《聖域》に挑む者達

 ユウは、《異端魔箒》に跨がって翔んだ。普段泣き喚く加速よりもさらにはやく翔びながらも、その目は一粒の涙も浮かべず、冬の凍り付いた青空のように冴えている。

 ユウは、《聖域》の結界が揺らいだ時、この山に棲む動物達が何れも同じ方向から――ユウの背後から来ている事に気付いた。

 それは逃走だ。

 だからユウは山肌を這う黄金の蛇や、木の枝から枝へと自分の身を放り投げるハヌマーンや、空を真っ直ぐに貫く矢のように見える魚達と擦れ違いながら、其れ等の進路とは逆を辿って翔んでいた。

 やがて、其処はユウの目に映る。

 十人前後のプレイヤー達が、間断置かずに攻勢を仕掛けていた。

 防ぐ壁の一枚は、《聖域》の障壁であり、沈黙し不動のままにプレイヤー達の攻撃を受けて耐えている。

 さらにもう一つ、プレイヤーに相対する存在がいた。茶が勝った緋色の毛に全身が覆われたその巨躯からは想像出来ない素早さで、プレイヤーの攻撃を避け、逞しい前足で弾き、相手の隙を狙って攻撃に転じている。

 それはひぐまだった。その体はプレイヤー達の身長を優に越える程に高く、岩に見紛う程に筋肉が隆々と発達し、毛並みは夜に焚かれた篝火のように美しい。

「今! 一斉攻撃!」

 プレイヤーのリーダーらしき男が叫ぶと同時、プレイヤー達は息を揃えて武器を構えて、羆に向けた。その武器から迸る闘気は、羆への必殺の気配をユウにも伝えてくる。

「やめてっ!」

 咄嗟に、ユウが悲鳴を上げた。

 その金切声は大気を裂き、〈言霊〉と成って、プレイヤー達全てを硬直させた。

 その一瞬の隙を突いて、羆は包囲網から脱兎する。

 その羆を守るように、ユウはプレイヤー達との間に割って入った。

 ユウの割り込みに、彼方は警戒しているようで、〈言霊〉の硬直が解けても攻撃に移らず、じりじりと寄り集まって陣形を整えていた。

「PKか?」

「……見たことないぞ。レベルも高そうだ」

「どっかで見覚えある気が……」

「あっ」

[あ、勘違いされとる]

[ま、しゃーないわな]

 そして警戒されているユウはと言うと。

「かしこさん、かしこさん」

「ん?」

「考えなしで突っ込んでしまったけど、これからどうしよう……」

 まぁ、そんな事だろうとは思っていた。

[ちょ、まっw]

[めっちゃ勇んで乱入したのになに言ってんの(笑)]

[安定の遥ちゃんである]

 相手も相手で、動きのないユウを不気味に思っているのか、お互いの顔を見合わせながら、攻めるか引くか決めかねているようだ。

 羆の方も、防戦意識が強いのか、ユウの背後で二つの勢力の様子を伺いながら息を整えていた。

「……あ。フード付きのローブ着て箒乗った魔女って、もしかして、あれ、魔女の恋人じゃないか?」

「え、うそ、ラスボス?」

「ちょっと!? それは風評被害ですよ!?」

 向こうにも、私の配信動画を見ていたプレイヤーがいたようで、ユウの正体に思い至ったようだ。

 ユウが反論するものの、相手のチーム内にざわめきが波打っている。

 その潮騒のような内輪話で雑然としている中で、攻撃の音頭を取っていたリーダーが一歩前に出た。

「おい! お前は魔女の恋人、紡岐遥なのか!?」

 お互いの距離を押し潰すようにして、大声がユウに投げ掛けられた。

「そうですけど……」

 それに対してユウは、微風そよかぜでも吹き飛ばされそうな小さな声で返した。

 これは相手に聞こえているのだろうか。すこぶる不安だ。

「何故、俺達の邪魔をする!」

 ユウの呟きが聞こえたのかどうか、相手は詰問を重ねた。

 ユウの肌が総毛立つ。

 ぶるりと体を震わせて、きゅっと瞳孔を収縮させた。

 ユウの中で、激しい感情が焚き上げているのが計測されているのに、ユウは何も言わない。

 言えない。ユウは、激情や信条をこそ、口に出せずに唯々、秘留ひとめるしか出来ない。そういう自我を、性格を、性質を抱えていた。

 剣呑な気配を立ち上らせながら押し黙るユウに対して、相手のリーダーも態度を決めかねて腰に差した剣の柄を爪で引っ掻いている。

 その相手の苛つきを感じ取って、ユウの影に潜んでいたナゼラ・ルルが地面から影刃を生やす。

「ルル、落ち着いて」

 ユウに窘められて、《流転する影衣かげえ》は刃の姿のまま、地面に這いつくばった。

 お互いへの不信が、何か切っ掛けさえあれば戦闘へと爆発する状況だった。

 その中を、相手のプレイヤーチームの奥から一人の人物が前へと足を進めて来た。

「リーダー」

 呼び掛けられたリーダーは、最低限の動きで目線を前へ出て来た彼へと送る。体の正中はユウに向き、その姿が視界からフレーズアウトしないように視線を保っている辺り、相手の警戒具合が良く分かる。

「あ」

 そして、ユウもその人物に気付いた。デミ・リヴァイアサンの攻撃からユウを護ったあの彼だった。

 今は、左手に盾を、右手に槍を握り、装備も充実して来たようだ。

「別に今日明日で攻略しなきゃいけない訳でもないんだ。ここは撤退したらどうだ? 相手も整理が付いてないみたいだぞ」

 彼の進言に、リーダーは目を鋭くした。

「彼女は公式で動画を配信してるんだろ? この場所と狩り場としての旨みがバレた。他のプレイヤー達が殺到するかもしれん。早く攻略するのに越したことはない」

 リーダーの言う事も最もだ。

 昔から大勢のプレイヤーが同時に参加するゲームでは、ゲーム内資源はプレイヤーの取り合い、早い者勝ち、取った者勝ちだ。

 PKも、そのゲームで強い装備を作れる素材を奪う為に行われる事も多い。

 この《聖域》では、他のエリアでは殆どエンカウントしないような生物が多数固まって生息しているのだから、プレイヤーにとっては正しく宝の山だろう。

「どうかな?」

 そんなリーダーの懸念に対して、盾と槍をだらりと下げて戦う気を全く見せない彼が、ユウに目線を送った。

「俺達と今すぐやり合う決心はなさそうだけど、この場所は守りたいって思ってるんじゃないかな。自然や動物が好きみたいだし。なぁ、この山の生き物を狩ろうとする奴が出たら、君はどうする?」

 彼に自分の意思を問われて、ユウはびくりと肩を跳ねさせた。

「えぇ……? ん、あぅ……」

 ユウは見るからに困った様子で言葉を詰まらせ、視線を彷徨わせる。それで、視線が羆に行き着くと、じっと彼女を見詰めた。

 羆は静かに瞳を返すだけだったが、ユウは渇いた喉を、ごくりと鳴らした。

 瞼を閉じ、プレイヤー達に顔を向けて、ぱちりと開けた。

「無闇に、自分達の都合だけで、平穏に生きているこの場所の命を奪うなら、帰ってもらいます」

 ユウが悪逆と感じる行為への潜在する怒りを感じ取って、影衣が震えて波立った。その身震いは地面を揺らし、向こうのプレイヤーの何人かがたたらを踏む。

「多分、そこらのプレイヤーなら壊滅させるんじゃないかな」

「それは、俺達に取ってもこの上ない障害にならないか?」

 彼は予想通りだと自慢し、リーダーは辟易としている。

[壊滅で済めばいいけどな]

[本気出したら蹂躙出来そう。そして頭に血が上るだろうから、制御してなさそう]

[遥ちゃんのブチギレこえーからな]

[魔王の怒りに触れてはいけない]

「紡岐さんはっ! いいこ! ですよ!」

「ほら、視聴者なんかこの反応だ。むしろ他のプレイヤーも近付かないんじゃないか?」

「……一理ある」

 彼が開いていた私の配信動画をリーダーに見せて、ユウがどんな扱いを受けているか見せていた。リーダーもそれで神妙な顔付きで頷いている。

「おい、魔女の恋人」

「ひゃい!?」

 声を掛けられただけで怯え過ぎだ。

[ビビりすぎw]

[この脅威度と自身のなさのギャップこそ、遥ちゃんのかわいいポイント]

[わかる]

[だよな]

[完全に同意]

 視聴者達の歪な好感度はさて置き。

 リーダー格の男はユウに言葉を投げ掛けて来た。

「今日は引き下がるが、明日はまた攻略を再開する! やり合うでもこっちは全然構わねぇが、お前もどうするのか決めておけ!」

 リーダーは一方的に告げて、自分のチーム達に手を振って撤退を伝えた。

「なんで、フルールじゃないのに襲うんですか!?」

 これで相手がもういなくなると悟り、ユウは慌てて一つの疑問をぶつけた。

 リーダーはユウに振り返り、子供を泣かせて困ったような顔をする。

「俺達にとっちゃ、同じだ。フルールってやつも、他のモンスターも。倒して経験値とドロップ品が手に入る」

「フルール以外は、素材は自分で解体して剥ぎ取る必要があるけどね」

「そんなとこ、今はどうでもいいだろ」

 リーダーは茶化して来た彼の頭を軽くどつき、止めた足をまた動かした。

「ほら、撤収だ、帰んぞ!」

「おー!」

 リーダーに元気良く返事するチームメンバー達だったが、その内の何人かがユウの方へ駆け寄って来た。

 ぴょんぴょん跳ねて来た小柄な男の子が、驚いて反応出来ずにいたユウの手を取って握手する。

「わー! ほんとの魔女の恋人さんだー! ぼく、ファンなんですよー!」

「ふぇ、あぅっ……!?」

 戸惑うユウが私に助けを求めて見て来るが、完全に好意に因るものだから放って置くとしよう。少しは人に慣れれ。

「未言ってキレイですよね! 好きです!」

「本物だー! 《ラタトスク》倒した時は痛快でした!」

「ルル好きなんですよ、もし明日相手してくれるなら、たくさん使ってくださいっ」

「ふぁ、な、うぅ……」

 知らない相手に取り囲まれて、ユウの思考はとっくに停止していた。これはその内、気絶するか泣き出すかも知れないな。

「お前ら!? 帰るっつってんだろ!? 人に迷惑かけんな!」

「自分に人気ないからって、拗ねんなよ、リーダー」

「よし、お前ら叩き切ってやる、そこに直れ」

「やべ、リーダーが剣を抜いた」

「それじゃ、ユウちゃん、明日よろしく」

「まったねー!」

 ユウが臨界を迎える前に、刃を抜いたリーダーから逃れる為に彼等はユウから離れて方々に逃げて行った。

 そのまま、嵐のように騒がしく過ぎ去って行く一団を、ユウは茫然と見送る。

 そして、塊をのんびりと見守って一人遅れていた彼が、これで終わりだよ、と言うようにひらひらと手を振って来た。

 ユウは殆ど反射で、力なく手を振り返す。

 それを見て微笑んでから、彼はのんびりと自分の仲間達の跡を追って、歩いて行った。

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