8 夢の終わり




 メージンはじりじりと後ずさっていた。


「ねえ、どうして逃げるの? 私たち付き合ってるんだよね?」


「く……自分の胸に聞いてみたらどうだっ」


 数メートル先には彼女の姿がある。長い黒髪のよく似合う、普通にしていれば可愛らしい女の子。

 しかしその手には、ハサミが握られていた。それも、布などを切る、裁ちバサミと呼ばれる大きなやつだ。


「おいコラ、メージン! てめえの彼女だろうが! いつまでやってんだ!」


 先ほどからユウキやタカラの叫び声は聞こえていた。近くにいるのかもしれない。だがメージンはそちらに目を向ける余裕がなかった。一瞬でも目を逸らせば、どうなることか。

 何も見えない闇の中でその声に翻弄されていた方がまだマシだった。実物を目にした今、メージンの身体は後ずさる以外の機能を忘れてしまったかのように、自分の意思で思うように動かせない。


「メージン、逃げちゃダメだ! 向き合うんだ!」

「いやいやいや、あれを見てから言えあれを!」

「どうせ夢ん中だろうが! 刺されたって痛いのはいっときだ。すぐ目が覚める!」

「そういう問題じゃない! 分かってたってどうしようもないものがある!」


 無理なものは無理だ。たとえるなら磁石の同じ極同士が反発し合うようなもの――


「最初はそうじゃなかったろう!」


 最初は――些細なきっかけで知り合い、相手に告白され付き合うようになった。

 そう、最初は舞い上がっていた。なにせ、彼女は可愛い。だけど次第に気付く。その恐ろしさに。

 メッセージは日に何十通もくるし、一度でも返事を欠かせばその倍やってくる。放課後や休日は常に居場所をきかれ、いつの間にか所在を知られていた。背後に気配を感じる日々。その重さたるや、交際経験のない二人には分かるまい。


「そうなったのにもきっと理由があるはずだ! 彼女の心の闇を攻略してみせろよ! メージン!」


 そう言われても――彼女に話が通じるはずが、


「……どうして逃げるの?」


 彼女が再度繰り返す。


「……そうだ。これは夢の中だ。彼女は僕の作り出した幻に過ぎない。は、はは、なに、刺されたって死ぬ訳じゃない――」


 ここなら、話せるはずだ。


「ぼ、僕だって逃げたくてそうしてる訳じゃない。君が何をしでかすか分からないから……。どうして僕を束縛しようとするんだ」

「だって……」


 と、彼女から応えがあったことに、メージンは安堵を覚えた。これなら……。


名神ながみくん、何考えてるか分からないんだもん。それに、遊びに誘ってもよく断るし……。私以外に誰か、好きな人がいるんじゃないかって……」

「そ、そんな相手はいない。僕は君以外と付き合ったことはない」


 なんとか声を絞り出すメージンの傍らで、


「……なんかノロケ始まったぞ。帰るか?」

「まあ……最後まで見守っててあげよう」


 メージンの言葉に、彼女は少し嬉しそうな顔をする。


 が。


「だけど、いつも友達と遊んでばかりで……名神くん、もしかして男の子が好きなんじゃないかって。男子校だし」


「え、メージンお前はそうなの?」

「違う!」

「仮にそうだとしても、オレたちは受け入れるぜ。まあ告られても断るが」

「だから違うと――」


「それに、私の知らないところで、他の子のことが気になっちゃうかもしれないじゃない!」


 だから――


「私、考えたの」


 ……束縛するのか。



「あなたに浮気をうながすもの全て――私が」



 ちょきん☆



「成敗しちゃう☆」



「「恐ぇええええええ!」」


 ここにきてユウキとタカラは思い知った。メージンが彼女を恐れる理由を。


「まずはその二人から☆」


「「こっち来る!?」」


 メージンの彼女がハサミ片手に笑顔を浮かべる。走り出す。



「やめろ!」



 その前に、メージンが立ちはだかる。


「やめてくれ。これ以上、君を嫌いになりたくない」

「…………」

「僕はまだ、恋愛というものがよく分からない。まだ、友達と遊んでいたい。それだけなんだ。別に、君のことが嫌いだとか、他の好きな人がいる訳じゃない。どんな形であれ、僕の心にいる女性は、君だけだ」

「名神くん……」


 ハサミを下ろす彼女に、恐る恐る、メージンは歩み寄る。



「僕は、君との思い出を、悪夢になんかしたくない」



 震えながらも、メージンはその手を伸ばす――



「……オレもさ、彼女いたら、もうちょっとマシな目に遭えたんかな」

「まあ、言ってもこれ夢だから。リアルで向き合わなきゃ何も解決しないけどね」

「それはそれで、恐ぇな……」



 メージンの腕の中で、彼女は儚く消えていった。




               * * *




 エレベーターの扉が開く。

 それはまるで、この悪夢の終わりを告げるように。


 三人は一階へと戻ってきた。

 ラウンジは照明が消え、さながらその役目を終えたかのように静まり返っている。

 そして、堅く閉ざされていた入口の扉が開いていた。


「この悪夢もこれで終わりかー」

「そう思うと、少し名残惜しい気もするな」

「まあ、なんだかんだ楽しめたしね」


 しかし、夢はいつか覚めるものだ。

 夜は明ける。


 少年たちは現実へと帰っていった。



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