パピーウォーカー
「母さん、あたしはもういいでしょ。消えるからね」
針鼓は一方的に告げて、返事も聞かずにユウをころんと地面に転がした。
急ぎ足なのは、《針鼓》の効果でユウ自身のMPやHPがかなり減っているからだろう。
ユウは地面に体を擦り付けながら横転して、猫耳猫尾を付けた人型に戻る。
「ありがとう、針鼓」
「……ふん。命を傷付けてお礼を言われるだなんて、そんな的外れなことってないわ」
針鼓は、最後にユウが投げ掛けた感謝にも、心底嫌そうな顔で悪態を吐いた。
「じゃあね、バカ親。二度と呼ばないでくれると嬉しいわ」
針鼓はそう言って消えて、それと同時に胸の疼きも消えた。
ユウも楽になったと吐息を漏らし、そして瞬時に眉の間に皺を寄せた。
針鼓がいなくなった事に安堵したかのような態度が、自分で許せなかったのだろう。
「ほら、バ母様、いちいち落ち込んでないで、あいつらが戻って来ない内にわん娘たち助けなさいな」
「うん……」
妖すに促されて、とぼとぼとユウは鉄檻に向かって行く。
「店主様ー! 店主様ー!」
ユウの姿を見るや否や、巧が尻尾で風を切り、檻の格子に手を掛ける。
そんな犬娘に、ユウは人差し指を唇に当てて見せる。
「静かになさいな。クー・シーが来たらどうするの」
ユウが指摘すると、巧は自分の口を両手で抑えた。耳と尾が力なく萎み垂れている。
「悠さんは、どうしたの?」
ユウは、檻の中で転がって動かない悠を不安げな表情で見る。
悠は顔を上げようとして、びくりと痙攣して顔を歪めた。
「……【麻痺】か」
私は、ユウの簡易ステータスを参照して悠の状態を確認した。
【麻痺】は行動しようとすると、一定確率で痺れが走りそれが阻害される状態異常であり、強力な【麻痺】程、痺れが起こる確率が高くなる。
首を動かすだけで痺れが出るとは、かなり強力な部類だ。
「悠さん、黒い犬に雷で撃たれて動けなくなってしまったのです……」
「ブラックドッグ……そういや、あれもクー・シーの一種になるんだっけか」
ユウは持ち前の知識で情報に合致する妖精犬を思い起こした。
[ブラックドッグ?]
[あれか、シャーロック・ホームズに出てくるやつ]
[それのモデルな。イギリスで伝承される黒い犬で、雷と共に降ってくると言われている]
ブラックドッグは、伝承も多く残り、その為に力を持った妖精犬だ。相手取るには、かなり荷が勝っていただろう。
それにしても、巧の方は雷撃を受けるでもなく、ただ檻に放り込まれただけとは……檻を壊す事等出来ないと判断されたのか。
私が何とも言えない感情から巧を見ていたら、何を思ったのか彼女はにへらと笑い返して来た。
まぁ、こやつに脅威を感じろと言う方が無理な話か。
「悠さんを治すにはどうすればいいんだろう……」
ユウが、動けない悠に打つ手がなくて、途方に暮れている。
【魔女】なら魔法や薬で治せただろうが、〈化け猫〉には治癒の〈スキル〉はない。
「うむり。あの人は、母様と一緒に戦ってくれるのね」
妖すが、むくりとユウの頭の上で立ち上がり、すたりと地面に降り立った。
ユウと巧が見下ろす視線を受けながら、妖すはてこてこと歩き、檻の格子の間を抜けて、悠に近付く。
そして妖すは、悠の額に手を置いた。
「いたいのいたいの、とんでいけ~♪」
妖すは、子供が良くする振り付けでその呪文を唱えた。
「いや、そんな子供だましをしても――え?」
ユウが妖すへ向けた呆れを途切れさせて、目を見開いた。
何故なら、悠がゆっくりと体を起こし、手を握っては開いて感触を確かめ始めたからだ。
「痺れが……なくなりました」
「うそん!?」
驚きの悲鳴を上げたユウに向かって、妖すが自慢満面を見せ付ける。
「いったい、どうやったのですか……?」
何が起きたのか何も把握出来ていない巧が疑問を投げ掛けると、妖すは偉そうに腰に手を当てて自慢を語る。
「さっきの〈風虫〉の発動に余分なリソースが注ぎ込まれてからもらっちゃった♪」
至極あっさりと言っているが、いや、最早何も言うまい。幾ら有り得なくとも、それを指摘しても疲れるだけだともう分かっている。
[他の《ブレス》のリソースパクる妖すにビビるべきか、《ブレス》二つも発動させてリソース余らせる魔女の恋人にビビるべきか]
[落ち着け、どっちも本体は同じだ]
[た、たしかにー!?]
[【非常識な親子】未言巫女も未言未子も未言ブレスも、紡岐さんの付属品だからな【つまりうp主はチート】]
見事な三段論法だ、異存はない。
【麻痺】を解除された悠が檻に手を掛けた。
少し力を込めるが、鉄格子は少しの変化も起きない。
「こんなところに、何時までも」
悠は言葉に委ねて力を強めていく。少しずつ、耳障りな音を立てて、鉄の柱が曲がる。
「閉じ込められてなんて、いられないんですよっ!」
声を発する事を、力の解放に結び付けて、悠は一気に両腕を広げて、鉄格子の隙間を人一人通れるまでにした。
とても人間の力では実行出来ない事を実現して、流石に疲れたのか、悠は呼吸を荒くしている。
「うわぁ」
それを見て、ユウがドン引きしているが、キミもその気になったら鉄格子を爪で切り裂くだろうが。
呑気にぱちぱちと手を叩いている妖すも、どうかとは思うが。
「うにゅ? 店主様、だれかいます!」
「え?」
脱出に成功して気が緩んでいたところに、巧が鋭く声を上げた。
巧が指で示す先、白髪の少年が立っていた。
そこにいるようで、いないような気配で、空間にぽっかりと浮かんでいるそれは、明らかに妖精だった。
ユウと悠が、口元を引き締め、警戒の色を見せる。
「あぁ、驚かせてすみません。あの、ボクは此処でパピーの世話をしているウォーカーです」
慇懃な態度で、白髪の少年は挨拶をしてきた。
「パピーって、あいつらあんなデカイのに子犬なの!?」
ユウ、食い付くのはそこじゃない。あと、驚いたからと言って、急に大声を出すな、耳が痛くなる。
「はい。品種によって成長がまちまちですが、どの子も一歳に満たないんですよ」
少年は穏やかにユウの疑問を解きほぐす。
クー・シーの世話をしていると言っても、此方に敵意はなさそうだ。
悠も警戒を緩め、話を聞く姿勢になった。
「すみません、ボクが言ってもみんな聞かなくて……猫の方達や貴殿方にはご迷惑をお掛けしています」
「貴方は、ケット・シーがクー・シーの姫を拐ったとは思っていないのですか?」
悠が、少年の立場を理解しようと問い掛ける。
少年は軽く髪を振った。
「猫の王とは面識がありますから。彼女はそんな愚かなことはしませんし、眷属も王の好まないことはしないと理解しています。元凶は、全く余所にいると考えています」
猫の王も、犬の世話役も、同じく見えない黒幕がいると考えながら、それぞれに眷属が暴走しているのか。
「幼いわんこ達が唆されて、猫の気が短い若いのが喧嘩買ってる……そんな感じかな」
「にゅー、勘違いですか」
ユウが整理した情報に、巧がやるせなさそうに眉をへの字に下げた。
「貴殿。犬の大元より生じて犬の似姿である東洋の方よ」
「ぼ、ぼくですか?」
他に此処に犬の見た目をしている者はいないだろう。
少年に呼び掛けられた巧は、戸惑いを隠さずにユウの顔色を見た。
同類か、お前等。会話にどう応えればいいかと、いちいち他人の顔を伺うな。
「此れを差し上げます。元凶を探るのに役立つ筈です。……どうか、一刻も早く解決へ導いて下さい」
少年は、一枚の毛皮を取り出して、巧の手に乗せた。暗緑色の毛並みはクー・シーのものだろう、それが肩掛けに仕立てられていた。
巧が自分の手の上に置かれた毛皮を見詰め、それから少年の瞳を見て、また毛皮を見た。
これは何一つ分かってないな、こやつ。
「その毛皮を着れば、守り犬の力を取得出来ます。特に嗅覚はさらに引き出されるでしょう」
「おー!」
少年の説明を聞いて、巧が目を輝かせた。
早速、その肩掛けを羽織り、装備する。
「あ……これ、店主様の匂い?」
「ちょっと、発言が変態っぽいよ、二条」
言い方は確かに問題あるが、要は匂いを個別認識出来るようになったようだ。
何らかの〈スキル〉が追加されたのだろう。
「ステータスとか変わりましたか?」
悠が巧にシステムメニューからステータス確認するように促した。
「あ、〈絶対香感〉ってスキルが増えてますー」
〈絶対香感〉は、〈絶対音感〉が音色を完璧に把握出来るように、香りや匂いを事細かに判別出来るようになる〈スキル〉だ。
確かにこの〈スキル〉があれば、犯人探しも捗るだろう。
「ボクにはこれくらいしか出来なくて、すみません」
「そんな! ありがとうございます!」
巧に純粋な笑顔を向けられて、少年は微笑を返した。
「皆さんを集落の外へ送ります。此処に何時までもいると、パピーが戻って来るでしょうから」
そう言うや否や、少年は返事も聞かずに手を翳した。
誰が反応するよりも早く、少年の魔力が空間を歪めた。
微睡みのような、浮遊のような、意識が揺らぎ、その靄が晴れた時には森の中に三人は立っていた。
悠と巧は、初めての転移に目を瞬かせながら体に触れて無事を確かめている。
「ふぁあ~あっ」
その横で、大きな欠伸をして目淵に涙を溜める奴がいた。
悠と巧が揃ってその小さな化け猫を見下ろす。
「店主様、おねむですか?」
「あぁ、もう日が変わりますものね。紡岐さんはご就寝時間ですか」
「子供はとっくに寝る時間ね」
巧、悠、妖すと次々に子供扱いされるも、うつらうつらとしているユウはきちんと聞いておらず、今にも瞼が落ちそうだった。
「また明日にしましょうか」
悠の提案に、巧は異論を挟まない。
ゲームの時間は程々に、だ。
そのまま流れ解散となり、ユウは崩れ落ちるように猫の姿になりながら眠りに落ちた。
こんな落ち葉の中で寝たら風邪を引くだろうに、仕方のない奴だ。
私はユウの寝床を探す為に、彼女の首根っこを咥えて、歩き出すのだった。
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