第5話:九直日影という少年
日没から数時間経ち、午後九時。月は雲に隠されている。頼りない電灯に照らされる住宅街を二葉は歩いていた。今回の魔童は陽の力――正確には“八咫烏”の力を借りた方が相手にしやすいと判断しただけに、陽とヤタがいないのは痛手だった。
上着の下に隠した魔憑銃を撫で、“大煙管”に語りかける。
「ねえ、エンカン。今回の相手、あたしたちだけで倒せると思う?」
『さてね。しかし珍しい、自信がないのかね?』
二葉の己影“大煙管”――エンカンは驚いたような声をあげた。しゃがれた壮年男性の声をしており、二葉はおかしそうに吹き出した。
「あたしって普段自信あるように見えんのか。そりゃ嬉しいね」
あっけらかんと笑う二葉。
幼い頃の美景二葉は天真爛漫で、失敗を恐れない少女だった。もっと幼かった陽の前になると、失敗したときのことなど頭から吹き飛び、何事にも挑戦した。そのたびに失敗しては涙ぐみ、兄の一哉に笑われる。小さな体で無茶をするなという彼の心遣いは、幼いながらに感じていた。
ほどなくして一哉がいなくなり、慌ただしくなる美景家はどうなるのか。漠然とした不安の中、二葉は決心した。自分が美景家の支えになるのだ、と。二葉はいままで以上に挑戦した。一人で魔童と契約し、一人で魔童を倒し、周囲の大人たちに認められるまでなんでもやった。そうして美景家当主を任されることになった。
それからだった、二葉が失敗を恐れるようになったのは。
「……あたしは臆病になったよ、陽の前だから気丈に振る舞ってるだけ」
『そんな顔もするんだね、可愛らしいところもあるじゃないか』
「冗談はやめてよ。可愛いなんてガラじゃないし」
『はっはっは、それはすまなかった。……しかし今回の魔童、“ぬけ首”といったか。私たちは相性が悪そうだね』
「やっぱそう思う?」
今回、二葉が相手にする魔童は“ぬけ首”。人間の頭とそっくりで、気性は荒い。人間に噛みつき血を吸うなどの被害を出すという話だった。頭は地面を転がるわけではなく宙に浮いているため、“八咫烏”のように飛行手段を持たない“大煙管”ではいざというとき逃がしてしまうかもしれない。そうなれば被害はさらに拡大する上、美景の名に泥を塗ることとなる。それだけはなんとしても避けたかった。
「……本当、臆病になった。しっかりしろ、二葉」
ごつん、と頭を殴る。気を引き締めなければ、失敗する。重圧でため息が出た。煙草でも吸おうかと思った二葉だが、生憎喫煙所がない。携帯灰皿はあるものの、歩きながら煙草を吸うのには躊躇いがあった。困り果てていると、近くにコンビニが見える。幸い灰皿が備え付けられているコンビニだった。そしてふと思い返す。陽が世話になっているところだった。
陽が働いている姿を想像できず、好奇心から店内に入ってみる。いらっしゃいませ、という声は陽のものだった。栄養ドリンクの棚を整えているところで、その背中をぽんと叩いた。振り返った陽は、驚いたような顔を見せた。
「ふ、二葉ちゃん? どうして?」
「散歩してたらヤニ切れしちゃってね。外の灰皿って使っていいの?」
「大丈夫だけど……買っていく?」
陽はレジに向かい、煙草の棚から二葉が吸っている銘柄をレジに通す。箱も紙でできたのもので、二葉は感心したように息を吐いた。
「わかってんじゃん」
「机の上に箱が置いてあったから覚えたの。四百二十円になります」
「はいはい、えーっと。ほい、千円でごめん」
慣れた手つきでレジを操作し、丁寧にお釣りを渡す陽。二葉の後ろにくっついていた時代からは考えられない姿に、やはり二葉は笑ってしまう。不機嫌そうに表情を歪ませる陽。
「なにがおかしいの?」
「いや、成長したなあってね」
「僕だって同じこと思ってるよ。煙草はほどほどにね」
「はいはい、ありがとね。それじゃ、また後で」
「ありがとうございます、お次にお待ちのお客様どうぞ。……って、あれ? 真中さん?」
どうやら隣のレジに陽の知り合いがいたらしい。振り返ってみると、年若い少女がいた。陽のクラスメートだろうかと考える。ヤタが言っていた、同じマンションに住んでいるという少女かもしれない。なんにせよ、年の近い異性と知り合いになっているのは微笑ましいことだった。静かに笑い、外の灰皿で煙草の包装を破く。箱を叩き、煙草を少し上にずらして引き抜く。火を点け、甘い煙を吐き出した。
「あの、ちょっといいですか?」
少女の声がした。陽のクラスメートと思しき少女だった。なぜ自分が話しかけられたのがわからず、二葉は軽く会釈した。
「どうも、陽のお友達かな?」
「はい。あなたは七尾くんのお姉さんですか?」
「まあ、そんなとこ。それがどうかした?」
少女はなにか言いたそうにもごもごと口を動かしている。言葉を待っているのもじれったくなり、二葉は意地悪な笑みを浮かべる。
「陽のこと好きなのかな?」
「え、いや、違います」
「あ、そうなの」
こうもあっさりとした口調で言われるのを本人が聞いたらどんな気持ちになるのだろう。密かに陽に同情した。
ではいったい、なにを知りたがっているのだろう。“大煙管”は黙ったままだ。出会った頃から人の感情を読み取ることが得意だったが、今回はなにも言わない。陽に関連したことだからだろうか。
少女は意を決したらしく、二葉の目を真っ直ぐ見つめて尋ねた。
「七尾くん、なにか秘密がありませんか?」
「秘密?」
憑魔士のことは秘密にしているだろうが、それを少女に教える必要はない。それ以外で陽について知りたがっていることがあるならば、こちらからも探りを入れるべきかもしれない。
二葉は灰皿に吸いかけの煙草を入れる。中には水が敷かれているため、すぐに火は消えるはずだ。
「陽、なにか言ってた?」
「えっと、七尾くんがなにか言ってたわけじゃないんです。こんなこと言ったら笑われるかもしれないんですけど……あたし、この間、化け物に襲われたんです。とても腕の太い猿みたいだったんですけど、墨みたいに真っ黒で、なんだかこの世の生き物じゃないみたいで。そのとき七尾くんが助けてくれたんですけど……」
――ああ、あのときの。
少女が言っているのは、陽が初めて戦った魔童のことだろう。あれは二葉が消してしまったが、陽があんなところで憑魔化したのはそういう理由があったからなのかと今になって納得する。
なんと答えるのが当たり障りがないだろうか。しばし沈黙し、へらっと笑顔を見せる。
「あんたは気にしなくていいの。夜は危ないから、さっさと帰りな」
「あの、七尾くんが言ってた、人前に出しちゃいけないものを飼ってるっていうの、なにか関係あるんですか?」
食い下がる少女。陽が言っていたのは、大方ヤタのことだろう。確かに関係はあるが、一般人に憑魔士のことを教えるのは禁忌とされている。ならばなんと答えれば納得するのか。再び思考を巡らせて、ハッと思いつく。
「それ、あたしのことだわ」
「え……?」
「あたし、二十歳なんだけどさ。学校も行ってなけりゃ仕事もしてないの。親の金で酒と煙草を楽しむ毎日だからね。そりゃ家族としては、人前に出しちゃいけないでしょ」
少女の顔が引きつっていく。適当な嘘だったのだが、どうやら完全に信じているらしい。そう見られるのも少々寂しいものがあったが、納得させるにはこれしかなかった。少女はしばし沈黙し、深々と頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。立ち入ったこと聞いちゃって」
「いいのいいの。そのうち金持ちと結婚して親孝行するからさ。ほら、あんたはもう帰りな」
「はい、その、が、頑張ってくださいね。それじゃあ」
「ありがと。……待って」
走り去る少女の背中に、二葉が声をかける。振り返る少女、二葉はその右手首を指差した。
「それ、男の子からのプレゼントかな?」
少女の手首にはブレスレット。奇妙な紋様が描かれており、電灯に照らされて不思議な光を放っていた。少女はそれに手を添える。表情はどこかしおらしい。
「……あたし、小さい頃に前みたいな化け物に襲われてて。そのとき助けてくれた人がくれたんです。お守りだよ、って。だから、夜に出歩くときは、絶対身につけてるんです。あの人が守ってくれている気がして」
「ふーん、恋しちゃったんだ?」
意地悪な笑顔で問いかける二葉。少女は慌てて手を振るった。身振りは否定していたが、顔は真逆だった。
「ち、違います! あの人はたぶん二十歳になったくらいですし、あたしもまだ五歳だったし……」
「五歳の女の子が外を出歩いてたの?」
「……いろいろ、事情があるんです」
「そっか、言いたくなきゃいいよ。気をつけて帰りな。お守りが効くと思うけど」
くっくと喉を鳴らして笑う。少女は顔を真っ赤にしていたが、言い返すこともなかった。二葉に一礼して走り去っていく。
二葉はもう一度煙草を咥えて火を点ける。煙を深く吸い込んで吐き出したところで、エンカンが語りかけた。
『あの少女に興味が湧いたのかな?』
「あの子っていうか、ブレスレットにね」
『くくっ、羨ましいのかい?』
「気づいてたくせによく言うわ。……あのブレスレットから魔力を感じたでしょ。それも、すごく強い」
一般人からしてみれば、どこか不思議な力を感じる程度だろう。それだって現実的でない感覚なのだ、本当に不思議な力が宿っていると確信する者は少ないはず。
しかし憑魔士ならばわかるほどだった。魔童に匹敵する、あるいはそれ以上の魔力を秘めている。間違いなく、憑魔士の手が入った代物だった。もう十年も昔のことだ、いまから調べても人物の特定はできないだろう。ただ、あの少女が魔童に狙われた理由もわかった。強すぎる魔力に引き寄せられたのだ。どういう経緯があったかはわからないが、魔除けとしての効果は薄れ、いまでは魔力を発し続けるだけの品になっている。あれではこれからも魔童に狙われ続けるだろう。
「……陽にはあとで伝えておくか」
陽の知り合いなら、自分がでしゃばることはない。陽に任せた方がいいと判断した。再び煙を吐き出し、灰皿に捨てる。じゅうっという音と共に火が消えた。
真剣な話をしていたが、突如エンカンが喉を鳴らして笑う。
『しかし、ずいぶん嘆かわしい捏造をしたものだね』
「ああ、あれ? まともにごまかしても食いついてきそうだったし、だったらドン引きさせた方が早いと思って」
『私が彼女でも同じ反応をしたと思うよ。自分で言ってて悲しくないかね』
「はは、実際ちょっと悲しくなったわ」
『玉の輿を狙うには充分な美貌だ。そこは自信を持つといい』
「あら、褒めてくれてる? ありがと」
『酒と煙草をほどほどにして、言葉遣いを改めればもっと可能性は高くなると思うがね』
「じゃあ無理だ」
けらけらと笑う二葉。二葉自身、結婚する気はまだなかった。一哉がいなくなってから、二葉は一人でも生きていけるように強くなった。そのせいか、結婚にしろ交際にしろ、相手に求める条件が「自分よりも強いこと」が最優先になっている。憑魔士本部から離れることが多く、現地で男性と知り合うこともあったが、いずれも二葉の強さに惹かれていたために土俵には上がれていなかった。エンカンは「やれやれ」とため息を吐く。
煙草の箱を胸ポケットにしまい、再び調査に向かう。車の音や、窓の外まで響く話し声が聞こえる。いつもと変わらない、なんてことのない夜。“ぬけ首”が出てくる気配はない。
「……ん?」
ごみ捨て場になにかが見えた。カラス避けの網の上に、なにかがのしかかっている。長い手足が見えることから、人間であることは確認ができた。まだ二十一時を折り返す頃だというのに、もはや泥酔しているのだろうか。呆れながらも、二葉はそれに近づく。
「もしもし、大丈夫です、か――」
鉄のような臭いに呼吸が止まった。倒れるその体には、頭がなかった。乱暴にねじ切られたのだろう、傷口が雑だった。こんな猟奇的な死に方は、通常の人間にはできない。となれば、答えは一つだった。
「“ぬけ首”が近くにいる……?」
『二葉、一旦戻るんだ。嫌な予感がする』
神妙な声音のエンカン。嫌な予感という言葉を漠然としか捉えられていない二葉に、エンカンは落ち着いた声音で続ける。
『マンションの方から二つの魔力を感じる。一つはあの少女のブレスレット、そしてもう一つはおそらく――』
「……“ぬけ首”か! 魔力を求めてあの子を襲うかもしれない……クソッ!」
二葉は来た道を全力で戻る。すでに帰宅していれば思い過ごしで済むのだが、“ぬけ首”がどの程度の速さで移動できるかもわからない。油断すれば、陽の大事な友人を奪うことにもなりかねない。それは絶対に許してはいけない。
コンビニまで戻ってくると、前から人が走ってくるのが見えた。先程の少女だった。切羽詰まったような表情をしている。二葉の姿を見るなり、すがるように抱きついてきた。肩の部分が破けており、そこから血が流れている。“ぬけ首”の仕業と見て間違いはなさそうだった。
「た、助けてください! 生首が浮いてて、噛みついてきて!」
「わかった、任せな。あんたはそこの店にかくまってもらうといい」
少女はコンビニに駆け込む。落ち着いて話ができる精神状態ではないと思うが、陽なら事情を察してくれるだろう。二葉は上着の下から魔憑銃を取り出し、こめかみに当てて引き金を引く。全身から煙が発生し、二葉の手に集まる。それは質量を持ち、大きな煙管となった。己影“大煙管”の魔力に釣られるように、空からなにかが降りてくる。
赤子の頭程度の大きさで、まぶたは閉じている。口元は無邪気な笑みを湛えているが、その隙間からはのこぎりのような歯が見える。口の端から赤いなにかが垂れていた。十中八九、あの少女の血だろう。
「場所悪いな、変えようか」
煙管を振るうと、二葉と“ぬけ首”を煙が覆う。視界が白に染まっていき、二葉が息を吐き出すことで煙が晴れる。そこは空に近い場所だった。陽が住んでいるマンションの屋上である。これは“大煙管”の能力、その一部。魔力を持った煙を染み込ませることで座標に設定し、その地点へ転移するというものだ。
少女のブレスレットに匹敵する魔力を前に“ぬけ首”は一層喜びを示した。不気味な笑い声をあげながら赤黒く染まった歯を剥き出しにする。二葉は煙管を肩に担いだ。
「さて、そんじゃまあ……さっさと終わらせてやるよ!」
不敵に笑う二葉。“ぬけ首”は大きく口を開けて飛来する。思っていた以上に速さがあり、虚を突かれた。二葉は腰を落とし、煙管を薙ぐように振るう。“ぬけ首”は高度を下げてそれを回避した。腹部に頭がめり込み、体勢を崩す二葉。突進の反動で“ぬけ首”が離れるが、すぐに二葉の脇腹に噛みつく。鋭利な歯が肉に食い込み、激痛が走った。二葉の表情が歪む。煙管から濃い煙が発生した。
「がっ、ああ……!」
『二葉!』
「この……野郎ッ!」
煙管の柄で“ぬけ首”を叩き、引き剥がす。転がる“ぬけ首”に肉薄し、煙管を全力で振り下ろした。甲高い金属音が響くが、手応えはない。どこへ行ったかと見回す二葉、背後に水の滴る音がし、振り向きざま煙管を振るう。鈍い感触が柄を通して伝わった。気づくのが遅ければ、首を噛み千切られていたかもしれない。荒く息を吐き出す。
『よく当てた。気づくのが遅れてすまないね』
「大丈夫。しかし、ここを選んだのはあたしだけど場所が悪いな……!」
見た目にはそれほど脅威を感じないが、足音がないのは厄介だった。視界から外れれば、唾液が床に滴る音で判別するしかない。加えて、屋上は本来立ち入り禁止。そのため電灯もなく、暗闇の中、気配と音を頼りに戦わなければならない。不利な状況に変わりはないが、それでもここで倒さなければ美景の名が廃る。二葉は改めて呼吸を整え、“ぬけ首”に煙管を突きつける。先端からは濃い煙が漂っていた。
「ほら、来いよ。場外ホームラン見舞ってやる」
『そうなると探すのが面倒そうだ』
「エンカン、そういうの要らねえんだわ」
空中で停止する“ぬけ首”。動く気配はない。なにを企んでいるのだろう。二葉は警戒心を強める。そのとき、“ぬけ首”が高らかに鳴いた。赤子の鳴き声以上の大きさと響きは衝撃波となって二葉に襲いかかる。反応が遅れた二葉は腰を落として踏ん張るものの、閉め切られたドアに叩きつけられてしまう。
「クソッタレ、姑息な真似を!」
『二葉、急ぐんだ。“ぬけ首”の気配が遠退いていく』
「時間稼ぎのつもりか、けどあたしに飛行手段はねえ……!」
『ならば、捕らえるまでだよ』
二葉の右腕が動く。彼女自身の意志ではない。エンカンの意志だ。握った煙管、その先端から吐き出される煙が不規則な軌道で闇に紛れた“ぬけ首”に迫る。煙が“ぬけ首”を包み込み、二葉が右腕を引いた。すると、網にかかったように“ぬけ首”が引き寄せられていく。“大煙管”の力、その一部だ。
この機を逃すかと言わんばかりに立ち上がる二葉。煙が消え、煙管の間合いに引き寄せられた“ぬけ首”。二葉は目一杯に息を吸い込んだ。煙管から力強く煙が立ち昇り、黒い光を帯びた。
「消し飛べェッ!」
渾身の力で煙管を薙ぎ払うと、“ぬけ首”は粉微塵になって消え去った。静寂が降りた屋上、憑魔化を解除するより先に、懐から煙草とライターを取り出す。ふう、と煙を吐き出すと、煙は闇に溶けていった。
「……さて、いい時間か。帰らないとね」
“大煙管”の煙が二葉を包み込む。視界が白に染まる直前、マンションの屋上になにかが降り立った。鋭い気配がしたかと思い、警戒するが、すぐに煙は晴れてマンションの入り口へ転移する。憑魔化を解除すると、弾丸のエンカンが語りかけてきた。
『いまのはもしかすると、先日の堕影かもしれない』
「え、マジ? 間一髪だったんだ、あっぶねえ」
『……あの堕影の正体について、仮説を立ててみたんだ。陽くんが戻ってきたら話そう』
「了解。そろそろ帰ってくると思うけど」
エンカンの仮説は聞きたいところだが、陽とも情報を共有するべきだと判断する。
時刻は午後九時四十一分。陽もそろそろ退勤作業が始まる時間だった。
「ただいま」
帰宅した陽の手には、廃棄商品がいっぱいに詰められたレジ袋。二葉は窓を開けて煙草を吸っており、陽の姿を確認するとひらりと手を振った。トーク番組を見ていたヤタも翼を広げて迎えてくれる。
「おかえり、陽。仕事お疲れ様、あの子はちゃんと送ってきた?」
「ありがとう、真中さんなら大丈夫。怖がっていたけど、ちゃんと送り届けたよ」
「ならよし」
「それより、魔童は倒せた?」
「あったりまえよ。あたしを誰だと思ってんだ、美景家当主だぞ?」
「ふふ、さすがだね」
二葉の力強い言葉と笑顔に、陽も釣られて笑う。二葉は本当に強くなったと実感した。
自身の魔憑銃を掴み、くるくると手で回す二葉。“大煙管”がなにか言っているのだろうか。二葉は二、三度頷くと、魔憑銃をテーブルの上に置いた。
「エンカン……あー、“大煙管”が話があるんだと。ちょっと聞いてやって」
二葉の己影“大煙管”はエンカンという名前らしい。しかし、話とはなんなのか。皆目見当もつかない陽は黙って頷くしかなかった。魔憑銃が紫煙を発し、それは小さな猿のような姿を形作った。手には金色の煙管を握っており、しわの多い顔をしている。顔は真っ赤で、どこか酔っ払ったような印象も見受けられた。
猿――“大煙管”のエンカンは陽の顔を見て、柔らかく微笑む。
「初めまして、陽くん。私が美景二葉の己影、“大煙管”のエンカンだ」
「初めまして、七尾陽です。二葉ちゃんにはいつもお世話になっています」
エンカンの落ち着いた口調に合わせて敬語で返す陽。エンカンは煙管を口に咥え、深く息を吐いた。匂いはなく、魔力の煙のようなものなのだろう。実際の煙草とは別物だと考えて良さそうだった。
「陽くんと二葉、これからきみたちには私の仮説を聞いてもらう。先日遭遇した堕影についてだ」
「心当たりがあるんですか?」
陽の問いかけにエンカンはくっくと喉を鳴らして笑う。
「焦るんじゃないよ、まずは茶の用意でもしてくるといい」
「す、すみません……」
煙草を灰皿に押し付け、席に着く二葉。陽はコップを二つ用意して、お茶を注いだ。二葉はそれをぐいと一気に飲み干し、自分でもう一度注ぐ。エンカンはテーブルの上であぐらをかき、二人が落ち着くまで煙管を咥えていた。
「さて、気持ちも整ったところで話をしようか。先日の堕影がどんな容貌をしていたか、覚えているかい?」
「えっと、太い尻尾と、グロテスクな翼、虎のような脚が見えました。あと、頭部から生えた人間の上半身のようなものも……」
「よく覚えていたね、賢い子だ。あれらの特徴を持った魔童は、私の知り得る限り一種類だけ。名を“
「“鵺”……?」
聞いたことのない名前だった。陽は首を傾げるが、それまで真剣にトーク番組を見ていたヤタが声を上げた。
「“鵺”ってのは昔、京都で悪さしてた魔童だな。平安時代に都を恐怖に陥れたって奴だ」
「さすが“八咫烏”は博識だ。その通り。『鵺の鳴く夜は恐ろしい』とはよく言ったもので、奴が鳴くと災いが起こると信じられていた。そのことから、遠い過去に憑魔士の手によって駆逐されたはずなんだ。もしあの堕影が“鵺”だとするならば、何者かが秘密裏に“鵺”を捕らえ、隠していたということになる」
エンカンの説明に、二葉の表情が険しくなる。陽も同じことを考えていたのだろう、手にじんわりと汗がにじんだ。耐え切れなくったのか、二葉が口を開く。
「……ちょっと待って。そんなことができるのって」
「無論、憑魔士しかいないだろうな」
エンカンの口調は穏やかなまま。それがかえって不安を煽る。
あくまで仮説なのだが、本当に堕影が“鵺”だとするならば、捕らえた憑魔士の意図はなんなのか。憑魔士一族に反乱でも企てているのだろうか。だとしたら、いったい誰が? 憑魔士の世界から隔離されて育った陽には想像ができなかった。二葉も同様に考えているようだが、表情は険しいまま。これからどう対応するべきかを考えているのだろう。半ば部外者の陽はむやみに口を出すべきではないと判断し、俯いた。
重苦しい沈黙に耐え切れなくなったらしい、ヤタが翼をはためかせた。
「ま、いまは考えても仕方ねーだろ。エンカンのは仮説に過ぎねーんだからよ。そのときそのときで対応してこーぜ」
「……ヤタの言う通りね。仮説は仮説、それを信じ切って対策を立てても、違ったときの衝撃がでかい。その上、対応も難しくなるか」
「それもそうだね。可能性の段階だし。エンカンさん、話してくださってありがとうございました」
腰を折る陽に、エンカンは笑った。
「陽くんは慎ましいいい子だね。二葉も彼を見習うといい」
「あーら? あたしだって慎ましくおしとやかな女性を演じられますことよ?」
「演じていてもぼろが出る。彼のように心根が真っ直ぐな人間になるといいと言ったんだ」
「はいはい。ほんっと親父みたいなこと言うんだから」
「何年生きていると思っているんだね。私からしてみたら娘ではなく孫、いや曾孫くらいの感覚だよ」
「あー、わかったわかった! うるさいおじいちゃんを持ってあたしは幸せ者だな、ほんと! そんじゃあもう寝る! 陽、ベッド借りるね!」
許可を出す前に陽の部屋へ行ってしまう二葉。苦笑する陽に、エンカンは「すまないね」と頭を下げた。
「二葉はああ見えて弱い子だ。きみにはとても強かな女性に映っているかもしれないがね」
「……意外でしたが、当然だとも思います。一哉様が亡くなったとき、二葉ちゃんはまだ十歳でしたから。頼れる人もいなかったでしょうし、僕でよければいくらでもワガママ聞いてあげますよ。ご安心ください」
「ほどほどにするんだよ。あの子は甘やかされたらとことん甘えるぞ」
「あはは、ほどほどにしておきます」
「ああそれと、二葉が不貞寝してしまったから私から伝える。きみのクラスメートと思しき少女がいたね?」
菜摘であることはすぐにわかった陽だが、エンカンからなにを伝えられるかがわからなかった。エンカンは再び煙管を咥え、ふうと息を吐く。
「あの子から……正確には、あの子のブレスレットから、強い魔力を感じたんだ。憑魔士の手が入った品物のようでね。本来魔除けの効果があったそうだが、それが薄れてしまっている。いまでは魔力を放つだけの物体だ、今回のように魔童が引き寄せられる可能性がある。少し、気にかけてやってくれないか」
驚く陽とヤタ。なぜヤタが気がつかなかったのかには触れないでおくことにした。菜摘が魔童に狙われる理由が判明し、陽は胸を押さえつける。自分にできるだろうか、一般人を守ることが。未熟な陽は押し黙ってしまう。エンカンは朗らかに笑った。
「きみ一人に任せるつもりはない、二葉だってわかっている。気にかけてくれ、というだけだ」
「……ありがとう、ございます」
「それじゃあ、私も一休みしようかね。また話そう、陽くん」
「はい、おやすみなさい」
エンカンは笑うと、煙に身を包んで消えた。弾丸の姿に戻ったのだろう。ヤタはトーク番組に戻っていた。アイドルとコメンテーターが二人で喋っている番組で、ご機嫌そうに笑っている。笑いのつぼは人間と同じらしく、翼で机を叩いていた。当然、羽根も舞った。陽はやれやれ、とため息を吐いてごみ袋を探し始めた。
そのとき、インターホンが鳴った。こんな時間に客人がいるとは思わなかった陽。何者かと思い、小さい窓から覗いてみる。そこには九直日影がいた。表情はないが、学校にいた頃となにかが異なっていた。そのなにかが正確に判断できなかったため、陽はドア越しに声をかける。
「どうしましたか?」
「お前と話をしに来た、美景陽」
「僕は七尾陽です。……話とはなんでしょう?」
「あの女のことだ」
九直のいうあの女が誰かがわからなかった。菜摘とも二葉とも面識がある以上、どちらかを聞くべきかと思った。陽が問いかけるより早く、九直が口を開いた。
「教室にいた頃からずっと魔力の気配がしていた。奴は憑魔士関係者か?」
どうやら菜摘のことのようだった。しかし、興味深い話だった。憑魔士ではない九直にも魔力は感じ取れたらしい。ヤタも同じ考えに至ったようで、翼をくちばしに添える。
「ヒカゲにも感じ取れたんだな。憑魔士じゃねーっつってたのに」
「魔力は人間でも感じ取れるものなの?」
「人によるんじゃね? 魔力に対する嗅覚が鋭敏な奴もいるだろーし、ヒナタみたいに鈍感な? 未熟な? 奴もいるだろーし」
九直が大貫家に関わりのある人間ならば、そういった技術に長けていてもおかしくはないとヤタは言う。
――そうだ。九直は大貫さんとどういう関係なんだろう。
遣いとは言っていたが、大貫家に正式に迎え入れられた子なのだろうか。はたまた、憑魔士本部とは離れたところで大貫家の支援をしている者なのか。九直日影は謎が多すぎる。本人に語る気がないのもあって、得体が知れないというのが正直な感想だった。
心を許しきれない陽はドアを開けずに返事する。
「その件に関しては二葉ちゃんが動くはずです、僕からなにかを伝えることはありません」
「美景二葉は憑魔士のトップになり得ない。あんな弱い奴に頼るのか、お前は」
淡々とした口調だった。感情の籠っていない声に不気味さを感じたが、九直の言い分を頭から否定することはできなかった。
二葉はまだ当主となって日が浅い。本当なら自分のことで手一杯なはずなのだ。エンカンの言う通り、まだまだ二葉は弱い。支えが必要なのだ。常に隣に寄り添ってくれる人間がいなければ、そう遠くないうちに折れてしまうだろう。
陽はドアに額を押し付けて、「だったら」と呟く。
「……僕が支えになります。二葉ちゃんの隣で戦い続けます」
二葉が美景家に戻るまでの間だけでいい。彼女を支えたい、支えてあげなければならない。陽にとって大きな決心だった。
九直はなにも言わない。足音が遠退いていくのがわかった。陽はドアに背中を預け、座り込む。ヤタが隣に歩みより、ぽんと腕を叩いた。
「なんだァ、いつの間にかカッコよくなっちまって。変わったなァ、ヒナタ」
「二葉ちゃんには助けてもらったから。今度は僕が助ける番。僅かな期間だけでもね、力になりたい」
「いいじゃんカァ。男前だぜ、お前」
「はは、ありがとう。それじゃ、お風呂入ってくる」
浴室に向かう陽は、鏡に映る自分の姿を見る。頼りない体だった。誰かを支えるなんて、到底できそうもない。それでも、二葉には恩を返したい。いまの陽を突き動かすのは、その想いだけだった。
翌日、オリエンテーションを終えた陽は菜摘と九直に連れられて近くのファーストフード店にいた。クラスメートととの交流はやはり図れなかったが、先日の一件があるのだ。当然と言えば当然だと納得する。菜摘は最も安いハンバーガーのセット、陽はえびが挟まったハンバーガーと飲み物を頼んだ。九直はなにも頼まず、ただ座っていた。不思議に思った菜摘が尋ねる。
「九直くん、なにも頼まなくてよかったの?」
「口に合わない」
「美食家なの?」
「そういうわけじゃない。単純に、合わない」
「へー、そうなんだ。無理矢理連れてきてごめんね!」
「いや、いい」
表情に変化がない九直をじっと観察する。九直に関して知っておくべきことがある。過去に陽とどこで出会ったのか、だ。美景陽という名前を知っていることから、美景家逃亡以前に出会っているはずなのだ。
しかし当時の陽は大貫家の存在を知らなかった。そんな中で、大貫家の関係者と面識があるという事実がいまひとつしっくりこなかった。
菜摘は健気に話題を投げかけ続ける。そうして、思い出したように声をあげた。
「そういえば、九直くんと七尾くんって面識あるんだよね? どこで知り合ったの?」
「……僕は覚えていないんですが、九直くんは?」
「昔、追われているところを助けた」
陽は考える。追われている、という表現を適切に捉えるならば美景家からの逃亡のとき。そのとき助けてくれたのは大貫だと記憶していた。
――あれ? あのとき、僕は大貫さんに助けられた。でも、その前に……。
鮮明な映像が脳裏を過る。あのとき、追手を殺したのは大貫だ。だが、大貫が来る前に、陽を助けた少年がいた。閃光となって追手を攪乱した、謎の少年。名前は――
「苦喰……?」
九直は黙って頷いた。九直日影というのは、人の世に紛れるための名前ということだろう。陽が「美景」を名乗らない理由と同じだ。七尾という姓は大貫が与えたもので、九直日影という名前も大貫からもらったものなのだろう。
しかし、ここで疑問が湧く。初めて会ったとき、陽は五歳だった。九直――苦喰は十代半ば程度だったはず。陽よりも年上のはずなのだ。それがどうして、同じ制服を着ている? それよりも、なぜ成長していない? 憑魔士でないと言っていたが、なにかしら魔童、己影の力でそうなっているのではないか。九直への不信感は一層増すばかりだった。
なんのことか欠片もわかっていない菜摘はポテトを四つつまんで口に放った。
「くくい? 苗字が違ったの?」
「あ……ええ、そうだったんです。姓が変わっていたから気づきませんでした。あはは……」
「へー、変わった名前だね。複雑な事情がありそうだから、詳しくは聞かないでおくよ」
「助かる」
陽はハンバーガーを一口かじる。あのときの少年、苦喰が目の前にいる。追手の気を引いたときの彼の言葉が脳裏を過る。
――化け物だ。
その言葉の意図はいまだにわからない。苦喰――九直日影は、なにを以て化け物を自称するのか。考えても答えは見えない、直接聞いても答えはしないだろう。謎はひたすらに複雑で、生身で迷宮に放り出された気分だった。
そうして時間が経ち、日も沈んだ頃。菜摘が携帯をチェックして声を上げた。
「うわ、もうこんな時間? そろそろ帰らないとね。七尾くんも、お姉さんのお世話しないといけないんでしょ?」
「お姉さん?……ああ」
すぐに二葉のことだと気がついたが、いったいどこで知り合ったのだろう。なにか変なことは言っていなかっただろうか。努めて冷静に問い返す。
「二葉ちゃん、なにか言ってました?」
「えっと……自分のこと、人前に出しちゃいけないって言ってたの。で、でもね! 二十歳なんてまだまだ若いからね! 真中菜摘が応援してますって伝えておいてほしいな!」
いったいどんな嘘を吐いたのか、心底申し訳なさそうな菜摘を見て、陽が申し訳なくなった。騙し続けるのは少々酷だが、憑魔士は一般人に干渉するべきではないのだ。騙せるなら、それでいい。
なにも知らない菜摘が先陣を切って店を出る。陽もそれに続こうと思ったが、九直が動かない。どうしたのかと振り返り、陽は目を細めた。
九直がよだれを垂らしていた。拭う気配はない、飢えた猛獣のように呼気も荒く、一目で異常だとわかった。
「九直くん? よだれが垂れていますよ、みっともないから拭いてください」
陽の言葉が届いた気配はない。血走った眼が見据えるのは、菜摘の後ろ姿。九直の手が菜摘の背中を追ったが、陽はそれを掴んで制止する。
「……彼女になにをするつもりですか?」
そこでようやく陽の声に気づいたらしい、九直は制服の袖で口元を拭った。
「悪い。……なぜだろうな、引き寄せられるんだ」
「引き寄せられる?」
「ああ、どうしようもなく引き寄せられる。美味そうな匂いがするんだ」
九直の目はいまだ菜摘の背中を追っている。美味そうな匂いという表現は比喩だと判断するのが普通だ。女性として魅力的という意味合いの場合もある。だが、九直のそれは喩えとは思えなかった。本当に喰らってしまうような、狂気染みたなにかを感じる。
――警戒は、怠っちゃいけない。九直日影は、危険だ。
二葉は隙を見せるな、と言っていた。だが、真に危惧するべきは自身の危険ではなく、他者へ危害を及ぼす可能性。なにをするかわからない、言葉の通じない獣を相手にするつもりでいるべきだ。
やはり気づいていない菜摘は振り返り、二人に手を振った。あの無邪気な笑顔を失くしてはいけない。陽はこのとき、自身のやるべきことを心に刻んだ。
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