岡山駅前:22時30分

 *


 結局、事務処理諸々で会社を出たのは夜十時半。駅前の激安量販店「ドンキーゴリラ」の店内で時間を潰す。深夜にさしかかってなお騒がしいBGMを聞き流し、一階食品売場を物色するフリをしてとりとめなく品物を目線で追い店内を回遊する。

 ライムトークを確認するフリして画面をスワイプし、ホーム左下のアイコンをタップする。

 前後は駄菓子の商品棚、左右に人影はない。

 ゲームのホーム画面が起動し、物々しい暗雲垂れ込める澱んだ夜空の下に朽ちかけた地下壕への階段が開ける。

 一昔前の洋物三流ゲームのタイトル画面みたいだ、といつも思う。

 妙に生々しい3D画像だけが現代風で違和感とも。

 画面には「Under ground」の一文のみ。

 地下壕入口の下にあるログインボタン横の四角にチェックが入っているのを確認する。

 いつもの癖で自動ログインのチェックをしていたら、背後の棚が、コトリと音を立てた。

 肩越しにゆっくり振り向くと、棚の一部に妙な空欄が出来ている。肩ごと背後に視線を向けると間違いない、棚の一部商品が抜きとられて穴が出来ている。背後は箱詰めの洋菓子棚か。クッキーやケーキの箱なら、袋菓子と違って音がしにくい。ぬかった。


 ログインを覗き見たのか?何故隠れる。

 別に恥じ入るものでもないし、スマホのアプリだと言えば幾らでもごまかしがきくのに。

 隠れる理由が無い。

 むしろお仲間だと擦り寄ってくる奴が多くて、振り払う方が面倒なのに。

 何がやましいんだ?

 いや、違う。

 それ以前に何故彼は僕のログインをコソコソと覗き見した。見張っていた?

 理由を推察してすぐにスマホをパーカーの内ポケットに差し込み、足早に出入口に向かう。

 いや待て焦るなと、勇み足の歩を止める。

 どうせ、店内では襲ってこないだろう。

 ログインを確認したなら、狙うのはログイン直後。とすると、それまでは余裕ぶって店内を物色していい。最短ログインは二十三時。通常プレイヤーのログインは一時間後になるから、同時ログイン狙いとすればある程度誰の差し金かも推測がつく。


 落ち着け。相手は読めた。

 心の準備だけで充分。


 駅前四車線は深夜で車通りも少ない。

 地面が薄く濡れている。薄い霧雨で外の湿気が酷く、素肌にまとわりつく。汗に水分が混ざり粘つく感覚は嫌いだ。顔面から汗が滲む。この時期はやはり苦手だ。生理現象で些細な不愉快が増える。夕方未明に中四国上空に発生した爆弾低気圧は雨を降らせるだけでなく足下の人間を気圧で物理的に鬱々とさせるらしい。忌々しい恵みの雨だ。

 背後にやはり、気配がある。

 間違いなく、自分の背中を見ている。

 まだ店内にいるが、店頭に陳列された目玉商品のボックスティッシュの山に隠れてこちらを窺っている。レジ前を抜けてサッカー台に近い距離にいるから、信号が変わり次第追ってくる気か。

 時間は2259。

 ジャストタイムだな。感慨も無く思う。


 ジリッ、と横断歩道ギリギリまでにじり寄る。

 背後の気配が、半歩前に出た。


 ここの信号は、時間表示付きだ。

 タイマーに応じてゲージバーが下がっていく。今はまだ赤いゲージが半分。

 スマホの時間表示を、分単位から秒単位に切り替える。

 22時59分48秒。49秒。

 50秒。


 切り替わる前に横断歩道の中央へ駆け出した僕を追って、店内から気配が飛び出す。

 躊躇ためらわず走る。幸い対向車はいない。中央付近なら、直進は元より右左折車も避けようがある。が、その時。

 アスファルトをタイヤが削る悲鳴が聞こえた。

 赤いスポーツカー。

 岡山にもフェラーリなぞ乗り回せる奴がいたかと感嘆すると同時に、車体が大きく蛇行してるのを見つけて舌打ちがこぼれる。

 金持ちの酔っ払いか。

 始末に負えないな、と四車線の丁度真ん中で立往生する。背後でもクラクション。誰かがドンキー前に転がる。激しくクラクションを鳴らして道路中央に突っ込んでくる赤い車体が、車線中央に大きくなる。が、時間切れだ。


 時間が、来る。


 赤い車体が眼前で見えざる壁に吸い込まれる。風圧だけが僅かに前髪を揺さぶる。全身を覆った湿気が消え去り、霧雨が上がる。鼻腔にクリーンルーム内に似た無機質かつ清浄な匂いが入り込み空気が乾燥する。頭上に視界が大きく開けていく感覚で、瞬く間に世界そのものが一割大きく見える。

 それもそうか。

 僕は物理的に、確かに縮んでいるのだし。


 内ポケットで、スマホが震える。

 ホーム画面には、ログイン完了の文字。オートログインしたのにと思ったら、左隅のバージョンナンバーを見て把握する。またアップデートしたようだ。最近マイナーチェンジが多い。またバグが頻発してるのだろうか。


 今、僕の背後に在る気配みたいに。


『バージョンアップしました。自動アップグレードしますか?』

 はい、のボタンを押し、オートログイン=ログイン処理の自動カットにチェックを入れ、処理を進める間に、微動だにしない気配に振り返る。


 そこにいたのは、長身で縦にひょろ長い細身の少年。紺ブレザーの制服に、自毛らしい暗い茶色の髪を掻き上げたまま、尻餅をついて呆然としている。

「おい」

「へっ、あっはい!」

 声が思っていたより高い。いや、これは。

「変声中?声が掠れてるけど」

「あっはい。声変わり中です」

「……中学生?」

「中一です。あの、その」

「さっき、ドンキー店内で尾けてたのは君か」

「はい」

「目的は」

「え、いや……たまたま?」

「たまたま?」

 すかさず眉間にグロック19の銃口を突きつける。突きつけられた少年はポカンと銃口を見入って一言。


「……本物?」

「……一応。威力は現実世界と変わりない。弾薬や銃身は現実より大幅にカスタマイズ可能」

「いやそこまで聞いてないっす……つか、撃たれたら死にます?」

「一発で死ねる致命傷のラインを狙ってる」

 当たり前だよね、と呟くと、少年は尻餅のまま後ずさる。

「動かない。それ以上動いたら四肢の神経を飛ばすよ」

「まっ、ちょ待って!俺は人を探しに!」

「誰を」

 それは、と彼が口を開きかけて、遠くタイヤが石畳を噛んで猛烈な速度で走り来る音が聞こえた。またフェラーリかと思いきや、今度はジープ。迷彩塗装がDQN極まりない、痛車とは別ベクトルで痛さ満載なミリタリーカスタムの4WD。アスファルトと違い凸凹激しい石畳を跳ねながら、運転席上に特等席を設けてご丁寧にもサブマシンガンを積載している。

「お仲間?」

「まさか!」

 少年はへたり込んだまま動けそうもない。

 ならば迎撃するしかないかと腹をくくる。

 手元のグロック19が粒子化し、縦に細長く伸びたかと思うと次の瞬間にはアサルトライフルに変形する。


「オラオラオラオラ~!勇者様一行のお通りだぜ!今日の最初の死人はお前だぁ!」

「ヒュー!社会のゴミ掃除に参りましたぁーん!サイコー!イェーイ!」


 車上で迷彩服を着た若い猿三匹が騒いでいる。自ら自己紹介とは恐れ入る。

 やっぱり「勇者」の仕業か。

 とするとこの子は。

 大体の事情を判断し、すぐ膝をつき銃身を肩に据えると自動的に補助スタンドが生成され即座に地面へ噛み付く。スコープで迫り来るジープを捉えると、狙う相手を覗く。

 相手は運転手一人。機銃に二人。

 距離充分。向こうから寄って来る。余裕。

 引鉄を躊躇いなく、絶え間無く引く。


「うぎゃっ」機銃の左、眉間ヒット。

「なっごっ」機銃の右、振り向きざまで左こめかみから左右耳上に貫通。もう一つオマケに同箇所貫通。

「えっ?はっ?」〆に運転手。眉間ヒット。

 蜘蛛の巣状にジープの前面ガラスがひび割れたのを確認し、行くよ、と少年の襟首を掴むと無理やり引っ張る。

 直後、彼がへたり込んでいた辺りをジープがノーブレーキで突っ込み、ドンキー横の宝クジ売り場へとそのまま激突、炎上した。また腰を抜かしそうな彼をどうにか車線向こうの駅側舗道まで引きずり倒すと、ようやく一息つく。

 酸欠スレスレの肺に大きく息を吸い込むと、ガソリン臭と肉の焼ける匂いでむせる。燃料満タンだったのだろう、猛烈な勢いで人三人が車上バーベキューだ。こいつはログイン早々景気がいいやと、感慨もなく馬鹿の末路を眺める。

「……あの、あれ」

 舗道にへたり込んだまま、少年は炎上するジープを呆然と見つめている。

「ああ、済んだよ」

「いや、その」

「ああ。死んだけど」

「この世界でだけ、ですか」

 ですよね、と念押しする少年に、陰鬱な気分になる。そこから説明しなきゃならないのか。今日はログイン直後から最悪だ。彼はケチがついたついでに、重苦しく口を開く。

「ここが、どんな世界か聞いてるかな」

「いえ……ただ、金が稼げる裏のゲームだと」

「間違ってはないね」

「で、その……普通は、三十歳以上でないとログイン出来ないけど、特別にアカウントやるって言われて……」

「ログインしたと。他には?」

「……いやその……ここ指定されただけで」

「何も知らない。アカウントを授与したのは同級生かな?」

「先輩です。中学の。名前は」

「シノヅカ」

「知ってるんですか?!」

「知ってるも何も」

「当代のOKサーバが抱える問題児勇者だからね」

 このサーバで知らないプレイヤーはいないよ、と身の丈二メートル近い巨躯の筋骨たくましい巨漢の山伏が暗がりから出てきて、少年はまたもヒエッと飛び退きかけたので再び襟ぐりを掴んで逃亡を阻止する。

「ちょっと、この小僧さんは誰」

「僕が聞きたい」

 ゴンさん来てくれて良かった、と炎上するジープを指差す。

「さっきの派手な爆発音はアレかぁ」

「始末したプレイヤーは後でアカウント確認するとして、多分未成年の集団だよ。最近横行してた通り魔ジープ。低レベルの新人プレイヤーを無差別射撃してた連中じゃないかな。でもって、戦利品は被害者になりかけたこの中学生」

「ほほう」

 巨漢の山伏=ゴンは、長身の少年をしげしげと値踏みするように上から下まで眺める。彫りの薄い醤油顔ながら、黒々と日焼けした筋肉坊主ににじり寄られると相応の迫力に気圧されるようで少年はおとなしく首をすくめる。

「お仲間?」

 炎上ジープを指差すゴンの質問に慌てて首を振って否定する少年を見て、違うみたいだと山伏の相方も擁護する。

「狙いすましたようにジープが来たから、彼もログイン開幕即射殺されるとこだった」

「ほほう」

 なるほどねえ、とゴンの顔に悪い笑みがうかぶ。面白そうな気配を察知したのだろう、キナ臭い事件ほど好きな生臭山伏の嗅覚だ。面倒極まりないが、乗りかかった舟にそのまま乗船するほかない。

「あ、あの」

「はい?」

 ゴンに笑顔で凄まれ、一瞬少年は怯むも。

「あの、この人」

「ああ、このボクちゃん?」

 相方を指差して、さも愉快げにゴンは少年のキョトン顔を愉しんでいる。

「なんで縮んだんですか」

「縮んだとは?」

「ログインする瞬間、見てたんですよ。この人、大人だった筈なのに」

「今じゃこのナリだって?」

 そうだろうそうだろう、とゴンさんは孫をあやす爺の如く、僕の頭を軍帽ごとグリグリと撫で回す。それやめてほしいんですけど、と頭上の掌に不満を訴えると、おっと失礼などとヘラヘラしながら手を離す。


 くたびれた軍帽に迷彩柄すら黒ずんだマントを背負った軍服の少年兵。

 それが今の姿。


 蜂須賀も少年の感想は理解できる。

 三十路過ぎならともかく、二十歳そこそこの自分が十五年巻き戻されたら小学生になって当然だが、実際その瞬間を見たら驚くには違いない。


「そういうルールなんだよ、この世界は」

「そうそう。聞いてない?地下世界の掟」

 初耳な少年の反応に、ゴンさんは溜息を吐く。


「ここは現実世界から一枚裏に広がる『地下世界』。通称、アングラだ」

「アングラ…アンダーグラウンド」

「そう。どういう成り立ちで生まれたのか、いつから存在するかは誰も知らない。だが、この世界に入り込んだならこの世界のルールに従う。僕らはログインすると、十五歳年齢が巻き戻った姿でプレイヤーとしてこの世界に召喚される。ここは現実世界をベースにした、似て非なる異界。良く見てご覧、外観が全然違うだろ?」

 道路のアスファルトだってほらこの通り、とゴンさんがタイルを敷き詰めた石畳に変わった道路を指差すと、ようやく周囲を見渡す余裕が出来たか少年は周辺を四方見渡し「嘘ぉ」と漏らした。

 駅前ビルは変化が顕著だ。十九世紀の創作にありがちなネジ巻きと機械仕掛けのカラクリがビルの頂でキリキリとネジを巻き機械人形が演舞する。無機質だったビルの壁面は洋風の出窓が無数に迫り出し、規則正しいガス燈の灯火に燻んだレンガ壁が浮かび上がる。

 スチームパンクと古き良き西洋ファンタジーの幻想が融合した高層レンガビルが乱立し、頭上には暗雲垂れ込めるも雨粒一つ降らず、夜闇を不穏な黒雲が延々と流れていく様が見えた。

「というわけでね、普通は十五歳以下お断りなんだよね。巻き戻りの年齢以下の少年少女は勿論、十六歳以上でもログインした途端に乳幼児に巻き戻される。この世界での基本ルール。子供は入れない。そしてもう一つ条件がある」

「何ですか」

「金コマだって事」

「金コマ」

 貧乏人のネットスラングだよ、と補足する。

「ここは現実世界で金に困った輩が飛び込む最後の命綱。ここでモンスターを倒せば、そのまま現金収入を得られる。ノー課税でログインもロハ。一晩で何千万と稼ぐのも夢じゃない。ただし」

「ただし」

「地下世界の掟。命はたった一つだけ。

 死んだら終わり。蘇生呪文はない。即死イコール現実世界でも死亡扱いとなる。地下世界で死ぬと遺体は見つからない。データ処理で消失するから。そうなると葬式もされず行方不明扱いで一生弔われもせず、この世から消え去る事になる」

 怖いでしょ?と笑顔で囁くゴンに、少年は息を飲む。

「ま、積もる話もあるだろうし、まずは話を聞かせて」

「だね、ゴンさん」

「あ、あの、俺」

「ああそうだ。そういえば名前聞いてないね」

 なんていうの?とやはり笑顔で訊かれ、少年は諦めた風に項垂れて「タカトリです」と答える。

「鳥のタカに取る、鷹取。優秀の優の字でスグル。鷹取優、です」

「素直でよろしい。私はゴンさんでいいから」

「そっちは」

 名乗ってないの?と訊かれ、名乗る暇がなかったと弁明する。

「ハユハ」

 地下ではその名前で呼んで、とだけ答えると、ゴンに彼を任せて踵を返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る