2 悪夢の始まり




 教師に見つからないよう部屋を抜け出し、廃墟を廻ってバレずに帰る。

 非日常的なスリルを楽しんだ後は、ホテルのベッドで心地好い眠りに就いた――


 はずだったのに。


「え……?」


 そこはその夜に訪れた廃墟と似た場所だった。

 しかし、決定的に違う。

 完全に廃墟となっていたはずのホテルに明かりが点っている。その眩しいまでの輝きがユウキを照らし、周囲の闇を色濃くしていた。


 周囲を見れば、思いのほか近くにタカラとメージンの姿がある。三人ともラフな部屋着姿で、まるでついさっきまでベッドの上で微睡んでいたかのようだ。実際そういうぼんやり顔をしている。

 直前までの記憶が判然としないが、ユウキもそのはずだった。ベッドで眠っていたはず。なのに。


「なんでここに……。ていうか」


 本当にあの場所なのか?


 改めて周りを見渡してみるが、ホテルの放つ光が届く範囲で確認できるのは雑草の生い茂った駐車場くらいだ。そもそもが夜間に忍び込んだ場所だから、仮に日が差していても分からないかもしれない。


 そうして三人それぞれ周囲を確認していると、


「おい……。あれ、なんだ?」


 タカラが呆然と呟く。ユウキもすぐにそれに気づいた。


 光の届かない暗がりから、何か……着ぐるみのようなものが、のっそりと現れる。動物を模した大きな頭をふらふらさせながら、頼りない足取りで近付いてくる。

 それも、一体じゃない。二体、三体……次々と、まるでユウキたちを取り囲もうとするように、揃いも揃って派手な蛍光色をした笑顔の着ぐるみたちが――


「な、なんかヤバくねえか……?」


 不気味さと威圧感を覚えるには十分な光景だった。


 知らず、じりじりと後ずさるユウキたちに呼応するように、着ぐるみはその足取りを確かなものにしていく。ゆっくりと、徐々に、そして――


 急加速する。


「う、うわぁああああああっ!?」


 誰からともなく声を上げ、ホテルの扉へと飛びつく。がちゃがちゃノブを回し、ひねり、扉を開いて中に駆け込んだ

 寸前、着ぐるみが殺到する。閉じた扉が軋みを上げる。三人は扉を押さえた。


 ……外からの圧力を感じなくなると、ユウキたちは揃ってその場にへたりこんでいた。


「はぁ……はあ……、な、何なんだいったい……」


 眼鏡がズレていることも気にせず、メージンが呟いた。ユウキもタカラも、ただ顔を見合わせて首を振ることしか出来ない。


 ドン!


 ……と、不意に扉が音を立て、三人はびくりと飛び退いたが――特に何も起こらなかった。心臓の鼓動だけが嫌に胸を衝く。


「ここって……」


 やがて落ち着くと、思わず駆け込んでしまったホテルの内装に意識を向ける余裕が戻ってきた。


 そこはあの廃墟のラウンジのようでありながら、ユウキたちの宿泊先と変わらない生活感に満ちていた。人の姿はないものの、雰囲気は完全に別物だ。ゴミもなければ落書きも見られない、まるで営業していた当時の姿を取り戻したかのよう。


「どうなってんだ……?」


 真っ先に立ち上がったタカラが、訝しげに受付カウンターの中を覗きこむ。ユウキは何もない外の景色が覗ける窓を気にしつつ、無人のラウンジを見渡した。そこには何か違和感があったのだ。


「階段がない……」

「あぁ……。だけど、代わりにエレベーターが動いてるようだ」


 あるべきはずの場所が壁になっていてユウキはそちらに気を取られていたのだが、メージンに促されて見てみれば、ちょうど「チン」と音を立て、エレベーターの扉が開き始めるところだった。

 三人は警戒しつつ、エレベーターの扉の前に集まった。


「さ、さっきのが現れたりは――」


 扉が開く。


 ……無人だ。


「つーか、これってあれか? 乗れって、ことなのか……?」


 三人は顔を見合わせる。いやまさか。たまたまこの階に来ただけだ。頷き合い、恐る恐るその箱の中に足を踏み入れた。


「う、上にいけば、誰か人がいるかもしれないしね……」


 三人を呑み込むと、扉は自然と閉まった。すぐには動き出さず、ふと我に返ったようにメージンが壁のボタンに手を伸ばす。

 ……二階。一階と二階しかボタンがない。

 そこでユウキはふと思い出す。

 あの廃墟は確か、四階が全焼していたはずだ。にもかかわらず、先ほど外で見たホテルの明かりは四階にも点っていた。


「ビビりすぎだぜ、お前ら。なんかほら、あれだよ。オレたち戻ってきたんだ」


 宿泊先のホテルに……?


 その疑問はエレベーターが移動し、扉が開いたことで氷解する。


「ほらな?」


 辿り着いた二階は、ユウキたちの宿泊先のそれと似ていた。

 なんの躊躇いもなくエレベーターから出れば、そこは自販機などの置かれた談話スペース。そこから廊下が伸び、いくつもの扉が並んでいる。自然とため息が漏れた。


 談話スペースに人がいたのだ。

 学生ではないから、一般客だろう。男性と女性が二人、壁際のベンチで顔を隠すように肩を寄せ合っている。あまり見てるのも失礼だ。三人は苦笑し、その場を後にする――


 ボトリ。何かの落ちる音がした。

 何気なく振り返ったユウキの表情が固まる。


 顔だ。


 男女の〝顔〟が、まるで仮面のように転がっていた。


「――――、」


 視線を上げれば、そこには無貌の人形ひとがたが二体――ユウキは痙攣するような仕草で隣の二人の肩を叩く。なんだよ、と振り返った二人も硬直した。


「うわぁああああああっっっ!?」




               * * *




 それはマネキンのようだった。

 カクカクと非人間的な動きで追いかけているのに、その速度が異様だった。振り返ればすぐそこだ。しかし追いつかないぎりぎりで、プレッシャーを植え付けてくる。


 がむしゃらに走って、気付けばユウキは一人だった。

 どこかに隠れようと客室の扉に飛びつくもノブは硬く開かない。がたがたやっている間にマネキンが迫り、ユウキは涙目で駆けだした。


 もう何も考えられない。


 廊下の先に見えたトイレに飛び込む。奥の個室に入るとすぐさま鍵をかけた。息を殺す。胸が張り裂けそうなほどに鼓動が加速する。


 物音がした。

 ぎゅっと瞼を閉じる。扉の開く音に呼吸が止まる。……ここじゃない。でも近い。次の扉。開き、閉じる。音が止む。いなくなった……?


「……行った……?」


 ――冷静になって考えれば、そんなことありえないとすぐに分かったはずだ。


 頭上だった。


「うわぁああああああ!?」



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