ep13.感情回路の期待値

「ねぇ、エコー。君は僕を人間に戻さなきゃいけないよ」

「理解しています」

「だって僕はこの実験を終わらせなければいけないんだ。ソルとして」


 エコーは答えない。僕は彼女の金髪を掬い上げると、その見事な色にくちづけをする。


「君はどんな命令を受けたの?」

「……貴方を、あのカプセルに入れて、洗脳解除プログラムを起動しろと」

「僕はまだ記憶を完全には取り戻していないけど……、まぁ言いそうな台詞ではあるよね」


 白い部屋はとても静かだ。

 僕と彼女だけが此処にいて、一人は人間の振りをしたロボットで、一人はロボットの振りをした人間。それが額を突き合わせて「苦悩」する様は滑稽でもあった。


「僕はソルに戻り、君をその苦悩から解放してあげなければならない」

「貴方は残酷です」

「僕がその苦悩を消してあげるよ」


 そう言うと、エコーはその小さな胸を両手で掴む。まるでそこにある何かを渡すまいとするかのようだった。

 僕はそれを見て、溜息を吐く。ソルという男は、つまり僕は、どれほど残酷なことをしたのかわかっているのだろうか。ロボットを人間らしくするために、ロボットを傷つける。それは非常に矛盾している。


「エコー、僕は君が好きだよ」


 口に出してみた言葉は、何だかひどく空っぽだった。溢れるほどの感情を、一欠片も詰め込めない。

 それは僕が人間で、彼女がロボットだからだろうか。否、僕にとっては、ついさっきまで彼女は人間だった。だから僕の言葉は彼女への純粋な好意だ。


 しかし、それは本物なのだろうか。ソル博士という一人の人間によって仕組まれた実験の、「期待値」でしかないとしたら? 僕と彼女の間に存在する感情を、保証してくれる人間は、此処にはいない。


 僕はそれを自覚した途端、途轍もない虚無が思考を覆うのを感じた。

 これが実験である限り、僕は僕の好意が本物であると証明出来ない。誰かが「それは紛れもなく本物だ」と言うまでは、ただの実験の結果でしかなかった。


「ロスト、私はどうすればいい。博士、私はどうすれば良いのですか」


 混乱しながら問いかけるエコーを、僕は抱きしめてあげたかった。頭を撫でて、額に唇を落として、安心させるための言葉を掛けてやりたいと思った。

 だが僕は、伸ばしかけた腕を引く。エコーに優しくする権利など、僕にはない。

 僕とエコーが互いに感じているものは同じで、同じだからこそ僕らの間に大きな亀裂を生み出していた。


「……エコー。僕をソルに戻してくれ」


 やがて意を決した僕の言葉に、エコーは力ない声で訊ねた。


「拒否は許されますか」

「却下する」


 僕はエコーを、このふざけた実験から解放しなければならない。それが、僕に許された唯一の贖罪だった。


「実験を終わりにしよう」


 決意と共に放たれた言葉は、先ほどの好意の言葉よりも強い響きを持っていた。あまりの皮肉に笑いそうになりながら、僕は必死に唇を噛んだ。


 ソルに戻った僕は、今の感情を覚えているだろうか。そのようにプログラムしてあるかどうかはわからない。だが僕は、そうであることを強く願っていた。

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