ベイク・ド・ジャック


「トリック・オア・トリート!」

 やたら陽気な声に出迎えられた。

 俺は玄関のドアを開けた格好のまま、出迎えてくれたお前のその浮かれた声に、反応が遅れた。

 ただいま、の「た」の形に口を開き、そのまま固まる。

 家に帰ると、恋人がかぼちゃを抱えて待っていました。

 猫耳つけて。


 お前はそれを、狼だ、と言う。

 ジーンズのベルト通しに引っ掛けられた尻尾と、カチューシャにくっついた耳。ファーの襟巻き。どこをどう見ても狼だろう、と言い張る。

 いや、猫にしか見えないから。お前がやれば、特にな。

 ていうか、このきれいな顔にそれって、何だか犯罪的かわいさなんですが。

 俺の思いを知ってかしらずか、お前は抱えていた大きなかぼちゃをごろんと転がした。

 うん、つやよく緑色の、栗かぼちゃ。

 これは煮たら上手そうだ。

「ジャック・オー・ランタン」

 まるで呪文のように、お前が言った。

「は?」

「だからー、ジャック・オー・ランタン。作るから」

 それってあれだろ? この時期店先なんかに飾られているオレンジ色のかぼちゃのお化け。しかしちょっと待て、これはそもそも、そんな細工に向かないかぼちゃだ。色だって違う。

「中身くり抜く道具ちょうだい」

「いやいやいや」

 床に座ったお前がかぼちゃを転がす。ころころ、ころころ。そのたびに頭の耳が揺れる。

 俺はスーツ姿のままソファに座っていた。ようやくネクタイを緩め、しゅるりと襟元から引き抜く。その様子を見ていたお前がにこりと笑う。ネクタイを緩める指が好きなんだと前に言われたことがあった。だから少し照れた。

 こほんと咳払いして、俺は説明し始める。そのかぼちゃは食べるためのものであって、細工加工には向かないこと。かぼちゃのお化けを作るには、あのオレンジ色のでかいかぼちゃを使うこと。もちろんそれは一応食用ではあるものの、実際食べるわけではないのだろう。そして、早々と仮装しているが、ハロウィンは明日であること。

 俺はその大ぶりなかぼちゃに親指の爪を立てた。ほんの少しだけ傷がつく程度で、みっちりと張り詰めている。うん、硬い。とてもよいかぼちゃである。

 だから食おう。絶対うまい。

 甘辛く煮物に、蒸して挽肉あんかけに、オーブンで焼いてシンプルに塩とオイルで食べるのもいい。いっそポタージュスープもいいな。いや待て、ニョッキを作ってクリームソースで食べようか。

 ああ、スコーンを焼くのもいいかもしれない。そういえば先日、安売りしていた紅玉でリンゴジャムを作ったじゃないか。クロテッドクリームはあいにく切らしているが、ホイップバターとリンゴジャムは、かぼちゃのスコーンにとてもよく合うはずだ。

 よし、やっぱり食おう。

 俺がかぼちゃを取り上げようとすると、慌ててお前がそれを抱き込む。

「駄目。俺のジャック」

 いや、だから。

「食べるのなんて、ジャックを作ってからでもいいじゃない」

「でも、包丁じゃ無理だぞ。硬すぎる」

 むうっとした顔でお前はしばらく考えていた。

 だから食おうぜ、ホクホクして絶対うまいはずだ。

 ところが結局お前はかぼちゃを両腕に抱き締め、俺に渡してはくれなかった。

 俺はスーツを部屋着に着替えて、仕方なくそのかぼちゃを諦めて夕飯の支度をすることにした。朝セットしていったタイマーでご飯はもはや炊けている。玉ねぎとゴボウと豆腐で味噌汁を作り、トースターでかりんと妬いた油揚げを散らした水菜のサラダを用意し、生鮭をきのことともにホイルで包み焼きにした。休みの日に特売で買った秋刀魚を梅干と一緒に甘辛く煮ていたので、それも食べてしまうことにした。あとは秋茄子を塩もみしてから水で洗って絞り、浅漬け風にする。

 俺が飯を作っている間、お前はリビングに新聞紙を広げ、かぼちゃをジャックにしようと奮闘していた。

 ええと、どこから持ってきたんですか、そのノミ。

 まるで一刀彫りでもするかのように、お前はノミをふるっていた。爪も立たないようなかぼちゃに、うおりゃあと勢いをつけて顔を掘り進めて行く。

 ──どっからくるんだ、その根性。

 こらえ性のない俺とは大違いだ。お前のその無理矢理にも似た行動力は、嫌いじゃない。というか、いまどきの若者らしいクールそうな見た目とのそのギャップに、はっきり言えば惚れてさえいるぜ。

「飯だぞー」

 お前は手を止めてこちらを見た。顔にかぼちゃの破片が飛んでオレンジ色だの緑色だのに染まっている。俺は手でそれを拭い取ってやる。お前はくすぐったそうにして、でも黙ってされるがままになっていた。

「できそうか、ジャックは」

「うん」

 お前は今日もよい食欲だ。相変わらずの食いっぷりに満足して笑いながら訊ねた俺に、お前は箸を止めずにうなずいた。

「かわいくできそうか?」

「うん」

「そうか。食い終わったら、思う存分続きをしてくれ」

「うん」

 うなずいてばかりなのは、食事を食うのに余念がないからだ。

 大ぶりに切ったはずの鮭は、もう皮だけになっている。

 外すのを忘れているらしい狼の耳が、うなずくたびに揺れているのが妙にかわいい。さすがに首周りを覆っていたファーは外されているが、尻尾もつけっぱなしである。ただぶら下がっているだけのそれは自分の意思でふりふり動いたりはしないが、これもお前にくっついている時点でたまらない気分になるのはどうしてだろう?

 別に俺、コスプレ趣味はないんだがな。


 夕食後、食器を片づけてコーヒーを入れてソファに座り、しばらく新聞を読んでいた。一通り目を通して顔を上げると、お前はジャックの仕上げにかかっていた。

 くり抜かれたかぼちゃの中身は、種を別にしてボウルに入れられている。ぼろぼろになっているので、これはあとでマッシュにしておくことにした。

 底から空洞にされたかぼちゃが、俺を見ている。目つきは悪く、けれど口はいやらしくにやあと笑っている。隣でお前が満足そうにうんうんうなずいていた。

「完成か?」

 新聞をたたんでテーブルに放る。お前はこちらを見てにっと笑うと、かぼちゃの欠片を叩き落して俺の隣に腰掛けた。

「うん、完成」

「よく作ったな」

 この硬いかぼちゃをここまでするには、かなりの力が必要だ。よく途中で投げ出さなかったものだと思う。まあ、お前がそんなことをするはずはないだろうが。

「かわいいでしょ、ジャック」

「うむ……」

 かわいいとは言い難い。だってこいつ、なんだか妙にいやらしい顔をしている。どっかのスケベ親父かよ、と思う。

「かわいいよっ。最高のできだよ。思ったとおり」

 お前はムキになってテーブルの上に置かれたジャックを撫でる。

「ふーん」

 まあ、お前が満足しているのならいいだろう。

 明日は小皿にろうそくでも立てて、ジャックの中に置いて、ランタンとしての役目を全うさせてやろう、と思った。

「明日、かぼちゃ買ってくるね」

 俺の肩にくっついて、ジャックを見つめたまま、お前が言った。

「だからこいつは、切り刻んで甘辛く煮たりしないでよ」

 考えを読まれていたらしい。確かにさっき、このかぼちゃを見たとき、真っ先に煮物を想像したっけ。だって、こんなにいいかぼちゃ、なかなかお目にかかれない。

 俺は了解、と答えて、猫にしか見えない狼を抱き寄せた。額をくっつけたら、かぼちゃの香りがした。


 仕事の帰りに行きつけのスーパーでお前と待ち合わせることにした。ハロウィンのごちそうを、というわけではないが、夕飯用の買い物を一緒にするためだ。

 お前は忘れずにかぼちゃを買った。これはどうやら、料理してもいいものらしい。

 スーパーを回りながらメニューを決めた。かぼちゃ尽くしも考えたが、飽きそうなのでやめた。いつもどおり食べたいもの食べることにした。

 ただし、昨日のくり抜かれた中身でパンプキンポタージュを、今日買ったかぼちゃの半分でパンプキンパイを焼くことだけは決めた。

 刺身用のホタテとキウイでカルパッチョ。茹でたブロッコリーとアスパラに溶かしたチーズで作ったソースをからめてブラックペッパーを挽き、フォンデュ風に。メインはスペアリブを野菜とともにビールで煮ることにした。隠し味はしょうゆで。

 ざくざくと切ったフランスパンには、鶏レバーで作ったレバーペーストを添える。

 パンプキンパイは材料をミキサーで一気に混ぜ、型に流してオーブンで焼くだけのシンプルなものだ。シナモンとナツメグはたっぷりで。

 リビングの電気を消して、間接照明をつける。お前が作ったジャックのランタンだけでは暗すぎて、食卓がよく見えなかったからだ。

 お前は昨日と同様に狼になり、俺には頬に一枚のシールを貼り付けた。商店街でもらったかぼちゃのジャックのシールだ。もちろんこちらはかわいくデフォルメされ、ちゃんとオレンジ色をしている。うちの緑色のジャックとは大違いである。

 ジャックの中身は、上手かった。

 甘みのあるポタージュスープがほっこりと気分を暖かくしてくれる。

 お前が料理をどんどん平らげる。この狼は、飢えている。とりあえず今日は、好きなだけ食べるといい。野生の狼は、食料の調達も大変だろうからな。

 そんなことを考えながらにやにやしていると、お前は耳を揺らして顔を上げた。

「やっぱり、似てる」

 なんて言いながら、おかしそうに微笑んだ。

「何が?」

「そっくりだよ」

 と、お前が指差したのは、ゆらゆらと揺れる炎でますます不気味ににやける緑色のジャックだった。

 ──なんですと?

 このやらしいスケベ親父顔が、俺だと?

「似てるってば。俺、天才」

 釈然としないながらも、俺は昨日のお前の台詞を思い出す。

 ──かわいいでしょ。

 満足そうにうなずきながら、確かにそう言った。

 最高のできだ、と。

「そうかい、そんなに好きか、俺のこと」

 ふざけて言ったら、こともなげにうん、と返された。そんなストレートな言い方に、俺の方が照れた。

「切っちゃうの、もったいない」

 いとおしそうにジャックを眺めるお前に、もう何も言えなかった。

 切り刻んでしまうのはかわいそうだから、明日はこいつをそのまま食べることになりそうだ。仕方ないから、丸ごとオーブンに放り込もう、と思った。この大ぶりなかぼちゃが柔らかく焼けるにはどのくらいかかるだろう。焦がさないように様子を見ながら、アルミホイルで包むことも忘れずに。

 明日の食卓にはベイク・ド・ジャック。

 せめてソースは、何種類か考えよう、と思った。

 

 食事を終えたお前が、狼の耳を揺らして俺を見た。

 こんな風に何かたくらむような表情をしているときは、要注意。

 仕掛けるのはいつも俺の方。けれどこの顔は──

 案の定、お前がずりずりと俺に近寄ってきた。そして耳元に口を寄せる。

「トリック・オア・トリート?」

 お前がいたずらっぽく笑う。

 オーブンの中のパンプキンパイを渡してやるのは、やめた。


 了



 実は私も作りました。

 栗かぼちゃでジャック・オー・ランタンはきつかったです。結局顔作るだけで、ランタンにはできませんでした。硬い。すべる。そして案外割れます。

 緑のジャックはかわいいんじゃないかなーと思ったんですが。

 目と口くり抜いて終わっただけのインスタント的ジャックくんは、その日のうちに甘く煮て食べました。南無。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る