嘆き噎ぶ《バンシー》
「……え、母様? ちょっと、なにしに来たの? 散歩ならよそに行ってくれない?」
それが、相手を心配しての態度だと知っているユウは、にんまりと口の端を上げる。
「いや、その顔すごいむかつくんですけど?」
対して、磁蝉は心底嫌そうに顔を歪めた。
その間も磁蝉の声が響いているのは、彼女のモチーフの一つである蝉が、喉ではなく羽根を擦り合わせて声を発生させるからだ。
磁蝉と違い、力を使うのに喉という発声器官を使わなければならない
「いや、散歩じゃなくてね。向こうにいるのが《バンシー》なら、会いたいんだけどさ」
ユウが用事を伝えると、磁蝉は睨むように目を細めた。染めたように明るい茶色のサイドテールが、不機嫌な尻尾のように跳ねる。
「あ、いるんだ」
磁蝉が分かり易く不機嫌になるものだから、ユウは目的の者がこの奥にいるのを直ぐに悟った。
「あ、ちょっ」
そして磁蝉が制止に伸ばした腕を見もせずに、すたすたと奥へと足を向ける。
添音の方も、不安そうな顔をユウに向けるものだから、ユウはにへらと笑って、ひらひらと手を振る。その表情と仕草を見て、安心する者はそういないと思うぞ。
指向性を持ち、添音に増幅された磁蝉の声が、耳鳴りを掻き立てる。
耐性の無い者なら鳥肌が立つだろうが、ユウはむしろ心地好さそうに耳を欹てている。
そして直ぐに、ユウはその境界を目の当たりにした。
《魔女》の育てた《迷いの森》は、木々の伸長と枯死が絶え間無く繰り返される事により、常に空間を変化させて内にいる者を迷わせる森だ。
その境界の中でも、《迷いの森》は木々を芽吹かせようとして、そして発芽の瞬間に真っ黒に染まって、消しゴムを掛けられたように消え去った。
綺麗な円を描いた空白の中心には、寡婦のように灰色のマントをくすんだ緑の服の上に羽織り、黒いレースのヴェールで顔を覆った美女が嘆いているのが見える。
だが、その嘆きは見えるだけだ。喉を振り絞り喚いているのも、涙も涸れ果てて炎のように赤く血走った瞳も、その痛ましさを見せ付けるが、磁蝉の声が耳を劈いて、明らかに大きいその嘆き声を相殺してほんの少しも聞こえなくしている。
ユウはその磁蝉の声が輪唱する位置で足を止めた。
何故なら、あの嘆きを聞いた瞬間に、死ぬと解っているからだ。
[うわ、あれ、即死エフェクトじゃねーか]
[即死? さすがバンシーのアーキタイプだな]
[え、でも即死とかユウちゃんなら抵抗しそうじゃない? 魔女だよ? ユウちゃんだよ?]
[あぁ、他のゲームと違ってな、このゲームの即死は即死効果の確率だけで発動して、他のどんなものでも影響受けないんだよ]
[え]
[はい?]
[ちょ、ま、それ、強すぎね?]
[しつもーん。それってボスも即死するってこと?]
[する。てか、何回かボスを【即死】させてベータテストをクリアしてきた]
[それやばくね?]
【即死】という状態異常や効果を設定するゲームは多いが、その殆んどはボス等の重要なキャラクターに対して即死無効の設定をして来た。
しかし、コメントでベータテスターの一人が語った通り、この『クリエイティブ・プレイ・オンライン』の【即死】はそれを発動する効果に設定された確率だけを基準としている。軽減する方法は無くは無いが限り無く少ない。対象の
《バンシー》の発揮する【即死】確率は、その声量で変化するが、あれだけ強い嘆きであれば、音に触れた者には百パーセントの【即死】効果を与えるに違いない。
ユウは《バンシー》に目を向けながら、黙って不満そうな顔をしている。
「このままだと、話なんか聞かなさそうね」
そんな呟きと共に、ユウは《聖域》の水を周囲に呼び出した。
《聖域》は何時もの通りに滑らかに素早く伸びて、《バンシー》へと向かい。
《バンシー》の声に震えた瞬間に真っ黒に染まって、端から消えた。
「に」
ユウが特に意味を持たない鳴き声を出して、戸惑いと驚きを表現する。
《バンシー》の【即死】効果は強力だ。其れが《ブレス》や《レリック》であっても、生者から発生したものであるなら、【即死】させるのだ。
「ルル」
ユウがぽそりと呼んだ声に、影に潜んでいた《流転する
影衣は、《バンシー》の声が響く境界の中へと侵入し、しかしその嘆きに震える事も無く、そのまま伸長を続けた。
そして《バンシー》の口に巻き付き、その声を封じる。
《バンシー》の真っ赤に泣き腫らした目が大きく見開かれた。
[届いた!?]
[いや、チートかよ]
[なるほど。ナゼラ・ルルは、生まれる前に討伐されて《レリック》になったから、生き物じゃないって理屈か。遥ちゃんらしいね]
すっかり、頓知で抜け穴をぶち抜いて行くユウのプレイスタイルが確立しつつあるな。もっと正攻法で攻略出来んのか、こやつは。
ユウは、《異端魔箒》に跨がり、《バンシー》へと翔ぶ。
「わたしの話を聴けぇ!」
ユウが怒鳴り付ければ、《バンシー》がユウを見付けて瞳孔を広げる。
《バンシー》の愛鏡に、魔女の箒に乗るユウの姿が大きくなって行く。
マフラーのように巻き付いたルルの下で、《バンシー》の喉が
危機を察知して、ユウが目を見開く。
張り裂けそうな《バンシー》の嘆きが、ナゼラ・ルルを劈いて破り、びりびりと空気を恐慌させる。
ユウの唇が、未言を告げるよりも早く、《バンシー》のあらゆる生物と無生物の絶叫を混ぜ合わせたような悲嘆が、ユウの体を呑み込んだ。
ユウの姿が、フィルムを剥がされたみたいに、純粋なる黒に塗り替えられる。
【即死】の判定が確定で起こり、【魔女】であるユウは死んだ。
《風虫!》
そしてユウは必死の叫びを張り上げた。
つるりと、脱皮するように黒のフォルムが剥がれ落ち、〈化け猫〉の姿のユウが転がった。
ざわざわと、森の梢で風虫が騒ぎ、ブレザーとタータンチェックのスカートを着込んだ未言巫女がユウと《バンシー》の間に足を着けた。
《バンシー》が再び、口を大きく開け喉の奈落を見せた。
磁蝉がサイドテールを揺らし、添音がベレー帽を押さえて、風虫に並び立つ。
《バンシー》が咆哮する悲哀に、添音に依って増幅された風虫と磁蝉の声がぶつかり、衝撃を錐揉みながら相殺する。
「こんのっ、バカ親ぁ!? 余計なことすんじゃないわよ!!」
「母様、逃げて」
磁蝉の叱責と風虫の指示を、添音も声の向きが
しゅるりと、《流転する影衣》がユウの影に逃げ帰って来たのを見届けて、ユウは小さな体を反転させる。
一歩目の跳躍と共に、仔猫へと形を変えて、ユウが全力で疾走する。
三言の未言巫女達は、ユウの背後を護るように宙を滑ってその位置取りを維持している。
「だぁあっ!? しぬしぬしぬしぬ!」
[死ぬっていうか、いっぺん死んでるんだけどな]
[魔女の恋人も殺すとか、バンシーやべぇな]
[対魔王戦では、即死効果持ちを集めるべきなんだな]
[ざんねん。《ブレス》以外のプレイアブルな即死は、よくて0.001パーのくそ仕様なんだな、これが]
[うわ、使えなーい]
緊張感が一気に失くなったな。
しかし、ユウがこれまでに無く、危機を迎えているのは確かだ。
未言巫女達も、《バンシー》の声量を抑えるのに苦悶の表情を浮かべている。
そして今、《バンシー》が大きく息を吸い込んだ。
「やばっ!? 母様、妖すを、早く!」
磁蝉の焦った声に、ユウは何があったのかと、《妖す》を使うよりも前に振り返ってしまった。
涸れた筈の涙で、たっぷりと
それは、未言巫女達を纏めて吹き飛ばした上で、自分も蹂躙するだろうと、ユウは悟る。
《バンシー》の唇が開くのが、酷くゆっくりに見えた。
風虫の未言巫女は、両手を広げて、母親や妹の盾になろうとして。
磁蝉はユウの体を抱いて守ろうと腕を伸ばし。
添音は決死の顔で、肺に空気を満たし。
それは、コマ送りの隙間に後から書き加えられたかのように、《バンシー》の前に立っていた。
それはどの未言巫女よりもユウに似ていて、一つの感情も表情に見せ無い。
左手に提げた刀の柄を、右手で握り、鯉口を切る。
それは、《バンシー》の声に震え出す空気を、一太刀で斬り裂いた。
空気が失われた空間に、無音の静寂が差し込まれる。
一拍。
それは《バンシー》が今一度驚愕して、意識を凍り付かせるに足りる、たった一念の神業だった。
何故、それが、そのような所業を成せたのか。
そんなものは、問うのも愚かしい。
ユウが、己が守護者の到来を認識するよりも前に、先行思考されていた《妖す》の発動が優先される。
全てが立ち去った後には、ほろほろと涙を溢す《バンシー》だけが取り残され、その呻きが僅かずつ、周囲の《眞森》の命を【即死】させて行った。
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