第1ゲーム②


 五月のまぶしい日差しで干からびる。気分は五月病だった。

 自転車で通学して、およそ一五分、ここは都内にある私立あかつき高校。二年三組の教室は騒々しい。味のしないトーストで胃を膨らませて、眠気は最高潮に達して、全体重を机に預ける。


「コーちゃん、今日は遅かったから、先行っちゃったよ。また徹夜でゲームしたでしょ!」


 机に俯せの状態でこくりと頷く。

 声の主は瀬戸桜。綺麗に整えられた黒髪が肩先まで伸びている。一言で表すと体力馬鹿だ。そして、無限の胃袋を持っている。僕の三倍は食べるのに、ほっそりとしているのは、僕がそのうち解明したい謎の一つ。


 桜は同じマンショの真上の部屋に住んでいる、幼少時からお転婆な女の子であった。

 三歳の時に教育テレビを見ながらロックフェスの如くヘッドバンギングをおこない、階下の我が家にニューヨークの亡霊もビックリの大振動を引き起こし、桜の母親が階下の稲若家に謝りに来た時から縁がある。


 幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと一緒だ。そして、春の新学年からたまたま同じクラスになり、たまたま隣の席になる。

 つまらない。まったく驚きがない。新鮮味の欠片もない。

 仕方なく、パンツの柄を予想する。幼少期からしている朝のゲームである。


「ピンクと黒のストライプ!」

「だから、なんで知ってるの!」


 机に俯せの状態で上から拳が降ってきた。額が固い木版に打ち付けられて、意識が飛びかける。


 危うく死にかけたじゃないか。どうしてくれるんだと。顔をあげて無言で訴えたが、


「死ね!」


 純粋な悪意をぶつけられた。

 罵声と共に飛んでくる拳の殺傷力は格段に増した。高校に入ってから、少林寺に通い出したのだ。普段付き合っている僕の身にもなってほしい。そのうち彼女はきっと僕を殺すだろう。僕が被害者として、新聞の大見出しを飾る日も近い。


「殴られるようなことをする方が悪いんでしょ! ああもう、だから寝ないで! 聞きたいことあるの!」

「聞きたいこと? 一体何?」

「最近、マンションの周辺で事件あったでしょ」

「だから?」

「そ、その恐いなって」

「お休みなさい」

 

 なんだ、ノープロブレムじゃないか。虚弱体質の僕より彼女の方がよっぽど強い。そんなこと些末な事柄だった。机に突っ伏そうとして、頭をゆっくり下ろすと、こめかみを弾丸のように拳が貫いた。

 

「コーちゃん酷い! これでもか弱い女の子なんだよ。最近、ちょっと気になることあってさ、なんか付けられてる気がするんだよね……」


 か弱い女の子はこんな強力なパンチを打ちません。僕の方がか弱い。現実世界なら。でも、桜の不安そうな顔を見て、流石に僕も気になった。


「いつからだ?」

「ここ数日かな……。事件の報道があった翌日からね。確信があるわけじゃないんだけど、特に夜中なんだよね。というか、寝てる間の夢? なの……」

「夢?」

「うん、夢の中。誰かにじろじろ見られているっていうか」

「誰かに相談は?」

「ううん、できないよ。だって、なんて言えば良いのか」


 例の事件というのは、この市内で起きた連続婦女暴行強盗事件のことである。犯人はまだ逃走中。被害者の五人女性は意識不明の重体。どの被害者も意識がはっきりしていないため、犯人の情報が全く掴めていないらしい。


「あとね。私のママさ。明後日出張なんだ、それでもう恐くなっちゃってさ。コーちゃんとこ泊めてくれないかなって」

「わかった。母さんに聞いてみる」

「うん、おばさんに聞いてみて、ママもコーちゃんとこなら別に良いって」


 桜が泊るならアカレコの時間をどうするか。さっさと早く寝かして、二時間、いや三時間できるか。街が活気づくのは十時頃から、だから――


「馬鹿っ」


 考え事をしていると、固い拳が飛んできた。


「何で殴るんだっ!? お前! 殺す気かっ!?」

「だって、今、イヤらしいこと想像したでしょっ!?」


 理不尽だ。桜は感情的で脳と筋肉が直結していた。しかし、一体こいつは何を言っている?


 

 授業が始まっても、心ここにあらずの状態が続く。心はもう、魔導郷ソフィアにあった。みんなが寝静まった頃に活気づく。あの世界は、今は寝静まっている。この時間に行っても、ギルドは開いてないし、城壁の外へ出られない。


「あー、早く学校終わらないかな」


 教科書の影で、アカレコを起動して、日課のランク戦を始めた。



 四月下旬のアップデート。

 そこから全てが始まった。ファイルの容量がやけに大きかったのを覚えている。開くと、ホーム画面の隅に『お知らせ』のメッセージが届いていた。

 

『アカシックレコ―ド運営事務局です。《アカシックレコード》のダウンロード数が一千二百万ダウンロードを突破いたしました。ご利用いただいております皆様に心より感謝を申し上げます。その中でも、ランキング百位以内のプレイヤーの方に特別なモードを実装いたしました。今後とも《アカシックレコード》をよろしくお願いいたします』


 配信が開始されてから、日課としてプレイしていたゲームの一つだった。そして、僕はゲームを愛している。故に、ランキングはとっくの昔に百位以内だった。


 ホーム画面のメニューの中に赤いボタンが増えている。

 フィールド、バトル、アリーナ、装備、ショップ、そして、深い赤のボタン。余りにも赤く、何も書かれていない。自爆スイッチのように思えてしまう。

 その日から、幸福な日々が始まったのである。




「今日もお疲れ! 非常に良いペースで、お姉さん涙が出ちゃう」

「僕もノアさんがちゃんと仕事をこなせるようになって、涙が出そうです」

「あー、ひっどい! ノアさんは遅咲きなんですー!」


 魔術師組合のノアさんは良く喋る。始めて会った時は、自己紹介だけで、その日が終わってしまった。そして、その仕事能力は非常に怪しい。ノアさんは人命に関わる仕事に就いてはいけない人種である。この人の仕事の発注ミスで何度も死にかけた。ドジっ子では済まされない。

 今、攻略しているダンジョンも慣れない頃に送り出されて、死にかけた。死ぬともう遊べなくなるらしく、本当に危なかった。


「はい、今日の戦果は送ったよ。早くレベル上がって欲しいね。私とアッ君の未来の為にね!」


 専属のノアさんは、僕の成績が大きく影響するらしい。ギルドのポスト争いも大変なんだそうだ。


 帰り道だった。街を見るとしみじみと思ってしまう。


「しかし、よく作り込んでるよな……」

 

 取り過ぎる通行人。全てに名前があって、この町での役割がある。

 この城壁都市アルバは、RPGの街としては余りにも巨大だった。端から端まで、馬車を利用しても数十分掛る。


 これが現代のテクノロジーで表現出来ないことには、うすうす勘づいている。ただのアプリでは無理、あり得ない。

 でも、どうでも良い。大事なのはそこじゃない。これがゲームであるか、どうかだ。


 子供の頃からゲームを遊び尽くしてきた。将棋、チェスなんかのボードゲームから始まり、これまでに発売されているゲームを片っ端からやり尽くして、味わい尽くして、極めることを繰り返してきた。


 現実世界で何も出来ない僕の大事な一部が『ゲーム』だった。

 そして、この新しく実装されたモードは、これまでに経験したことのない、初めての自分に会えた。


 この世界なら何でも出来た。そして、それを限りなく実感できる。

 興味深いのは、画面の外では出来ない『応用』がきいたことだ。不可能を可能にするほどに。

 元の世界では、攻撃用でしかなかった魔術を利用すれば何でもできる。一つの魔法の特製を理解すれば、防御、移動など様々な手段になる。それが楽しくて堪らない。


 駆け足で自室に向かっていると、アパートの前にある導具屋に人だかりが出来ていた。


「?」


 雰囲気がいつもと違う。気になってしまったら、どうしても確認しなければ安心できない。人ごみをかき分けて、店内を覗き込む。


「こんにちは-。どうしたんですか?」

「ああ、アレク君! いやちょっと変なお客さんが来てね……」


 看板娘のキルシュは怯えた顔をしていた。


「うがあああーー!!!」


 咆吼をあげて、店の奥から筋肉の塊のような熊が出てきた。人であるらしい。導具屋の店主、キルシュの父親、アーノルドである。この毛むくじゃらが、キルシュの親だと聞いて驚いた。今でも信じていない。


 親父さんは怒りに染まっていた。導具屋にしては過剰な胸筋がびくびくと震え、手に持っている鉄のフライパンがホットドックのように折り曲げられていた。


「落ち着いて下さい」

「落ち着いていられるかっ!!」

「へ!?」


 恐ろしいほど太い両腕が僕の襟を掴み取り、そのままバトンのように振り回された。出来ていた人ごみがその怒気に蹴落とされて、後ずさる


「あのっ、あの野郎! 俺の娘をっ! いくらですかと聞いてきやがったっ! ウチは娼館じゃっ! ねえんだっ!」


 くっ首が抜ける!?


「おっお父さん、止めて! アレク君が死んじゃう! お父さん!」


 こんな所で危うくゲームオーバーになるところだった。キルシュが止めてくれなければ、窒息死していた。ダンジョンであれだけ走り回ってなんともなかったのに、息が切れる。


「すっすまねえ。アレクの坊主。大丈夫か?」

「なんとか、一体どうしたんです?」

「それがっ! ああ! 腹立つ! 数日前からちょっかい出しやがってっ!!」


 まだ怒りは収まっていないようで、二つ折りにされたフライパンが、また二つ折りになる。このままでは八つ当たりで人が死にかけない。キルシュが必死になだめ続けていた。

 事情を聞くと、店先にいた野次馬が教えてくれた。


「さっきね、緑色のローブの変な男が来てさ。執拗にキルシュちゃんに話しかけてたんだよ。仕舞いには持っている金貨を見せて、買うとか何とか言ってる所に、親父さんが飛び出してきてさ。一発殴られたら、腰抜かして一目散に逃げちまいやがった。ざまあないね。最近つけ回してたらしいし。ああ、それと……」

「それと?」

「そいつ、君と同じ魔術師だったよ?」

「え!? それは本当ですか?」

「本当だよ。だって、君と同じ魔導書を持ってたよ」


 この魔導書は、選ばれた者に与えられたという設定である。

 まさか、プレイヤーなのだろうか。現実世界の住人とまだ会ったことがない。


「アレクの小僧! 魔術師はあんなのばっかりか!?」

「お父さん! アレク君は違うって!」

「馬鹿野郎! まだ近所に引っ越してきてから、一月も過ぎてねえじゃねえか!」

「違うって! 私にはわかるもん!」

「おっお前まさかっ!?」


 言い争いをしている娘から僕に、血に飢えた猛獣のような視線が移る。その熱視線で火傷しそうだ。


「俺の娘をたぶらかしたのかー!?」

「違います!!」


 今日も現実世界に戻るまで余計な時間がかかってしまうのだろう。自室で装備の確認や報酬、アイテムの整理がしたかったが、無理そうだ。

 魔導郷では、徒労に終わるイベントが多々あった。そこは現実世界と似ている。

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