7 灯火
闇の中、どこからかタカラの耳に声が届く。
――うわっ!
「うわっ!?」
思わず叫んでしまった。それはここにいるはずのない人物の声だった。
「きさらっ、てめ――」
反射的に振り返るが、そこには何も――というか、一面真っ黒。
――兄ちゃんってば、ほんとビビりなんだから。
「うるっせえ――」
姑息な真似しやがって――
――母ちゃんだってさ。ウケる。
「!」
――
――母ちゃんとかないわー。
「……やめてくれ……」
――みなさん。多空くんをからかうのはやめてあげてください。先生は……。
「やめてくれぇえええええ!」
* * *
――
「……落ち着け。これは夢だ。ミドリさんは二層の時と違って、実体を持たない」
闇の中、メージンは目を閉じ、自らに言い聞かせる。
「三人とも違う場所に飛ばされたようなのは想定外だったが、なに、問題ないさ。この前と同じだ。そのまま後ろに下がればエレベーターの扉がある。いったん引き返そう。そして対策を練るんだ――」
……ひたひた、と。
「…………」
――名神くぅーん……?
背後から、足音が聞こえてくる。
「こ、こんなものはただの錯覚だ。幻聴だ。気にするな――」
分かっていても、身体が動かない。
――あ、名神くーん……。
「――――、」
……ぴと。
――みぃーつっけた☆
「ひいィっ!?」
* * *
からかう生徒たちを見かねてか、担任教師はHRの時間を用いて学級会議を開いたのだ。
それが、タカラにとってどれほど苦痛だったかも知らずに。
「くそっ、笑うんじゃねえ――」
それ以来、中学に入ってから築き上げてきた硬派なイメージは台無しで、クラスメイトはタカラを見て笑いを漏らすようになった。
恥ずかしくて、学校に通うのが嫌になり――かといって、学校をサボるのは逃げたようで嫌で、タカラのプライドが許さなかった。
独りだ――闇の中で頭を抱え、蹲る。
そんな時だった。
『なに塞ぎ込んでるんだよ』
光へと、手を差し伸べてくれるヤツらがいた。
『精神攻撃など敵の常套手段だ。その程度でへこたれて、よくもスポーツなどやってられるな』
そいつらはクラスでもオタクに分類されるような連中で、運動部に所属するタカラとは縁遠い連中だった。
それなのに、なぜ。きっとタカラを見かねたのだろう。同情なんていらない。うるせえ、そう振り払おうとした。
『むしろ、あんなことずっと気にしてる方が恥ずかしいって』
「……そうだな」
タカラは顔を上げる。
「いつまで引きずってんだよ、恥ずかしい」
ビビりで、見栄っ張り。それで結構だ。だけど、こうなった――この悪夢にあの二人を引き込んだ責任はとる。
元はといえば、自分を馬鹿にする妹のきさらを見返すために、廃墟で肝試しをしようと考えた。それに二人を巻き込んだのだ。全部自分の弱さが招いたことだ。
「恥ずかしいぜ、ちくしょう」
羞恥心で身体が燃えるようだ――燃えろ、もっと燃えろ。
この闇を焼き尽くすくらいに!
* * *
時折何かに足をとられそうになりながら、ユウキは白い布を被った化け物から逃げ回っていた。
どこからか聞こえる誰かの声も頭に入らないほど、恐怖に理性を支配されていた。
――唐突だった。
闇が晴れ、その空間の全容が明らかになる。
そこは何もない、ところどころに瓦礫が積もった灰色の空間だった。あの廃墟の四階を模しているのかもしれない。ユウキ、タカラ、メージンの三人はそれぞれこの空間の隅々に追いやられていたようだ。
「ユウキ!」
何かを吹っ切ったような、タカラの声が響く。
「いつまで逃げてんだ、お前はよ!」
指摘され、今更ながら恥ずかしさがこみ上げる。そうだ。何を逃げ回ってるんだ。相手はただの……ただの、布を被っただけの不審者だ。化け物じゃない。人間だ。
「う、うぉおおおおおお!」
ユウキは思い切って振り返った。
白いヤツが前屈み気味に突っ込んでくる。その迫力たるや、思わず後ずさってしまうほどだ。しかし、なんてことはない。暗闇のなか突然現れるならまだしも、こうして明るい空間で見るそれはただただ滑稽なだけだ。
ユウキは意を決し、突っ込んできたそれを受け止めた。
そして後悔した。
「ヤバいヤバいヤバい思いのほかヤバい!」
掴んだのは人間でいう肩の辺りか。いざ接触してみると、これが思いのほか生き物感があって気色悪い。体温は感じないものの相応の硬さがあり、しかも動く。動くのだ。
「うわぁああああああっ!?」
布から腕が伸びてきた。ユウキの首へと迫る。下手に避けようとすれば突進をまともに喰らうし、かといってその腕を掴むことも躊躇われ――いったいどうしろと!
「おらぁっ!」
瞬間、目の前の布が燃え上がった。
「タカラ!」
横合いから現れたタカラが布を殴りつけたのだ。その拳が燃えている。
「て! 燃えてるよお前!?」
「夢の中だからな、なんでもありなんだよ。もうちょっと早く気付けてたら良かったぜ」
「な、なるほど……。羞恥心ファイアーってやつか」
「やめろダサい名前つけんな」
白い布は燃え上がり、消え去った。もはやあの化け物は影も形もない。
「あとはメージンの彼女だけだな。あいつぶっ倒して、この悪夢を終わらせっぞ!」
「あ、あぁ……。笑える明日を迎えるために!」
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