妖す、ごー

「え?」

 巧を庇って背中から漆黒に胸部を貫かれた悠の鮮血が、巧の顔に浴びせられた。

「あっ……あぁっ――!?」

 巧の喉が引き絞られて、悲鳴が溢れ出た。

 一瞬、体から全ての力が抜けて四肢を放り出していた悠が、がちりと歯をかち合わせ、目を無理矢理に見開く。

「あぁああぁぁっ!」

 悠が意味のない音を叫び、自らの身躯を賦活させる。

 上半身を捻り、漆黒に胸を抉らせて、反転し刀を振るう。

 しかし、その刃は空を切る音だけ鳴らして漆黒を素通りした。

 漆黒の紙刃しじんは一度引き、悠の胸から紅血が噴き飛沫く。

 悠から抜けた紙刃が、先端を分けて五指を象った。

 存在感の希薄な『手』が、必殺の威力を備えて悠を握り潰さんと迫る。

 悠は反射的に刀を振るって弾かんとするが、またも無意味に漆黒を通過する。

 人形のように、悠が握られ、骨がひしゃげる音が響き、投げ捨てられた。

 数回地面を跳ねて転がり木の幹にぶつかって、血塗れの悠がくたりと腐葉土の中に臥せる。

 巧が慌てて悠に駆け寄り、ユウから受け取っていたポーションを振り掛けた。

 初期レベルのプレイヤーのHPを五回は全快出来る回復薬が、見る見る悠の傷を光で包み、消し去って行く。

 怪我がなくなると同時に悠の目が開かれ、巧を荒っぽく抱き寄せて跳躍した。

 寸前まで二人がいた場所が、漆黒の出来損ないな掌で潰された。

「助かりました」

「ふにゅ~、頭がぐわんぐわんします~」

 緊迫して引き攣った声で礼を言う悠と、間延びして情けない声を漏らす巧の対比が、何ともやるせなくなる。

「しかし、打つ手がありませんね……」

 此方は触れられず、向こうからは一撃が致命であると状況に、悠はすっかり弱り切っていた。

「ハッ。この世にいない相手には触れられないだろうよ」

 姿見せぬ声が、悠の無力さを罵る。

 その通り、悠は次々と来る出来損ないな手や紙刃の攻撃を、《梔子の心》で底上げした速さで避けるしか出来ない。

「亡霊なのですかね」

[また怪談か]

[んー? や、幽世と言うより……んー?]

[どしたの、遥ちゃん?]

[んー、そですね。とりあえず、妖す、ごー]

「はい? 妖すさん?」

 コメント越しに何かを懸想していたユウが、唐突に彼方にいる未言未子をけしかけた。

 そして、悠と巧を掴もうとしていた出来損ないな手が、これまた唐突に地面に叩き付けられる。 

 その上に、ちょこんとおかっぱ髪で座敷童子みたいなおべべを着た未言未子が胸を張って立っていた。

[ちょ、ま、チートwww]

[なに!? なに!? 派遣型のブレスなのか!?]

[いやー。《ブレス》取得のメッセージ流れてないから、まだ未子ちゃんでしょ]

[自重しろよ、魔女の恋人]

[【未言未子見参】システムメッセージで取り上げられないような〈スキル〉でも《ブレス》でもない演出の産物でボスを撃退するっておかしかろうよ【デバッグしろ運営】]

「ふふん、みんなの期待と人気に背中を押されて、妖すちゃん可憐に参上にゅっとだよ!」

 自分の登場にコメント欄が沸き立つのに気を良くして、妖すの未言未子は漆黒の靄に挑むように人差し指を突き付けた。

 それと、皆が思い出せていないようだが、妖すを始めとして、未言巫女や未言未子は《未言幻創》の効果で産み出された存在だ。全く、ユウの異端さを突き詰めると総てあの《魔女》に行き着くな。

「なんだ、お前、何処から出てきた!?」

 未だ正体不明の声が、妖すの登場に、そしてこの未言未子が不可触の手駒を押さえ付けた事に、驚愕する。

 それを妖すは鼻で笑った。

「やだなー、あり得ないことをやらかすのが妖すちゃんだし、だれでもできることはやってあげないのが妖すちゃんだよ?」

[まるでそっちが本題のように自堕落宣言したぞ、この未言未子]

[まるで、というより、まさに、じゃないだろうか…]

[いろんな意味で問題児すぎんだろ、こいつ]

[でも、かわいいから許してあげたくなっちゃう]

[ちょ、まだ間に合うから戻ってきなよ]

 視聴者も存分に理性を妖されて亡くしているな、困ったものだ。

 その傍らで、妖すはふらりふらりと靄の攻撃を弄び往なし、それに焦れて靄が悠や巧を狙うと機敏に先回りして弾き返した。

「おい! そんなチビも倒せないようなヤツは、生まれて来る価値もないぞ!」

 謎の声に罵倒で叱咤されると、靄は悲しそうに震えて体積を拡大した。

 辺りの夜闇ごと、全てを飲み込む気だ。

 靄に触れた木々が、草が、地面が、大気が、錆びたように呪われて風化していく。

「ははーん。やっぱりあれって、未言わたしたちみたいなもんなのね。バ母様、葉踏み鹿はもういいでしょ? もらうよ」

[え、ちょ、妖す、葉踏み鹿いなくなったら、こっちの攻撃役足りなくなるんですけど!?]

「そんなの知らないから、バ母様が死ぬ気で働け」

 産みの親を窮地に叩き込んだ妖すが、背後にいる私に掌だけを向けて腕を伸ばし、何かを引き摺り奪うように、腕を振るった。

 《葉踏み鹿》の発動に使われていたリソースが、丸ごと妖すに流れ込むのが分かる。

「さぁ。事実も幻想も原因も結果も因縁も応報も、まるであり得ないものに妖してあげるわ」

 妖すの未言未子が信託を告げた。

 靄が、悠や巧を飲み込む。

 巧は怯え切った表情で涙を浮かべ。

 悠は靄を睨み付けて歯を噛み締める。

 そして二人とも、これで終わりかと目を強く瞑り。

「あーはっはっは! これで邪魔物はいなくなったな。あとは猫共と犬共が殺しあって、新たなアーキタイプがフルールになるのを待つだけだ」

 靄に包まれた周囲一帯に、勝ち誇った声が気分の良さを高らかに喚き散らす。

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