第60話 男装女子は、役割を失う

 怒られない、と分かった瞬間、気が抜けたのか。傷がもたらした熱のせいだったのか。


 あっけなく私は失神した。


 気付けば屋敷の私の寝台で横になっていた。

『怪我のせいで熱が出たんだ。すぐ良くなるよ』

 朦朧とする意識の中、お父様はそう言って、小さい子にするように私の頭を眠るまでなでてくれたのは、数日前のことだ。


「お父様に隠れて、屋敷を出ていた、とか。アルを守ろうとして怪我した、とか」

 俯きがちにそう言うと、「ああ」とお父様は笑い声をたてる。


「どっか行ってるなぁ、程度には知ってたけど。まさか、アルフレッド坊ちゃんと夜の街に出てるとはね」

 知ってたんだ、とちらりと上目遣いにお父様を見る。お父様はくすり、と笑った。


「しかも、アルフレッド坊ちゃんは女装をしていたとは。びっくりだよ」

 お父様は寝台の端に座ったまま、長い脚を組む。


「殿下はなんて? その報告を聞いた時の殿下の顔を見たかったな」

「笑っておられました」

 そう答えると、お父様は愉快そうに肩を揺すらせた。


「君の傷のことだけど。そりゃ、心配はするけど、怒りはしないさ」

 お父様は、笑いの余韻を残したまま、私に言う。

「まだ殿下とアレクシア殿が結婚する前だけど」

 お父様は体の後ろに手を着き、私の顔を見た。

「殿下を襲おうとした賊から守って、アレクシア殿が腕に傷を負ったことがあった。あの時、僕が彼女の傷を縫ったんだ」

「お父様が?」

 そうそう、とお父様は懐かしそうに目を細める。


「それに比べたら、君の傷なんて小さい小さい。だけど、やったことは立派だ。アルフレッド坊ちゃんを守ったんだからね」

 そう言われても、結局は守りきれていない。私は下唇を噛んで俯いた。

「君たちの報告のお蔭で、今、いろんな部署が動いている」

 お父様はゆったりとそう話してくれた。


 ユリウス様は紋と首飾りのことが妙に心に残ったらしく、外国人の貿易商であるキュンツェルを早速呼びつけ、事情をお話になったらしい。


『……ひょっとしたら、それは我が国の呪術やもしれません』

 キュンツェルは顔を顰めてそう言ったのだそうだ。

 かの国では、呪いたい人の名前や紋章を分解し、それを何かにに印すのだそうだ。印すものは、紙でも羊皮紙でもいいそうなのだが、高価であればあるほど、効力があるのだという。そして、できるだけ呪いたい人の容姿に似た女性を三人探し、その印したモノを持たせて三人とも殺害するらしい。

 三人目を殺したとき、呪いが発動して呪いたい相手は死ぬのだそうだ。


「殿下のお命を狙おうとしている人間たちがいることは確かだったけど。まさか、武器を取って蜂起するわけではなく、呪術的になにかしかけてくるとは思わなかったよ」

 お父様は肩をすくめる。


「『そんなもんで俺が死ぬか』と殿下は呆れてらっしゃるけど、教会がキュンツェルと話し合ってなんか対処法を考えるらしい。で、ローラとキャロルを殺した犯人探しは、引き続き衛兵が行うことになった」

 お父様はそのあと、「それでね」と自然な流れで私に言う。


「アルフレッド坊ちゃんに侍従団が着くことになってね」

 お父様はさらりとおっしゃった。なんだか、ずきりと胸が痛む。やはり、今回の一件で、私が側にてもアルを守りきれない、と思われたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る