その12-2 ドSはドSを知る

 ファゴット。

 木管楽器の中では最も低音を担当し、そして最も大きな楽器だ。

 弦楽器でいうところのコントラバス、金管楽器でいうところのトロンボーン、チューバ同様に、主に低音の伴奏を担い、時に旋律も担当する。

 英語圏ではバスーンとも呼ばれている楽器で、音オケでは日笠さんが担当しており、その音色はカッシーもこの三年間よく耳にしてきた。

 

 だからこそ間違えるはずがない。似たような音色とも思えない。

 正真正銘、ファゴットが生み出す木管楽器独特の響く低音。

 その音色が迷路の向こうから漂う空気に乗って聴こえてくるのだ。


 どういうことだ?――と、首を捻ったカッシーは、しかし次の瞬間全てを悟ったように目を見開き、やがて額を抑えて俯いていた。

 その音色が奏でていたとある曲に気付き、戸惑うようにして。


「ねえカッシー。この曲って……よね?」

「皆まで言うななっちゃん。わかってる」

 

 彼女もどうやら気づいたようだ。

 呆れ気味に引き攣った微笑を浮かべ尋ねてきたなっちゃんに向けて、カッシーは答えるのも嫌そうに返事する。

 はたして、微かに聞こえるファゴットが演奏していた『あれ』とは、某猫型ロボットが登場するアニメの、平穏な日常シーンによく流れるBGM――

 

 つまりだ。

 似たような楽器の音色という可能性もあったが、こりゃもうファゴットで間違いないだろう。

 そして自分達の世界の、しかもこんな微妙にマニアックな曲を吹く奴に心当たり何ぞ一人しかいない。

 ファゴットパート一年生のあの少年だ。この曲はあいつの十八番だった。これ吹くと身体があったまるんスよ――とか言っていつも練習前に、それも大真面目にこの曲を吹いて日笠さんを脱力させていたしなあいつ。


 けど、何であいつがこんな所に? こんな辺鄙な迷宮で何やってんだ?

 というかなんであいつ、こんな場所でファゴット吹いてるんだよ? マイペースな奴だとは知ってたが呆然自失とはこの事だ、TPOわきまえろっつの――

 緊張感を削ぐ呑気な旋律に耳を澄ませていたカッシーは、次々と沸き起こる疑問と共に、ファゴットパートに所属するクソ生意気な後輩の姿を脳裏に思い描いていた。

 

 何にせよ、聴こえてくるこの音色が示す可能性は一つだ。

 どういう経緯かはこの際置いておいて、オケの部員が近くにいる――ということになる。

 やにわに壁にかけてあった時任とブロードソードを手に取るとカッシーは立ち上がった。

 

「カッシー?」

「ちょっと見てくる」


 ここに来た目的とはずれるが、もし部員だったら嬉しい誤算だ。

 微笑みの少女の呼びかけに即答し、カッシーは二刀を腰のベルトに差す。

 

「一人で行く気?」


 迷路で単独行動は危険だ。逸れる可能性だってある。ここは一度キャンプをたたんで皆で進むべきじゃないだろうか。

 ファゴットの調べに耳を澄まし踵を返した少年の背に向けてなっちゃんは尋ねる。

 だがカッシーは悩むように俯いた後、小さく首を振った。


「できれば起こしたくない。大丈夫、すぐ戻るからさ」


 自分のせいで強行し過ぎた。その負い目もある。

 みんなもう少し寝かせておくべきだろう。

 それに遠くまで行く気はない。周囲を捜すに留め、近くに居なかったら引き返す――

 覚悟と無謀は違うとついさっき諌められたばかりだ。

 彼女の言葉に含まれる懸念に気付き、重々承知とカッシーは苦笑を浮かべて振り返る。


 だがそんなカッシーを見てなっちゃんはやれやれと溜息をついた。

 負い目に感じて独断に出るのは筋違いだ。私はそういうつもりで諌めたわけじゃないんだけどな……。

 まあこの我儘少年の頑固さは百も承知だ。これ以上言っても無駄だろう――

 そう結論に至ると、なっちゃんは少年を追うようにして立ち上がり、壁にかけてあったチェロケースとショートボウガンを手に取る。


「なら私も行くわ」

「なっちゃんも? いいって休んどけよ」

「今更過ぎ。そういう気遣いはもう少し早くにしてよね」

「うっ……」

「たとえ見に行くだけでも単独行動は避けるべき。だから私も行く」


 ここは迷路、逸れたら合流は困難。異論は認めないから――

 なっちゃんは怪訝そうにこちらを見ていたカッシーに向かって強気に小首を傾げてみせた。

 困ったように一瞬口を噤んだものの、カッシーはややもって素直に感謝しながらにへら笑いを浮かべる。

 

「悪いなっちゃん」

「どういたしまして、頑固な名誉騎士様」

「またそれかよ……勘弁してくれ」

 

 苦々しい表情と共に口をへの字に曲げたカッシーに対し、なっちゃんはクスリと悪戯っぽい微笑を返すと道の先へと目を凝らした。

 幸いにも例の気の抜ける曲は続いている。

 二人はお互いを見合って無言で頷くと、ファゴットの音色を辿って道を進み始めた。

 

 

♪♪♪♪



 十分後。

 僅か十分、されど十分。

 ここまでの道は経路は右折、右折、そして十字路を直進、最後は左折――

 大丈夫だ、来た道はまだ覚えている。今のところ罠も発動した気配はない。


「にしてもあいつ、どんだけこの曲好きなんだよ?」


 ファゴットの音色は未だに道の奥から聴こえて来ていた。

 しかも先刻からずっと繰り返しのリピート演奏。恐らく基礎練的な意味合いで吹いてるつもりなんだろうが、罠だらけの緊迫した迷路にも拘わらず聞いてると気が抜けてくる長閑な曲だ。

 まあそのおかげで、音を追ってここまで来れているのだが――

 罠に注意しながら道を進んでいたカッシーは、うんざりした様子でぼそりと呟いた。

 

「確かにあの子、ちょっと変わってるわよね」

「ちょっとどころじゃねえよ。人の話聞かねえし、何考えてるかわかんねーし、先輩を先輩と思ってねーし……思い出したら腹立ってきた」


 だがしかし、演奏も上手いし技術もセンスもある。クラシックに関する造詣も深い。

 生意気な発言をするだけの実力はあるので、一目置いてはいる。

 そこがまたやきもきするところなのだが――顰め面を浮かべ、カッシーはぼやくようになっちゃんに相槌を打つ。

 

 と、そこで会話は終わった。

 丁度三叉路を左へと曲がった時である。

 それまで続いていた道が終わり、急に視界が開けたのだ。


「なんだこの部屋?」


 思わず足を止めてカッシーは前方を注視する。

 はたして、少年の言うとおり『道』ではなく『部屋』と表現する方が正しい空間が前方には広がっていた。

 部屋の大きさはおよそ学校の二十五メートルプール一つ分程度。

 それだけではない。その床一面に広がっている物もまた奇妙極まりない物だった。


「……砂?」


 と、カッシーの後ろから覗き込むようにして部屋の様子を窺っていたなっちゃんが呟く。

 そう縦に長い長方形のその部屋の床には、砂漠の如く砂が敷き詰められていたのだ。


 言うなれば砂のプール。それ以外は何もない部屋。

 だがそれがますますもって怪しい――


「あからさま過ぎない?」

「……そうだな」


 一目瞭然。どう見ても罠が仕掛けられている匂いがぷんぷんする。

 だがファゴットの調べは部屋を挟んで向こう側に続く道から聞こえてきているようだ。

 ここを部屋を渡らねば追跡はできない。さてどうするか――

 二人は部屋の入口で躊躇するようにお互いを見合う。

 と、僅かな思案の後、カッシーは口を開いた。


「やめとく、ここまでにしとこう」

「あら意外」


 よしと頷いて提案した少年に対して、なっちゃんは感心しながら答える。

 茶化されたような気がしてカッシーは思わずむっとしてしまった。

 

「意外ってどういうことだ?」

「てっきり進もうって言うかなって思ってたから^^」

「そりゃあいつがいるか確認できないのは残念だけど、なんだろ?」


 この先に行くなら全員でにした方が良さげだ。

 幸いにもここまで罠らしき罠には遭遇していないし。引き返すなら今の内だろう。

 先刻少女が告げた言葉を口にして、カッシーは今一度砂の部屋を眺める。


「ここで一旦区切ろう。とりあえず皆のところへ戻ろうぜ?」

「わかったわ」


 懸命な判断だ――少年の提案になっちゃんはクスリと微笑みながら同意した。

 

 だがしかし。

 来た道を戻ろうとした二人の眼前で、派手な音を立てて鉄格子が降り、道を塞ぐ。

 耳の奥をキンキンさせる金属の落下音に思わず身を震わせたなっちゃんの隣で、カッシーは目を点にしながら現れた鉄格子を見つめていた。

 やっぱりな――と。


「最悪……既に罠発動してたみたいね」

「……まあこんなこったろうと思ってた」


 何も起きずにこのまま戻れるとは正直思ってなかった。

 むしろここまで何も罠が発動しなかっただけでもありがたかったと思うべきかもしれない。

 だってトラブルの女神様にどうも愛されているようだしさ?

 嗚呼、言ってて情けなくなってくる――


 若干卑屈になりかけながらカッシーは額を抑えて大きな溜息を吐く。


 想定通りこれで退路を断たれたことになったわけだが。

 これまでの矢の雨や落とし穴の罠と比べればまだ扉が閉まっただけだ。

 カッシーは安堵の表情を浮かべながらなっちゃんを向き直る。


「前に進むか、解除の方法を捜そう」

「……そうね、


 だが幾分楽観視していたカッシーに対し、なっちゃんは剣呑な表情を顔に浮かべ含みのある言葉を返していた。

 彼女の放った言葉とその表情に違和感を覚え、カッシーは訝しげに眉を顰める。

 

「早く? 罠の解除をか? 急がず慌てず確実にいったほうがいいんじゃ――」

「私ずっと考えてたんだけど、この遺跡の罠を発案した人って、とっても性格悪い奴だと思うのよね」

「それが何か?」


 彼女の意図が読めず、カッシーはますますもって不思議そうに首を傾げた。

 と、お決まりの唇の下に人差し指を当てるポーズで思案に暮れていたなっちゃんは、徐に顔を上げ話し始める。

 

「さっきの鉄球だって、その気になればもっと早く転がってこれたと思うの。それをじわじわ追い立てるように私達の後をゆっくりとついてきて、そして絶望に陥れるように刺付き鉄格子で退路を断つ――」

「……言われてみれば」

「ここまで来る途中だって、毒蛇の群れに、毒ガスに、時間差で崩れていく床――どれもゆっくりとじわじわ追いつめて死に至らしめるものばっかりだったでしょ?」

「あー、その……なっちゃん?」

「わかったカッシー? この部屋の罠が、


 若干青ざめた顔で確認するようにそう尋ねてきた少女に向かって、我儘少年は口をへの字に曲げながらふるふると首を振ってみせる。


 そう。退路を断ったのは次の罠への布石。

 詰め将棋のように、遺跡へ侵入した者をじわりじわりといたぶって確実に死へと誘うためのだ。

 先に広がる砂の部屋に潜む、罠がいつどのようなタイミングで発動するかもわからない。

 だからできる限り速やかに罠を解除してここから脱出した方がいい――彼女はそう言っているのである。

 

 流石。ドSはドSを知る、とでも言おうか。確かにこりゃ急いだ方がいいな。

 絶対口には出せない称賛の言葉を胸の中に浮かべながら、事態を楽観視してカッシーは考えを改め咽喉奥で低い唸り声をあげた。

 

「罠を解除できるとしたら?」

「それは調べてみなきゃわからないけど……恐らく部屋の中だと思う」


 一見すると何もない砂場が広がる部屋だが、これまでの罠のパターンを見る限り、解除の方法は必ず罠の近くにあった。

 鉄球の罠なんか球そのものに解除の仕掛けがあったし。

 だとすれば今回もきっとこの部屋の中の何処かにあるはずだ――

 なっちゃんはカッシーの問いにそう答えつつ、部屋の中を覗きこむ。

 

 意を決した少年は無言で頷くと、やにわに部屋へと足を踏み入れた。

 砂の粒子が細かく水のようだ。思った以上に足場が悪い。

 まんがいち飛び出してくるようなタイプの罠が発動したとしたら回避には苦労しそうだ。

 脛までしっかり覆うタイプの騎士のブーツが足首あたりまでズブリと砂に埋もれ、カッシーは息を呑む。


「カッシー?」

「まず俺が調べてみる。なっちゃんはそこで待っててくれ」


 心配そうに声をかけて来た少女に返答し、いつもより大きめの動作で足を引き抜きながら、カッシーは部屋の中央へと進んでいった。


 そのままおよそ数十歩。部屋の中央まで到達した我儘少年は、歩みを止めて周囲を一瞥する。

 幸いにも罠らしき罠が襲って来る気配はない。

 いや、もしかすると既に発動はしているのかもしれないが、今のところ異常はない。

 

 さてどこから調べていくか。

 これだけ見晴しのよい部屋でそれらしきスイッチも見当たらないとなれば、恐らく解除の仕掛けは砂の中――

 警戒を怠たらずカッシーは足元を見やる。

 


 と――



 それは微かに。

 そして確かに。

 足元を調べようと屈んだ少年の耳朶を打ったのだ。


 一定間隔で時を打刻する音が。

 カッチコッチカッチコッチ――と、


 BPMはおよそ120。

 まるでそう。

 例えるならメトロノームの如く。時限式の爆弾の如く。


 


 なんだ?――と。

 カッシーはブロードソードの柄に手をかけて腰をあげた。


「カッシー?!」

「来るな! そこに居てくれ!」


 大正解だぜなっちゃん。思わず声を大きくした少女をカッシーは制する。


 カッチコッチカッチコッチ――

 涼しい音色を立てて抜き放たれた剣に誘われるかのように、その打刻音は少年へと迫ってきた。


 刹那、音が止まる。

 静寂が支配した砂上で、カッシーは身体の中で低くなる自らの心音を感じながら全神経を研ぎ澄ましていた。



―真下だ小僧っ! 飛べっ!―


 時任の切羽詰まった声がその静寂を破る。

 決して良いとはいえない足場を全力で蹴り上げ、後方へと回避した少年が見たものは。



 まるで間欠泉のように天高く舞い上がった砂を纏い、砂中より現れた巨大な手であった。




※参考

某猫型ロボットが登場するアニメの、平穏な日常シーンによく流れるBGM

https://www.youtube.com/watch?v=tReJLMwPq80

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