まずは様子見

 ユウと巧は、《化け猫》双緒太夫に連れられて、森を抜けた。

 予想通りに其処は、眞森の側に続く平野ではなく、なだらかに起伏を繰り返し、丘の九十九折る景色であった。

「はてさて。猫の国に行くんに、一つ難点がありんすな」

「そうね」

「うにゅ?」

 二匹の化け猫の視線に挟まれて、巧は訳の分かってない顔で目を瞬かせた。

「やっぱ、連れていけないの?」

「袋叩きになりんすよ」

「えっ。えっ?」

 このわん娘は、話を聞いていなかったのか。

 猫と犬が喧嘩している時に、犬が猫の本拠地に付いて行ける訳がなかろうに。

 ユウがおとがいを軽く握った拳に乗せる。

「猫と犬って、元から仲悪いの?」

「いんや。普段はたいして。たまさか、それぞれで付きおうとるのもござりんす」

 双緒太夫の話に、ユウは小首を傾げた。

 事態の解決を謀っていると言い、普段は仲互いしてないと言い、どうにも実態が掴めない。

「うん、二条をこのまま返すのも偲びないし、どっかケット・シーとクー・シーが鞘当てしてるようなところはある?」

「先に現状を見なんしか。ほんなら、こっちゃに」

 ユウの意見を聞いて、双緒太夫は足の向きを変えた。

 丘を二つ越える内に、双緒太夫は黒猫に化ける。

 揺れる尾を追って、ユウは歩いた。

「なんでわざわざ猫になったの?」

「この方がすぐ逃げられるでござりんしょう?」

「逃げるんかい」

 どうにもこの《化け猫》も掴みどころがない。

 大抵の相手ならどうとでも出来る強さは間違いなくある。なのに実力行使を厭うのは、無駄な殺生を好まないのか、はたまた無駄な苦労を好まないのか。

[それにしても、遥ちゃんの口調微妙に変わってね?]

[確かにな。ロールプレイ的な?]

[素だと思うけどね、あれ]

[そうですね。どちらかと言うと、ペルソナに近いと思います]

 姿が変われば内面も影響を受けるものだ。況してや、ユウは複数の自我を内包しやすい性質を持っている。

 そうでなければ、あれだけ性格の違う未言巫女達を空想出来ようもない。

「あっこにござりんすな」

 双緒太夫が、丘の頂に登り切る直前で足を止めて、尾で先を示した。

 恐らくは、顔を出せば直ぐに、お互いが見えてしまうのだろう。

  ユウの黒い猫耳がぴくぴくと動き、ピンクの内側が彼方へ此方へ行ったり来たりする。

 その人よりも鋭敏な耳は、丘の反対側を下り切った所にいる者達の会話を拾った。

「お前達、いい加減正直に言ったら、どうだ」

「我らとて、無駄な争いがしたい訳ではない。姫が最後にいらっしゃった足取りが分かれば、此方で捜索するのだ」

「うっせーな、知らねっつってんだろ」

「むしろ、お前らこそ、うちの坊っちゃんの行方知ってんじゃねぇのかよ。犬共はそっちの嬢ちゃんに近づく坊っちゃんを快く思ってなかったみてーだしな」

「邪推をするな!」

「テメェらこそ、根拠ねぇ言いがかり付けてんじゃねぇぞ、こら!」

 一通りの話を盗み聞きして、ユウは双緒太夫を見下ろした。

「え、なにこれ、マフィアとヤクザの会話?」

「あっちさんが聞いたら、怒鳴りこまれるでありんすよ」

 どうにも気の立っている者同士がぶつかってるようで、ユウは割り込みを躊躇う。

 双方から邪魔したと敵対されたら、堪ったものではない。

 さらには、巧がまだ遠い怒鳴り声に怯えて、頭を抱えて身を縮ませている。目を付けられたら、この尾を丸めているわん娘も守らないと行けないのだ。

「姫様とか、坊っちゃんっていうのは、知ってる?」

 まだ彼方は言い争いが続くようなので、実際に手が出るまでは放置と決めて、ユウは双緒太夫から情報を聞き出す。

「なんや、犬の姫さんと猫の王子さんが一緒にいのうなったようで」

「え、なに、種族を越えた禁断の愛?」

 ユウよ、好みのシチュエーションだからと言って、そんなに楽しそうに目を輝かせるな、声を弾ませるな。不謹慎だぞ。

「駆け落ち? ねぇねぇ、駆け落ち?」

[遥ちゃんが斜め上にテンション上げとる]

[紡岐さん、恋ばな好きだよねー]

 すっかり夢中になっているユウの袖を、巧が引いた。

「店主様、犬さんと猫さんのケンカ始まってしまったようですよ」

「うぇっ!? やば、気を抜きすぎた!」

 丘の向こうから発せられている暴力の気配に、巧はますますぺたんと犬耳を伏せている。

 ユウが一気に丘を駆け抜けた。

 跳躍すれば、眼下には二匹の猫と三匹の犬が絡み合っている。

 ケット・シーは二足歩行して人間めいた動きなのに対して、クー・シーは四足で犬のままの動きをしている。

 牙と爪をお互いに突き付けていた両者は、頭上に現れたユウを認識すると一瞬動きを止めた。

「お願い、《夢波》」

 ユウが心を込めて、未言を告げた。

 左手で宙を掴み、着地と同時に振るう。

 しかして。その左腕は、空気を払うばかりだった。

「あれ? 夢波? 夢波ちゃん?」

[どした、夢波]

[発動しないのか?]

[おやや?]

 一向に夢波の未言巫女も、《夢波》の揺らめきも姿を見せず、ユウは強張ったぎこちなさで、猫と犬の妖精達を見る。

「なんだ、貴様は。猫の仲間か?」

「ちげーし、知らねーし。んだよ、テメェ、なんの用だ?」

「あ、その、ケンカは止めよ?」

 両者から凄まれて、ユウは頼りない微笑みで仲裁に入る。

「止めろって言われて止めるか、ボケェ!」

「邪魔立てするな!」

「なーんっ!?」

 当然だが、興奮状態にある彼等がそれで止まる訳がなかった。

 何方からも牙を剥かれて、ユウは怯む。

「店主様っ!?」

 巧が悲鳴を上げた。

 クー・シーの牙が、ケット・シーの爪が、ユウに向けて襲い掛かる。

 ユウにそれらに対応する余裕はなく。

 光がユウに寄り添うように散らばった。

「えっと、私、間に合いましたかね?」

 ユウに噛み付こうとしたクー・シーは、頸動脈から五ミリメートル離れた空中に添えられた刀に動きを止め。

 ユウに立てようと迫っていたケット・シーの爪は、左手を返して逆手に握られたステンドグラスのような扇子に受け止められていた。

「悠さん!  たーすーかーりーまーしーたー」

「いえ、どうにかできてよかったです」

 少しの緊迫と冷や汗を垂らしながら、ログインした悠は、ユウの窮地を救ったのだ。

 猫の妖精も犬の妖精も、大きく飛び退いて悠と距離を取る。

 それに併せて、悠も刀と扇子の構えを直し、五つの敵の動きに反応出来るように気を張った。

 そして、間も開けずに。

「退くぞ」

「チッ。逃げんぞ」

 何方も不確定戦力に手を出すリスクを嫌って、逃げ去った。

〔〈バーサス・プレイ・タイプ:化け猫〉を1レベルで取得しました〕

〔〈スキル:アヤカシ〉を取得しました〕

〔〈スキル:マヤカシ〉を取得しました〕

 敵の逃亡により、戦闘終了と判断されたのだろう。自ら地雷に踏み込んだだけのユウにもシステムは戦闘の貢献を認めて経験値を割り振ってくれた。

[あれ? これはもしや……]

[どうした?]

[うん、まぁ、遥ちゃんが気付くのを待とうか]

[うん?]

 うむ。ベータテスターに気付いたのがいるか。似たような《ブレス》はベータテストの時にも取得されているから、ここまで情報が出揃えば、察するのも容易だろう。

 五匹の犬猫が去った後も、辺りを警戒していた悠が、やっと顔を左右に振るのを止めた。

「ふぅ」

 悠が体内に張り詰めていた気を、息と共に吐き出した。

 筋肉が弛緩し、刀も扇子もだらりと提げる。

 それから、魅せの入った大きな仕草で納刀し、扇子を帯に差す。

「さて」

 悠が、今は〈化け猫〉になっている一歳児程度の身長しかないユウを見下ろした。

 じっと悠に見られて、ユウがこてんと首を倒す。

 そして。悠がユウを抱き上げた。

「あの、悠さん、赤ちゃんみたいに抱き上げないでもらえますでしょうか」

「いや、こう、愛らしくて。ほっぺとかつついていいですか?」

「とても問題があるので、断固として拒否します!」

 【魔女】の時よりも輪を掛けて童顔になったユウは、中身を知っていても幼児にしか見えなかったらしい。

 悠は残念そうに、眦を下げて、ユウを地面に降ろした。

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