ep7.獲得の死
「人が何かを手に入れる時、そこには喪失が付きまとう。食事を手に入れる時は空腹を失う。書物を手に入れる時は金銭を失う」
「空腹は失うほうが望ましいと思います」
「もし人間が空腹を感じない生き物であれば、今でも我々は岩山に猿と一緒にへばりついていただろうな。しかし私は進化論の話をしたい訳ではない」
「獲得と喪失。貴方はそう言いました」
「そうだ。それがポジでもネガでも……望むとも望まぬとも、常に付きまとう。しかしロボットはそれを認識出来るだろうか」
「認識するプログラムを入れれば可能です」
「しかしそのためには「獲得」と「喪失」の二つの処理を作らなければならないだろうな。メンテナンスも二通り必要だ。それでは駄目だ。作るにせよ……」
「可能な限り、同じように」
「肉薄するほど、どちらがどちらかわからなくなるほど、曖昧に。そうするとロボットはどうなると思う?」
「処理に時間がかかるでしょうね。期待値が曖昧になってしまうのですから」
「それこそが迷いなのではないだろうか。「喪失」したものと「獲得」したもの。どちらが自分の目指すべきものだったのか、判定出来なくなる」
「それは失敗です」
「いいや、失敗でも成功でもない。これは一つの過程なのだから」
エコーに銃口を向けてから二日後、僕はメンテナンス室にいた。
一糸まとわぬ姿で台に横たわった僕を、作業用のロボット達が、硝子で出来た眼球で見ている。どれも作業用のアタッチメントをアームに取り付けられていて、僕のように人間に似た姿ではない。
「ロスト」
群れるロボットの向こう側で、エコーの金髪が揺れる。
「気分はどうだ」
「問題ないよ。でもメンテナンスなんて初めて」
「君が目覚める前に一度行っている」
「やっぱり人間に銃を向けるロボットには調整が必要、ということかな」
すると、ロボットを掻き分けるようにしてエコーが僕の元にやってきた。覗きこむエコーの口元は小さく微笑んでいた。
「冗談はほどほどにしないと、本当に分解されるぞ。このメンテナンスは君にとっては重要なことだ。君がこの実験を続けるために」
「だから、調整なんだろう?」
「とんでもない」
エコーは人差し指と親指で銃のような形を作ると、僕の額に指先を突きつけた。
熱感センサーは既に切られたのだろうか。指の圧力は感じるが、熱は僕の肌に伝わらない。だから、その指が僕には本物の銃のように思えた。
「君に調整など不要だ。強いて言えばこれは「清掃」だよ。実験のために君という素体は洗われる。まぁ心配するな。知覚信号を遮断して、安らかに寝ているうちに全てが終わる」
「その指の意味は?」
「……君が私を撃った時」
エコーは少しだけ指先を捻るようにしてから、僕の額からそれを退けた。僕は目で追ってみようとしたが、ロボットの無骨なアームが遮ってしまう。
どうやら「清掃」が始まるようだった。しかしエコーはそんなことにはお構いなしに続ける。
「私は障壁の向こうにいた。何も心配することなどなかった。全ては計算されつくした威力と防御力の結果だ。私はそこでのんきに欠伸をしてもよかっただろうな」
「そうだね」
「だが、私は少々悩んだのだ。君が何故私をこれほどまでに躊躇いもなく撃つのかと」
「だってそれが命令だから」
ロボット達がアームを動かす度に、僕の知覚は鈍化していく。視野が不安定になり、聴覚にノイズが混じる。瞼を閉じる時に聞こえた煩いほどの音は、人工筋肉が強制的に活動を停止する音だろう。
「そうだ、君は命令に従っただけだ」
エコーの声が遠い。自分の全ての感覚器官が遮断されていく。
「夢」に落ちる時と似ている。でもいつもよりも物々しくて、そしてどこか不快だと僕は思った。視覚、嗅覚、触覚、そして最後に取り残された聴覚が、何かに抗うかのようにエコーの声を拾い上げた。
「君は私を殺そうとしたんだ、ロスト」
それは違う、と僕は口を動かそうとした。僕に殺意などない。ただ命令に従っただけだ。
全ての課題をクリアしようとして、エコーに「合格」と言って欲しくて。
だが、もしあの時に障壁がなかったら、彼女は死んでいた。僕はエコーに褒めてもらうために殺そうとしたのだろうか。死体となったエコーの傍らで賞賛を待つために。
僕は、何を期待して引き金を引いたのか。何が欲しかったのか。
淀みのような問いを抱いたまま、僕の全ては現実世界から切り離された。
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