磁蝉と添音が防ぐもの
セムの体を引き抜いたユウは、肩で息をしていた。セムの衣装、特に虎と言ったら虎に失礼なあの毛皮が枝のあちこちに引っ掛かって、ユウも何度も茂みに潜り込まなければならなかったからだ。
それなのに、傷一つ付いてないとは、あの毛皮はどういう耐久力をしているんだ。
「まったくー。つーが変な道を通るからだぞ」
「なによー。ねーやんが歩くのいやがると思って、近道してあげたんでしょーがー」
そして二人は
「んで、どこに行けばいいんだよ?」
「ちょっと待って。今、慣れ足呼ぶから」
ユウが瞼を降ろして、聞き耳を立てるように、意識を森に溶かして広めて行く。
そのユウの意識に触れて、遠くで慣れ足が意識を返したのが伝わる。
「ん。今来るって」
[自分の森なのに、道案内いないと歩けないんかい]
[そもそも、魔女の恋人は《バンシー》の存在すら知らなかったんだぞ]
[危険物の管理はちゃんとしろくださいwww]
ユウがコメントを無視して欠伸をしている間、その視界の外では巧がフュリアとコミュニケーションを取り損ねてじっと見詰めている。
「にじょが不審者。さすがロリコン」
「少年少女は見守るべきものです」
巧、そこで生真面目な顔をするな。
「やーほー。母様、呼んだー?」
がさがさと木の葉を鳴らしながら、慣れ足が姿を現した。
「よーんーだー。ねぇ、慣れ足、《バンシー》って知ってるー?」
「え」
《バンシー》の名前を聞いた瞬間に、慣れ足がぴたりと表情を止めた。
「え? え?」
それから動作を再開した慣れ足の未言巫女は、ユウ以外の面々を順番に見る。特に慣れ足からしたら見知らぬ少女であるフュリアに対して、まじまじと見て不安を顔に浮かべた。
「え、みんなで行く気?」
「そだけど」
慣れ足の様子に、ユウはきょとんとする。
何やら、ここでも認識の違いがあるようだ。
「はい。行くのは、まず母様だけがいいと思います」
「そなの?」
姿勢正しく右手を挙げて提案をする慣れ足に、ユウは頭に浮かべたはてなの重さで首を傾けた。
ユウはフュリアを振り返った。
《バンシー》に会いたいと言ったのはその少女だから、その意志を尊重しようとしているのだ。
もしフュリアが、それでも自分も行くと伝えたなら、ユウはそれを許しただろう。
「わたしは、まじょの恋人様を信じます」
しかし、フュリアはユウを信じて託した。
ユウは一つ頷き、セムと巧に視線を向ける。
「二人とも、フュリアちゃんを家まで連れて行って、待っててくれる?」
「はいよ」
「店主様も、お気をつけてくださいましね」
セムはあっけからんと答え、巧はユウを心配するが、二人ともユウのお願いをそのまま聞き入れた。
巧が、フュリアと手を繋ぐ。
その二つの手を見て、ユウは口許を引き攣らせた。
「ねーやん、そこのわん娘、かなりの方向音痴だから、絶対に前を歩かせてはダメよ」
「えー」
ユウの多大な不安に対し、巧が珍しく不満そうに声を上げた。
「えー、じゃない」
「わふぅ」
「てか、お前、この森でどうやって迷わずに進めって言うんだよ」
緩んだ空気を流すユウと巧の間に、セムが正論を差し込んだ。
ユウは慣れ足の未言巫女に視線を向けて、じっと見詰める。
「いや、私は別にそっちの道案内でもいいんだけど、母様はどうするの?」
「ま、どうにかなるでしょ」
ユウの返事は、字面だけ見れば何の対策も無い楽観に過ぎる意見に思える。
だが、ユウが【ストレージ】から《魔蜂》を放出して纏っている現実の姿を見れば、それは確かな自信による言葉だと誰もが納得するだろう。
[それはそれとして、自分の領域なのに《魔蜂》の広域索敵使わないと道わからないんかい]
[紡岐さんも方向音痴ですからね]
[どや顔の癖に他力本願とか草生えるわ]
まぁ、手段はさておき。
ユウは《バンシー》の元へ迎い、巧とセムはフュリアを連れて魔女の家で待つ体制は、確かに整った。
他の面々と別れたユウは、《魔蜂》の誘導に従い、進む先の木を退かしながら、悠々と歩く。
こうなると、何時もの散歩と何ら変わらない。
ユウも鼻歌混じりでいるから、緊張感の欠片も無い。
しかし、それも《魔蜂》が集結している場所迄来れば、ユウも顔を引き締めた。
《バンシー》がいるのは、更に足を踏み入れた先になるようだが、《魔蜂》は一匹としてある一線を越えようとしない。
「うみ?
そしてユウはまだその地点がやっと見える位の距離にいながら、
ユウが左目を
すると、木々の枝に立ち、葉に隠れる森の精霊達が無数に視界に現れて。
そしてその中に未言未子が一言もいないのを、ユウはすぐに悟って顔を顰める。
ユウがそのまま、《魔蜂》が進まない境界へ向かえば、《魔蜂》達は次々とユウの【ストレージ】へと還って行った。
「いた。……うみ?」
ユウは木の枝に立つ磁蝉ともう一言の未言巫女を見付けた。
そちらの未言巫女は、聖歌隊のように白地に金の刺繍が入ったガウンで体を包み、頭には白いベレー帽をちょこんと乗せている。
そして磁蝉と揃って、喉を震わせて、その声を境界の向こうへと送っていた。
音をその意味として含んでいる未言巫女達の声は、指向性を完全に制御されていて、此方には殆んど音が漏れて来なかった。
「え、
[待て、なんだ、音響兵器って]
[いきなり不穏な言葉を放ったけと、ソオトってどんなとんでも未言だよ]
[添音は、音と音の重なりで発生する音ですねー]
[なんぞ、それ]
[今、未言屋ホームページで確認してきた。これはコピペの文章だよ。
添音(そほと)
倍音、天使の声と呼ばれる音のことで、合奏や合唱の中で聞こえる、どの演奏者の音でも、どの歌い手の声でもない音。
音楽が奏でられる空間に、妙なる美しき麗しき音が寄り添う。]
[解析くん、グッジョブ]
[倍音のことなのね。うん、確かにしっくり来るかも。添音、ね]
倍音。合唱の中で、天使の声と語り継がれて来た現象でもある。ある高さの音は、その中に波長の数を整数倍した音が隠されている。合唱や合奏ではその隠された整数倍の基音よりも高い音が、聴かれていた。もしくは一つの楽器でも倍音を増幅する事で高音を奏でる物もある。
添音とは、本来出そうとした音に、寄り添い響く音の事なのだ。
その為、添音の未言巫女には、音を根元にする力を増幅する能力が備わっている。
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