばまでぺろりと食べ終えて、お前は満足そうにソファに身体を投げ出した。

 さすがに俺も、今日は食べ過ぎた。洗い物は後回しにして、お前の隣に同じように身体を投げ出す。

「──思い出した」

 お前が突然、言った。俺は顔を向ける。

「何を?」

「昨日の夢」

 お前は背もたれから身体を起こし、俺を見た。

「関西系お好み団のふわふわ組とね」

「──ちょっと待った。ふわふわ組?」

「うん。広島系お好み団の焼きそば組との抗争が勃発するんだよね」

 俺も思わず身体を起こして、頭を押さえた。

「──なんだって?」

「だから、関西系お好み団と広島系お好み団の──」

「抗争?」

「抗争」

 お前が真剣な顔でうなずく。

「実はその抗争は、関東系お好み団から株分けされたもんじゃ団が仕組んだ罠で」

 俺は、もう一度背もたれに身体を倒し、お前の前に手をかざした。

「意味が分からん」

「だから、ふわふわ組と焼きそば組を争わせて、その隙にもんじゃ団がのし上がろうとする壮大でスペクタクルな物語でね──」

「いや、そうじゃなくて」

 俺は頭を押さえていた方の手の隙間から、お前を見た。俺にストップをかけられたように目の前に手のひらをかざされ、首をかしげている。

「お前はお好み焼きの夢を見ていたんだろう?」

「だから、お好み焼きのシマ争いの話でしょ?」

 何だよ、シマ争いって。

 俺は手のひらを下ろし、溜め息をついた。

「──分かった。思う存分話せ」

 俺は諦めることにした。お前の豪快さと、その強引さは、もう俺の手には負えない。そして、そんなところにすら惚れている自分を恨むしかない。

 俺が呆れ半分でついた溜め息の意味を、お前はちゃんと分かっているようだ。いたずらっぽく笑って、俺の身体に抱きついた。

「話したいけど、もう終わりだよ。その抗争の中、あんたが立ち上がるんだ。俺がすべてのお好み焼きを統一してみせよう、って」

 そんな恥ずかしい役回りを与えないでほしかった。

「周りはあんたを襲おうとする。でもね、そこで俺が叫ぶんだ」

 ああ、理解した。そこであの寝言なんだな。俺は、お前が口を開くのと同時に、その言葉を言ってやった。

「──お好み焼きはフリーダムです」

 重なった声に、お前がにこりと笑う。

「そしてお手打ち。一件落着」

「──妙な夢見てるな」

「そうかな? ──でもね、抗争の中心に割って入ったあんたは、めちゃくちゃかっこよかったよ。また、惚れ直した」

 ぺろりと、お前が唇を舐めた。

 ちょっと待て。俺は今、満腹で動けない。

 じりじりと近付くお前の顔に、俺は、また、諦めることになった。抵抗なんて、できそうになかった。

 奇妙な夢に勝手に出演させられ、勝手に惚れ直され、ソファで襲われそうになっている。

 ああ、一番フリーダムなのは、お前だよ。

 もう、好きにしてくれ。

 俺は両手をぱたりと下ろして、お前のキスを受け入れた。


 了

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