第29話 女装男子は、見知らぬ男から声をかけられる
目の前は薄暗い。
通りの幅は私が両手を横に広げたら店と店の壁に触れそうなほどの狭さだ。暗さも相まって、やけに圧迫感を覚える。
私は目を凝らす。
さっきまでいた往来が明るすぎて、どうにも目が慣れない。眉根を寄せ、視界が戻って来てから、そっと一歩を踏み出した。右手は念のため、左腰に佩いた剣の柄を握っておく。
足元で水音がしたと思って視線を落とすと、下水が入り込んでいるらしい。というより、向かって右側の店が汚水を路地裏に直に排水しているのだ。
路地裏の中央はタイル張りになって少しへこんでいる。奥に向かって下水が流れる仕組みになっているのかもしれない。
私は暗闇になれた頃を見計らって、足早に駆けだした。よく見ると、アルの足跡らしいものが路地の端に見えるが、姿が見えない。
足裏を追うようにして奥に進み、そして、突き当りで足を止める。
ブロック塀が前を塞ぎ、路地は丁字路となっていた。下水はブロック塀の下を流れるようになっているが、人が通るようにはできていない。腰を屈め、足跡を追おうとした時。
「その首飾り、どうしたのかな」
左から、声が聞こえた。
私は顔を起こし、反射的に左の路地に飛び込む。ばちゃり、と足元でぬかるんだ音が鳴ったが、柄を握る手に力を籠め、走った。
「その方に近づくな」
低い声で言うと、唸ったような声が喉から漏れた。
路地の中ほどに。
アルと、男が一人立っていた。
足音で私が近づいていることには気づいていたらしい。顔を私の方に向けたが、少し驚いたような顔をした。
「供をお連れ、ということは、名のあるお方でしょうか」
途端に、男は言葉遣いを変えてアルに向き直る。
アルより少し背が低い男だった。
ユリウス様と同じぐらいの年齢に見える。
黒髪と、緑色の瞳をしていた。口にはよく手入れの行き届いた髭が伸びている。
今風の丈の短いジャケットに、光沢のあるスカーフを首元から覗かせていた。腰に剣は佩いていないように見えるが、だからといって武器を携帯していないとは言い切れない。私はざっと男の体躯に視線を走らせる。どこかに隠しナイフでもあるかもしれないのだ。
「後ろに下がってください」
私はアルに声をかける。男と向き合っていたアルはちらりと私を見たものの、下がる気はないらしい。怒鳴りつけてやろうかと思ったが、アルは躊躇ったように口を開いた。
「この首飾りをご存じ?」
さっき街娼の前で使ったような濁りの無いファルセットでアルは男に尋ねた。指を首飾りのトップに這わせ、銀細工に触れる。
『ダミーを作らせたんだ』
自慢げに、私に言った品だった。
『誰に』
私は目を丸くして、アルが私に差し出す首飾りを凝視する。
『街で知り合った転売屋』
アルがにやりと笑ったのを見て、私は大ため息を吐く。私とは月数回しか夜の街に行かないのに、実は此奴、毎晩ぐらい、夜の街を徘徊してるんじゃなかろうか。
『ただ、そっくりおんなじって訳じゃあ、ないんだよなぁ』
アルが歌うようにそう言うのを思い出した。
多分。
近くで見たらダミーだと知れるのだろう。アルは思わせぶりに首飾りを触り、よく見えないように誤魔化している。
「ローラがしていたものと同じように見えます」
男はどこか切羽詰まった声でアルに答えた。良く見せてほしい、と言いたそうな表情をしているが、流石に女性の胸元に手を伸ばすのは気が引けるのだろう。良く考えれば、アルはキャロルの胸元でまじまじと見たものだ。
「ローラをご存じ?」
アルが尋ねる。
「ええ。ええ、良く知っていました」
男は思わずと言った風に、一歩アルに近づいた。私は素早く彼の隣に位置を取る。私の眼光を受け、そして、私が鯉口を切ったのが目に入ったのだろう。男は慌てて背を反らした。
「私は怪しいものではありません。ローラと同じ物だと思って、つい声をかけただけなんです」
男は驚いたように私とアルを見た。
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