恐怖のフルール

 ケット・シーが砦を築く丘までは、少しばかり歩く必要があった。

 秋の暮れでも、空は快晴、太陽は南中に近く、日差しは暖かい。それを打ち消す程に風は冷たいけれども。

[そういや、夢波のブレスが発動しなかったのに予想ついてるって言ったけど、どうしてなん?]

「ん? あぁ、あれですか。たぶん、【化け猫】の時と【魔女】の時とで、未言の相性が変わるんですよ」

[未言の相性?]

 視聴者の疑問の声に、ユウは黙って頷いた。

「感覚がそれぞれ違うんで、未言にも影響出てるんだと思います。それこそ、妖す姉妹とか、こっちのが使いやすいんじゃないでしょうかね」

「化け猫母様は、人を妖したり惑わせたりが得意だもんねー。あとはいなくなったりとか」

 未言は、世界の事象で言葉が当て嵌められてないものを、ユウが翻訳したものだ。

 実は、ユウは主体ではなく、観察者の立場にある。それ故に、未言の主体となるものと、観察者たるユウの感覚の相違が、【魔女】で使える未言、【化け猫】で使いやすい未言と言う区別を生じているらしい。

[未言荘で、人魚の姿をしてると夢海夢波や終沫とが紡岐さんにいつもくっいてたのと同じ感じですかね?]

[えっ、なに、終沫とって、ヤバそうな未言]

「終沫と、は、人魚や失恋に係る枕詞ですねー」

 ユウは短歌を詠むので、未言には幾つかの枕詞も存在している。終沫との他には、黒森の、が同じく童話をモチーフとした枕詞として一部に有名だ。

[未言、まじ幅広いな]

[英語の未言もあるからね]

[未言、マジで幅広いなっ!?]

「それほどでも」

 ユウが照れて頭を掻くと、その上に乗っていた妖すの未言未子が手に押されて落ちそうになった。

「母様っ! もう、気をつけて!」

「あぁ、ごめん、妖す」

 憤慨した妖すが、ユウの黒髪をばんばんと叩いた。

 【魔女】の時と違い、短く切り揃えられた猫っ毛は、妖すの腕の動きに合わせて踊った。

[今の遥ちゃんの《ブレス》だと、《風虫》と《葉踏み鹿》以外にはどれが使えるの?]

「《眞森》と《未世》、それから月や影関係の未言も〈化け猫〉と相性がいいんじゃないでしょうか」

 猫は月や夜を身近にする生き物であり、化け猫は不可思議な現象を引き起こす。

 【化け猫】のユウが得意とする未言は、その範疇に当たるのだろう。

[《眞森》いけんのか。なら、そんなに辛くないか]

「ただ、レベル0なんで、MPが心許なくてですね」

[レベル上げもしないとかー]

 地味に《化け猫》の齎した災難が響いているな。

「なら、ケット・シーの砦に行くまでに、【フルール】を狩っていけばいいでありんす」

 二又の尾を揺らして前を歩く《化け猫》がそう提案する。双緒太夫は、移動の時は猫の格好をしている方が楽らしい。

「うみ。たしかに」

 ユウはその通りだと頷き、猫目をさらに鋭く細める。

「んー、〈魔女の瞳〉がないから、探すのむずいな」

 むしろ、遠くにいる者を基礎ステータス目視で索敵する柘榴の瞳が異常だと分かれ。

[あ、〈魔女〉じゃなくなってスキルもなくなったんか]

[ん? じゃ、なんで《妖す》の未言未子は見えてるんだ?]

[あ、そっか。未言未子は銀眼で見てたんだっけ]

「だそうよ?」

 ユウは視聴者の疑問に自分で答える気がなく、頭にべったりくっ付いて怠け切っている未言未子を、猫耳で叩いた。

「んー? わたしがすごいからじゃないかな」

「ですって」

[妖すちゃんは、紡岐さんの悪いところそのままですね]

「みっ!?」

 ユウが不服に毛を逆立てるが、その意見は至って的を射ていると思う。

 未言巫女の中にも問題児が……いや、滴合うとか論外な奴は既にいたな。

「【化け猫】に限らず、野の獣は魂を見るのに長けてるでありんすからな」

「あ、種族補正か、なるなる」

 とすれば、【化け猫】であっても未言を見る感覚に支障はないのか。

 まぁ、ユウがユウである限り、未言は無尽蔵に増えて行くとは思うが。

「母様、母様、ほらほら、フルールがいたよ」

 誰よりも妖すが早く、それを見付けた。ユウの頭をぱしぱし叩いて注意を促す。

 ころりとした毛玉で、双緒太夫や私よりも少し小柄な四足動物だ。

「え、なに、妖す。なにもいないよ、なにいってるの」

 そしてユウは、頑なに妖すの言葉を無視して、其れを視界に入れないように努めている。首は螺子で締められたように固く、前方を見て動かない。

「『ポメット』でありんすな。レベルが0でも与し易い相手でござりんすよ」

 『ポメット』は、まぁ、名前から分かる通り、現実のポメラニアンの仔犬に良く似た【フルール】だ。『チビット』と同じく、初心者でも簡単に倒せるモブなのだが、一つ問題があった。

「犬なんか見えない、犬なんか見えない、犬なんか見えない」

 小型犬の仔犬と言えど、犬は犬。

 ユウは強張った笑みを浮かべて恐怖心を宥め、冷や汗を垂らしながら足早にその場を立ち去ろうとしていた。

[うわ、本気で犬ダメなんだな]

[よし、今度つむーに犬のぬいぐるみプレゼントしてやろう]

「ガチで泣くぞ、バカねーやん!?」

 おお、セムのコメントなら犬と言う単語にも反応するのか。

 セムもセムで、『バベルの塔』攻略している途中なのに余裕があるものだ。休憩でもしているのか。

[おい、セム!? 気を反らすな、オレらをトラップに巻き込むなー!?]

[あ、ごめー。通路の先で見えんかったわ]

[事故ってるぞ、向こう]

[いつものことです。あ、二人がデスペナった]

[ジョニーぃぃぃっ!?]

「ねーやん、ねーやん、皆さんがかわいそうだから集中して差し上げて」

[なんだよー、せっかく見守ってやってたのにー。困ってるつむむ見て笑いたかったのに、そんなこというならもう見てやらね]

「みなさん、みなさん、わたしとセムさんが仲良しでいるために犠牲になってくださいまし♪」

[ちょ、おまっ]

[遥ちゃん!? こっちリアルで修羅場なんですけど!?]

[セムー!? おい、ボス来てんぞ、トラップ制御しろー!?]

 この化け猫、自分の欲の為にあっさりと犠牲を強いよった。

 コメントの向こうでは、阿鼻叫喚に貶められたベータテスター達の叫びが反響する。

[でも、わざわざコメントしてるって、ベータテスターさん達もまだ余裕ありますよね]

ベータテスターキチガイだかんね]

[どうせ、セムが何もかも更地にするでしょ、心配するだけムダだわね]

 そんな殺伐とした雑談が飛び交う中で、妖すの未言未子がユウのシステムメニューを弄って、配信窓を拡大し、セムのコメントにマーカーを引いて双緒太夫に見せた。

 いや、お前も運営が与えてない権限を行使するな。

「ほらほら、このバ母様は、セムを楽しませるために『ポメット』に挑むらしいよ、手伝ってあげよ」

「任せてくんなまし」

「意義無しだ」

 だが、ユウの発言責任を取らせようと言うのは、大賛成だ。

 《化け猫》も意気揚々と、空間を捻じ曲げて閉鎖し、ポメットとユウの逃げ場を潰した。

「ちょ、まっ、なにしてんの!?」

「いやぁ、折角やる気を出したでありんすから、逃げられねぇように手を貸しんしょう」

「母様、がんばれ~♪」

「みぎゃー!?」

 ポメットが円らな瞳を煌めかせて近付くと、ユウが絶叫して飛び退いた。

「キャンッ」

「ひぃぃいいいっ!」

 一声、鳴かれただけで、ユウは這い蹲って私の後ろに回って盾にした。

 いや、私の体の方がユウより一回り小さいのだが。全く隠れられてないぞ。

「ほらほら、母様。猫より小さい仔犬ちゃんだよ、なにびびってるの?」

 妖すがそんなユウを見て、心底楽しそうに囃し立てる。

 もっとも、犬を前にしたユウは恐怖に意識が掻き混ぜられて、妖すの言葉は届いてないようだ。

[この未言いい性格してんなー、イイゾモットヤレ]

[セムはこっちに集中しろ、お願いします!]

[あっちゃー、五人目の犠牲者が……]

[遥ちゃんとベータテスターの皆さんが弄ばれている]

 いや、全く収拾が付かないな。何時もの事か。

「いっ!」

 ポメットがじゃれ付くようにユウの足に飛び掛かり、爪を立てた瞬間、ユウの恐怖心と自制心が一気に振り切れて歯止めを失った。

「犬がわたしにさわんなー!?」

 絶叫が、物理的な衝撃を伴って、空間を抉った。

 ユウの取得した〈アヤカシ〉と言うスキルは、理不尽な存在へ自身を変えるものだ。

 費やしたTPの量に強弱は依存するものの、猫の小さな爪も鎌鼬の太刀となり、猫の可愛らしい牙も獅子の顎門あぎととなる。そして、ユウの五百近いTP全てを注ぎ込めば、拒絶の叫びは神の祟りとなって、天変地異を引き起こす。

「はぁ……はぁ……ぁっ」

 但し、【アーキタイプ】である双緒太夫の結界を崩壊させる程の威力を出したたがの外れた力の発動は、彼女のTPを使い切り、張られた気が弛んだ瞬間に意識を失わせるのだが。

「ふふふふふ。仔犬一匹に自制をなくした一撃かまして気絶する母様、かわいい♪」

 くたりと糸の切れた人形みたいに目を瞑るユウを眺める妖すに、私は空恐ろしさを感じた。

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