エコーの林檎実験

淡島かりす

ep0.ロボットの苦悩

「私が作りたいのは、感情回路を組み込んだロボットではない」

「それはつまり、どういう意味でしょうか」

「私は感情を進化させるロボットが作りたい」

「申し訳ありませんが、理解しかねます。貴方は多くのロボットを作った。有能で、完璧な……」

「人間の持つ最も複雑な感情は『苦悩』だ。人間は悩むことが出来る。しかしその悩みは多岐に渡り、多彩なものだ。今のロボットには苦悩が足らない」

「お言葉ですが、ロボットに苦悩は必要ありません」

「人間に近いロボットを作るには、より多くの感情が必要となる。私はロボットに苦悩させたい。そのためなら……どんな犠牲も厭わないさ。ロボット工学の更なる発展のためには、私はどんな高性能なロボットだって、実験台として叩き潰すだろうよ」




「この林檎の色を答えなさい」


 僕は白いテーブルの上に置かれた林檎を見る。テーブルだけではなくて、部屋全体が真っ白だった。白い部屋は安心する。僕が初めて目覚めた場所も真っ白だった。規則的な音を立てる装置の中で目覚めたのは、もう二週間も前のことだ。


「どうしたんだ、ロスト。林檎の色を答えろと言っている」


 僕の向かいに座った、背の低い『世話係』が言う。身長は僕よりずっと低くて、痩せっぽちだ。丈の合わない白衣を無理矢理着ているものだから、椅子に座るとその裾が床に擦れてしまう。

 その世話係にはちゃんとした名前があるのだけれど、僕はまだ上手に発音が出来なかった。二週間前に起動したばかりの人工知能では、複雑な名前は学習出来ないのだと、世話係は言っていた。


「聞こえているよ、エコー」


 僕は通称として利用している文字列を呟いた。初めて世話係と出会った場所は、ロボットの精査室で、あまりに声の反響が大きかった。その記憶が残っていたので、「エコー」と呼ぶことに決めたのだ。


「これは緑色だ」

「違う」


 エコーは溜息をついて首を振る。

 おかしいな。昨日は赤と答えたら違うと言われたのに。


「これは赤色だ」

「でも緑色だよ」


 ほら、と僕は林檎を持ち上げる。底のほうから広がる緑色は、林檎の半分を覆っていた。


「いいか、ロスト。昨日も言った通り、人間は林檎を思い浮かべる場合には「赤」を連想するのだ。緑色の林檎もあるが、それは例外処理に入れて良い」


 エコーは高い声で、噛み砕くようにして言う。


「赤色が半分あれば、その林檎は赤いんだ」

「でも正確じゃないよ。これは緑色と赤色だ」

「正確かどうかは必要ない。君に課されたプログラムは、精密性を要さない」


 手にした紙に何かを書き込みながら、エコーは何度か瞬きをした。僕は釈然としない思いで、林檎を見つめる。何度見ても緑色だ。あるいは赤と緑。明確に存在する緑色を除外するなんて無茶苦茶だ。


「ロスト。君の情報を開示しろ」


 不意にエコーが言ったので、僕は決められた動作を行った。背筋を伸ばして視線を真っ直ぐに前に向け、大きく口を開く。


「認証番号001、認証コードL32O44S1T75。略称LOST。起動してから十三日が経過しました」

「よろしい」


 エコーは僕の言った情報が正確であることに満足して、紙の表面を何度か手で叩いた。その手は小さいのに、生み出される音は大きい。この部屋も密閉空間なので、反響するのだろう。


「ソル博士の『苦悩実験』は、この研究所の全員が関わる一大プロジェクトだ。君という一個体に、全ての研究員が注目している。私としても失敗するわけにはいかない」

「理解しているよ」

「私は君を人間らしく教育する任務がある。君が次第に人間らしい振る舞いをするようになれば、私のことを煩わしく思うかも知れないが、私が実験を中止することはない。それを覚えていて欲しい」

「勿論」


 このやり取りは二回目だ。六日前に、僕のメンテナンスを行った時に初めて言われた。

 ロボットである僕が、何かを煩わしく思うことがあるのだろうか。僕を生み出したというソル博士が、どんな人工知能を埋め込んだかは知らないが、僕には全く想像もつかなかった。それもエコーの言う「学習不足」なのかもしれない。


「では再度質問をする。この林檎は何色だ?」

「赤色」


 僕は林檎の緑色の部分を見つめて答えた。エコーは「合格」と言って、また紙にペンを走らせた。

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