《聖域》

 この辺りは山の中腹で、木々が密集しているのもあって、他のメンバーは直ぐに見えなくなった。

 ユウは秋ながらも存分に温もりを持った木漏れ日を浴びて、目を細める。

「ねむぃ……」

 そして、ゆっくりと足を止め、ローブを毛布代わりにして包まって、ごろんと寝転んだ。

「お昼寝、さいこう……」

 うとうとと瞼を閉じた。

[にゃんこ、そのバカの頭を蹴飛ばしてくれ]

 セムに言われずとも、私はユウが眠りに逃げる前に飛び掛かった。

「寝るな、起きれ」

「にゃん!?」

 全く、この馬鹿者は気儘が過ぎる。

「ひどいかしこ……現実ではよい子は寝てる時間なんだよ……」

[魔女の恋人は、常識を無視するから悪い子]

[あなた、昨日町で悪い子でいいもんって言いましたよね?]

[メインキャストなのに、楽しい動画配信さぼって寝るのは悪い子なので、寝ないでください]

「こんな時ばっかり息ぴったりですね、みなさん!? ひどい!!」

 酷いがどうかで言ったら、ユウの自堕落さが一番酷いな。

[おい、にゃんこ。つむーがさぼりそうになったら叩き起こせるように、振動を与えるようなボタンを配信画面に作ってくれ]

[ああ、クェイクですか?]

[あれ、間違えて押すとびっくりしますよねぇ]

 セムが某SNSのようなアクションボタンの追加を依頼して来た。

 うむ、余りに改善の様子がなければ検討するか。

「待って、かしこさん。その、こやつが直さないなら実装も検討しよう、みたいな目はやめて、こわい。紡岐さんの安眠を奪わないで」

「前向きに検討しよう」

「わたしの人権!?」

 人権を主張するなら、義務をこなす責任も取るべきだ。

 ユウが渋々と起き上がり、ローブをばさばさとはためかせて、くっ付いた落ち葉を払った。

「ん?」

 その後ろで、茂みががさがさと鳴り、ユウが振り返る。そして、出て来た生き物に目を点にした。

 のっそりと、大型トラックもかくやという大きさをした陸亀が足を踏み出して、ユウの背後で局地的な地震を起こした。

 長く伸びて高く掲げた頭をそのままに、目玉だけがユウに向き、呆然と見上げるその姿をくっきりと愛鏡まなかがみに映した。

 そして歩行のリズムを変えずに、また一歩を踏み出し、その振動でユウがびくりと体を硬直させる。

 ユウは、その巨大陸亀が歩んで行くのを暫く見送り、はっと気付いたように後を追い掛けた。

「なにあれ、おっきい! かっこいい!」

 ユウは興奮した様子だ。

 巨大陸亀に並走しながら、その顔を見上げている。

[やっぱ、グランドトータスだよな……]

[お、なに、既存生物?]

[かなりレアなやつ。肉がうまいのと革が高ランク防具とかの素材になる。発見数は、今のとこ、八例かな]

[すくなっ!?]

 ユウはグランドトータスに向かって、大声で話し掛ける。この人見知りは、野性動物には逆に社交的な態度を見せるのだ。

「ねぇねぇ、あなたの背中に乗ってもいい!?」

 物言わぬグランドトータスは、自分の真横を駈けるユウが見辛かったらしく、おっとりと首を傾けてユウを視界に入れた。

 数秒、ユウのきらきらとした小さな瞳と、グランドトータスの深さを感じさせる透き通った巨大な瞳とが交わされる。

「いいのね! ありがとう!」

 お互いに言葉はなかったが、ユウは持ち前の異常に高いORAで以て意志疎通を果たし、魔女の箒を取り出した。

 ユウは走りながら、自転車の要領で楡の柄の箒に跨がり、するりとグランドトータスの直上へ浮かんだ。

 そして難なくその甲羅の上に降り、寝そべってすべすべとした感触を楽しんでいる。

「ふぁ、すべすべ、あったかい……」

[店主様、羨ましいです]

「うふふー。いーでしょー」

 コメント越しの巧に自慢しつつ、ユウはグランドトータスの甲羅の特等席を堪能している。

 普段とは違う高くからの視線で、ユウは物珍しそうに先程までと全く変わらない森を見回している。

 背が低いから、高身長に憧れがあるらしいからな。

「ふぁっ」

 ユウが意味を持たない奇声を発して、何かを見付けた。

 虹色の光で飛行機雲みたいに奇跡を描いて飛ぶ、尾羽が長い極楽鳥のような鳥が、木々の空見代そらみしろにちらちらと見えた。

[おい、あれ、鸞和じゃね?]

[マジだ、激レア生物だぞ、また]

 鸞和らんわも、ユウが乗っているグランドトータスと同じく、高ランクプレイヤーなら喉から手が出る程に狩りたい素材モンスターだ。その血や羽を使うと、神の武器にも迫る弓が製作出来る。

「きれい……あ、カーバンクル」

 ユウは飛び去ってしまった鸞和の跡を名残惜しそうに見送ってから地面にまた目を向けた先で、ルビーの角を生やしたベージュの兎を発見した。

 現実での伝説にある通り、手にした者に幸運と財宝を齎すカーバンクルだ。

[まって。まって、まって。なんでそこ、そんなレアモンスターばっかいるの?]

[狩り場としてすごい魅力的だ……]

 ふむ、と、グランドトータスの上でちょこんと座り直したユウが、口元に軽く握った拳を当てて、思案する。

 そして推測は直ぐに出力された。

「《聖域》って、もしかして環境保護区のサンクチュアリのニュアンスもある?」

[環境保護……さんく、なんだって?]

[サンクチュアリ、英語で聖域か]

[禁猟区みたいな意味だったっけ?]

「ええ、まぁ」

 ユウは憶測を視聴者に語る前に、一つ咳払いをした。

 喉が少し嗄れてしまったらしく、【ストレージ】から水筒を取り出して、ごくごくと中身を飲み下す。

「環境保護でサンクチュアリと言うと、日本では自然保護区とほぼ同じ意味で使われますね。野鳥の会の方が設定してるバードサンクチュアリが一番聞き馴染みありますかね?」

 それは正しく希少動植物の聖域で、人の立ち入りや活動を制限、もしくは禁止して、自然が冒されないように守られている区域の事だ。

 ユウは、これだけ希少生物が生息している此の《聖域》から連想したのだ。

「ふーん」

 ユウは機嫌良さそうに、にまにまと頬を緩めた。

 自然がありのままにあり、人の手によって命が危機に瀕する事のない場所、それはユウにとって理想的な場所の一つだからだ。

 グランドトータスに乗ったユウが、頭が引っ掛かりそうな木の枝を、首を引っ込めて避けた。

 ユウの頭が通り過ぎたのを見計らったのか、その枝の紅葉が、次々と蝶々になって飛び、ユウの視界を追い抜かして行く。

[マリポサだ、初めて見た……]

[あ、バベルの塔にいたおじいちゃんが話してたやつか]

 ユウが瞳を琥珀に変えて、マリポサの葉が羽ばたいて撒いている鱗粉のような魔力の響乃ゆらのを楽しんでいる。

 その視線の先で。

 空が揺らいだ。

 いいや。

 揺らいだのは、空ではなく、上空でも此の山を包み守っていた《聖域》の結界だ。

「えっ……?」

 ユウは正しくその意味を理解して、信じられない、信じたくないと声を漏らした。

 あの揺らぎは、何者かがこの《聖域》へ侵入しようと、結界の破壊を行っていると言う証左だった。

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