第8話:守らせて

 光を感じて、重たいまぶたをこじ開ける。“大百足”との一戦から一夜明け、今日は休日。アルバイトも入っていない。自由な一日は久し振りに感じてしまう。カーテンの外は雲一つない快晴だった。

 いい天気だと体を伸ばすと、腕に痛みが走った。見れば、包帯が巻いてある。“大百足”との戦闘で傷ついたことをすっかり忘れていた。応急処置をしてくれたのは二葉だった。

 リビングに出れば、その二葉がテーブルに突っ伏して潰れていた。傍には案の定、酒瓶。肩を竦める陽に気づいてか、ヤタが姿を現した。

「おー、おはようヒナタ」

「おはよう。二葉ちゃんはまた飲んでたんだね」

「みてーだな。結構派手な飲みっぷりだったぜ」

「なにかあったのかな……」

 二葉の気苦労は計り知れない。美景家当主として動き続けていれば、酒に溺れたくなることもあるのだろう。陽は自分の部屋から毛布を持ってきて、起こさないようにそっと被せた。

 丸一日自由な時間があると、どう動いていいかもわからない。なんの気なしにテレビを見ると、昨日の事件が大々的に報じられていた。突如現れた正体不明の化け物。それと戦う小さな影。どうやら上空から撮影されていたらしい。あまり近くではなかったため、陽も気がつかなかった。それは恐らく、二葉もだろう。顔が映っていないのは不幸中の幸いだった。

「……結構、大袈裟な事件だったみたいだね」

「そりゃそーだろ。なんでもねー日常にあんな化け物が現れたら誰だってびびる。この報道は妥当だろ」

 そういった道の専門家が騒ぎそうな一件だ。調べてみると“大百足”はかつて藤原秀郷という者が討ったとされる妖怪であることがわかる。仮に陽の顔が撮影されていたのだとしたら、歴史や伝承に造詣の深い学者がこぞって話を聞きにくる可能性があった。ヤタの力に身を浸していたおかげで素顔を明かされなかったのは幸いだった。

「そんで、ヒナタ。今日の予定は?」

「特に決めてないけど」

「じゃあ、デートして来いよ」

 ヤタの言っている意味がわからず、首を傾げる陽。ニイ、と口の端を釣り上げたような気がした。

「ナツミ、いまたぶん寂しがってるぜ。心のケアも男の務めだろ」

「そういうものなの?」

「そーいうもんだ」

 こういうときに頼りになりそうな二葉は深い眠りに落ちている。そうなれば、ヤタの言うことを信じてみるのも悪くないかもしれない。面白半分で言っている可能性も否めないが。携帯を取り出し、菜摘にメッセージを送ろうと考えた。だが――

「……デートの誘いって、どうするの?」

 陽はかつて、異性を遊びに誘ったことなどない。どうすれば気の利いた言葉で、気軽に誘えるのかがわからなかった。二葉が頼れないとなると、残る綱は二本。

「……滝本くんか、志村くん」

 どちらにメッセージを送ろうか。太一に相談すれば、絶対に悠に告げ口される。そうして、見守るという体で尾行されるだろう。ならば悠かと考えるが、どちらに相談しても同じことになりそうだった。ならば陽と形質が近い悠の方が、陽らしい誘い文句を提案してくれるかもしれない。意を決して悠にメッセージを送った。返事はすぐに返ってきた。

『七尾から連絡なんて珍しいな、どうしたんだ?』

 当然の反応だとは思いつつ、陽もすぐに返信する。

『折り入って相談がありまして。志村くんは、女の子を遊びに誘うとき、なんて言いますか?』

 既読のマークがついたが、そこからしばらく反応がなかった。やはりおかしな相談だったかと後悔した直後、通話の着信音が鳴った。発信者は、太一だった。やはり連絡されていたらしい。茶化されるのを覚悟して、通話に応じる。

「滝本くん? おはようござ――」

『七尾! そういう質問はまず俺にしろ! なんで悠なんだ! 俺は悲しい、悲しいぞ!』

 どうやら悲しませてしまっていたらしい。必死の訴えに苦笑しつつ、悠に相談した経緯を説明する。

『はー、つまりなんだ。俺だとチャラすぎるってか?』

「……オブラートに包まなければ、そういうことですね」

『馬鹿野郎、お前だって考えるくらいはできるだろ? まず相手の子の心情を教えろ、百戦錬磨の滝本太一様が教鞭を執ってやる、感謝しろ』

「あはは、頼りになります。それでは……」

 “大百足”のことを伏せつつ、菜摘の心情を推測して説明した。突然の出来事を現実だと認識できていないこと、家族との交流は希薄そうであること。一通り説明したところで、太一は黙る。なにか考えているようだった。顔は見えないが、かつて見たことがないほど真剣な表情をしていることが窺えた。やがて太一は深い息を一つ吐く。

『なら、まずはフォローだな。直接的じゃなくていい。具合はどうだ、とか、調子はどうだ、とか。その程度でいい。相手の反応を待て。弱音を吐くようなら、気晴らしにどうだっつって誘え。大丈夫そうな返事が返ってきたらまず、無理しなくていい、みたいな言葉をかけろ』

「なぜですか? 元気そうならそのまま誘ってしまえばいいのでは?」

『そういう状況で大丈夫なんて言う奴は、だいたい虚勢張ってるだけだからだ。そしたら誘うことは一旦置いといて、仮面を剥がさせることに気持ちを切り替えろ。剥がすんじゃねえ、剝がさせるんだ。自分の意志で仮面を剥ぐのを待て。そしたら、弱音を吐いたときと同じでいい。気晴らしにどうだ、とでも誘え。自分の意志で虚勢を崩させるのが大事なんだ。わかるか?』

 なるほど、陽にはさっぱりだった。百戦錬磨というのも所詮は自称。鵜吞みにするわけにはいかないが、いまは太一に頼るほかない。ひとまずは動いてみることにした。

「いまひとつ理解できていませんが、やってみます。ありがとうございました」

『おうよ。あーあ、七尾に春かあ、奥手そうに見えるのになあ』

「ふふ、実は狼かもしれませんよ?」

『もう少し冗談上手くなれよ、バァカ』

 軽口で返す太一。こういう掛け合いができるのも、友達なのだろうか。陽にはやはりわからなかったが、悪い気はしなかった。

 通話を終え、改めて菜摘にメッセージを送るために携帯と向き合う。一部始終を聞いていたヤタが少し不安そうに画面を覗き込んだ。

「大丈夫カァ? 誤字るんじゃねーぞ?」

「大丈夫だよ、馬鹿にしないで。えーっと……ひとまず、これで」

『おはようございます。雲一つない爽やかな朝ですね、ご機嫌如何でしょうか?』

 送信前の段階だったが、ヤタが吹き出した。

「全然駄目、零点レーテン!」

「え、どこが?」

「他人行儀過ぎんだろ、ナツミは少なからずお前を友達だと思って接してんだから、もっとフランクでいいんだよ」

「ふ、ふらんく……?」

 勤務先のフライドフードを思い浮かべる陽は立派な店員である。しかしいまは邪魔な思考だった。気軽に、という意味合いだとわかってはいるものの、そもそも面と向かって話していても他人行儀なのだ。いまさらどう正せというのか。困り果てる陽だが、推敲に推敲を重ねてついに送信ボタンに手を添える。

『おはようございます、具合はどうですか?』

 簡潔だが、変に回りくどくなって怪しまれるよりはマシだった。深呼吸を数度繰り返し、送信する。既読の文字はすぐにはつかなかった。まだ眠っているのだろう。極度の緊張から解放され、陽は安堵の息を吐き出した。

「……こんなに緊張したのはいつ以来だろう」

「カッカッカァ、青春結構」

「滝本くんや志村くんはこんなのを涼しい顔してやるのかな……すごいや」

 二人のコミュニケーション能力に感嘆していると、携帯が鳴る。菜摘からのメッセージだった。

『おはよう、大丈夫だよ』

 太一の言葉を思い出す。虚勢を張っているだけだ。太一は「無理しなくていい」というフレーズを推したが、陽はそれを使いたくなかった。無理をさせているのは陽だからだ。昨晩の一件をおぼろげにでも覚えているのなら、自分をあんな目に遭わせたのは陽だと誤解しても仕方がない。そんな相手から「具合はどうだ」なんてメッセージが来れば、大丈夫と言わざるを得ないだろう。陽だってそうする。ヤタに視線を送り、確認の意味を込めて呟く。

「……真中さん、無理してるよね」

「そりゃそーだろうよ。あんな化け物に襲われたんだから、大丈夫なわきゃねーわ」

 やはり、そうなのだろう。それに、こちらの意図を窺うような文が入っていないことから、昨日のことを覚えているのは明白だ。返事に詰まってしまう。もう正直に謝ってしまった方がいいのではないか。ヤタに助けを求めるも、なにも言わない。ここからは、陽が自分で考える場面だ。

 既読のマークをつけてから十数分が経過した。そろそろ返事を送らないと、かえって怪しまれる。ならば、もう正直に思っていることを言ってしまおう。

『それならよかったです。お詫びと言ってはなんですが、どこかへ遊びに行きませんか?』

 自分の立場を分かった上でこの発言は少々気が重い。菜摘はどう思うのだろうか。無礼な奴だと思うだろうか。それでも、菜摘を一人にしておくのは忍びない。自分になにかできれば。陽を動かすのはその思いだけだった。菜摘から返信が来る。

『いいよ、遊ぼう。十二時に駅前で待ってるね』

 同じマンションならばいつものようにエレベーター前で待ち合わせればいいはずだ。それを提案しないということは、あまり長い間一緒にいたくはないということか。やはり陽に対してなにかしら思うところはあるらしい。会う前から気持ちが沈む。項垂れる陽の肩をヤタが叩いた。

「おら、しけたツラしてんじゃねーよ。お前がそんな不安そうにしてたらナツミだって不安になるだろーが。しゃんとしろ、背筋伸ばせ」

「そう、だよね。明るく、明るく……というか、ヤタってたまに頼りになるよね」

「たまにってなんだ。伊達に歳食ってねーんだよ、舐めんな」

 ふん、と胸を張るヤタ。確かにヤタの言う通りだ。陽が不安そうな顔をしていたら菜摘だって身構えてしまう。それならば、太一や悠のように余裕を持った表情を心掛けた方がいいかもしれない。

 そうだ、と陽は携帯に視線を戻す。相談に乗ってくれた太一と悠にお礼を言っていなかった。陽、太一、悠の三人で作ったグループにメッセージを書き込む。

『おはようございます、先程はありがとうございました。無事に遊びに誘えました』

 すぐに二つの既読マークがつく。送られてきたのはお祝いするようなスタンプ。一度、二度にとどまらず絶え間なく連打されていた。通知音が鳴りやまない。どうやって区切りをつければいいのかわからずにいると、二葉がうめき声をあげた。さすがに起きるだろう。

「あ、ごめんね二葉ちゃん。おはよう」

「おはよう、陽……っあー、頭痛てェ。それより、さっきからなんの音?」

「ああ、それが……スタンプがいっぱい送られてきてて」

「なに高校生みたいなことしてるのさ。貸してみ」

 高校生みたいもなにも高校生だよ、と告げる陽に生返事を返す二葉。携帯を渡すと、途端に通知が止んだ。なにをしたのかと画面を覗けば。

『うるさい。黙れ猿共』

 これである。陽は慌てて携帯を取り返し、画面を必死に叩く。すぐに謝罪のメッセージを書き込んだが、既読マークがつくだけで返信がない。せっかくできた友達が離れて行ってしまう。そう考えると、少し胸が痛んだ。二葉がこう書き込んだのは、正統な怒りからだろう。それは理解できるのだが、言葉の選び方には慎重になってほしいものだった。

「二葉ちゃん……どうしてくれるの……」

「あたしの眠りを妨げる者は何人たりとも許さん」

「ああ、これでまた一人か……」

 肩を落としたと同時、陽の携帯が鳴る。グループに反応があったようだ。見てみれば、感動したように涙を流したスタンプ。悪い意味では捉えられていないようだった。なにごとかと見守っていると、太一がメッセージを送ってきた。

『あの七尾が、他人行儀な七尾が、うるさいだって!?』

 続いて、悠。

『俺たちは嬉しいよ。ようやく七尾も気を許してくれたか』

 二葉の書き込みがいい方向に回ってしまっている。これから二人に対してどんな対応をするのが正解なのか。陽に悩みがまた一つ。いままで通りに接すれば、きっと不自然に思うだろう。強張った表情の陽に二葉は呆れたように笑う。

「友達でしょ? あたしと話すくらいの感覚でいいんじゃないの。あんた、他人行儀過ぎんのよ」

 二葉からも指摘されてしまう。クラスメートとは深く関わらないようにしていた中学生時代を引きずっているのだろうか。いろいろなことがあり、人に恵まれた。中学生と同じ振る舞いでなくていい。わかってはいても、どうすれば人並みの交友関係が築けるのかがわからなかった。

 三人のグループにひとまずはメッセージを書き込む。

『本当に助かったよ、ありがとう』

『七尾がタメ口使った!』

『今日はお赤飯だね、ママ』

『誰がママよ! 失礼しちゃう!』

『女口調』

「ふっ、くくっ……!」

 まだ朝早いというのに元気なものだ。

 ひとまずは、菜摘との待ち合わせに備えるべきか。二葉にも一応連絡しておく。二葉は面白がることもなく、真剣に聞いていた。

「……真中ちゃん、絶対気にしてるから。うまいことやりなさいね」

「うん、わかってる。今日は憑魔士としてじゃなく、友達として接してみるよ」

「おーよ、気楽に遊んで来いや」

 ――憑魔士としてじゃなく、友達として。

 難しい話だが、やってみるしかない。身嗜みを整えるためにシャワーを浴びることにした。


 時刻は十一時五十分。駅前に到着した陽は菜摘の到着を待っていた。服は二葉がコーディネートしてくれたものの、そもそもクローゼットにある服は味気ないものばかりだったので限界があった。半ば諦めた様子の二葉とヤタに送り出されたのが三十分前。

 駅に到着してから陽が向かったのは喫茶店だった。カフェオレを二つ注文して、袋に入れてもらう。菜摘がカフェオレを飲めるかはわからなかったが、コーヒーよりはとっつきやすいだろう。菜摘から連絡が来るのを待っている間、ぼんやりと辺りを見回す。やはり人が多い。土曜日ということもあって、少年少女の姿も目立った。そんな中に、不自然な動きを見せる二人組を見つける。陽が見やると、建物の陰にさっと隠れてしまった。

 ――まさか?

 陽は携帯を開き、電話番号を入力する。耳に添えることもなく、ただじっと反応を待った。建物の陰から、長方形のなにかが転がる。携帯電話だ。陰から出てきた人は、派手な金髪にピアスをしていた。やはり、そうだった。人影は陽の視線に気がつき、固まる。観念したのか、もう一人も陰から姿を現した。太一と悠だった。

 固まる二人の元に駆け寄り、笑顔で挨拶。怖がらせないようにするためだ。

「おはよう、二人とも。こんなところで奇遇だね。なにをしてるの?」

「お、おう、七尾……マジ奇遇だな、ははは」

「おはよう、七尾……なにをしてるかって、はは、なんだと思う?」

「大方、僕の様子を観察しに来たんだろうなって思ってる。実際は?」

 笑顔、笑顔と意識していると、二人が一歩後退りした。怖がらせるつもりはなかったのだが、どうやら上手くいかなかったらしい。諦めて、いつも通りの表情に戻した上で再度尋ねた。太一は相変わらずぎこちない表情を浮かべていたが、悠の方は安心したらしく眼鏡の位置を直した。

「七尾がデートとあれば、友達として見守る義務があると思ってね」

「そ、そうそう! 百戦錬磨の俺たちが見届けてやらないとと思ってな!」

 案の定だった。やれやれと肩を竦める陽。菜摘のケアに集中できなくなりそうだ。

「……ごめんね、大事な用事なんだ。気が散っちゃうから、今日だけは勘弁してくれるかな?」

 真剣な声音で語りかけたのが効いたらしい、二人は陽の意志を汲み取り、それ以上なにも言わなかった。ごめんなさい、と頭を下げて待ち合わせ場所に戻る。

「あっ……」

 いつの間にか菜摘が来ていたらしい。退屈そうに携帯を眺めており、陽の足音に気がついて顔を上げた。口の端に笑みを浮かべるものの、表情は暗い。無理をしているのは明白だ。なんと声をかけるのが正しいか、陽は逡巡する。すると菜摘がおもむろに口を開いた。

「こんにちは、七尾くん」

「あ、はい……こんにちは、急なお誘いに応じていただけて恐縮です、今日はよろしくお願いします」

「ふふっ、固いよ。もっと楽にして。楽しいデートにしてくれるんでしょ?」

 期待するような言葉だったが、本心が透けて見える。「楽しめるはずがない」。そう思っている。言葉とは裏腹に、なにも思っていないし感じていない。いまの菜摘にはいつもの快活さやエネルギーが感じられず、ただ空虚さだけが滲んでいた。

 ――楽しいデートにしてくれるんでしょ?

 なんの期待も込められていないとしても、陽にはそれを実現する義務がある。菜摘の虚ろな目をじっと見て、微笑む。

「はい、楽しませます」

「うん、今日はよろしくね」

 笑う菜摘。そこに心はない。陽に、菜摘の心を呼び戻すことはできるのだろうか。

 ――いや、やるんだ。僕にしか、できないことだから。

 二人は駅前の店を手当たり次第に回っていった。服屋、本屋、ゲームセンター、どこにでも連れて行った。菜摘は自分から口を開くことはなく、陽が時折話題を提示しても相槌を打つばかりで会話が弾まない。自分に話題がないことをこれほど悔やむことになるとは思わなかった。

 最終的に行き着いたのは、ファーストフード店だった。ハンバーガーとポテト、飲み物をテーブルに並べ、重たい沈黙の中で食べ進める。やがて、菜摘が自ら口を開いた。

「七尾くん」

 神妙な声音だった。恐らく、昨日のことについて触れられるだろう。陽もまた、険しい表情で返事をする。菜摘は俯いたまま、問いかける。

「昨日の……なに?」

 なんと答えるのが正着か。陽の頭は全力で言い訳を考えていた。憑魔士や魔童のことは話せない。ブレスレットのことだって、いま話せば説明を求められてしまう。そうなったとき、陽はなにも言えなくなる。もし話してしまえば、どこからか嗅ぎつけて大貫家の人間に始末されてしまうかもしれない。それは絶対に避けなければならない事態だ。言葉を選ぶ陽を見て、菜摘はため息を吐いた。

「話せないことなの?」

「……詳しくは、話せません」

「どうして?」

「あなたを危険に巻き込みたくないからです」

「危険な目にはもう遭ってる、何度も。……それでも、隠すの?」

 そう、菜摘は何度も魔童の被害に遭っている。小さな頃から、ずっと。“ぬけ首”にも“大百足”にも狙われた。いまさら隠す方が無茶だ。それでも陽は、正直に告白する勇気がなかった。視線を合わせることもできず、陽も俯く。

「……申し訳ありません」

「ねえ、なんでなの? 黙ってなきゃいけない理由ってなに? 七尾くんは、いったい何者なの?」

 沈黙を喫する陽。菜摘がだんだん苛立っているのがわかった。

「人前に出しちゃいけないものってなに? あの化け物はなに? 全部説明して」

「……できません」

「だから、なんで!」

「真中さんをこれ以上、危険な目に――」

「いい加減にしてっ!」

 菜摘の声に、店内が静まり返る。放送の音がいやに鮮明に聞こえる。煩わしい。菜摘の顔を見られない自分が憎くて仕方がなかった。

「ねえ、教えてよ……あたしの周りで、なにが起こってるの?」

 もう隠しておくのは難しい。ただ、直接説明したところで受け入れられないだろう。魔童も、憑魔士も、非日常なのだ。作り話ではぐらかすなと怒鳴られるに違いない。ならば、どうやって説明すればいい? 陽の頭はどんどん熱くなる。考えることも放棄してしまいそうだった。

「……申し訳ありません。話すことは、できません」

「そう。それなら、話は終わり」

 菜摘は立ち上がり、自分のトレイを持つ。顔を上げる陽に、菜摘は視線を合わせることもなく。

「もう関わらないで」

 そう告げた。

 遠退く背中に手を伸ばそうとするも、やめる。関わってはいけないのだ、もう。叶わない想いを抱き続けるのは、きっとつらいことなのだろう。ならばきっぱり忘れてしまうべきだ。

 ――でも、関わらないなんて選択肢は、選べない。

 これからも魔童に狙われ続けるであろう菜摘を、放っておくわけにはいかない。友達としての交流は途絶えても構わない。ただ、守れなくなるのはごめんだ。関わった以上、絶対に傷つけさせない。

「……ごめんなさい、真中さん。僕は、あなたを守り続けます。必ず」

 ハンバーガーも、ポテトも、もう手を付けられなかった。

 そのとき、携帯が鳴る。グループにメッセージが書き込まれたようだった。太一と悠からだ。

『さっきB組の子が怖い顔して歩いていったけど、もしかして七尾の相手ってあの子か?』

『粗相でもやらかしたのか?』

 偶然だったにしても、タイミングがいい。沈んだ陽の頼りは、もうこの二人だけ。

『うん、ちょっとだけ。二人とも、まだ近くにいる?』

 こうなれば、自棄だった。


 太一と悠と合流した陽は、カラオケに来ていた。人生初のカラオケは楽しいものなのだろう、本来ならば。いまの陽の心情では、楽しむことなど到底できそうになかった。

 いまは太一が女性アイドルの曲を歌っている。ピッチを変えていないため、聞くに堪えない掠れた高音で、それにも関わらず悠はノリノリで合いの手を入れている。歌い切ったと同時、太一はがなり声を吐き出した。

「あああっ! きっつ!」

「そりゃそうさ。太一が女性アイドルの声を出せたら俺は全力で応援してたよ」

「マジかよ、芸能界デビューワンチャンある?」

「あるある、俺の完璧なプロデュースとマネジメントでトップアイドルにしてあげるよ」

「信じるよ?」

「そういう素直さがお前の武器だよね。なあ、七尾? そう思わないか?」

 陽の頭にあるのは菜摘のことばかりで、太一と悠の掛け合いも頭に入っていなかった。さすがに疑問を感じたらしい、悠が陽の肩に手を置く。

「大丈夫か?」

「は――え?」

「お前まさか……俺の迫真のステージを上の空で聞いてたのか!?」

 太一のパフォーマンスなどまるで記憶になく、陽は苦笑を浮かべるばかり。すると太一は陽に駆け寄り、関節技を仕掛ける。

「この野郎! 俺がトップアイドルになってもサインも握手もしてやらねーからな!」

「いたっ、いたたたたた! というか、アイドル? なんの話……痛いっ!?」

「はは、なんだ。元気な声出せるじゃないか、安心したよ」

「志村くん、助けてくれたっていいと思、痛いいいいい!」

 ぎりぎりと悲鳴を上げる関節のことなど露知らず、太一はひたすらに陽を締め上げる。ギブアップも宣言できず、ただ痛めつけられるのも酷だと判断したところで、悠のレフェリーストップが入る。

「はいはい、そこまで。ウィナー、滝本マスク」

 悠の言葉でようやく陽を解放する。今度は悠に詰め寄る太一。

「誰が滝本マスクだ! 俺はアイドルになる男だぞ、プロレスラーにするんじゃねえ!」

「本気にしてたのか、おめでとう」

「え、冗談だったの……うそーん……」

「お前ってときどきどうしようもなく可愛いときあるよな」

「芸はともかく体を安売りするつもりはないわよ!?」

「大丈夫、俺の刀は女の子の鞘にしか収まらないんだ」

「真顔でそういうこと言えるのもある意味才能だと思うぜ……」

 二人の掛け合いもいまは笑えない。俯くばかりの陽に違和感を覚えたらしい。太一は心配そうに顔を覗き込んでくる。

「なあ、七尾。マジで大丈夫か?」

「俺たちでよければ話くらい聞くけど。友達って、そういうものだしね」

「友達……」

 友達は、悩みを共有できるもの。分かち合うもの。頭ではわかっている。それでも、人と関わることを避けた十年間の積み重ねは途方もなく大きかった。だから――

「大丈夫」

 こうやって、笑うのだ。

 二人にどれだけ無理が見えていたかはわからない。ただ、それ以上なにも言わなかった。言えなかった、という方が正しいかもしれない。いまの陽には言葉が通じない。そう判断させるには充分だったようだ。悠はため息を一つ吐いて、眼鏡を拭いた。

「それじゃあ、今日はこの辺で解散しようか」

「そうすっか。素直に楽しめないんじゃ、苦痛だわな」

 立ち上がる二人。陽は申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。

「ごめんね、二人とも。僕が誘ったのに」

「なに言ってんだ、困ったらいつでも頼れよな」

「金銭関係でなければいくらでも協力するよ」

「それは……どうして?」

 答えなんてわかっていた。だから聞いたのかもしれない。二人は顔を見合わせて、言う。

「友達だからだろ」

「友達だからね」

 陽は安心したように、笑う。少しだけ気が楽になった。

「……ありがとう」

 カラオケの料金は二人が出してくれた。デートでそこそこ使ったんだろう、という名目での配慮だった。ますます申し訳が立たなくなる。

 二人はまだ遊び足りないから、と再び街を練り歩くようだった。陽は帰宅し、二葉に報告することにした。地下鉄に乗る間、菜摘のことが再び気がかりになる。また魔童に襲われないだろうか。そうなったとき、自分が助けに入って迷惑じゃないだろうか。そんなことばかり考える。

 ――駄目だ、一人で考えても仕方がない。二葉ちゃんに相談しないと。

 焦燥感に乱される。足が少しだけ震えた。


「おかえり、陽」

 帰宅すると、煙草を吸う二葉が迎えてくれる。窓を開け、そこで吸っていた。ようやく理解してくれたかと安堵の息を吐く。

「ただいま、二葉ちゃん。ヤタは?」

「散歩してくるって」

 ヤタの散歩はなにか意味深に思える。また九直を追いかけている可能性もあるし、なんの気なしにふらふらと飛び回っている可能性もある。余計なことをしなければいいが。杞憂であることを切に願う。

 陽の表情が浮かばないことに気づいたらしい、二葉は肩を竦める。

「真中ちゃんのことは、駄目だったんだ?」

「……そう、だね。ごめん」

「あたしに謝ってもしかたないでしょ。なんて言われた?」

「怒鳴られた上に、もう関わらないでって」

 二葉は額に手をやる。想像以上に状況が悪かったらしい。まさか「関わらないで」と言われるとは思ってもみなかったのだろう。それほどまでに、菜摘の傷は深かったということだ。溜まりに溜まったものもあるはず。小さな頃からずっと、あんな得体の知れない化け物に襲われていたのだ。無理もない。

「真中さん、相当塞ぎ込んでた。笑顔なんて見えなかったよ」

「ちょっとまずいね。どうすっかな……」

「おっす、ヒナタおかえり」

 途方に暮れていると、ヤタが帰宅する。二人の沈んだ顔を見て、菜摘のフォローには失敗したのを察知したようだ。やれやれ、と翼を振るう。

「なんだなんだ、失敗したのカァ? 甲斐性ないな、ヒナタァ」

「そういう話じゃないんだ……」

「ホォ? 聞かせてみろよ、笑ってやっから」

 菜摘との経緯を一通り説明する。ずっと笑顔がなかったこと、自分から喋らなかったこと、核心に触れられたこと、答えられずに怒らせたこと、もう関わらないでと言われたこと。最初は興味本位で聞いていたヤタも、だんだん表情が重くなる。カラスの表情がわかる人間など、陽くらいだろう。説明を終えたところで、ヤタは深々とため息を吐いた。

「思ってたより深刻だな……」

「だから言ったでしょ、そういう話じゃないって」

「ああ、オレが悪かった……んで、どーするよ? 関わるなって言われたんなら、ヒナタが接触するのは難しいよな?」

 そうなのだ。最も身近にいられる陽が接触を拒まれてしまった場合、誰が菜摘を守れるのか。二葉は難しい。そもそも学生ではないから、学校のそばに張り付くだけで警察の世話になる可能性がある。九直は論外だ。菜摘――正確には、菜摘のブレスレットを前にするとなにをするかわからない。学校で、同じクラスだというのによく我慢したものだと思う。二葉が煩わしそうに煙草を灰皿に押し付けた。

「しゃーねえ、あたしが動くか」

「……なにをする気?」

「大貫家の真似事だよ」

 物騒な言葉だ。二葉はそれ以上なにも言わず、陽の部屋へと戻っていく。動くまで一眠りするつもりだろう。ヤタは陽のそばに寄った。じいっと陽に目を向ける。

「どうしたの?」

「いや、なんかおかしいなってよ」

「どこが?」

「んー……詳しくはわかんね。ただ、いままでのヒナタだったら、落ち込んで体育座りしてたのにって思っただけだ」

 陽がどう思われていたのかがよくわかるフレーズである。たまらず苦笑で返した。

「ふふ、なにそれ……まあ、そうだね。きっと、友達のおかげだよ」

「友達……ヒナタの口から、友達カァ」

 感慨深そうに呟くヤタ。いままで陽を見守ってきた身としては、嬉しい変化なのだろう。ヤタとは己影と契約者という関係よりも、家族という関係の方がしっくりくる。美景と別れを告げてから、ずっとそばで守ってくれていたのだから。親離れする子供を見るような感覚なのかもしれない。

「ヤタが考えてる以上には幸せだよ、友達にも恵まれたし。……いままで一緒にいてくれてありがとう、ヤタ」

「んなこと言うなよな、今生の別れみたいじゃねーか。お前さんみたいなひよっこのなよなよのもやしは、オレがいないと駄目なんだよ」

 大きく翼をはためかせ、羽根をまき散らすヤタ。拗ねているのかなんなのか、可愛らしいところもあるものだ。陽は少し得意気な顔を見せる。

「散らかした上に片付けもできないヤタは僕がいないと駄目だね?」

「おっと? 言うようになったなァおい!」

 くちばしで足首を小突くヤタ。陽はそれを嫌だとは感じなかった。友達のスキンシップなようなものだと、いまはわかる。

 なにはともあれ、菜摘のことに関しては二葉次第。どんな手段を取るかは想像できないが、穏便な方法を取ってくれるだろう。陽も少し眠ることにした。


 その夜――二葉はコンビニの喫煙スペースで煙草を吸っていた。

 ここで待っていれば、菜摘が来る可能性がある。そこで少し話ができれば、と考えていた。話す内容についてはまったく考えていない。それでも、陽が駄目なら自分がなんとかするしかない。弟の尻拭いは姉がするものだ。バッグに潜ませた魔憑銃からエンカンの声がする。

『策はあるのかね?』

「なんにもない」

『……大丈夫かね?』

「なんとかなるっしょ」

『私は不安だよ』

 呆れたようなエンカンの声に、二葉は笑う。

 自分になにかができるとは思っていない。これは陽と菜摘の間に発生した亀裂なのだ。二葉が介入する余地など、最初からない。ならば、美景二葉と真中菜摘という二人の舞台を作ればいいだけの話だ。どうなるかは、まず同じ舞台に立ってから。

 しかし、二十二時から待ち伏せして、もう一時間。煙草も携帯の充電も尽きそうである。煙草に関してはすぐに買いに行けるものの、あまり長居しすぎると店員から注意が入るかもしれない。そうなったら立ち退くほかなくなるからだ。

 ひとまず煙草を買うために店内に入る。夜勤の一人が入店時の挨拶をするが、こちらを見てはいない。ポップを変えたり雑誌の返品の確認などで忙しいのだろう。男性店員に一言声をかける。店員はなにかに気づいたような声をあげた。不思議に思っていると向こうから話しかけてくる。

「陽のお姉さんですよね」

「え、なんで知ってるんですか?」

 正確には姉貴分、なのだが。大方、陽が適当に紹介したのだろう。しかし、いつだろう。二葉には皆目見当もつかない。男性店員は「やっぱり」と声をあげた。

「陽が紹介してたんですよ。お姉さんだって」

「ああ、なるほど。すみません、煙草いいですか? えーっと、百五十五番一つお願いします」

「はい、四百二十円になります」

 五百円玉を出し、お釣りをもらう。店を出ようとすると、扉が開く。鉢合わせたのは、待ち望んでいた少女だった。

「お、こんばんは。真中ちゃん……だっけ?」

「……どうも」

 控えめに頭を下げる少女――真中菜摘。陽の言った通り、表情が重い。太陽のようなはつらつとした空気はなく、影が差している。やはり気にしているのだろう、“大百足”のことも、陽のことも。

「あの、なにか?」

 しげしげと見つめていたのがまずかった。怪しまれている。なにかフォローする言葉の一つでもかけるべきか。悩んでいても仕方がない。二葉は口を開く。

「元気ないね」

「……ちょっと、いろいろあって」

「陽とのこと?」

 ずばり。魔憑銃のエンカンがため息を吐いた。本当に無策だったのか、と呆れたようだった。

 菜摘は俯き、二葉の横を通り過ぎようとする。これ以上は危険か。一度頭を冷やすために外に出る。煙草に火を点け、夜空に向かって煙を吐き出す。エンカンの声がする。

『さすがに無鉄砲すぎやしないかね』

「そうは言っても、計算で挑んだって仕方ないっしょ」

『ずいぶん無神経な聞き方をしたものだ』

「るっせえなあ、あたしの性格知ってんだろ?」

『開き直る気かい? 大した根性だ』

「あんた喧嘩売ってんのか?」

 そんなやり取りをそこそこに、菜摘が店内から出てくる。二葉は急いで煙草を灰皿に放り投げ、菜摘の背中に声をかける。

「真中ちゃん!」

 菜摘は足を止め、振り返る。少し不愉快そうだった。関わるな、と顔に書いてある。それでも、いまここで帰せば二度と機会は訪れない。二葉はなるべく神妙な面持ちで語りかける。

「陽が失礼なことしたみたいだから、あたしから謝ろうと思ったの。無神経な弟で、ごめん」

 頭を下げる二葉。誠意を伝えるには、これしかない。エンカンは呆れるだろうか。菜摘はどう思うだろうか。反応があるまで、頭は上げない。足音が聞こえる。袋と中身がこすれる音も聞こえる。近づいてくる。視界に菜摘のつま先が見えた。

「顔を上げてください」

 菜摘の声に柔らかさがあった。二葉が顔を上げると、困ったように笑う菜摘がいた。

「失礼なことしたのは、あたしも同じですから」

「あ、いや、あれは陽が……」

「いえ、いいんです」

 気まずい沈黙が流れる。二葉はしばし硬直して、そうだと声をあげた。

「冷えるし、どっか入らない?」

「……そうですね、よければ」

 二人が選んだのは、近くのファミリーレストラン。かつて陽と入ったところだ。二葉はコーヒーを、菜摘は炭酸のジュースを頼んでいた。

 注文したものが来る間、なにを話せばいいのかと悩んでしまう。面と向かって話すことに緊張するのはいつ以来だろう。記憶の彼方に思いを馳せても心当たりがない。沈黙に耐え兼ねた菜摘が話を切り出した。

「七尾くん、気にしてました?」

「え? ああ……まあ、少し」

「そうですよね。結構きついこと言っちゃいましたし」

 どうやら冷静にはなっているらしい。なんとか菜摘の気持ちを持ち上げなければ、と二葉は朗らかに笑う。

「大丈夫。あいつ、メンタルかなり強いから。義務教育を独りで乗り切った男だからね、自慢の弟だよ」

「ふふっ。七尾くん、友達作るの苦手そうですもんね」

「でしょ。あいつ本当に人と関わるの苦手でさ。友達できたっつってたけど、ずーっと敬語だし、友達感ねーよなっていつも思ってる」

「確かに。もっと気を許してくれてもいいのにって思います」

 どうやら菜摘も陽の他人行儀なところは伝わっていたらしい。陽に話せば喜ぶだろうか。飲み物が到着し、少し話して空気も解れたところで、二葉は今回の件について話を進めることを決める。

「昨日のことは、ごめんね」

 菜摘の目つきが変わる。シャボン玉が弾けるような、針のような視線。心が痛む二葉だが、ここは隠しても仕方がないことだ。むしろ、関わっていることを伝えた方が話が進めやすい。

「……お姉さんも知ってたんですか?」

「知ってるの。あいつよりも、あたしの方が詳しい」

 菜摘はテーブルに身を乗り出し、二葉に詰め寄る。

「詳しく教えてください。あれは……あの化け物は、なんなんですか? どうしてあたしが狙われるんですか?」

「詳しくは教えられないの、ごめん。ただ、真中ちゃんが狙われる理由だけはわかってる」

「……教えてください。教えられる範囲でいいです、あたしは知りたい」

 教えられる範囲でいい、その言葉でいくらか気が楽になった。二葉はコーヒーを軽く啜り、菜摘のブレスレットを指差す。

「それなの」

 菜摘は信じられない、といった様子でブレスレットを見る。当然だ、渡された当初は魔除けのお守りという話だったのだから。いまは時間の経過もあり、魔力を発するだけのものになっている。菜摘はブレスレットに手を添え、困惑したように震えた声を出した。

「でも、これ、悪いものから守ってくれるお守りで……」

「最初はね、そうだったんだと思う。でもいまは効果が薄れちゃって、悪いのを引き寄せる力だけが出てるの。それが原因」

「そんな……」

 思い入れのある品のはずだ。簡単に手放すとは思えない。それでも、菜摘から離すのが最良の策だ。

 ――どうすればいい。

 二葉は思案する。いったいどうすれば、この少女を魔童から守れるのか。一般人としてだけじゃない、陽の友人として、守ってやりたい。心の底からそう思った。

 菜摘はブレスレットから手を放し、二葉に目を移す。

「やっぱり、これは手放せません。大事なものだから」

「……そっか。それなら――」

 二葉は菜摘に手を伸ばす。びくりと警戒したような動きを見せる菜摘に、二葉は優しく微笑みかけた。伸ばした手を、菜摘の頭に置く。なにが起こったのかわからないといった様子の菜摘に二葉は告げる。

「あんたを守らせてほしい。あたしと、陽で」

「……七尾くんも?」

「そう。あいつ、口下手で上手く伝えられなかったと思うけど、あんたを守りたいって気持ちはあたしより強いから。――だからあんまり邪険にしないでやって」

 菜摘は俯く。肩が震えていた。なにかまずいことをしてしまったかと慌てる二葉。腕で目元を拭う菜摘を見て、泣いているのだと理解する。泣かせるようなことをしただろうか、ますます不安になってくる。菜摘は嗚咽混じりに語りかけてくる。

「ごめんなさい、あたし、嬉しくて……その、ごめんなさい」

 恐らく、頭を撫でられたことだろう。菜摘の部屋は空虚で、温かみがなかった。家族と疎遠と推測していたが、間違いではないのだろう。頭を撫でられた経験など記憶の彼方にあるはずだ。軽率な行動だったかと思う。ただ、二葉が申し訳なさそうにしてもどうしようもないことだ。だから笑ってみせる。

「ん、いいのいいの。なにがあったか知らないけど、あたしでよけりゃいくらでも話聞くし」

「ありがとうございます、お姉さん……本当に、ありがとう……!」

「二葉でいいよ。陽の友達はあたしの妹みたいなもんだしね」

 菜摘はしばらく顔を上げなかった。この少女は、必ず守る。陽と二人で。ブレスレットを回収できなかったことは不安だが、その上で守り抜けばいいだけだ。エンカンの息が聞こえた。また呆れたか、それとも感心したか。いいや、諦めだろう。よくも悪くも二葉についていく決心がついたといったところか。

 ――ごめんな、エンカン。あたしの己影になったのが運の尽きだと思ってくれや。

 エンカンはもう、なにも言わなかった。

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