ep9.心のあること
「実験は順調か?」
「順調です。貴方はそれを望んだ」
「あまり意地の悪い聞き方をしないでくれ。私は君に期待をしているし、君はそれに応える能力がある」
「質問を、よろしいでしょうか」
「言い給え」
「ロボットに苦悩を持たせることで、人間もまた苦悩を持つ可能性はあるのでしょうか」
「君にしては随分と遠回りな質問だね」
「肉親や知人には頼めないような過酷な仕事をロボットに与えるのは、彼らが心を持っていないからではないでしょうか。つまり、傷ついたり悩んだりしないと思うからこそ、無慈悲に命令を下すことが出来る。でもロボットが心を持ったら? 綿密にプログラムされた学習システムのアウトプットではなく、自律的な思考を持ったとしたら?」
「なるほど。ロボットが心を持つことで、ロボットとしての価値がなくなる。そう言いたいんだね」
「はい。そうなってしまえば、ロボットを使う人間が少なくなります。それはやがて、ロボットの開発が滞ることすら意味するかも知れない」
「いいや、それはあり得ない」
「何故言い切れるのですか」
「人間とは残酷な生き物だ。自分達にとって必要であれば、同じ人間を奴隷として使い捨て、害虫や害獣と名付けた生き物を容赦なく殺す。そしてその一方で犬や猫を愛するような。例えロボットが心を持ったとしても、人間の思考はただ一つ。「この心をカスタマイズして、使いやすくしてやろう」」
「では博士は何のためにこの実験を? 行き着く先が一緒なら、こんな実験に意味はありません」
「意味がないことを願っているよ、私も」
深い眠りから一気に引き上げられて、僕は目を覚ます。
作業台の周りのロボット達は、既に動きを終えていた。それぞれが好き勝手な方向を向いたまま動きを停止している。
僕は身体を起こして、それから眼球運動の確認のために瞼を上下した。焦点の定まっていなかった眼球が動き出して、周囲の景色を認識する。
「おはよう、ロスト。よく眠れたか?」
「情報処理が最悪だった。変な夢を見たよ」
「どんな?」
作業台に近付いて、両手をついたエコーが身を乗り出す。金髪が一房、僕の肩にかかった。
「エコーを殺してしまう夢さ」
「それは素晴らしい夢だ。よほどあの実験が気に入らなかったと見える」
「実際にはね、僕は撃てなかったよ。エコーを撃って、殺してしまうことが怖かったんだ」
「……怖かった?」
エコーが不思議そうな声で聞き返す。彼女のこんな表情は始めて見た。
「エコーが僕の世界から失われる。僕の人工知能にインプットされたエコーのデータが更新されなくなる。それが怖かった」
「何故だ。解析しろ」
「それが難しいんだ」
僕は首を左右に振る。まだ接続がしっかりできていなかったのか、頭と首に違和感があった。
「僕はエコー、貴女を貴女だと認識してしまった。他のどの研究員でもない、誰でもない。エコーの代わりは僕には存在しない」
考えつくままに口を動かしながら、僕はエコーに手を伸ばす。美しい金髪を指で掬って、その先に口づけをした。エコーは目を何度か瞬かせて、僕の行動を見守っている。少なくとも怒ってはいないと判断して、僕は安堵の溜息をついた。
「恐らく解析結果としては、僕はエコーに好意を抱いている。そういうことだと思うよ」
「好意だと? これが?」
エコーは僕から一歩離れると、今しがた口づけした一房を持ち上げて、穴が空くほど見つめた。
「他の研究員だったら、僕は撃てたと思う。でもエコーのことは撃てないよ。だって大事にしたいんだ」
椅子よりも机よりも画集よりも壁よりも大事なエコー。僕の中で優先順位が決まった瞬間でもあった。今までは何もかも同じだった。どれも同じ価値だった。撃てと言われればなんでも撃てたし、壊せと言われれば何でも壊せた。
でもエコーだけはそれが出来ない。彼女は僕にとって、最優先のものだった。
「そうか。それが君の答えか」
エコーの口から、少し高い声が零れる。いつもの大人ぶった口調はそのままなのに、どこか幼さが滲んでいた。
「合格だ、ロスト」
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