第11話 あとの祭り。
僕らが通っていた高校の文化祭は、夏休みが終わってすぐに行われることが多かった。相変わらず学校行事に親しみは持てなかったし他の生徒と同じように楽しむことも出来なかったけれど、彼女と一緒にいることが段々と嬉しく感じるようになってきた。
言っておくけれど、僕に女性経験が少なかったから彼女が傍に居るだけで嬉しくなったんじゃないか、なんて妄想はよしてくれよ。それだと僕は誰にでも尻尾を振るお馬鹿さんな犬みたいだし、彼女は誰彼構わずに誘惑して回る腰の軽い女みたいじゃないか。
向かい合ったとき、僕が心から笑える女性は姉さんと彼女だけだった。彼女が微笑みを見せるのは、少なくとも僕が傍にいるときだけだった。これは嘘偽りのない事実だよ。僕は彼女以外の女性との関わりが皆無だったわけじゃない。これを彼女に知られると怒られるのだろうけれど、僕は高校一年生の頃に起きたアレも含めなくても、何度か告白を受けた経験がある。
自分から近づいていくようなことは絶対になかったけれど、僕の近くをたまたま通りかかったような、ごく自然な雰囲気で喋りかけてくれる子に険悪な言葉を向けるほど、僕の孤立主義は徹底していない。他人との繋がりなんて言うものは、時がたつにつれて薄れていくものだと思っていたんだ。浅い関係なら、人を好きにならないし好かれることもないと思い込んでいたんだな。でも、それは間違いだった。人間とは不思議なもので、自分から遠くかけ離れたところにいる存在に対して一目惚れをしてしまうことがあるんだ。それが良いことなのか悪いことなのか、僕にはまったく分からないけれど。
彼女ほど険悪な態度をとっていなかったから、僕には敵ではない存在が多かったのだろう。でも、それが僕にとっての限界でもあったんだ。僕は他人が苦手だ、と言う言葉だけを吐けばそれは嘘になるかもしれない。だけど、他人から傷つけられることが人並み以上に苦手なんだ。
社会の隅っこで生きていても、僕が人である以上は誰との関わりを完璧に消すことなんて出来やしない。だから苦しくて、息が詰まって、心の拠り所を求めてしまうのかもしれなかった。
閑話休題。
ダメだね。
怖くて、なかなか話が進められないや。
二年生のときの、文化祭の話をしよう。
僕らが通っていた高校では、文化祭は三日間の日程で行われていた。模擬店や演劇が行われる一日目、二日目を経た後、体育祭という名の運動会が三日目に開催されるんだ。創立以来、特に変わり映えのしない三日間が毎年のように繰り広げられてきたことだろう。僕等の生徒会は文化祭を運営することもあって、まれにあるような名ばかりの組織じゃなかったんだぜ。
僕らは生徒会に所属できるほど人格の高い人間ではないし、クラスの出し物に参加するほどの積極性も持ち合わせてはいなかった。何もしなければ、僕らは青春時代の三日間を空白で埋めることになっていたはずなんだ。
だけど違うんだよね。無駄遣いをしていたかもしれないけれど、少なくとも真っ白な状態で三日間を終わらせたりしなかった。それじゃ、僕らは一体、どうやって過ごしていたと思う?
これまでの僕の態度を見ていたなら、想像もつかないと思う。
ずっと、二人でお喋りをして過ごしていたんだよ。
流石にクラスの出し物を完全に無視することは出来なかったからね。無用な注目や憐憫や不快感を集めたくなければ最低限やるべきことがあるんだ。それが、僕らにとっては事前の準備だったわけだね。材料の買い出しとか、そういう、誰にでも出来そうなものだ。僕らは自分の力を過信できなくなっていて、誰にでも簡単にやれることにしか手を出せなかったと言うのもあるのだけれど。
さて。
事前準備に参加したご褒美として、文化祭が開催されている間、僕らはずっと自由だった。でも、やるべきことなんてなかったからね。僕らがするようなことは決まっていた。二人で空き教室を捜し歩いて平穏無事な二日間を過ごすんだ。彼女の体調不良と、まとわりつく羽虫(あの男子生徒は、毎年懲りずにやってきた)を追い払うという名目で、僕は体育祭の時も、彼女の隣にいたんだ。
どうだい、すごいだろう?
三日とも僕は彼女の隣にいたんだ。彼女の隣にいたのは、僕だったんだ。
三日間で僕らは多くのことを話し合った。これまで読んだ本のこと、これまでに聞いた音楽のこと。今はなき美術館で見た名前もない絵画のこと。僕らは過去について話し合った。過去は僕らにとって何よりも大切なものだった。僕らには積もる話が山ほどあった。誰かに話して共有したいことが沢山あった。
そして僕は、彼女に姉さんの話をした。
好きな人から愛した人の話を聞くことに、嫉妬や憤怒を感じない人間はいるのだろうか? 僕はいないと信じている。だから彼女にどんな思いをさせたのかも、よく分かっているつもりなんだ。それでもその話をしたということは、どういうことか分かるだろ?
ねぇ、最初に言ったじゃないか。僕は、彼女のことを愛していなかったって。君はもう忘れてしまったかもしれないから、もう一度、ここで宣言しておこう。それまでの僕は、確かに彼女のことを愛していなかった。
だけど、僕らは近づきすぎたんだ。
幸福な三日間を過ごして僕らは変わってしまったんだ。
文化祭が終わった翌日のことだった。
前日までの空気を引きずって僕らは本を読んでいた。司書の先生と僕らしかいない図書室で静かに本を読んでいた。
彼女はずっと何かを言いたげに僕を見ていた。でも、なかなか言い出せなかったらしくて、僕はずっとやきもきしていたね。君にとっては違うのかもしれないけれど、僕らにとっての図書室マナーは寝る前に歯を磨くのと同じくらい大切なものだった。図書室で騒ぐなんて言語道断だったし、読み終えた本を元あった場所に返さないのも恥ずべきことだ。図書室での飲食なんかは絶対やってはいけないことだったんだ。
彼女が何を口籠っているのか、他人との交流を避けてきた僕には理解できるものじゃない。僕は彼女の腕を取って、空き教室を探すことにしたんだ。
最初、僕は彼女の袖を掴んだ。秋口になっても教室には冷房がはいり、その寒さが嫌いだった彼女は、冬服でいることの方が多かったんだ。腕を振り払われた僕は、嫌われたかな? と思った。
でも、そこで引き下がらなかったんだから、少しくらいは褒めてほしい。手を差し出すだけにとどめると、彼女は僕の手を握ってくれた。腫れ物に触るように扱われたことが気に入らなかっただけらしい。
ようやくみつけた空き教室に彼女と一緒にはいったあと、僕は扉を閉めた。悪い秘め事をしているような、姉さんに誘われて夜の闇に溶けていくときのような昂揚感が心の中に湧き上がって来た。
彼女は、小さな声で「お願いがあるのだけど」と言った。
僕は当然のような顔をして「出来ることなら」と頷いた。
彼女は僕しか頼らない。
僕は彼女しか助けない。
でも、それだけのことだった。
君たちにとっては何の変哲もないことを、彼女は僕に頼んだんだ。本当に、たいしたことじゃない。放課後に、二人で帰る約束をしただけだったからね。そんな当たり前のことでさえ僕らにとっては敷居の高いことだったんだ。
二人で帰ると言うのは日常的な光景だったのだけど、わざわざ約束をする、というのがミソなんだ。これは、ほとんど会話もなしに成り立っていた僕と彼女の関係だったからこそ起こりえた、意味不明な出来事なのかもしれない。だけど、それでいいじゃないか。僕らは不完全な人間なのだから。
僕らは毎日のように二人で帰っていた。僕が車道側、彼女が歩道側になって帰っていたんだ。彼女は僕より半歩後を歩き、僕は彼女から余り離れてしまわないように、わざとテンポを遅くして歩いていた。
ねぇ、僕は君にも考えてもらいたいんだ。
僕らは、初めて出会ったあの時から、お互いに惹かれあっていたんだろうか? それを認めたくなくて、僕は彼女のことを見下そうとしていたのだろうか。
僕にはもう、分からないんだよ。
あの日、起きたことのせいで。
僕は、何もかも分からなくなってしまったんだよ。
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