ep8.死と消滅

「君にとって死とは肉薄する概念かな?」

「いいえ。私は死を身近に感じたことはありません。今後もそうかと問われれば、保留しますが」

「それでいい。それで正しい。医療機関や戦場でもない限りは、死というものは肉薄するほど傍にはない。しかし確実に其処にあるものだ。例えるなら……そうだな、我々の頭上に細い糸一本でぶら下がっているものだ。普段は意識しなければ見ることもないが、いつ糸が切れて降り注ぐかわからない」

「苦悩に死は関係ないと思いますが」

「死の一部には組み込まれるかも知れないな。しかし、苦悩そのものではない」

「生きてこその苦悩であると、貴方は述べました」

「ロボットに生命はない。それは君も認めるだろう」

「えぇ、勿論です」

「彼らは死をどのように理解するのだろう。死とは彼らにとって、ただの生の逆だろうか。それとも人間の属性の一部に過ぎないのだろうか」

「生命活動の停止。それ以上でもそれ以下でもないと思いますが」

「この実験で、私はいくつもの試練を用意する。被験体が死について考えた時、そこに一筋の道が開かれるだろう」

「道、ですか。それは思考パターンのことですね」

「死とは、生あるものとの断裂だよ。人間が死を恐れるのは、生きている世界から自分が切り離され、孤独となるからだ。自分がそれまで唯一と信じた世界から永遠に拒絶される。それが死だよ」





 僕は「夢」の中で目を覚ます。

 いつもは水を張ったプールのような場所なのに、今日は全く違う光景が広がっていた。恐らくメンテナンスで用いる接続回路が、僕の人工知能に影響を与えているのだろう。

 そこは見渡す限り、緑色の高原だった。画集で見たのとよく似ている。確かあの絵は『ミールの丘にて』という題名で、僕はそれを見た時に「緑色だな」と思った。その感想は今も変わらない。

 高原に不似合いな白い椅子が置かれていた。僕がそれに腰を下ろすと、唐突に目の前にエコーが現れた。


「ロスト」


 エコーが僕の名前を呼ぶ。高原には風が吹いているが、エコーの髪は揺れていない。

 小さな手が僕の前に、空圧銃を差し出した。


「私を撃て」

「どうして」

「命令だ」


 僕は銃を手に取って、まっすぐに構える。銃口はエコーの額を狙っていた。

 引き金に指を掛けた僕は、その格好のまま口を開く。夢の中だからか、酷く唇が重い気がした。


「エコー。僕は殺そうとしたわけじゃないんだ。命令に従っただけなんだよ」

「知っている」

「もしエコーを殺したら、僕は二度と貴女に会えないの?」

「それが死だ。しかし君は命令に従わなくてはならない。私を撃て」


 僕は撃てるはずだった。

 あの時みたいに、何の躊躇いもなく。狙いを定めた場所に、無慈悲に穴を開けることが。


「エコー、どうしよう」


 僕は引き金に指を掛けたまま、そう呟いた。


「僕、撃ちたくないよ」

「何故?」

「もしエコーが死んだらどうしようって、考えてしまうんだ。貴女が僕に、あんなことを言ったから」

「どうしようも何も、君には関係のない話だ。ロボットと死は……」

「違う。エコーが死ぬという現象が怖いんじゃない。僕は、僕の世界からエコーが消えるのが嫌なんだ」


 振り絞るように僕がそう言うと、エコーは口角を少し歪める。笑ったような、困ったような表情だった。


「なるほど」


 エコーは僕の方に一歩近づくと、空圧銃を持つ僕の手に、そっと自分の右手を重ねた。柔らかな感触が僕の肌をなぞり、そして優しい仕草で銃を取り上げる。


「君が命令に背くのは、少々想定外だ」

「よくわからないんだ。僕はなんでエコーが消えるのが嫌なんだろう」

「それは君が私を、一つの人格として認めたからだろう」


 エコーは銃を右手に握り、銃身を持ち上げて自分のこめかみに当てた。


「死とは何か。生命活動の停止か、それともまた別の何かか。君はその答えを示せるかな?」

「待って!」


 何をするつもりなのか悟った僕は、思わず叫ぶ。

 その叫び声を隠すかのように、空圧銃が発砲音を出した。


 エコーの身体が地面に崩れ落ち、緑色の中に埋もれていく。僕はそれを見て、自分が夢の中にいることを思い出した。

 これはただの夢だ。エコーは死んでいない。

 そんなことわかりきっているのに、僕は恐怖や危機感に似た感情を、制御することが出来なかった。僕の中に組み込まれたプログラムが一斉に悲鳴を上げているようだった。


 誰もいなくなった高原で、僕は椅子の上で膝を抱える。

 メンテナンスはまだ終わりそうになかった。

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