化身の《ブレス》

「それにしても、どうして紡岐さんの《夢波》は発動しなかったんですかね?」

「なんとなく予想は付いているのですけど、悠さん、なぜわたしの髪を指で梳くのです?」

 【化け猫】になって短くなり、肩に掛からない位になったユウの髪は、悠が指を動かす度にさらさらと零れる。

「《夢波》さん、眠ってらしたんでしょうか」

「夢波は眠ってるのがデフォだし、未言巫女が寝てても《ブレス》には関係ないし、それからわたしのしっぽをモフるのを止めなさい二条」

 巧は、ユウの黒い尾を握って離さない。さらさらとした毛並みが楽しいらしい。

「なんにしても、皆さまぁ、何事ものうてようござりんした」

「あんたもわたしを抱き上げないで解放してよ、ていうか、みんな離れなさいなっ!?」

 双緒太夫の腕に抱かれたユウが雄叫びを上げるが、サイズと言い、顔立ちと言い、子猫が威嚇しても可愛いと思うだけなのと同じで、ユウを撫で回す三人は一様にほんわかと笑顔になる。

「話がっ! 進まないんですよっ!」

「それは、私が何時もキミ達に思っている事だ」

「なぁんっ!?」

 普段にどれだけ私が気を揉んでいるか、少しは味わうが良い。

 ユウは腕で体を引き出して力付くで脱出を試みるが、双緒太夫の見事な手練でするすると堂々巡りして抜け出せずにいる。

[お楽しみのとこあれなんだけどね、紡岐さん、さっき【バーサス・プレイ・タイプ】を取得したよね]

「楽しんではないですけど、〈化け猫〉の【バーサス・プレイ・タイプ】は取得しましたね」

 ユウは自分をまさぐる手への抵抗を諦めて、コメントに応答する。

 これ幸いと、巧がユウの猫耳に手を伸ばし、反射で払い退けられて、引っ込めた。

[遥ちゃん、遥ちゃん、セーブポイント以外でバーサス・プレイ・タイプが取得される条件覚えてる?]

「あれですよね。初めて【バーサス・プレイ・タイプ】を取得、する、時……初めて?」

 今度は天使に指摘されて、やっとユウはとある可能性に思い至ったようだ。

 双緒太夫の腕に拘束されているのを、まどろっこしそうにしながら、システムメニューを開く。

「魔女の【バーサス・プレイ・タイプ】なくなってるじゃん!?」

 うむ、【種族】が変更された辺りで気付いて欲しかった。

 自分の事になると、本当に無頓着になるな、こやつは。

[やっぱりなぁ]

[だよねー、他にないよねー]

[え、なにが起こった? 化け猫の呪い?]

「店主様、魔女じゃなくなったんですか?」

「うーん、ステータスで【魔女】でなくても、紡岐さんは未言の魔女ですよね」

 巧も悠も、呑気なものだ。その程度でユウが個性を失わないと確信しているのだろう。

「ちょっと、わたしの魔女なくなってるんですけど!?」

 ユウがぐりんと首を回して、後ろから腕を回す双緒太夫に文句を付ける。

 かと言って、《化け猫》はからからと笑うばかりだ。

「心配しなんし。わっちの頼みを果たしてくれなんしたら、元に戻るでありんす」

「ほんとにぃ?」

 ユウは疑りの眼差しを返す。

[あの、紡岐さん。配信映像をスクリーンにしてもらえますか? 恐らく、それでその《化け猫》にも画面が見えるようになるはずです]

「え? スクリーン……これです?」

 ユウはコメントに寄せられた指示に従ってシステムメニューを再び操作した。

 それまで視界の端に小さく映っていた配信窓の映像が、テレビ画面程度の大きさで空間に表出する。複数人で同じ映像を見れるようにするスクリーンモードだ。

 悠や巧も、其れを覗き込み、そして双緒太夫も触れられないその画面に指を伸ばした。

「あらぁ。此れが話に聞いとった【ウェールズ】の映像でありんすな」

「ちょっと待て。話に聞いていただと?」

 視聴者の言葉通り、双緒太夫も問題なく配信映像を見れているが、その発言は聞き捨てがならなかった。

 何故、【アーキタイプ】とは言え、NPCでしかないこの《化け猫》がメタ視点の話を知っている。

「なんでって、それは《魔女ニクェ》が教えてくれたからでござりんすよ」

 またあの魔女かっ!

 一体、何処まで手を回していたんだ、あのバグじみたイレギュラーは!?

「こう、魔力をつこうて、わっち含めて何人かの【アーキタイプ】と交信してたでありんす。その時に、未言屋って可愛らしゅう【ウェールズ】がやって来るから、困ったら力を引き換えに助けてもらいなはれって」

[聞く限り、チャットみたいなもんか]

[【エクストラハードモード】つまり、遥ちゃんは既に何体かのボスに目を付けられていると【回避不可能】]

[遥ちゃんの苦難は続く、かぁ]

「ちょっとニクェ、余計な置き土産しないでくれる!?」

「あー、紡岐さん、がんばってください」

「店主様、ぼくもお助けしますよぉ」

「二条は怪我しないように引っ込んでなさい」

「わふぅ……」

 【アーキタイプ】が力を引き換えにとは、《ブレス》を与えてくれると言う事だろうが、そうだとしても、奴等が対処出来ない無理難題を押し付けられるだなんて堪ったものではない。

 本当に余計な事ばかりしてくれる。

 他に一体どの【アーキタイプ】に話をしているのだ、あの《魔女》は。

[あー、えーと、話が盛り上がってるところ悪いけど、《化け猫》さん、ボクのメッセージ見えてる?]

「これは、向こうの世界にいる者が書き込んでるでありんすな? 見えてござりんすよ」

 《化け猫》と言うだけあって、双緒太夫も常識外れな物事に対して理解が早い。

 ユウにスクリーンモードを指示した視聴者――ベータテスターの一人であり、特殊な《ブレス》を取得した彼女が自身の推論を述べる。

[それは重畳。さて、貴女が紡岐さんに贈った《ブレス》なんだけど、それは『複数のアヴァターを切り換える』タイプの効果だよね?]

「あぁ、そうでありんす。主様の発現した《ブレス》が世界に記録されていたものを参考にしたでありんす。幾つかの生命を一つの器に内包する《ブレス》でござりんす」

 そう、彼女がベータテスターでも特別とされる所以は、アヴァターの切り換え効果を実装させたからだ。

 それはセカンドキャラだとか、サブアカウント等と言う次元ではなく、ログアウトする事もなく、セーブポイントでなくても、瞬時に違う性能と能力を保持した姿に自由に変更が利く《ブレス》だ。

 ベータテスト時に、誰も打つ手がなく撤退が必至と思われた状況で、彼女は文字通り姿を変えて突破口を開いた。

 『ペルソナ』の愛称で、彼女はベータテスター達からも一目を置かれている。

「えぇと、つまり?」

 そして、ユウはいまいち何を話しているのか把握出来なかったらしく、小首を傾げた。

[うん。紡岐さんの【魔女】アヴァターは、現在控えになっていて、代わりに【化け猫】アヴァターが使用されている。ただし、《ブレス》取得時のバグによって、今は変更が出来ない。違うかな?]

 『ペルソナ』から提示された推測に、双緒太夫が音を控え目に拍手を贈った。

「参ったでありんす。や、未言をただ告げただけでは、《ブレス》をきちんと形にするだけの力が賄えなかったでありんすよ」

 この《化け猫》め、いけしゃあしゃあと。むしろ、半端な《ブレス》にするためにあのタイミングで与えたのだろうに。

「ふむ。あそこで紡岐さんが『妖す』で歌を詠んでいたら、完全な状態でアヴァター切り換えの《ブレス》が与えられていたのですね」

「それはどうかな。同時に、私が《ブレス》になって、残りのリソースだけでバグブレス贈るんじゃないかな」

「そうでありんすな。遥様には、どうしても猫になってほしかったでござりんす」

「なんで店主様を猫にしたですか?」

「その方が可愛いし、猫の集落に放り込むのにちょうどいいでしょ」

「なるほどですー」

「いや、ちょっと待って。そこの妖す、まだ未言未子なのになんで普通に喋ってるの、あんた」

「んー?」

 何時の間にか、ユウの頭に乗っていた《妖す》の未言未子は、無邪気な幼顔に意地悪い笑みを含ませる。

「意味がわからないことが起きるのが、私たちでしょ、母様? あ、それと、私の《ブレス》たら、ものすっごいから、機会があったら取っておくといいよ」

 座敷童子のように、捕え処なく、妖すの未言未子はユウに助言する。

 元から、妖怪がやったとしか思えない不思議が起こる事、と言う意味である未言だ。取り分け特殊で強力なのは間違いないだろう。

「大方、妖す姉妹の風虫や葉踏み鹿から余分なリソース受け取ってるんでしょ。夢海だって、夢波使ってるとちょっとずつパワー上がってるみたいだしね」

「なーんだ、母様、知ってたの? つまんなぁい」

「子供の事を分からないで親をやってられますかって」

 ユウは持ち前のSENで起こっている現象を把握したようだ。

 いい加減、双緒太夫に抱き締められているのにも嫌気が挿したのか、頭に乗った妖すを左手で押さえて、するりと拘束を逃れる。

「なんにせよ、猫と犬の喧嘩止めたら元に戻してくれるのね。やってやろうじゃんか」

「ふふっ。短絡的な母様らしいわね。一緒にいてあげるから、困ったらすぐに私を《ブレス》にするのよ」

 うだうだと悩むのは、直情的で短絡的で単純なユウの気性には合わない。

 やる事があるなら、やる。何時だって、理由なんかそれだけでいいのだ、この未言屋店主には。

「二条、わたしはケット・シーの方に行くから、あなたは悠さんとクー・シーの方に行きなさい」

「えぇっ、お別れですかぁっ!?」

 猫と犬が種族間で対立している状況で、〈化け猫〉のユウと犬の〈化生〉の巧が同行するのはデメリットしかない。

 ユウは難色を示す巧の頭を撫でて宥める。

「わたしは犬の方には行けないから、任せたわよ」

「むっ。任されました」

 ユウに真剣に頼まれれば、巧もそれに誇らしさを抱くのだ。

 精一杯の精悍な顔付きで、巧はユウの期待を受け止める。

「悠さん、このわん娘のお守りお願いします」

「お守りって。かしこまりましたよ」

「そんなら、お二人にはクー・シーの集落の場所を教えるでありんす」

 双緒太夫が懐から一枚の地図を出した。其処には、猫の砦と犬の集落、その二ヶ所にマークが付けられている。

「……なんで猫と犬がこんな近くに本拠地持ってんのよ」

「まぁ、いろいろあったでありんすよ、きっと」

 そもそも相性が良くないだろうに、目と鼻の先にお互いが暮らしている二種族に、言ってもどうしようもない文句を垂れながら、ユウは巧と悠を見送った。

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