《梔子の心》
悠が失なった
「だいじょうぶですか……?」
「ええ、問題ありません」
不安そうに上目遣いで様子を伺って来る巧に対して、悠は余裕の表情を見せる。
そのまま悠は《曲想を羽成す刻》を仕舞い、辺りの警戒に就いた。
その体に伸し掛かるように、巧が纏わり付いて、悠の怪我の具合を鼻で嗅いで確かめようとする。
[ゆ、悠ニジョ!? 悠さん、羨ましい!]
[つむ、お前は真面目に働け]
[セム、お前も余所見すんな、ああああ!!?? また犠牲者がー!]
外野は随分と楽しそうだな、おい。
特にユウは四面楚歌で踏み留まっていたのは、気のせいだったのかと思えて来る。
「あっ」
悠にへばり付いていた巧が、何かに気付き、地面を這う。
大蛇のフルールが体を擦り付けた地面を、光の粒に消えた空気を、懸命に鼻を鳴らして嗅ぎ分けようとしている。
「これは、この匂い、ほんの少しですが、同じ匂いがします」
「同じ? それは、二人を拐ったフルールと同じということですか?」
「そうです!」
巧が俄然にやる気を見せる。二人を拐ったフルールの匂いは弱すぎて追うのに心許なかったが、大蛇のフルールの匂いは新鮮で、はっきりと残っている。
「案内してくれますか?」
「もちろん!」
巧が勢い良く、大蛇の匂いを辿り、駆け出した。
〔〈アート・プレイ・タイプ:アクロバット〉が6レベルになりました〕
サボっていたようで、きちんとユウもやる事はやっているらしく、レベルアップ通知が入る。
そのシステムメッセージに背を押され、二人は茶褐色が降る森を走り抜けた。
「悠さんっ!」
巧が鼻をひくつかせ、悠の名前を呼んで注意を促した。
何かが飛来して来る。
悠が巧の体を引き寄せて位置を入れ替り、抜刀した。
しかし、相手は悠の繰り出した刃をするりと躱し、逆に爪で悠の肩から血を噴き出させた。
それは翼をはためかせ、また空へと舞い上がる。
鷲の姿をしたフルールが、今の襲撃者の正体だ。
「速い、ですね」
悠はそう呟くが、傷は大した事はなく、血はもう滲むだけだ。HPもまだまだ余裕がある。
速度と機動力はあるが、攻撃力は先程の大蛇に比べれば低い。
「くっ――!」
再度の接敵。
鷲型のフルールの動きを注視して悠は刀を振り抜くも、またも刃が触れる直前で相手は身を翻し、刃を滑り抜けて悠に攻撃を加えた。
例え一撃は軽くとも、撃墜されずに攻撃を仕掛け続ければプレイヤーは倒れる。
悠はやりにくそうに歯噛みした。
巧は悠の邪魔にならないように、隅で小さくなりながら、悠が傷付いていくのを見ているしかなかった。
[二条、悠さん、致命的な攻撃してこない相手なら無視して走っちゃった方がいいですよ!]
ジリ貧になりかけた状況で、HPポーションを口に含んだ悠に向けてユウのコメントが飛ぶ。
「悠さん! 店主様が無視しなさいって!」
今回は巧がその書き込みを見付けて、悠に伝えた。
悠は鷲の攻撃を大きく飛び退って避け、巧に近寄る。
「それでは、失礼します」
「へ? ふぁっ!?」
悠は巧を軽々と抱え、そのまま走り出した。
「どっちに行けばいいですか?」
人一人の体重を抱えても、悠の速さは損なわれず、話す余裕すらあった。
巧は行き先を指差して、悠を誘導する。
後ろから度々、鷲のフルールが追い縋って爪を立てるが、悠は巧みに体を差し込んで、巧が傷付かないように自分を盾にする。
「悠さん! 悠さん! 血が……」
「紡岐さんのポーション飲めば、キレイになくなりますよ」
不安と心配を直情的に叫ぶ巧に、悠はなるべく余裕を持たせて笑い掛けた。
しかし、悠のHPもあと七度攻撃を食らえば全損する。
ユウのポーションはまだまだ豊富にあるからいいものの、走り続けるのにも限度はあった。
無言に返った悠が、冷や汗と鮮血で額を濡らした時。
巧が急に顔を上げた。
「あの先! すぐです、匂いが強いです!」
「……はいっ!」
何とか、その限界が来る前に、ゴールが見えた。
悠は木々の通路を抜けて、光が強く射し込む空間へ滑り込み、転がすように巧を地面に降ろした。
そして悠自身は、即座に反転し、抜刀する。
鷲のフルールが、翼を身に張り付けて宙転し、悠の刃を掻い潜る。
そこへ。
悠が手首を絞って、鷲に向けて刃を直角に軌道させ、振り下ろす。
鷲が、その刃に向けて目を見開いた。
されども、敵も然る者。鷲のフルールは仰け反るようにして、悠の刃に背中の羽を幾枚が散らされながらも、刃を凌いで空へと羽ばたいた。
「まだ、足りないっ」
悠が、ぎりりと音を立てながら歯を食いしばった。
[え? 悠の動きがさっきより速くなってね?]
[アートレベル上がった? それともスキル]
[や、あれはブレスでしょ]
巫女の発言が正解だ。
悠の持つ《梔子の心》は、『あるもの』を参照して、対応したステータスを上昇させる。常時発動であるが故に、既に2レベルとなったそれは、合計で110%までのステータス上昇が可能だ。
その《ブレス》で底上げされた
「さらに……さらに!」
悠の意志に応じて、《梔子の心》が肘と肩と腰に集中し、光を宿す。
《ブレス》は範囲や性質を限定させる程に、その濃度が高まり効果が上がる。
例えば、《夢波》の羽衣のように。
そして、飛翔する鷲を両断しようとする悠の決意が、《梔子の心》の制御を実現させた。
この《梔子の心》と言う《ブレス》は、とても《ブレス》の本質に忠実だ。意志や精神、つまりは想いに応えて性質を変える。
そう、《梔子の心》が参照するものとは、悠の心に秘めた感情であり思考であり願望である。
重く硬い敵を討つ為には、
速く機敏な敵を斬る為には、AGIとSPEを強化していく。
《梔子が彩めく夕に香るのに秘音言をまだ離せない声》
悠が駄目押しとばかりに《ブレス》を励起させた。各所に灯った光が、星のように煌めく。
白刃烈風。
襲い来る鷲へ応対し、悠が刀を
鷲が翼を畳み、初擊をかわす。
そこを、悠が手首を回し、刀身で鷲の体を絡め取って弾き上げた。剣道で竹刀飛ばしと言われる動作だ。
烈刃によって失速した鷲へ、悠は間髪入れずに刀を腰に引き、突きを繰り出す。
鋭い剣先が、鷲を貫き、討伐した。
「おおおー!」
巧からしたら、始まりから撃退まで、一瞬の出来事であった。巧は感嘆し、手を懸命に叩いて悠を賞賛する。
「わ、私のことよりも、猫王子と犬姫はどうですか……?」
照れ隠しも入っているだろうが、悠は巧に本来の目的を思い出すように訴えた。
「はっ! そうでした!」
本気で頭から落っこちていたんか。このわん娘に任せて本当に良かったのか、ユウよ。
だが、探すまでもなく、巧は振り返るだけでその二人を見付けた。
母親似の長毛を灰銀に煌めかせた仔猫が、艶やかに緑の光沢を放つ黒毛の仔犬を守るように抱いて。
不穏さしか感じない漆黒の渦の中で気絶していた。
「なんですか、これ……?」
巧は【化生】としての本能からか、黒い靄に対して嫌悪を抱く。
「まずはお二人を助けましょうか」
悠は、渦巻く黒い靄にも物怖じせずに、ケット・シーの王子とクー・シーの姫に手を伸ばし。
その手がそのまま二人を通り越してしまった。
「え?」
悠は手を引き戻し、また伸ばすが、結果は同じだ。
「これはいったい……?」
「ぼくも、全然二人の匂いを感じないんです……まるでそこにいないみたいに」
二人は其処に存在してないと断じるように、触れる事が叶わず、匂いも嗅ぎ取れない。
正直、私も見ていないと全く目の前の二人の気配を感じない。匂いも存在感も音も、何一つだ。
これでは、巧が直接二人を追えないのも仕方あるまい。
[待って、わん娘ちゃん。匂いを感じないですって?]
「え、はい。なにも」
[じゃ、貴女、あの場所で誰の匂いを感じたの?]
「あれ……?」
天使に指摘をされて、巧はやっとその奇妙さに気付いた。
あの野葡萄が実っていた場所には、まだ発見出来ていないフルールが存在していたのだ。
「やれ」
声に反応して、巧が顔を上げた。
漆黒の靄が伸びて紙と刃を同化させたような見た目になり。
巧はただそれが自分の胸に向かって来るのを見ていた。
鮮血が巧の顔に掛かる。
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