暗躍する者?
森の落ち葉がはらはらと落ちる。
飛び出したユウが着地すると、水分を失って軽くなった紅葉が舞い上がってその姿をほんの少しの間だけ隠す。
ユウの耳が機嫌悪そうに、ぴくり、ぴくりと辺りを聞き回した。
「森がうるさい……?」
ユウがその煩わしさを追って視線を木の梢に向けると、栗鼠が木の
ユウは鋭くその影を睨む。
「生き物じゃない、よね?」
「そうね。フルールね、今の母様にははっきりとわかんないでしょうけど」
さらりと、妖すがユウの疑問を肯定した。
隠れた相手は、動きも見せずに息を潜めている。少しでも意識を外せば、何処にいるのかすぐに分からなくなるだろう。
[ん? 魔女の恋人って、フルール識別出来てなかったか?]
[え、あれ〈魔女の瞳〉だろ]
[違うよ。〈魔女の瞳〉は、『未言未子視覚』『魔力視覚』『妖精視覚』『基礎ステータス視覚』の四つでフルールの識別機能はない]
[あん? じゃ、なんで遥ちゃんは識別できたん? セムがフルールと判別してなくても判別してたよな]
[遥ちゃん、ORAが高いから、直感してたのよ]
ORAが高いプレイヤーは、理屈も前提も飛ばして結論を確信する。
フルールと一般生物の識別は、ベータテスト時代にはもう解明されていた機能だ。
[そして、今の未言屋店主さんは、ステータスが切り替わってます。ORAの数値は、AGIやRACに割り振られてるのでしょうね]
そして、『ペルソナ』がコメントで補足説明を入れる。
同系の《ブレス》を持つ彼女は、今のユウの状態を良く理解しているようだ。
「え、そうなのです?」
そして相変わらず、このバカ猫は自分の状態を全く把握していないようだ。
「バ母様、あなたはアヴァターごとに〈未言〉の【アート・プレイ・タイプ】のステータス上昇分が振り直しされているのよ?」
さらに、この異常な未言未子は、やはり普通は知りようもないシステム面の情報を知識として持っているようだ。
もう、突っ込む気力がなくなる程に、認識すべき者がしてなく、認識出来ない筈の者が認識している。
[【換装機体】つまり、今後にアヴァター増えていけば状況に合わせたステータスで対処出来るのか【汎用機】]
[チートじゃねえか!?]
[落ち着け、この魔女の恋人は最初からチートだ]
[今更だよなー]
[ラスボスの壁、厚いな。攻略班頼んだぞ]
[今のとこ、全プレイヤーの7割をデスペナレベル0の犠牲にすれば勝てそうだ]
「ちょ、待ってください、紡岐さん、そんなに脅威じゃないです。……ないですよね?」
[ ]
[ ]
[ ]
「誰か否定してくださいまし!?」
全プレイヤーの七割犠牲は良い線を付いている。優秀で的確な計算だ。
ただ、ユウを攻略している間にユウが《ブレス》と【アート・プレイ・タイプ】のレベルを追加していく事が考慮に入ってないから、机上の空論だが。
ユウは、窮地に立った時にこそ、
うむ、ラスボスへ至る道をまっしぐらに爆走しているな。
そんな分かりきっている事実はさて置き。
今の問題は、あの不審なフルールか。
しかし、此処で時間を食えば、あの二人が身動き取れない時間が長引く。
放置するかどうか、ユウは頭を悩ませた。
「取り敢えず、ぶっ潰せばいいか。おいで、《葉踏み鹿》」
ユウは頭を悩ませていた筈なんだが、即座に面倒になったらしく、物騒な判断の元に《ブレス》を発動させた。
その思考回路もラスボス認定に拍車を掛けているというのは、まぁ、態々指摘しなくてもいいか。
かさり、かさりと葉踏み鹿が足音を鳴らし。
脈絡もなく、栗鼠が隠れていた枝を幹ごと踏み折った。
酷く慌てた様子で、栗鼠のフルールが葉叢から飛び出し、逃げ惑う。
「みつけた」
ユウがその走り回る姿に焦点を合わせて、瞳孔を細く収縮させた。
野生の狩人は、獰猛だ。
ユウはしなやかに体を丸め、それを発条にして一動作で葉踏み鹿の背中へ跳んだ。
「母様ぁ、あれの先回りすれば、いいのねぇ?」
眠たくなりそうなのんびりした口調で葉踏み鹿は喋るが、その動きは俊敏だ。
軽やかに跳躍して、次の瞬間には栗鼠の目の前の大地を踏み抜き、落ち葉を巻き上げた。
「なっ!?」
栗鼠が驚愕の声を上げるのを認めて、ユウは舌舐めずりする。
「喋る栗鼠なんて、普通じゃないの確定ね」
しかし、相手も葉踏み鹿に踏み潰されまいと、ちょこまかと動き回り、葉踏み鹿の細足を掻い潜る。
栗鼠が跳ねて逃げれば、また葉踏み鹿は跳び、栗鼠の進路を踏み挫く。
[なぁなぁ、さっきから瞬間移動してね、鹿]
[うん、してるよね。一時停止したら、普通に姿消失してるよ、これ]
[おい、チート]
[おい、化け猫]
[おい、魔女の恋人]
[おい、未言屋]
「未言屋をラスボス的な意味で使うのはやめてくださいましっ!?」
ユウは、遂にと言うか、やっとと言うか、チート扱いに文句を言うのは諦めたらしい。
踏葉点在。葉踏み鹿を表す性質だ。
葉踏み鹿は、森中で落ちる枯れ葉や団栗が、落ち葉を鳴らす音を主体とし、それを個体とする。そして、秋の落葉落果は一斉だ。疎らに、脈絡なく、あちこちで。
葉踏み鹿は、意識の隙間で全く違う場所へ移動しているものなのだ。
当然、駆けずり回るばかりの栗鼠等に逃げられる道理はない。
「襲撃だ! 森の破壊者だ! 助けてくれ!」
それ故に、栗鼠は情けなくも大声で叫び。
それが狡猾にも傾いていた天秤を反対へ跳ね上げた。
遠くから、犬の吠える声が近付いて来る。
「あー、母様ー、わんこよ、わんこ」
「クー・シー!? って、なんで妖すはそんなに嬉しそうなのよっ!?」
「え? 怯えて泣き目になる母様が見れるから」
一切ぶれないな、この未言未子。
葉踏み鹿が、大きく後ろへ跳んだ。背中に乗っていたユウも揺さぶられ、跳ね上がる。
一拍前に葉踏み鹿がいた空間を、熊と見紛うような暗緑色の毛並みを纏った犬が噛み砕いた。
「ひぐっ」
大きさ、低い唸り声、剥かれた強靭な牙、その全てがユウのトラウマを刺激する。
「森を荒らすとは、そこまで落ちたか、貴様等はっ!」
怒りに満ちた叱声は、完全に栗鼠の言葉を信じ切っている証だ。
此方の話は、とても聞かないだろう。
「てか、話せそうにないけどね、バ母様。はぁん、かわいい♪」
「当たり前のように私の思考を読むな、怖いわ」
本当に規格外が過ぎるぞ、この未言未子は。
迫るクー・シーの鋭い爪を、頑強な牙を、巨体の突進を、葉踏み鹿は宙を舞う落葉の如く揺れて避け、地面を叩く落果の如く跳ねて躱す。
「アイツ、いきなり襲って来たんだ! 木を何本も踏み折って! 森を荒らしたんだよ!」
「なんと悪逆非道なっ!」
「ひぃぃぃぃっ!?」
栗鼠はクー・シーから付かず離れず、木の枝から枝へ跳び移ってクー・シーを煽る。
憤怒の慟哭に、ユウが絹を裂くような悲鳴を上げて葉踏み鹿に抱き付き、懸命に自分の姿を隠す。
[……なぁ、あの栗鼠の煽り、真実じゃね?]
[栗鼠の認識外から、空間転移する葉踏み鹿で強襲、その後執拗に攻撃を繰り返す]
[あれ、悪役どっちだっけ?]
相手の情報も集めず、周囲の理解も得ようとせずに、諸悪の根源らしき者を速やかに排除しようとする。
それでは誤解も生まれよう。と言うか、ユウの人生はそんな誤解が大半であったな、確か。
この状況を招いた張本人は、犬の声と姿に震えて葉踏み鹿の首にしがみついて使い物にならない。
葉踏み鹿に注いだ創作リソースは、そう多くない。彼女が消失した時、ユウはクー・シーの牙に食い千切られるだろう。
[これはいつものピンチから逆転パターンですか、解説の解析さん]
[誰が解説ですか、誰が。それに、これまでと違って遥ちゃんが恐慌状態だから、未言も新しく発動しないだろうし、キツいんじゃないかな……]
[セムはこっちでパーティ組んでるし、キャロはログアウト中、悠は【拘束】…詰んだか?]
[よし、魔王討伐時には犬を連れていこう。これで我が軍の勝利は確実だ!]
[どんでん返し来ないかー。来ないかねー?]
視聴者は期待しつつも傍観の構えだ。
「おやおや? これは妖すちゃん期待されてる? 期待されちゃってる? もう、みんな好きなんだからー♪」
そしてそのコメントを見てノリノリでやる気を出し始める未言未子が一個体いた。
[え、未言未子ってなんかできんの? 巫女じゃないよな、こいつ]
[未言荘でも、未子ちゃん達は鳴いてるだけだったんですけど…はてな?]
「ふっふっふー♪」
視聴者が予測を立てるのを見つつ、妖すはご満悦でにやける。
人の予想外な奇想天外を引き起こして意外だと思わせるのを、この未言未子はとても好んでいるのだ。
「やだなー。普通出来ないことをやらかすから、妖すちゃんなんだよー?」
妖すが自己の常識外れを、胸を張って自慢する。
「葉踏み鹿、あなたの存在、ちっとばっかしもらうからね」
そして妹に、非道とも言える通告をした。伺いではなく、決定だ。姉の立場を振り翳している。
葉踏み鹿が、瞳だけを後ろに持ってきて、妖すを見た。
「うえねえ様にお任せしますよぉ」
そして、自分の命と力、即ちリソースが奪われるのを、のんびりと了承した。
「森へ散歩にいらしたひとりぼっちの、後を追って妖す葉踏み鹿」
妖すが詩を謳う。
「ひとりぼっちを追いかけて、ここにいるよと振り回す。あそぼあそぼと繰り返す」
葉踏み鹿の詩。孤独を癒そうと木蔭から声を掛ける優しい妖。
「ひとりぼっちは逃げ出した。見えない葉踏み鹿に怯えて逃げ出した。妖す者を恐れるは、人の習いよ、人の常」
妖すが詩を途切れさせ、葉踏み鹿の首に口付けた。
「ヤバい!? あのちっこいのを狙え!」
栗鼠が気付くも、最早遅すぎる。
クー・シーが
その牙は葉踏み鹿の首元で噛み合って音を立てた。
まるで『何もない空気』を噛んだように。
「さぁさぁ、誰にも見えず、誰にも触れられず、ほんとのひとりぼっちは、だぁれだっ?」
幼子が戯れに唄う童謡の欠片みたいに、妖すが詩の終わりを告げる。
そこには何もない。薄らとも見えない。
そこには確かにいる。気配がして声がする。
ある筈の者達を探して栗鼠もクー・シーも視線を彷徨わせ、何処にもいない事に戸惑い緊張し恐れと畏れを抱く。
「あら、どうしたの? 妖されちゃった?」
クー・シーの耳元で、揶揄いの声が鳴り。
クー・シーの豊かな毛並みに手を差し入れて首を絞めるように撫で付け。
クー・シーの背後に、おかっぱ髪をさらりと溢し、愉快に悦に入っている妙齢の乙女が、はっきりと存在していて。
クー・シーが恐怖に突き動かされて空気の擦過音を立てて振り向くも、一体全体、何も其処にはいなかった。
「ばいばぁい」
何処からともなく、妖すはお別れを告げる。
妖在非在。
人よ、忘るる勿れ。
確かにそれを引き起こし、しかしてけして見付からない。妖す者は、在りて在らざる。
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