菜箸王子


「ねぇ」

 揚げ物をする俺をカウンターの向こう側から見ていたお前が、突然訊ねてきた。

「もしかして、菜箸好き?」

 おう。何でばれたんだ?

 俺は油から引き上げたコロッケを、思わずぼちゃんと落としてしまった。はねた油で、火傷した。


 右の手の甲、小指の下辺り、2センチくらいの水ぶくれができてしまった。

 このままにしてると潰れたときに痛いから、と針の先を火で炙って消毒して、お前がその水ぶくれを突いた。じわりと中の水が溢れて、用意していたティッシュに染みこむ。

「痛くない?」

「痛い」

 消毒して、ガーゼを当てて、テープで止める。手際よく手当てしてくれるのは、職場でもよく火傷の手当てをしているからだ。サイフォン用のアルコールランプやスチームミルク、熱湯。カフェの業務はなかなか危険が潜んでいる。

「洗い物は俺がするから、しばらく水につけないようにね」

 料理だけは代われない。俺は礼を言ってコロッケの続きに取り掛かった。

 カウンター越しに心配そうな顔をしていたお前も、コロッケが全部揚がる頃には笑顔が戻っていた。

 休日、昼間、ビールを片手にのんびりしよう、という俺の意見があっさり採用。のんびり、を、実はいちゃいちゃ、に変えてもいいかななどと考えていることはおくびにも出さずに、俺はブランチの準備を始めた。そして、火傷である。

 コロッケだけで終わるつもりはなかったので、次の料理に取り掛かる。まずはキャベツの千切り。手際よく、素早く、それを切り終える。その手さばきに、おーっと言いながらぱちぱち拍手をするお前ににっと笑ってから、次は卵を茹でる。

 煮立ったお湯に常温の卵を投入。5分煮立たせてから火を止める。ふたをして固ゆでなら更に5分放置、半熟なら2~3分放置。こうやって茹でると、殻もきれいにつるりとむけるゆで卵の完成。

 大きめのエビは殻と背ワタを除いて切り込みを入れ、みじん切りにしたにんにくと一緒に強火で焼き付ける。あまり火を通しすぎると硬くなるので、手早く。刻んだパセリと塩を振り、ブラックペッパーをこれでもかと挽く。

 粗挽きのソーセージは水から火にかけて弱火で茹でる。このとき、強火で煮立ててはいけない。皮が破れ、肉汁が流出してしまうからだ。湯が揺れないくらいの火加減をキープ。中まで火が通ったら、フライパンで表面に妬き色をつけて取り出す。

 スライスオニオン、薄輪切りにしたピーマン、アボカド、ブラックオリーブ、そして漬け込んでおいたピクルス。ついでにアンチョビとオイルサーディンの缶詰も開ける。ブルーチーズと生ハムもこの際出してしまおう。

 テーブルにそれらを並べ、グリルで焦げ目がつくくらいに妬いたフランスパンや食パン、トースターで軽く温めたコッペパンを最後に運ぶ。

 缶ビールを開ける。

「乾杯」

 缶をがつんとぶつけると、中身が少し零れた。

「おーいーしーそー」

 お前はビールを一口飲んでから、コッペパンを手に取った。基本的なものから食べようとしているらしい。切り込みにうっすらとバターと辛子を塗り、キャベツとコロッケを挟み込む。ウスターソースをかけてコロッケパンだ。

 俺は同じパンにソーセージを挟む。ケチャップとマスタードを絞り、ホットドッグを作った。

「いただきます」

 両手を合わせてからそれにかぶりついたお前の姿を見てから、俺も食いついた。

「うまっ」

 好きなものを好きなだけ食べられるこのスタイルは、お前のお気に入りだ。アレンジを変えて、クレープやパンケーキ、オープンサンドイッチなどでもやる。もちろんその時々によって具材は色々だ。今日は昼間からだらだらビール、なので、いかにもなメニューを選んでみた。

「幸せー」

 お前はフランスパンにガーリックシュリンプとスライスオニオンを乗せた二つめを食べ始めていた。

 俺は食うより飲む方が好きだ。だから酒に合うようなものばかりを選んでしまう。パンばかりだと腹がふくれてしまうので、具をちまちまとつまむ方に移行した。

「ところでさぁ」

 ゆで卵を頬張りながら、お前が訊ねる。今日のゆで卵は半熟と固ゆでの中間、黄身の中心だけがとろりとしている。これをフランスパンの上で崩して、アンチョビを乗せ、ブラックペッパーをかけて食うとめちゃくちゃうまい。

「何で菜箸が好きなの?」

 確かに俺は菜箸が好きだ。

 理由などない。好きなだけなのだ。

 こだわりはある。俺の使う菜箸は、普通のものより太い。一般的に使われる、あの細い竹製のものは駄目だ。見た目同様、あいつは脆い。すぐに曲がり、扱いづらくなる。

 シリコン製のものを使ってみたこともあるが、どうもしっくりこなかった。確かに軽くて、滑らないし、使いやすいとは思うのだが、これはもう相性の問題だった。おまけにシリコン製だと、油の温度が確認できない。

 今のコンロの性能からいえば、箸先でわざわざ温度を確かめなくても、頃合いになったらピピっと音がして教えてくれる。確かにその機能は俺も重宝している。けれど木製の菜箸を油に入れ、箸の先からじわじわと出てくる泡でそろそろかな、などと含み笑うのも楽しいものだ。

 太い菜箸はいい。ずしりと重量もあり、多少の重みにも負けない頑丈さがある。そうそう簡単には曲がらないし、あの手にしたときの無骨さがたまらない。

 菜箸というのは2本を糸でくっつけ、ひと組がばらけないようになっているものがある。俺が使っている菜箸も、実はそれだ。だが、俺は菜箸を買うと、まずその糸をちょん切ってしまうことから始める。

 ばらばらになったそれは何本かまとめて引き出しにしまってある。買い足すのはいつも同じ菜箸だから、適当に2本を選び出しても、新しい古いはあるかもしれないが、同じ形なので問題ない。

 糸でつながれて不自由な動きを強いられるよりも、ばらばらになって使いやすい方が絶対いい。

 俺は菜箸が好きだ。

 ちょっとした料理のときにも、菜箸を使う。

 揚げ物のときは特に実感する。こいつはいい菜箸だ、と。

 俺が菜箸について熱く語っているのを、お前はもぐもぐと口を動かしながら黙って聞いていた。

 引き出しには、実は調理用の竹箸が何本か入ってる。菜箸を使うまでもないとき用なのだが、あまり出番はない。

 なぜなら菜箸を使うからな。

「菜箸ひとつでよくそこまで語ったねぇ……」

 そのくらい好きだ、ということにしておいてくれ。

 そんな俺の様子を見ていたお前が、かくん、と首をかしげた。食パンに乗せたコロッケの上にキャベツとチーズ、エビ、ピーマン、オリーブを更に重ねるという荒業を繰り出していた。それ、おいしいのか?

「でもさ、菜箸って──使いづらいよね」

 俺の話を聞いていたのか、お前?

 どこまでもまっすぐ、ぶっとく、どっしりとしたあいつの、どこが使いづらいというのだ?

「面倒じゃない? だってあいつ、でかすぎるし、長すぎるし」

「それが菜箸だろう」

「面倒じゃない?」

 2回も言いやがった。よほど菜箸が好きじゃないのか?

「いや、あれがいいんだ。カラザだってあれで取る」

 卵を割ったときに黄身の横に引っ付いている白いあれを、俺はいちいち丁寧に取り除く。別に取らなくてもいいのだが、ケーキや錦糸卵などの時には特に、あれは舌に残って邪魔になる。裏ごししてしまう茶碗蒸しなんかは構わないのだが。

「カラザって……何?」

 お前は食うのは得意だが、料理に関してはほとんど知識がない。料理を作る俺を見ているのが好き、とは言うが、別にそれを見て学ぼうというつもりはないのだ。単純に、料理が出来上がっていく過程が好きらしい。

 俺は3本目のビールを開けた。生ハムでブルーチーズを巻いて食っていたら、お前が何それおいしそう、と真似をした。ただしフランスパンに乗せて食べている。

 お前はもうビールをやめて、いつの間にかコーヒーを飲んでいた。元々そんなに飲む方でも、強い方でもない。早めに切り上げて食事に集中、ということだろう。

 俺は正面だった場所を、お前の隣に移動した。

 そして、その肩に寄りかかる。

「重い」

「いいだろ、たまには」

 甘えさせろ、とふざけた調子で言ってから、ビール片手にお前にくっついていた。お前はひたすら食べ続け、さらには甘い系も食べたいなぁなどと言い出し、結局俺はバナナをスライスし、クリームチーズを塗った食パンの上に並べはちみつをかけたものを作ってやった。

 何もせずにだらだらと休日の昼間を無駄にするのは、悪くなかった。腹一杯になったお前と、何本目か分からないビールで気持ちよくなっていた俺は、そのままくっついてうとうとし、結局夕方まで惰眠をむさぼったのだった。


 数日後、夕飯を作っていた俺に、さっきまでパソコンをいじっていたお前が、わたわたと寄ってきた。定位置のカウンターの前に陣取る。

「ちょっとちょっと。カラザって、めちゃくちゃ栄養あるんだってよっ。知ってた?」

 実は、知っていた。だから、取らないことも多い。

 けれどお前はなおもカウンターの向こうから続ける。

「栄養たっぷりで、しかも免疫力高めてくれるんだってさ。そんなにごつい箸でわざわざ取らなきゃいけない理由なんて、ないよ」

 お前はしつこく目の前でがなっているが、俺は黙って料理を続けた。

 運悪く今日はスパニッシュオムレツである。ジャガイモ、玉ねぎ、ハム、辺りは基本だが、俺の作るそれにはクリームチーズほうれん草も入る特製レシピだ。割りほぐした卵に茹でたジャガイモ、薄切りにした玉ねぎ、千切りのハムを加えて、たっぷりのオリーブオイルを熱したフライパンに流し込み、ふたをしてじっくりと焼く。

 ひっくり返さずに表面にチーズとほうれん草を散らすと、またふたをしてじっくりじっくり焼く。

 焦げないように、時々フライパンの縁からオリーブオイルをたらたらと流し込み、揺する。まんべんなく火が通るように、その位置を変えながら。

 オムレツを焼いている間にマカロニを茹でる。茹だったら油を熱したフライパンに入れてケチャップとタバスコ少々を加えて炒める。シンプルすぎるくらいシンプルな料理である。

 トマトは輪切りにして、みじん切りの玉ねぎとはちみつ、ワインビネガーで作ったドレッシングをかけて冷蔵庫に入れ、しばらくマリネ状態にしておく。

 ブロッコリーとサーモンのシチューにざく切りのフランスパンを添えて完成。

 今日はほとんど菜箸の出番はなかった。卵をかき混ぜるときくらいだ。

 それをお前も気付いていたのか、

「なんだ、せっかく菜箸を操る姿を見ようと思ったのに」

 などと言い出す。

「普段から結構使ってるぞ」

「うん、知ってる。──でもさ、菜箸好きって知ってから見るのとじゃ、何か心意気が違うような気がしない?」

「心意気?」

「うん、こうさ、菜箸に対する愛情、的な」

「すまん、お前の言ってることが分からん」

 お前はシチューをすすりながら、うーん、と考える。

「だってさ、普通に料理しててもかっこいいのに、さらにかっこいいアイテム追加、みたいな感じにならない?」

 今、さらっと俺を褒めたな。

 俺は苦笑する。

「なんだよ、それ」

「華麗に菜箸を操る、菜箸王子、とか」

「…………」

 そのネーミングセンスはいかがなものか。それに、世のナントカ王子のブームはもうとっくに去ってしまっている。

「あー、ごめん。何か俺、変だ」

 俺の呆れた視線に気付いてか、恥ずかしそうに赤くなったお前は慌てて食事を続けた。チーズがとろりと溶けたオムレツは、食べているうちにどこかでカラザが舌に感じたりするだろうか。具沢山のオムレツだから、そうそう気付くはずはないだろうが。

 そう思っていたら、お前が、んべ、と舌を出した。

「カラザ」

「──よく見つけたな」

 俺は関心する。固まってしまえばそれはほとんど分からない。卵のみの料理ならともかく、スパニッシュオムレツで見つけるとは、侮れない。

「栄養なんだろ」

「うん」

 お前はそれを飲み込んだ。

「それにしても──」

 俺はくくっと笑う。

「菜箸王子って」

「笑うな」

 お前がむっとする。

「確かに俺は菜箸好きだが、王子って柄じゃねーだろ」

 あのごつい、無骨な菜箸は、繊細な王子のイメージからは程遠い。

 まぁ、俺には似合いの飾り気のなさだとは思うが。

「──、……だし」

 お前が小声で何か言った。聞き取れなくて、俺はフォークを止めてお前を見た。

「何だって?」

 お前はスプーンをくわえたまま、怒ったような、照れたような目をして俺をにらんだ。

「だから──」

 お前がスプーンを置いて、身を乗り出した。テーブルを挟んで正面に座る俺の顔を両手でつかんで、引き寄せる。そして至近距離で、言った。

「俺には充分かっこよくて、王子だし」

 ほんの数センチ先で、お前の顔が朱に染まっていく。お前は俺の顔からぱっと両手を放して、すとんと元の場所に座った。

 ははは、と俺は思わず笑った。

「何笑ってんのさ」

「いや、お前って──時々、すごくかわいいこと言うよな」

「かわいくいないから」

 ぷいとそっぽを向く。けれどしっかりマカロニを取り分けた皿を抱え込んでいる。

「お前の方が完全に王子顔なのになぁ」

 整いすぎているくらい整ったその顔、すらりとしたスタイル、色素の薄いさらりとした髪。ごく普通のルックスを持つ俺なんかより、完璧な王子様である。

 お前はくるりとこちらを向いて、しばらく俺を見ていた。

 その目が少しずつ穏やかになっていく。

 そして、ふわっと笑顔になった。

「でも俺には、やっぱり王子だよ」

 そう言って機嫌よさそうにマカロニを食べた。

「そのくらいかっこいいってことだけどね」

 俺をかっこいいなんていうのは、お前くらいなもんだ。

 俺はシチューを口に運びながら、背中がむずがゆくなるのを堪えていた。ストレートに俺を好きだと言い切るお前には、時々無性に戸惑う。

 だから、柄じゃないんだって。

 赤面しているのは俺のほうで、お前は平気な顔をして料理を平らげていく。

 具沢山のスパニッシュオムレツの中から、あんな小さなカラザを見つけてしまうお前は、変なやつだと思う。そして、俺はその変なところにも惚れている。

 俺だけが赤面しているのはしゃくだったので、俺は油断しているお前に言ってやる。

「お前のこと、愛してるぞ」

 お前の顔が赤くなるのを見届けながら、こうなったら期待に応えて、明日は菜箸を駆使した料理ばかりを作ってやろう、と俺は思っていた。


 了


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