龍の宴

 凄惨な冷風が落ち着いた時にも、草原は草原のままだった。柔らかな草だけであったのが幸いしたのだろう。

 それ以前と異なるのは、デミ・リヴァイアサンの巨体が鎮座している事くらいか。

 たっぷり五百メートル程の距離を取って皇龍の手から降ろされたユウは、ぺたんと座り込みその光景に呆けている。

 皇龍の小さな体躯を挟んで反対側には、ユウを助けた人物が腰を降ろしていた。ユウがちらりとそちらを見て、直ぐに血の昇る顔を隠す為に俯きフードを目深に被る。

 彼はすらりとした長身で、ユウの態度を見るとそれはもう爽やかな顔で微笑んだ。

 中々の好青年だ。何処ぞの魔女と違って無理に我を通す訳でもなく、それはそれで仕方ないという風に遠目に見てくるだけだ。

「何と言いましょうか……我が口出す事ではないのでしょうけれども」

 皇龍は左右に置いた二人を見比べて呆れている。

 これくらい奥ゆかしい方が良いと思うのだが。

「さて、我は我の出番を果たしましょうか」

 皇龍は落ち着いた足取りでデミ・リヴァイアサンの方へと歩み出す。

 間に陰になる小さくも頼りがいのある体がなくなり、一層ユウは縮こまった。

「あ、の」

 それでも、ユウは何とか秋の虫が鳴くくらいの声を絞り出す。

 むしろ、小さな声で聞こえなければ諦めるつもりではなかろうか。

「ん?」

 しかし、風も音なく吹く草原で、その声は聞き逃されなかった。

 ほんの数秒の沈黙が、やけに長く感じる。

「ありがとう、ございます」

 その一言のお礼を告げるのに、よくもまあここまで躊躇ったものだ。

「うん、どういたしまして」

 彼は非難の一つもなく、さらりとそれを受け入れた。

 それからまた沈黙が降りて来て。

 ユウはひたすらに地面を見詰めて微動だにせず。

 彼は風に涼んで辺りの景色を眺める。

「紡岐ティーチャー! 傷害は受けませんでしたか!?」

「つむー、おつかれ」

「障害? ……あ、傷害か。怪我はないよ」

 メノの《ブレス》に巻き込まれないように避難していたキャロとセムがやって来た。

 そのテンションの違いが、あまりにも顕著過ぎる。

「さて、飯だ、飯だ。ファンロンの旨い飯だぞー?」

「飯? あっ」

 ユウの意識が二人に移った所で、然り気無く隣にいた彼が腰を上げた。後ろ手を振って、立ち止まる事なく離れていく。

 彼の向かう方にも、弥兵衛が集めたらしいプレイヤー達がいた。

 これから始まるイベントを逃さないように、ベータテスター達が声を掛けて留まるように促したらしい。

 大勢の人だかりに見守られる中、皇龍はデミ・リヴァイアサンの肉体まで辿り着いた。

 皇龍が宙に右手を差し込み、一振りの刀を取り出す。それは鮪を切る長身の包丁をさらに拡大した形をしており、正しく調理の為に取り出された包丁だ。

 皇龍がそれを振るってデミ・リヴァイアサンの首と頭の境に食い込ませ、一拍置いてから体重を掛けて、すんなりと頭を落とした。

「あの、あっさりと首が落ちたんですけど」

 ユウが非難の声を上げたのも至極当然だろう。如何なる攻撃も通さなかった鱗がまるでないかのようなのだから。

「あれ、元のままに見えるけど、実際はファンロンがドロップした食材だから」

「他のプレイヤーがドロップした鱗とか骨とか全部なくなってお肉だけになってるんですよー」

 最早見慣れた光景なのだろう。セムとキャロが何が起きているのかを詳びからに語る。

 ユウが目を丸くしている間にも、皇龍によるデミ・リヴァイアサンの肉の解体は続く。

 時に斧を、時に巨大な串を、時に皇龍の体と同じ大きさもある鋏を使い、デミ・リヴァイアサンだったものは真紅に麗しい肉へ細断されていく。

 その大部分は光と共に皇龍の【ストレージ】に消えるが、一部はそのまま挽き肉にされて野菜と和えられ、或いは炎に包まれた寸胴に落とされ、或いは油が香る中華鍋へと投じられる。

 完成まで五分も掛からなかっただろう。皇龍は鮮やかな手際で料理を拵え、《ブレス》を基にする特殊な【ストレージ】から出した豪華なテーブルに食事を並べた。

 満漢全席。

 一言であったらそう称せられる食卓へと、デミ・リヴァイアサンは変わり果てた。

「さぁ、宴の始まりです! 召し上がれ!」

 それまでの穏やかで物静かな態度からは見当も付かなかった、銅鑼の如き声を張り上げて皇龍は宣言する。

 何に感化されたのか、プレイヤーの一団が雄叫びを上げた。さながら、勝利を噛み締める鬨の声か。

 ユウは漂ってくる匂いだけで、生唾を飲み込んだ。

「しゃー! 食うぞー!」

 セムが真っ先に駆け出した。これだけの敵を相手にして何処にそんな体力が残って……そういえば、あやつだけ殆ど動いてないな。

「あ、ずるい!?」

 ユウもその後に追い縋る。

 さっき息を切らしていたよな?

「ふふふ」

 その二人を、キャロが笑いながらゆったりと追う。

「お、おいひぃ……」

 角煮を口にしたユウがすっかり顔を弛ませていた。

 あまりにもだらしなくて他人様に見せたくはない。

「んでも、あれって普通の生き物じゃないんでしょ? フルール? とか呼んでたし。食べて平気なの?」

 咀嚼するのを止めようともせずに、ユウはそんな疑問を二人に向ける。

 セムは手にした香辛料を纏わせたせせりの串焼きを飲み込んでから口を開いた。

「せやな。フルールは倒したらドロップ残して消えるけど、皇龍の料理で腹壊した事はないで」

「ねーやんの弱々しい胃が平気なら、わたしは平気か」

 その一言で懸念はなくなったとばかりに、ユウは小籠包に箸を伸ばす。

 少し皮を噛んで穴を開け、慎重に息を吹き込んで冷まし始めた。

「で、普通の生き物はお肉残るの?」

「死骸は残るし食えるのもいるよー。ドロップは落とさん。それから、フルールのザコはリポップするけど、それ以外のは勝手には復活しない」

「んー。割りと明確に違うのねー。あつっ!?」

 焦れて小籠包を口に放ったユウが、涙ぐむ。

「やーい、猫舌ー」

「ねーやんもでしょ」

「おれは確実に冷めきるまで手出さないしー」

「とても仲が宜しいのですね。こちらのスープも如何ですか?」

「あっ、ありがとう、ございます」

 いつの間にか側にいた皇龍から、ユウはおずおずと器を受け取った。

 透明な脂が浮かぶ透き通ったスープには、ぷるぷるとゼラチン質の肉片が揺れている。

 ユウがその肉片を口に含むと、頬を蕩けさせた。

「おいしい、おいしい、なにこれー」

「子宮です」

「子宮、めちゃうまー♪」

 内臓でも特異な部位だと告げられても、ユウは何も臆せず食を進める。

 まぁ、こやつも鶏なら軽々と捌く人種だからな。

 ユウはお椀に注がれた汁の最後の一滴まで飲み干した。

〔皇龍の《龍餐》によりHPが100上昇しました〕

「うおっ!? HPがいきなり上がった!?」

 すっかり気を緩めていた所にシステムメッセージを告げられて、ユウは肩を跳ねさせた。

 その様子を皇龍が可笑しそうに笑っている。

「食した者を強くする料理、それが我が《龍餐》のブレスなのです」

「正直、ファンロンのドーピングなかったら、ベータテスト乗りきれなかったよなぁ」

「そうですね……」

 セムとキャロが少し遠い目をする。この二人が思い沈むとは、何れだけ苛酷だったのか。

「さて、宴も大分落ち着いて来ましたね。食事を終えて此処を立つ方もおられるようで」

 皇龍に促された方を見ると、確かにハイタッチして歩き出すプレイヤーや手を振ってパーティメンバーを呼ぶプレイヤー等がちらほらと見られる。

「この余った料理はどうするの?」

 勿体ない、あわよくば貰いたいと、ユウの目が据わる。

 それを見てまた皇龍はくすりと笑う。

「我の【ストレージ】に保管して、事有る毎に皆様へ差し出します。宜しければお分けしますか?」

 皇龍の提案に、ユウの目がきらきらと期待が籠る。ついでにセムとセムの被った虎にも見えない何かの目がぎらついた。

「あ、でも、賞味期限は?」

「【ストレージ】に入れとけば出来立てのまんまなんで問題ナッシングですよ、紡岐ティーチャー」

 今更の懸念も即座にキャロが否定してくれた。そしたら、ユウが断る理由はない。

「是非下さい!」

「はい、喜んで」

 皇龍は心から喜ばしいとばかりに、慈悲の溢れた微笑みを浮かべた。自分の料理が好まれるのがとても嬉しいのだろう。

 皇龍から何種類かの料理を【ストレージ】に仕舞って、ユウはほくほく顔だ。

 それから、ふとユウが大きく欠伸をする。

「あ、もう日付変わるのか。紡岐さんの就寝時間だ」

 セムが現実の時間を確認した。

「ほんとなら、九時に寝たい」

「紡岐さん、それは流石に早すぎです」

 今時小学生でも眠らない時間帯を述べるユウに、あのキャロでさえ呆れていた。

「ログアウトするなら、セーブポイント行った方がいいよ? こんなとこでログインすると最悪野性動物に襲われるで」

「プロトに戻りますか?」

「プロトは此の騒ぎで宿屋も壊されています。セーブポイントとして利用は、直ぐには難しいかと思いますよ」

「ユウだったら、次の町に行くより、魔女の家に帰った方が早いだろうな」

 宿屋やホーム等、安全に就寝出来る場所がセーブポイントとして設定されている。デスペナルティ後の死に戻り場所にもなるそれが『プロト』からなくなったのは、果たして誰の攻撃によるものなのか。

 そんな事より別に、ユウには悩む所があった。

 虚空を見詰めているユウは、その実、自らの【ストレージ】に納まるアイテムとそれが巻き起こした惨劇を思い返している。

 即ち、《異端魔箒ニクェ》を。

「……だいじょうぶ、さっきはちゃんと制御出来た、わたしはきっと出来る」

 ぶつぶつと言葉を垂れ流すユウに、この場にいる全員が同じ気持ちを抱いた。確実に駄目だろうな。

「よし。じゃあ、わたしはお家帰って寝る」

「ほかほか。なら明日は十時集合でい?」

「はいよー」

 明日の打ち合わせを済ませて、ユウは意を決し、魔女の箒を取り出す。

 私はユウの肩に飛び乗った。

「じゃ、またね」

「おつー」

「紡岐さん、また明日ー」

 皆と挨拶を交わした所で、《異端魔箒》がゆっくりと浮上する。

「お! いけるいけ……? な、ちょ、まってなんではやくな、きゃあああああああ!!!!」

 十分に高度を取った魔女の箒は、流星のように飛び立った。

 ユウの叫び声で視聴者の耳を壊すのも申し訳ない。

 私はそっと配信を止めた。


セカンドプレイ エンド

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