《針鼓》の痛み、《風虫》の仕返し

「こわかった……ぐすっ……こわかったよぉ……ひぐっ」

「そうね、こわかったねー、母様ー。もうあのでっかい犬はいないよー。ふふっ」

 妖すが、葉踏み鹿から奪った〈踏葉点在〉で移動し窮地を脱してから、ユウはひたすら啜り泣き、母性を感じさせる程に大人びた姿なった妖すがユウを胸に抱き締めてあやしている。

 親娘とは、一体どういう関係の事だったのか考えさせられる光景だ。

「もうやだよー、みんな妖すがなんとかしてよー」

 遂に全責任を放棄したいとかしてやがる。

「あはっ。残念でしたー、妖すちゃんフィーバータイムは時間切れですよー」

 妖すがそう告げると同時に。未言巫女の姿が光と解けてなくなり、頭を預けていたユウの顔面が勢い良く地面に突撃した。

 痛みの衝撃か、依存対象がなくなった衝撃か、地面にダイブした土下座にも見える体勢のまま動かないユウを、定位置の黒い猫耳の間に納まった妖すが見下ろす。

「母様、だいじょうぶ? 鼻打った?」

 ユウは地面に顔を擦り付けるようにして弱々しく頷いた。

 痛くないのか、それは。

「かわいそうに。もう妖すちゃんは未子だから、母様になにかしてあげられないなー、ざんねんだなー」

 全く残念そうに聞こえない声で、妖すは自分が乗った微動だにしないユウの頭を、揶揄うように慰めるように、ぽんぽんと叩く。

妖すの手に絡まったユウの黒髪が遊んだ。

 何処が何も出来ないんだか。

「いぬはもういや……もういやなのよぅ……」

 ユウはもう先程の戦闘で心が折れているようだ。

 もうクー・シーの集落は目の前にあるのだが、そも妖精犬の本拠地に乗り込む気概はとうにない。

[まー、あの様子じゃ犬の中に飛び込むなんてムリよなぁ]

[わん娘と悠さんには耐えてもらって、元凶先に潰すか?]

[セムはこっち行けんの?]

[むーりー。今、ドロップがおいしいエリアなんだぜ]

[オイw]

[いや、セムいないとこっちが詰むから本気で勘弁してくれ]

 ユウ本人は使い物にならない。外部からの救援も期待出来ない。

 手詰まりと言う言葉が皆の頭に浮かんだ。

「風虫呼べばぁ?」

 一人の未子を除いて。

「へ? 風虫?」

「うん。わんちゃん達、感覚鋭いから、逆に《風虫》ハマるでしょ。あの娘なら、クー・シーが襲う前に消えられるから危なくないし」

「そ、その手があったか!? やだ、妖すったら、天才なの!?」

「ふっふーん。バ母様とは発想力が違うのよ」

 その豊かな発想力を、是非とも普段から悪戯でなく人の役に立つ形で発揮してほしいものだ。言うだけ無駄だと知っているが。

 ユウはゆくりと起き上がり、その場でぺたんとお尻を着いて座る。

 瞼を降ろし、耳を澄ませて、辺りの木々に潜む風虫の音に意識を向ける。

 そして困り顔になる。

 ユウの心は酷く動揺した後で、傷付き、痛んでいた。

 その精神の痛みが、ユウの詩心が魂の泉から涌き出るのを、責めるように邪魔するのだ。

 歌を詠むのには、自然、自分の内面にうたぐむ想いを汲み取らなければならないが、その内面を見ると先程受けた傷がまざまざと見せ付けられるのだ。

 ユウは痛くて仕方がないと胸を握り締める。

 このような胸を締め付け、刻んでいくような心因性の痛みを、未言で『針鼓はりこ』と言う。針の鼓動は、一見して傷には見えなくとも、脈打つ度に血を流し、心を壊死させていく。

 そんな心の内から自分を抉る痛みを、無力感に苛まれて自責する痛みを、それで尚生きようと祈りもがく痛みを、生の実感として可憐いじらしく愛そうとした彼女の姿は、余りにも酷く痛ましい。

 例え其れが、《ブレス祝福》を得る程の傑作を紡ぎ出すのだとしても。

《風虫よ

 針鼓にいたむわたくしの

 うめきをどうかひみつにしてて》

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が32レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が23レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩〉が12レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:鎮魂〉が2レベルになりました〕

〔《ブレス:針鼓》を取得しました〕

 森が身動ぎした。

 私の胸までが悲しく痛む。

 鼓動が弾けて、心臓と言う器が千切れてしまいそうだ。

 木漏れ日に揺らぐ影に挿入されて、その未言巫女は不機嫌そうに眉を寄せて顔を顰めていた。右手を胸に置いて、生きるその鼓動を押さえ付けて止めたいと祈るような、そんな少女が、病衣にも似た黒の寝巻を着て立っている。

「このバカ親、わざわざあたしまで呼ぶ必要ないでしょうが、このバカ、このバカ、このバカ」

 《針鼓》の未言巫女は、自身の内から打ち責める痛みから逃げるように、ユウを罵る。

 対して、ユウはと言えば。

「ひぐっ、うぐぅ、にぃぃぃ」

 自分が発動した《針鼓》にさいなまれて蹲まっていた。

[自爆してる?]

[あれか、自分も見境なくダメージ与える系か]

[針鼓、針鼓…あった。『針が突き刺すように痛む心臓の鼓動。恋、病気、後悔、死別……ずきずきと痛む胸は、大切に想っているから』?]

[きゃあっ!?]

[ひぃぃ!?]

[あれね!? あれなのね!? ていうか、あんなのまで未言にしてんの!?]

 針鼓の内容を知って、女性陣が悲鳴を上げた。

 男性陣はいまいち良く理解出来てないようだが、まぁ、知らない方が良いだろう。

 男性は、仮に出産出来たとしたら、その時の痛みでショック死してしまうくらいに苦痛に弱いらしいからな。

「やっば、バ母様の自爆かわいい」

 そしてユウの頭の上という明らかな《針鼓》の効果圏内にいながらにして、妖すの未言未子は平然と通常運転している。

 その小さな体が、ひょいと持ち上げられた。

「姉さん、また母様を虐めてるの?」

 風虫の未言巫女は、そう言いながら小さな姉を摘まみ上げて頬を、むにゅ、と抓む。

「いひゃいよー、かじゃむひ、あにすふのおー」

「その傍迷惑な性格どうにかしてよ、ほんとに」

 姉の威圧等、全く無視して風虫は妖すを叱り付ける。

[あ、妖すが、あの傍若無人で我が儘で自己中な妖すが負けているっ!?]

[風虫たん最強説]

[元からヒエラルキー高い感じだったからな優等生]

 視聴者達に良く分からない感動の嵐が吹き荒れているのは、風虫が窮地を打開する機会が多いからだろうか。

 妖すが、首を素早く振って風虫を指から逃れた。

「なによー、わたし達の腹黒さはバ母様譲りよっ!」

「ちょっと妖す、わたしの評判下げないでくれる!?」

「そこに異論はないけどね」

「持って!? 異論だらけだと思うんだけどな、風虫!?」

「母様は性格悪くて被虐嗜好持ってるけど、姉さんはやりすぎ」

「風虫ー!?」

「……このバカ親相手じゃなければ憐れと思えたのにね」

「針鼓さん、もうちょっとフォローがんばって、お願い!?」

「フォローするところが、何処かにあるの?」

「うなぁーんっ!!」

 娘達に真実を突き付けられて、ユウが鳴きながら私に飛び付いて来た。

 ぐわんと体が浮いて、ぐりぐりと腹にユウの頭が擦り付けられる。

「おい、お前等、私に被害が来たんだが」

 私が非難の視線で見上げると、二人の未言巫女が諦めろと目で語って来た。

「針鼓が長くいると流石に母様辛いだろうから、ちゃっちゃとやろうか」

「あたしが消えてアンタだけでやればいいと思うわ、心の底からね」

 やる気を表に出さない針鼓に、風虫がほんの少しだけ意地悪さを見せた微笑みを返す。今、ちょっと妖すに似ていたぞ、いいのか、風虫。

 妖すが私に抱き着いて離れる気がないユウの頭の上に戻り、それが丸ごと風虫に持ち上げられて、針鼓に譲渡された。

 おい、私も含めて荷物扱いするんじゃない。

「じゃ、針鼓が母様達運んでね。……母様を怖がらせる犬共は、わたしが連れていくから」

 一瞬、笑顔の風虫の目元が暗黒に沈んだのは、錯覚だろうか。

 未言巫女が腕を指揮者のように振るい、《風虫》が発動する。

 それに促されて、もう一人の未言巫女もやるせなさそうに溜め息を溢して、左の指で胸の中の痛みを摘まみ引き出す仕草をする。

 風虫の未言巫女が、風鳴らす木の葉の音に紛れて消えた。

 針鼓の未言巫女は、足音を立てずに、蔭を縫って気配を隠しながら、クー・シーの集落へ忍び込んだ。

 黒く大きなクー・シーが、耳を立て、目を見開き、集落の入り口を見張っていた。

 針鼓が、その黒の体に向けて人差し指を差し向ける。

 途端、クー・シーは呻き声を上げ、懸命に自分の心臓を刺した原因を探ろうと忙しなく辺りを見回す。

 呪いが広く解明され、尚且つ死因として断定される世界である。目の前のクー・シーも、今し方受けたものが其れと近似し、またこれだけ強力であれば呪者は近くにいる筈と目論んだのも当然と言えば当然であり、賢明である。

「誰だ、其処にいるのは!」

 そして鋭敏な妖精犬の感覚は、過たず木の葉が擦れる音を聞き付け誰何する。

 それが全くの過ちであるとは、毛先程も懸念せずに。

 ユウがびくりと怯えて体を跳ねさせ、針鼓が面倒そうに抱え直した。

 妖精犬の赤い眼光は、しかして此方を向いていない。

 その視線の先、梢の一枝に腰掛けて、風虫が子供をあやすように、揶揄うように、にこやかに手をひらひらと振っていた。

 クー・シーはその態度に憤怒し、威嚇の唸りに喉を震わせて、間も置かず飛び掛かる。

 風虫は余裕を持って姿を消し、ほんの二メートルばかり離れた木陰に現れて、また手を振って妖精犬を挑発する。

 風虫は遍在する。風を父とし、葉衣はぎぬを母とし、二人が出逢う所には何処にでも生まれ出づる。そして二人別れれば風虫も存在を無に還す。

 そんな彼女が捕まる事があろうか。

 風虫がクー・シーを連れ去った後を、針鼓が悠々と進む。

「ねぇ、母さん。持ちにくいから、猫になってくれる?」

「みー」

 針鼓に請われて、ユウは一声鳴いて体をもぞもぞと彼女の胸に埋めながら、小さな子猫に化ける。

 何故か、併せて妖すも成猫と化けてその上に乗っかるが。

「アンタは変わんなくていいのよ、大きくなって持ちにくいじゃないの」

「ふふーん。よきにはからえー」

「捨ててやろうか、このアマ」

 わざと体積を増やした妖すに愚痴を投げ付けながらも、針鼓は器用に二匹とも右腕だけで抱え込んで、左手を開ける。

 その左の人差し指が、まだ遠くにいた妖精犬の胸を射ぬいた。

 そしてまた、繰り返しである。

 クー・シーは風虫を見付け、呪いの元凶と勘違いして追い立て、針鼓の進路から取り除かれる。

 二人の未言巫女は、《ブレス》と特性を存分に使って流れ作業を続けた。

 見るからに投獄された者がいるであろう黒鉄の檻を見張っていた最後の妖精犬も、あっさりと針鼓の呪いに懸かり、風虫に騙されてその後を追い掛けていった。

[クー・シー達って、化け猫と違って素直なんだな]

[さっきも栗鼠の口車(ただし内容は真実)に簡単に乗ってたしな]

[あれは本当のことだから、わんこは騙されてる訳じゃないけどなー]

[つまり、素直だと思ってた風虫たんも実は小悪魔?]

[そして、その性格の悪さは親からの遺伝、と]

「つむぎさん、すなおないいこだもん……」

 ユウはすっかり不貞腐れていた。

 反論の余地がどこにあると言うのか、全く。

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