第1ゲーム③
『弁護士一家殺人事件で死刑確定の足立死刑囚が東京拘置所内で病死したことがわかりました――』
「最近、変な事件多いわねー」
朝のニュースを見ながら母が呟き、僕が無言でトーストをかじる。
母に叩き起こされ、まだ目の焦点が合っていない。結局あの後、事態が収拾するまで二十分かかった。二十分だぞ!二十分。遺跡ダンジョンの狩り場、計三カ所全部回れてしまう。
どんなゲームにも煩わしさがある。ゲームを愛する者として、それも含めて楽しむことは常に心がけているが、魔術や力がなくなったら現実世界と変わらないではないか。これが画面の中と外のプレイの違いなのだろうか
「全くもう、世間じゃ、こんなに事件起きてるのに、あんたはゲームばっかして」
「僕から言わせれば、世間の方が雑事に囚われている」
「そんな捻くれたこと言ってると、誰も嫁に来てくれないよ!? 桜ちゃん、今日ウチに泊まるけど。あんな良い子逃すんじゃないよ! 今のうちにやることやっときな!」
「なんで母さんの方が肉食系なんだよ」
「瀬戸さんにはもう許可とってるから! もう早く縁談まとめて貰わないと。決まったら、母親同士で旅行行こうって約束してるんだから」
なんという酷い母親達だ。父親達が両方とも単身赴任でいないといっても、限度がある。
別に桜がウチに泊まっても、泊らなくても、僕のやることは終わらない。後少しでレベルが上がるのだ。くだらない現実なんかに構っている暇はない。
時計を見て、学生服を着る。そろそろ時間だった。
ピンポンと玄関の呼び鈴がなる。マンショ運の真上の部屋、十六階に住む桜だ。ずっと続いている、いつもの習慣だ。
「ほら-! もう時間だよっ!?」
「わかったから、声量落としてくれ。耳元で叫ぶな」
朝からそのエネルギーは素直に感心する。
「馬鹿息子! さっき言ったこともう忘れてる!」
背後から足音が近づいて来て、母さんに頭を小突かれた。
「さっきのこと?」
「桜ちゃんが私の娘になってくれないかっていう話」
「そっそんなっ、お母さん、話が早いですって!」
人が靴紐を結ぶ頭上で、姦しい会話が交わされる。
どうせいつもと同じような会話が繰り返されるので、昨日のプレイを頭の中で復習する。
昨夜のデッキの組み立ては良かった。自分でも惚れ惚れする。それに収穫だったのは、特殊な装備品にも詠唱文があることを知ったことだ。遺跡ダンジョンの宝箱も馬鹿にならない。
次はパターンを覚えてボス狩りをやろうか。モンスターは一日放っておけば、復活するが。ボスはどうだろう。
新しいダンジョンはいつから攻略しようか。この世界を丸裸にする日も近い。まさに生きがいだった。
「今日、晩ご飯もウチに食べに来て良いからねっ」
「行きます行きます!」
もうそろそろかな。靴紐は既に結び終わっていた。タイミングを見計らって、立ち上がる。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、もう待ってよ」
今日も頑張るか。現実世界をただの作業のように淡淡とこなす。
「例の変な夢まだ見るのか」
「え!? なになに!? コーちゃん心配してくれるの!?」
「別にそういうわけじゃない、面倒事を限りなく減らしたいだけだ」
ホームルームが始まるまで、まだ時間があった。心配事を減らしたかった。その言葉に嘘はない。
「なんだ、そんな驚いた顔して」
「いや、久しぶりに目を合わせてくれたから……」
「はぁ、何を言っている? 朝食に変な物でも食べたんじゃないか。ん? ちょっとじっとしてろ」
何故か桜の目元が気になった。頭の隅にささくれのように既視感が引っ掛かっる。
「え? ええ? コーちゃん? なっ」
「動くな」
席を立って、顔を近づける。
ここじゃないどこかで見たことがある。些細なことは見逃せないタチだ。心にモヤモヤが広がる。なんだっけ――。
「近っ、近っ……。近い-!!」
「ぶへっ!」
ここ数ヶ月の中でも、渾身の一撃で殴られた。彼女のストレートはアゴを綺麗に掠めて、神経が刈り取られた。数十秒意識が混濁する。教室の床が温かい。
「……」
「ああ、ごめん! でもでも! コーちゃん、ごめん-!」
「……桜、頼むからその威力を弱めてくれ」
言い訳するのか、誤るのかはっきりしてほしい。
「……淡い水色」
「死ね!」
思い出したように日課を口走ってしまった。純粋な怒りの蹴りが飛んできた。
ああ、魔導郷じゃなくて、人生でゲームオーバーしそう。もうダメだ……。アカレコをクリアしたかったな……。
「はっ! 本当に死にかけた!」
「もう、馬鹿なこと言うからだよ」
汚れを叩いて、ヨロヨロと立ち上がり、席に着く。朝から体力ゲージは瀕死状態まで、あと一歩である。
「それで?」
「えっと……、コーちゃんが久しぶりに私を見てくれてね……、その……」
「違う。そっちじゃない。夢の方の話」
「え? そっち?」
何故か桜は頬を膨らませて、ぶっきらぼうに話し出した。
「昨日の夜もね。一瞬出てきたよ。話しかけてきた、ような気がする……。でも、その後、コーちゃんも出てきたから、悪い夢じゃなかった……よ?」
「なぜ疑問系なんだ。まぁ、ともかくなんともなかったんだな?」
「うん、今のところは」
「ならいい」
現実世界の不安要素についての言及はもう終わりだ。何しろやることがあるのだ。スマホを取り出して、『アカレコ』を開く。
今からやるのは楽しい楽しい、装備とデッキの整理だ。昨日の狩りの整理を、朝にやる。幸せな時間だった。昨日の結果を見ると笑いが止まらなくなる。
現実世界のアプリとデータがリンクしているのだ。昨日稼いだ、装備や素材、イェンまで、全て一致しているのだ。
これはあの世界が、どうしても画面の中の世界だと思ってしまう理由だった。
「ああ、またゲームしてる」
「いつも通りじゃないか」
「たまには画面の外を見てみてよ」
「やだ。そんなの煩わしい」
桜が横で喋るが、その声は次第に小さくなっていく。
ここでアカレコの魔法について解説しよう。
『アカシックレコード』では、プレイヤーはー十五の魔術を
魔術は最上位、上位、中位、低位の四段階に分類され、二つのタイプに分けられる。
一つ目は召喚術式。強力な精霊やモンスターを召喚して、使役することが出来る。本来はフィールドでのみしか使えないが、あの世界では都市内部でも使役することが出来る。
二つ目は精霊術式。アンデットを一掃する時に使った《浄化の陽光》がこれに含まれる。属性は七属性。火、水、雷、風、地、光、闇である。
簡単に言うと精霊を実現するか、力を借りるかの違いである。あの世界は目に見えない精霊によって成立する。精霊とは、世界の裏側の住人。確かそういう設定だった。
スマホでアカレコをして、授業が全て終わる。予備のバッテリーも使い切った。学校が終わっても、僕の一日はまだ終わらない。始まってすらいない。
ああ、それにしても早く遊びたい。
どんなゲームと比べても、あの世界は理想的だった。
僕に言わせれば、どのゲームも動きが遅すぎるのだ。そして、それ以上に自分の身体に運動能力がほとんどない。今動かしている指先ですら、自分の思考に追いついていない。
自分のイメージに、身体が追いついて、ストレス無しで動ける。どんなゲームでも感じていたもどかしさがないことが、失った翼を取り戻したように嬉しかったのである。
「コーちゃん、一緒に帰ろ。そのまま家に帰るんでしょ? 今日練習ないからさ。あっ、ちょっと付き合ってよ」
「えっ、やることがあるか――」
「どうせゲームでしょ! ほら! いこっ!」
桜に首根っこを掴まれて、ずるずると引きずられる。どうせゲームだとは失礼な。ゲームに僕の全てが詰まってるんだ! アカレコにはまり新作のゲームが積み重なっていく。それを消化しなければならなかった。
しかし、桜の腕っ節の強さは僕の五倍ある。いや、十人居ても勝てる自信がない。そのまま、暴走気味の飼い犬に引っ張られるように自転車置き場へ向かう。
「で、どこに連れて行く気なんだ?」
「先日、大会で良い成績を残してね。そのご褒美に行きたかったケーキ屋さんにねっ!」
「どうして僕も着いていかなきゃいけない。それに僕が甘い物苦手なの知ってるだろ」
「あそこのコーヒー美味しいから、お願いっ!」
桜の大きな瞳が潤んでいる。昔からどうもこの眼には弱かった。
「……いいよ、わかった」
「へへん、コーちゃんはなんだかんだ優しいよね」
桜に誘われない限り、一生行くことがないであろうケーキ屋に着いた。その外装を見るだけで頬がひきつる。ホイップクリームを見るだけで、暴力的なほどの甘さが蘇り、胃が痙攣しそうになる。
ケーキ屋に来てケーキを頼まないほどの世間知らずでもないので、レジの横に置いてあるクッキーを一緒に買う。桜はケーキを三つ注文してた。それを平らげる彼女を考えるだけで、胸焼けがしてしまう。
確かにコーヒーは美味しかった
「本当に昔からゲームばっかりして、ゲームするためのお金をゲームで稼いで、高校入ってからずっとゲームしてるじゃん」
「別に悪いことじゃないだろ」
「それはそうだけど、たまにはこうして外でやりたいことをしてさ」
「他人に押しつけるな。そういうのは自分で勝手にやるものだ。ゲームより大事になったら、いくらでも外に出てやる」
「……」
しまった、少し言い過ぎた。でも、ここはケーキ屋だ。拳は飛んでこないはず。
「馬鹿っ!! コーヒーに砂糖を入れるな!!」
甘ったるい砂漠の中で唯一のオアシスを失った。
結局、アカレコを始めることが出来たのは夜の十二時を超えてからだった。せいぜい二時間しかプレイできなさそうだ。予定では十時から始める予定だったのだが……。
体力馬鹿の桜は、なかなか寝なかった。僕は遠いケーキ屋に行っただけで、筋肉痛だというのに。
もしゲーム中に、桜が変な勘違いをして、ドツキ回されたら本当に戻ってこれなくなる。しかも、その可能性はかなり大きい。自らの生命の安全を確保するために、必死で彼女を寝かせようとした。
「ゲームへの愛を舐めるなよ? 既にケーキ屋から策略は始まっていたのだ。カフェインを一切とらせないように注意して、夕食をたらふく食べさせて、食後に安眠するためのホットミルクまで! しかし、なんだんだ! ミルクを渡した途端、急にテンション上げやがって!」
まだダンジョンボスの方がステータスを読みやすい。
「ともかく、ゲームだ!! アカレコだ!!」
今日一日は、このために生きてきた。いや、むしろこれまでが死んでいて、この時間だけ生きているのかもしれない。赤いスイッチを押すと、視界がホワイトアウトしていく。
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