決められないままに
《聖域》を襲撃したプレイヤー達が立ち去った後、ユウは〈化け猫〉に変わり、その幼児のように小さな体を〈森相森理のローブ〉に包ませて、近くにあった木で爪を研いでいた。
「にぃ……にぃ……」
【魔女】の時でも全身をすっぽりと覆うローブだから、仔猫の姿ではローブが勝手に動いているようにも見える。それで泣きそうな声を繰り返してガリガリと爪で木の肌を鳴らしているのだから、不気味と言う他無い。
[なんだ、この奇怪な生き物]
[ストレス発散かな]
[うちの猫も、来客が帰ると似たようなことするわ]
人と触れ合う事に、精神的な苦痛を得るユウは、こうして胸のざわつきを取り除いているのだ。
これは放置したら何時までも続くだろうなと思った時に、横でユウの様子を眺めていた
ローブの
「木が可哀想だからそろそろやめておくれ」
「……くまがしゃべった」
自分に生えている耳や尾を棚上げにして、ユウが目を丸々とさせて羆を見詰め返す。
[猫も犬も栗鼠も話してたがな]
[喋ってないの、パンダだけだよね]
[パンダですからね!]
確かに、ユウの出会った生き物達は、種族に関わらず言葉を発する者が多いな。
一言交わしただけで、ユウと羆は黙ったまま見詰め合っている。
[これは……遥ちゃんお得意の交信?]
[……ごくり]
視聴者達が、ただならぬ気配を感じ取って息を飲む。
ユウも羆も微動だにせず、お互いの
それから分単位の時間が過ぎてから、ユウは居心地悪そうにもじもじと体を擦った。
それを合図に、羆はゆっくりとユウをローブの風呂敷ごと地面に降ろす。
[お、交信終わった?]
[いったいどんな話をしていたんだろうな]
ユウがいそいそと服を整え、そのついでに【魔女】へと戻る。
「……話をさせてもらってもいいか?」
羆が躊躇い勝ちに、そんな言葉をユウに向けて発して。
ユウは、こくん、と頷いた。
[何も話してなかったんかい!?]
[今の数分間なに!?]
[ちょ、ま、お見合いしてただけ(笑)]
視聴者が盛大に突っ込む横で、私は堪らず、胸の中身を溜息にして吐き出すのだった。
「え、あっ、赤い毛並みキレイだなぁって。お目目小さいなぁって」
[観察してただけでした]
[これはこれで平常運転]
ユウがうっとりと頬に手を当てて羆を見詰める間、羆は黙って待っていてくれた。
「話をさせてもらってもいいか?」
「あ、はい」
流石に二回目ともなれば、ユウも居住まいを正して、話を聴く姿勢になった。
「私は《山の神》。この《聖域》を守護する者だ」
羆はまず、自分の立ち位置について告げる。それはセヂットから事前に聞いていた通りだ。
曰く、その《聖域》には珍しい動植物に溢れ、それらを狙った侵入者は守護者である巨躯の熊に撃退されて来た、と。
セヂット達の祖先である遊創民は、そのような襲撃の一つに立ち会い、守護者と共に戦い、そして守護者に捧げた彫刻に《ブレス》が宿ったと言う。
それから幾星霜を経た今でも、セヂット達の部族は、この守護者への信仰を継承し、定期的にこの《聖域》へ巡礼するとの事だ。
「わたしは、紡岐、遥、です。えと……お名前は?」
「《山の神》以外の呼ばれ方は、特にないな」
「そうなの……」
羆には名前がないと返事をされて、ユウはへにゃりと顔を困らせた。
大方、どう呼べばいいのか悩んでいるのだろう。
「貴方は、未言屋店主か?」
「え、あ、はい? そう、ですよ?」
ユウは何故、目の前の羆が自分の事を知っているのかと首を傾げているが、相手が【アーキタイプ】だと言う事で気付け。
「そうか、君がニクェの話していた人なのだな。確かに彼女の話通りの人物だ」
[いつものパターン来ました]
[予想通りである]
[ですよねー]
この流れも次第に定着しつつあるな。非常に遺憾なのだが。
「あ、はい」
ユウもすっかり驚かなくなったな。
「それで、君は何故この《聖域》に来たんだい?」
「えっと、この子達の引っ越し先を探してるのです」
ユウは羆の前に
「《魔蜂》……《魔女》の配下か?」
羆の確認に、ユウはこくりと頷いて返答する。
「分封の引っ越し先を探してて、その、蜜があってかつ天敵がいる所がいいらしいです」
ユウの辿々しい説明を聞きながら、羆は女王蜂を覗き込んだ。
「……蜂蜜を一口頂いても?」
「ん……いいのね? ちょっと待ってください」
羆の要求に、ユウは《魔蜂》を自分の目線まで持ち上げて確認を取った。
ユウが【ストレージ】に手を突っ込み、《魔蜂》が作っていた巣の一欠片を羆の鼻先に差し出した。
羆が舌を伸ばし、垂れる蜜を舐める。彼女は口の周りを一舐めしてから、ユウの掌から直接、巣の欠片を口に運び、がりがりと噛み砕いた。
「美味だな」
心なしか、羆が物欲しそうにユウに視線を送っている。
しかし、羆は直ぐに
「しかし、さっき見た通り、この《聖域》は襲撃を受けている。《魔蜂》とて、彼等にして見れば狩猟対象になるだろう。危険だ」
「み……」
ユウもまた、羆の懸念する未来の可能性に顔を曇らせた。
そして彼女自身、こんな風に自然が荒らされるのは、心底から苦しい事態だ。
「わたしは……わたし、が……」
ユウが二の句を告げられずに、何度も息を飲み込む。喉の終わり、胸の上の気道辺りを掌で押さえて、狂いそうになる呼吸と心拍を宥めるのに必死だった。
そんなユウの頬を、羆の大きな舌がべろりと舐めた。
その舌に籠る熱で、ユウがびくりと鳥肌を立てる。
「無理に助けようとしなくていい。君にとっては、あちらが同胞だ、やりにくさもあろう。そも、ここの守護はこの《山の神》が託された事だ」
羆は穏やかに、ユウの助力を要求しなかった。
ユウが申し訳なさそうに、泣きそうに、羆を見詰める。
「託された? 誰に?」
「うむ。それはな、ここを《聖域》にした《守護者》にだ」
羆は懐かしそうに、ぽつりぽつりとこの《聖域》の成り立ちを語る。
嘗て、大きな戦争があった。その戦争の中で【アーキタイプ】が人間に討伐され、多くが《レリック》となって戦争の兵器として扱われた。
その兵器の確保は、【アーキタイプ】に限らなかった。当然だ。戦争には、幾らでも資源がいる。
武器だけでなく、食糧、移動手段、労働力として多くの生物が人間の資源として命を奪われた。
この《聖域》にいる動植物の祖先は、そんな時代に、強力な武器防具の素材として乱獲されていた者達だと言う。
そんな状況に憤り、命奪われる彼等を救おうと立ち上がったのが、当時の《守護者》を継承した人間だった。彼女は《守護者》の能力を酷使し、守護と加護をこの山そのものに定着させて、乱獲されていた者達を導いた。
《山の神》は当時、《守護者》と共に、他の生き物を導いたらしい。
「人間であった《守護者》は
羆が静かに語り終えた。
そしてユウの頬を滂沱の涙が零れていた。
「だから人間きらい……さいてい、何様のつもり……」
口から漏れ出ている呪詛がその表情に全く合っていないが。反逆精神を根本にしすぎだろう、こやつ。
「だがまぁ、それは私の想い、此方の都合だ。向こうにも想いも都合もあろう。だから攻めるし守る。それだけだ」
羆がユウに近付き、鼻と鼻とが触れそうになる。
「君は選んでもいいし、選ばなくてもいい。君の想い、君の都合でな。此処は君にとっては現実ではなかろうよ」
羆に穏やかに諭されたユウは、何も言えないまま、何も決められないまま、嗚咽ばかり漏らしていたのだった。
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