第9話夏色の恋(2)

さて、世の中には「猫かぶり」という言葉がある。本性を隠して偽りの自分を演じることを指すが、大体の場合はすぐに気づくものだ。しかし、今絶賛俺に抱きつき中の女の子、坂倉千夏ことちーちゃんはかなりの手練であった。どこからどう見ても引っ込み思案の大人しい子だと思っていたのがどうしてこんな小悪魔系女子に変貌できようか。


「やっと、二人きりになれましたね。お兄さん♡」

俺に後ろから抱きつき背中に顔を埋めている千夏ちゃんが言う。

「まったく、なかなかお兄さんに近づくチャンスが来なかったので夜中にお邪魔して夜這いでもしようかと思ってましたよ」

それは不法侵入というのでは?

「えっと、千夏ちゃん?どうして抱きついてるかは後で聞くとして、とりあえず離してもらえるかな?」

「いやでーす♡」

即答...

「普通男の人は女の子に抱きつかれたら喜ぶと思うんですけど〜」

普通はね?!この状況は普通じゃないと思うんだけど。

「あ、お兄さん身長高くてすらっとしてるけど筋肉質ですね。やっぱり私のタイプ♡」

ひっ、そんなねっとりした手つきで撫でないで!

「意外と可愛い声だしますね。かわいい♡」

こうなったら少し強引に引きはがすしかないな。じゃないと理性が...

「ちょっくらごめんよっ!」

日頃のキレのある体の動きで振り向き肩を掴んで引きはがす。

カシャッ

「え?」

今のは...カメラの音?

「どれどれ〜うん、良く撮れてますね〜」

と、千夏ちゃんが見せてきたスマホの画面には、あたかも俺が千夏ちゃんの肩を掴んで強引に迫ってるかのような写真。

「な...」

「これほかの人が見たら誤解しちゃうかもですね〜私大人しい女の子ですし〜翠ちゃんとか特に早とちりだから」

...どうやらこの子は諸葛亮孔明もびっくりの策士のようだ...って言ってる場合では無い!

「千夏ちゃーん?いい子だからその写真消してくれないかなー?」

「そんな小さい子を説得するようにしてもダメです」

「じゃあどうすれば?」

「お兄さんは今まで通り生活して構わないですよ?私がこれを弱みにお兄さんで遊びますので」

消す気は無いと...

「まあ、お兄さんが私と結婚してくれるなら話は別ですけど」

「それは飛躍しすぎでしょ!せめて恋人として付き合うとかさ」

「なら、付き合ってくれるんですか?」

「いや、...それは...」

「安心してください、お兄さんが抵抗しなければ写真はずっと私のスマホの中ですから。だ、か、ら...」

ぐいっと俺の目前に千夏ちゃんの顔が近付いてくる。

「お兄さんはこれから私のおもちゃになってくださーい」

これもう脅迫だよね?!おもちゃってなに!?俺こんなエロゲみたいな展開は望んでないんだが!僕これからどうなんのおうち帰りたい!...って今家だった。

「ちなみに〜お兄さんキスってした事ありますか?」

「はぁ!?な...ないけど」

「じゃあ、初キス貰っときますね」

近くにあった顔がもっと近づいてきているのだが俺は後ろは壁で逃げられない。かといってさっきみたいに引きはがすと弱みの写真が増えそうだし...どうすれば...っ

「ただいま〜」

助かった!翠が帰ってきた。流石にこの状況で続行することは...ってあれ?

「あ、翠ちゃんおかえりー早かったね」

俺の目の前にいたはずの彼女が、いつの間にかリビングの机に座ってさっき出したお茶を飲んでいる...忍者かお主は...

「うん、お母さんが途中で気づいて戻ってきてたからすぐに会えたの。ってあお兄なんで千夏ちゃん放ったらかしにしてるの!そんな宇宙人でも見たような顔して突っ立って」

あお兄は宇宙人より怖いかもしてない女の子の裏の顔を見たようなんだが。


その後千夏ちゃんはゲームをしたり翠の宿題を手伝ったりと怪しい行動は無かった。翠の前では表の顔でいるという事か。

「あ、私そろそろ帰らしていただきます。外も暗くなってきたので」

「あらそう?じゃあ蒼、家まで送ってたあげて」

「え、俺?」

「翠に行かせてどうするのよ。二人とも襲われちゃうじゃない」

いや、片方は返り討ちにしそうだぞ?そこら辺の木の棒でも使って。

「私もついて行くけど?」

「翠はさっさと手伝ってもらった宿題を終わらせなさい」

「うへーい」

まずいなこれは。また二人きりになったらなにをされるか...

「じゃあお兄さん、よろしくお願いしますね」

という千夏ちゃんの後ろ手にはあの写真が...しかもそれ画面の光量MAXだろ!バレるってそれ!ぐぬぬ...

「わ、わかった。行ってくる」


「お邪魔しました。翠ちゃん、また明日」

「うん、またねー」

ガチャ

さて、玄関を出てからが戦場だ。第一関門はうちが見えなくなる曲がり角。それまでになるべく速く歩いて距離を取っておけば...

「なーんで逃げる様に歩くんですかっ」

「おわっ!」

開けていた距離を助走にして思いっきり後ろからおぶさってきた。

「ちょっ、お、降りて危ないから」

「だーいじょーぶですよ。がっちりと抱きついていますから」

確かに背中に柔らかいものがあるのが分かるほど俺の体を締め付けている。ってか痛ぇ。仕方がない、おんぶしてさっさと家まで送るか。

「ところで千夏ちゃん。一つ聞きたいんだけど」

「はい、スリーサイズでも何でも教えますよ?」

「げふんげふん。千夏ちゃんは翠とはほんとの友達なのか?」

これが気になっていた。ここまで裏表がはっきり違う女の子だと、上っ面だけの友人関係なのではないかという懸念があった。

「ぷっ、当たり前じゃないですか。何を勘違いされてるか知りませんがこんな私を見せてるのはお兄さんだけですし、翠ちゃんにはとても感謝してるんですから」

「感謝?」

「私中学では今お兄さんが見てる私のような性格だったんですよね。それでみんな怖がって友達いなくなっちゃって」

そりゃそうだな。脅迫少女だもん。

「そしたら友達との喋り方とか忘れちゃって、高校に入って誰とも会話できなかったんです。その時に強引だけど優しく接してくれたのが翠ちゃんです」

なるほどな。この子もただの裏表女子ってわけじゃないのか...翠に勧められたからとは言え、趣味を合わせる為にCDも買ってた訳だしほんとはいい子なんじゃ...

「なら、今後とも翠とは仲良くしてやってくれ」

「じゃあお兄さんも私となかよーくしてくださいねっ」

...やっぱ怖いなこの子。

「あれ?蒼くんじゃない」

ふとすれ違って声をかけられたのは...

「げ、沙夜姉」

「げ、ってなによ。うしろめたいこととかあるわけじゃ...ん?そのおぶってる子はだれ?」

「え、あ、その、翠の友達で――」

「は、初めまして、えと、坂倉千夏です。えと、お兄さんとはその...」

変わり身速いなっ!

「その...主従関係を...」

えぇぇぇぇぇぇぇ!何言っちゃってんのこの子ぉ!そんな言い方したら沙夜姉が...

「エ?ア、フーンソウナンダァ」

ほら絶対誤解しちゃってるってー。しかも悪い方に。

「ア、ソウダ、ワタシハヤクカエラナイトオコラレルカラ...」

「あ、待って!それ誤解だって!主人の方は俺じゃなくてこの子だから!」

この時、言い終わってから、俺はさらに状況を悪化させていることに気がついた...

「ご、ごめん!私帰るー!」

「さ、沙夜姉ぇーっ!」

ものすごい速さで走って行ってしまった...

「お兄さん、主従関係認めてくれたんですね♡じゃ、早く私の家まで行ってくださいね」

もうやだこの子ったら〜。――マジでまずいな



【秋月家・沙夜の部屋にて】

え、何主従関係って。主人とペットってこと?まさか...そういうプレイ!?そう言えばCDショップであの子いたわね。蒼くんがCD譲って優しくしてるようだったけど...はっ、これが俗に言うアメとムチっ!?あれ?でも蒼くんが、主人は女の子の方って言ってたから、蒼くんはペット?あーもうわかんない!まずそういうプレイするってことは、あの二人付き合ってるの?蒼くんに彼女が...そうかー、そう言う歳だもんな〜...


「あれ?なんで私、泣いてんだろ」



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