第5話 ハレの高校。

 さて、次の話をしようか。

 僕らは出会ってから四度目となった春を、同じ高校で迎えることになった。

 晴れているのか、曇っているのか、判断のし辛い月曜日だったことを覚えている。空気は乾燥していて、あまり過ごしやすい日じゃなかったな。出来ることなら家に引き籠って、静かに本でも読んでいたかったよ。

 足の行くまま気の向くまま、家から学校までの道のりを進んでいった僕は偶然にも校門前で彼女と出会ってしまった。入学式が始まる前のことだから、これはひょっとすると、漫画か何かのワンシーンみたいに見る人によっては幻想的な光景の一種なのかもね。

 だけど運命を感じさせるために大切な要素が、僕らの周りには欠けていたと思う。それは例えば、情景描写をすれば分かりやすいだろう。桜は半分以上が散ってしまっていたし、新入生を歓迎するための垂れ幕も、使い古されてほつれているところがあった。何より、雲一つない快晴以外の出会いなんてものは、とびっきりの幸運か笑い話に出来る程度の不幸がなければ、物語のスタートには相応しくないんだから。

 あ、もうひとつあった。

 長年雨風に晒された校舎は見るからにボロボロで、ここで三年間を過ごすのかと思うと憂鬱になってしまうほどだったんだ。

 運命の女神様という奴は、人間の気持ちを鑑みない一人遊びが得意らしい。

 ただまぁ、運命と呼ぶには相応しくないものは周囲を彩るものばかりではなかったのだ。僕等自身も神様に愛されるには、少しばかり能力や才能や、愛される気質というものを持っていなかったように思う。あまり神様ばかりをバカにしていてはいけない、ということだろうね。

 うん。

 通信簿の欄に「寂しそうな目をして笑うので、友達が出来ないようです」と書かれた男子生徒と、「怒ったような雰囲気を嫌われて、クラスに馴染めないようです」と書かれていた女子生徒が向かい合ったところで、何一つ変わりはしないんだよ。

 学校の先生は、僕らみたいな生徒のことを一過性の病気みたいに軽く扱っている。生涯かけて向き合うべき難題として予見された相手ならばともかく、個々人が抱えている問題のすべてに完璧な解決策を提示できるわけでもないからね。

 だから、ちょっとだけ傷つくような言葉が書かれていることもあった。先生たちにとっては「親御さんに知らせるため」のシステムなのだけれど、僕等にとっては「君自身の欠点を神様が教えてくれる」に等しいシステムだったからね。

 僕らの通信簿の最後のページには、先生が生徒に対する個人的な所感を筆記できる五行ほどのスペースがあった。勉強が苦手な子供には「何々の教科を頑張って」だとか、学級委員長などの雑事に積極的な意欲を見せる生徒には「来年もこの意気で頑張りましょう!」とか、そういうことが書いてあるんだ。で、僕のページには、必ずと言っていいほど、「もっと明るく生きましょう」と書かれていた。偶然にも彼女の通信簿を見せてもらう機会に恵まれたことがあって、その時に彼女宛の先生からの所感を読ませてもらったこともあるのだけれど、まったく同じことが書いてあった。

 先生っていうのはね、期待しない生徒には手を掛けないものなんだ。

 いや、話がそれちゃったな。

 えっと、何が言いたかったのかと言うと、僕らはそれほどまでに人との交流を断って生きていたってことだね。平日は学校と家とを往復するばかりだったし、休日は少年団にも参加せずに自宅で本を読み漁る子供だった。僕の場合、父親が読書家だったからね。読む本には困らなかったし、手持無沙汰になったときはこっそりと父の書斎に入り込めば良かったんだ。

 春休みも誰とも遊ぶことなく、静かに時を過ごすばかりだった僕が彼女との再会を果たした瞬間。それが高校の入学式だった。久しぶりに面識のある他人と出会った僕は、少し面食らった。

 校舎を見上げていた僕がふと横を向くと、無表情な彼女が、僕をじっと見つめていたんだ。

 どこか寂しげな眼で、僕も彼女を見つめ返したのだと思う。

 見様によっては、幻想的な風景に見えるかもしれない。

 何かが起こりそうな、幸せな光景にも見えたかもしれない。

 だけど当事者として言わせて貰おう。

 青春を感じさせるものは、何もなかった。せいぜい、彼女が髪を短く切り揃えていたことくらいだろうね。彼女は長い髪を鬱陶しそうにかき上げるという動作が非常に似合う子だったから、髪を短くしたのを見たときは、それなりに驚いたものさ。でもそれくらいだよ? 僕らは本当に、青春から遠い位置にいたんだから。

 彼女が髪型を変えた程度のことでは、僕等の青春なんて始まりもしなかったんだ。

 所詮、現実なんてそんなものだ。都合のいい形で僕らに奇跡が訪れるのなら、僕は生まれたときからやり直したって構わない。いいかい、君には言っておこう。

 僕は過去を変えるためなら、今の幸せだって躊躇なく捨てられるんだ。僕にとって未来の価値なんてその程度のもので、彼女と過ごした過去こそが、何よりも大切なものなんだ。

 さて、話を戻そうか。

 僕と彼女は、無言でお互いを見つめていた。いや、失礼。この言い方だと、まるで僕らがお互いのことを意識しているようにも聞こえるね。意識していたのは間違いないけれど、それは決して、綺麗な感情ではなかったということだけは覚えておいてもらいたい。

 僕らは互いを観察していた。

 相手が自分より優れていないことを確かめるために。

 彼女が見つめる僕は、中学生の頃とたいして違いがなかったと思う。中学も高校も学生服だったから、襟元の校章を付け替える程度のことしか、やれることもなかったからね。中学校入学の頃と比べれば随分と背が伸びて、相対的に丈の短くなったズボンを買い替えたりはした。だけど、肩幅の広くない僕は、制服の上を変えることがなかったんだ。

 古いスポーツバッグを肩掛けして、死にかけの鼠みたいな目で、僕は彼女の姿を見ていたに違いない。

 僕は、春の風に揺れる紺色のスカートと、彼女の綺麗な黒髪を見つめていた。悔しいことに、彼女の容姿については一言だって文句をつけることは出来ないんだ。中学一年生の時は幽霊のようにやせ細って見えた彼女は、三年間で誰もが目を奪われるような美少女に成長した。元々、綺麗な顔をしていたんだ。のように、本当の姿を現しただけなのかもしれないね。

 これは本当のことだとも。服装の良し悪しに関わらず、彼女はとても綺麗な子だったんだ。それこそ、この世のものではないみたいに。

 春の早い季節だったから、彼女は冬服であるブレザーを身に着けていた。校則に背くことなんて考えたことがないだろう彼女の姿は、昔の女学生を連想させた。折り目正しく、規則に逆らうことはしない。彼女の生き方が姿にも現れているようで、なぜか、胸のすくような気分になったことを覚えている。僕を睨む瞳には強い光が宿っていて、僕は、彼女を見つめ返していた。

 春の穏やかな風が吹いて、桜と一緒に甘い香りを運んでくる。

 先に動いたのは、彼女の方だった。入学式が始まるまであまり時間もなかったから、いつまでも僕を睨みつけているわけにもいかなかったのだろう。それだけなら、僕らの物語はそこで終わりを告げていたのかもしれない。

 だけど、あの日は違ったんだ。

 彼女が小さく「またね」と呟いたのを、僕は聞き漏らさなかった。

 そんなことが、これまでにあっただろうか。あったはずがない、と僕は何度も繰り返す。ミルフィーユのように重なった記憶の層に何度ナイフを突き立ててみても、彼女が僕との出会いを肯定するような、次に会う機会があることを意識させるようなセリフを吐いたことは、一度だってなかったんだ。彼女も僕も、相手がいることが当たり前の毎日を過ごしてきたし、相手がいなくなることが当然の未来を描いていた。お互いに、一生をかけて付き合うような友人になんてなれっこないと思っていたんだろうね。だから僕らは、常に傍に居たのにも関わらず、独りぼっちで毎日を過ごしていたんだ。隣に人がいたとしても、自分は独りきりだということを意識しながら、相手との時間を過ごしていたんだ。

 そんな時間を過ごしてきたから。

 彼女の台詞は、僕にとって衝撃的だった。

 だから、だと思う。

 僕は生まれて初めて、彼女のことを名前で呼んだ。

 僕は、彼女に深い興味を抱かないようにしていた。

 だから下の名前は知らなくて、苗字で呼ぶことになった。

 そして振り返った彼女に、僕はこう言ったのを覚えている。

「制服、似合っているよ。中学生の頃よりは綺麗になったんじゃないかな」

 我ながら、気持ちの悪いことを言ったものだ。流石に自覚しているよ? そんな台詞を吐けるのは、自意識過剰でありながらも世間からその存在を許された美男子か、ヒロイックな妄想に捉われた美少女だけだ。だというのに、僕みたいにカビが生えた古本のような男がそんな言葉を使ってしまった。相手が彼女だったからこそ、僕もそんな馬鹿げたことが出来たのかもしれない。――本当に、好きだったから。

 いや、好きじゃない。好きってなんだよ。

 もう。

 正直なことを言えば、彼女に制服は似合っていなかった。古風な学生のような見た目の彼女に、真新しい紺の制服は似合わなかったのだ。そもそも、彼女が髪を切ってしまったと言うのも、僕にとっては喜ばしくなかったんだろうな。彼女が髪をかき上げる仕草だけは、いつ見ても本当に美しいと思えたから。

 中学生時代から地味一辺倒だったくせに、空の青さを吸わせて毒気を中和させたような高校の制服は、彼女に相応しくない。彼女に似合うのは薔薇のように深く、黒味を帯びた赤色だけだと思っていた。今も僕は、そう思うよ。

 でも、疑問は残るよね。どうして彼女にあんな言葉をかけたのか、僕には分からない。彼女に気に入られようなんてことを僕が考えるはずもないし、彼女をからかおうとしただけなのかもしれない。彼女が人付き合いの苦手なことを知っていたから、彼女を煽ろうとしていたのかもしれない。

「ひょっとしたら」や、「かもしれない」ばかりだった。人生は過去のことにだって不確定事項が多いんだ。今になってみても、僕が彼女の気持ちのすべてを理解できていないのと同じように。僕が彼女に声をかけた理由を思い出せないのは、元から理由なんてなかったから。きっと、そういう答えも、用意されているのだろう。

 ――好きなんて言葉、全部妄言なんだ。

 ちなみに、高校への進学を機に僕を殴ったことのある学生とは離れ離れになった。たったそれだけのことが嬉しくて、僕は舞いあがっていたのかもしれない。そうでなければ、僕が彼女にそんな台詞を吐くことはなかったはずなんだから。

 まぁ、それでも。

 彼女が他の誰よりも、ずっと綺麗に見えたことだけは、本当だけど。

 閑話休題。

 高校に入学する直前の話は、これくらいで大丈夫かな。

 次の話をしよう。

 話をややこしくしない為にも、一年生の頃から話を進めよう。

 高校に入ってからも、僕らはずっと一緒だった。同じクラスになった僕らは、いつものように隣同士の席を選んだ。中学の頃と違って、座る席を自由に選ぶことが出来たんだ。

 話したこともない赤の他人と席を並べるよりは、互いに実力の分かっているもの同士で組んだほうがいい。四月の後半、クラスで初めて行われた席替えの時から、僕らは自分の立場というものを理解していたのだと思う。それこそ、限界というものを悟ってしまっていたのだろうね。

 他人を遠ざけ続けた僕らには、他人との接し方が分からなかった。不用意に他人を近づければ、見たくないものまで見えてしまう。そして僕らは、正直な自分の見せ方、つまりは適度な距離感を持った嘘の吐き方を、忘れてしまっていたんだ。

 何より重症だったのは、僕も彼女も、他人に合わせなければいけないという状況が何よりも苦痛だったことだろう。僕らは独りでいることに馴れ過ぎていた。どうしようもないプライドを、胸の奥深くにしまってはおけなかったんだ。

 何か困ったことに直面しても、極限まで自分の力だけを頼って戦いに向かう。僕らは、そういう生活を送っていたんだ。

 僕らは、たった一人の隣人を除いては、他の誰とも付き合いたがらなかった。他人に弱みを見せるような趣味はなかったし、逆に相手が隠している秘密を簡単に覗き込んでしまう自分にも嫌悪感を抱いていたのだろう。僕らは誰も傷つけないように、ひっそりと暮らしてさえいればよかった。だから相手の心に深く踏み入るようなことはしなかったし、他人を自分の領域に踏み込ませるようなこともしなかった。

 誰だって、ゴミ溜めに近づきたくはないだろう? 僕だって、爆発すると分かっている危険物に触れたくはないよ。わざわざ腫れ物に触って傷口を化膿させるのは、真性のバカだけで十分だ。僕らは、そんなバカを嫌悪していたのだから。

 憧れていた、と言い換えて貰っても構わないけれど、ね。

 さて、続きを話そう。

 僕らの毎日は、中学生の頃とたいして変りはしなかった。少なくとも、本を読んで音楽をむさぼって、たまに絵画を見に行くこと以外、僕らには娯楽というものが存在しなかったんだ。彼女とは、僕の家の近所にあった、今はなき美術館でよく鉢合わせてしまった。お互いに、相手を避けつつも自分の好きな絵を見る、なんてことに必死だったな。彼女と僕は絵の好みがよく似ていたから、狭い美術館の中で何度かぶつかったりもしたわけだけど。あれはあれで、とても楽しかったのかもしれない。美術館の人も面白そうな顔で僕らを見ていた。どちらかが将来芸術家になることを夢想していたのかもしれない。僕らは芸術に触れることが好きだっただけで、芸術の発展に寄与するようなことは一切していないのだけど。いや、僕は小説を書いているから、もしかすると?

 まぁいいや。

 話を、元に戻そう。

 高校一年生の六月まで、僕らの歴史は急速に進む。本や音楽に夢中になることで、僕らは外界への興味を失っていく。すると不思議なことに、いつの間にか日付が変わっていることもあるんだ。姉さんに嫌われて現実逃避をしていた僕には、それがよく分かる。ただ、高校生にもなってすることではなかった。僕も彼女も、もう少し周りを見ていればよかったのにな。

 六月になってようやく、僕らは周囲が小五月蠅いことに気が付いたんだ。元から教室という雑音だらけの空間が好きではなかったのだけど、話題の中心に自分たちがいることに気付いてからは、ますます怖くなったな。どうして僕らのことなんかを話題に出しているのだろう、ってね。

 僕らが世界に興味を失っている間、不思議なことに周囲は僕らへ興味津々だった。どうしてだろうと当時の僕は訝しんでいたけれど、よくよく考えてみれば、それほど不思議なことではなかったのかもしれない。

 僕らは中学生の頃から同じクラスで、席も隣り合わせだった。同じ高校に進学した同級生は少なかったはずだけど、その中の誰かが、僕らのことをクラスの人にでも話したのだろう。その子は、僕らを珍獣扱いするつもりだったのかもしれないね。

 僕らは、いつも傍に居る。

 つかず離れずの距離を保ったまま、二人一組で行動している。

 それだけのことなら、噂はすぐに消えてしまったことだろう。何より彼女は、見かけだけはとても綺麗な女の子だったんだ。僕らの高校には手が早いことで有名な野球部員がいて、その子が辛辣な言葉と共に全校生徒の前で振られる場面さえ見なければ彼女はもっと人気が出ていたと思う。高校一年の生活が始まって早々、まだ五月にもなる前のことだったから、僕はやらかしたな、と思ったよ。

 ちなみに僕も似たような経験をした。当たり障りのない返答をすることの出来る一般生徒代表といった感じで、中学生の頃みたいに腫れもの扱いをされていなかったからだろう。高校デビューを目論む女学生から告白をされたんだ。彼女以外の女性についてを話すために長居時間を割かれたくないから、簡潔に結末だけを伝えるけれど、僕は彼女を振ってしまった。結構、酷い言葉も使ってしまったんだ。結果として告白してきた女生徒の友人達から半月に渡るバッシングを受けることになったけれど、別に苦労はしなかった。

 中学生時代に散々なじられてきたから耐性がついていた、なんてことは言わない。僕が女子グループから疎外と迫害を受けている間、彼女は、野球部のほぼ全員から蔑まれていたんだ。彼女が耐えられるような出来事を、僕が耐えられないはずがない。僕が耐えてしまった出来事を、彼女だって耐えられないはずがない。僕らはお互いを見下しあうことで、まるでお互いに支えあっているような状況を作り上げていたんだ。

 僕らに手傷を負わされた(と勝手に思い込んでいる)人から見れば癪に触ってしょうがなかったかもしれないけど、僕らはその結束力故に一般生徒から慕われ、虐げられるループから抜け出すことに成功した。しかも、親しみを持たれるまでになったんだ。

 でも、違うんだよ。

 彼らは僕らに幻想を抱いていたかもしれないけれど、現実はそこまで甘くないんだ。ワサビ入りのシュークリームみたいに、表面をみただけでは分からないことが、この世には沢山あるはずなんだ。

 僕らは、人を遠ざけていた。

 僕には彼女しか、彼女には僕しか、頼ることの出来る人間がいなかったんだ。

 僕らは僕ら以外の人間を積極的に排除したわけじゃないけれど、結果として僕らは二人きりの世界を作り上げることに成功していた。それが、傍目に見れば幸せそうな光景にでも見えたのかもしれない。なんとも滑稽な話だね。

 第三者でいる限り、人は傷つくことなく生きられる。僕らが望んでいたスタイルを、彼らは意図せず手に入れたことになる。

 僕らは、ただ平穏を望んでいただけなんだ。

 自分の好きなことに没頭できる世界が欲しかっただけなんだ。

 本を読むため。

 音楽を聴くため。

 一人でいるため。

 誰からも、傷付けられないために。

 僕らは、世界と距離を置くことを望んでいた。

 僕らとしては至極前向きに、世間から見れば極端に後ろ向きなことを考えていたつもりだったのだけど、それが結果として功を奏したのかもしれない。いつの間にか、僕等と敵対していた一部の生徒が悪の権化みたいに扱われて、僕等は悲劇のヒーローとヒロインになった。僕らの心中に渦巻く感情が黒いものだと知っていたなら、彼らから僕らに向けられる感情はもっと醜いものだったに違いないからね。

 知らないと言うことほど、人を盲目にするものはない。

 周囲の生徒からしてみれば、僕らはカビの生えた陰湿なキノコではなく、大昔に絶滅した聖人君子の一種だったのだろう。とても物静かで穏やかで、互いに寄り添うカップルのように見えたのかもしれないね。それを妬んだ連中からはそれなりに陰湿な嫌がらせを受けたし、僕らに憧れた人たちからは無責任なほど多くの憧憬を向けられた。けれどそれは、どちらも間違っている。

 彼らは、僕らほど正確に僕らのことを知らなかったんだ。

 僕らの間にあったのは、相手に対する執着だった。絶対に自分より上に行くことがない相手へ向けられる安堵感と、常に自分より下にいる人間に対して向けられる保護欲だった。少なくとも僕にとっては、好きなのに好きになれず、好かれたくないけど嫌われたくもないという条件を完璧に満たしてくれる相手だった。その状態を維持するために、僕は心を汚していったんだ。

 カラメルのように粘り、ガムのように離れない感情。

 人が嫌悪する感情を、僕らは互いに向けあって生きていた。

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