ep1.絵の中の思惑
「この実験体について、君は一切の考慮をする必要はない。殴る必要があれば殴れば良いし、活動を停止させたいなら停止すれば良い」
「それは実験の中止を意味するのでは?」
「いいや、実験は続ける。どんな結果になってもね。君は私の優秀な助手だ。それが出来ないわけがない」
「私は博士の指示には従います。しかし、抗議をする権利はあるはずだ。こんな実験は気に入らない」
「気に入らない? 気に入らないと来たか。残念だが私は、君が気に入るために実験をしているのではないよ」
「それは理解しています」
「発言の自由は君には認められている。しかし、それと拒絶は別物だ。私はこの実験に全てを賭けるつもりだよ。君が拒絶をしたいのなら、それ以上の覚悟を見せるが良い」
手渡された薄い本には、緑色が沢山描かれていた。その中に赤を身にまとう人間が描かれている。傍らに添えられた文章から読み取れるのは、それが「赤ずきんと呼ばれる女の子」であり、森の中を歩いているということだけだ。
「どう思う」
「これは人間をデフォルメしたものだね。現実的じゃないよ」
「そう。では何故現実的でない描写だと思う?」
エコーは毎日、僕に質問をする。
ロボットである僕には、予め高性能な人工知能が搭載されていて、普通の人間の一般教養などは備わっているらしい。だが実験のためにそれらのデータベースを接続するキーが無効化されていて、単語は知っていても関連性を見つけられないようになっているとのことだった。
そのキーを有効化させるために、エコーは僕に様々な質問や行動を取る。僕はそれらを観察し、学習し、データベースを一つずつ解放していく。林檎は赤、空は青、雲は白の場合と灰色の場合があって、灰色は雨の予兆。そんな風に。
「絵を描いた人間の技量が原因じゃないかな」
「ハズレだ。その絵は非常によく出来ている。君には描けない」
「プログラムされていないから?」
「そう、君には絵画の知識が最初からインプットされていない」
僕はそれを聞いてもなんとも思わなかった。疑問すら浮かばない。絵を描けないということは、それに関する実験はないのだろう。ならそれ以上考えることはない。
「現実的とはどういうことか」
エコーが鏡を取り出して、僕の前に置いた。四角い鏡に僕の顔が映る。
白人をモデルとした白い肌に高い鼻。ハシバミ色の瞳が僕を見返している。この顔を作った技術者は捻くれ者なんだろう。目つきがいかにも生意気だ。僕の外見に対して、エコーが「二十歳の白人青年をモデルとしている」と言ったことがあったが、僕の中の認証プログラムがおかしいのか、鏡の中の顔はそれより若く見えた。
「今、君が見ているのが君の本当の顔だ。それをリアルに描くことは可能だろう。しかし、それはただの肖像画であって、この本には相応しくない」
「どうして?」
「これは絵本だ。子供が読むものに、リアルな絵は要らない」
「信じられないな」
僕は首を横に振る。
「子供に嘘の絵をインプットするなんて」
「いいや、これは子どもたちにとっては本物だ」
「理解不能。的確な言葉でインプットして欲しい」
エコーは形の良い眉を片方だけ吊り上げた。意味はよくわからないが、口元が微笑んでいることから、怒りの感情はないと分析する。
「赤ずきんがどのような女の子であるか。彼女はお伽話の中の人物だ。間違っても、食事をしてゲップをしたり、首に妙な形の黒子があったり、右目だけ一重だったりしてはいけない。お伽話には、お伽話に相応しい姿形がある」
「ではお伽話の世界で、写実的であることは嘘だと?」
「その通り。理解出来たか?」
それでは、お伽話は現実ではないということとなる。要するに嘘だ。子供に嘘の話を教えこむ必要がどこにあるのだろう。それなら幾何学や物理の公式を教えたほうが良い、と僕は思った。
これは非常に合理的な筈だ。嘘は良くない。真実は良い。お伽話は嘘で、公式は真実だ。絵本なんて全て捨てて、物理学の本を与えたほうが子供たちにとっても正しいことだ。
僕がその考えを正直に口にすると、エコーはカルテに何かを書き込みながら首を左右に振った。
「不正解」
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